2025年もいよいよ年末。日本中で「第九」のメロディが響き渡る時期がやってきましたね。ベートーヴェン作曲、交響曲第9番。通称「第九」はすっかり年末の風物詩として、私たちの心に寄り添ってくれています。

USEN MUSICの「クラシック特集」チャンネルでも、12月は「ベートーヴェン特集」として、「第九」をはじめとしたベートーヴェンの名曲をお届けしています。

このコラムでは、「第九」にまつわるさまざまなエピソードを交えながら、時代を超えて愛され続ける名曲の魅力に迫ってみようと思います。

1824年5月7日、「第九」が初演されたウィーンのケルントネル門劇場(ケルントナートーア劇場)。

そもそも「第九」とは?

「第九」とは、ドイツの作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が、1824年頃に書いた9番目の交響曲。ベートーヴェン最晩年の傑作であり、彼が一生ぶんの意欲を燃やして書き上げた大作です。

正しくは「交響曲 第9番 ニ短調 作品125」で、「合唱」「合唱付」「合唱入り」と付されることもあります。1822年ごろから作曲に取り掛かり、1824年2月に初稿が完成したとされ、第1楽章、第2楽章、第3楽章(緩徐楽章)、第4楽章(合唱入り)で構成されます。演奏時間は約70分。初演は1824年5月7日、ウィーンのケルントネル門劇場(ケルントナートーア劇場)でした。

ベートーヴェンは、1800年ごろから次第に耳の病に侵されており、1820年ごろには殆ど耳が聞こえない状態にありました。「第九」の初演は大成功で、聴衆から熱狂と拍手の嵐が巻き起こりましたが、指揮台に立っていたベートーヴェンはそれに気付くことができず、ソリストであったアルト歌手のカロリーネ・ウンガーが彼の袖を引いて、聴衆の喝采を“見せて”あげた、というエピソードが残っています。

「第九」は4つの楽章で構成されており、第4楽章はソプラノ、アルト、テノール、バリトンの4人の独唱および合唱を伴います。歌詞にはドイツの詩人、フリードリヒ・フォン・シラーの詩「歓喜に寄す」が用いられており、一部ベートーヴェン自身が歌詞を加えています。主題となるメロディは、「歓喜の歌」として欧州連合(EU)の公式な「欧州歌(Anthem of Europe)」に採用されています。

ベートーヴェンが生きた時代は、古典派からロマン派へとクラシック音楽のスタイルが変遷していった時期であり、その観点からも「第九」はロマン派の交響曲史に新しい範を示しました。というのも、「第九」には、当時の交響曲にはみられなかった革新的な要素が多く用いられているのです。たとえば、当時非常に珍しかった声楽付き交響曲であること、演奏時間が1時間を超える長大な作品であること、一般的な交響曲の構成ではなく、第2楽章と第3楽章の曲想を入れ替えたこと、楽器編成が大きく、ベートーヴェンがそれまでに世に送り出した8つの交響曲では使わなかったトライアングル、シンバル、バスドラムといった、楽器を使用していることなどが挙げられます。

ここで、現代を代表する巨匠ダニエル・バレンボイムの指揮と、バレンボイムが設立に携わった、イスラエルやアラブ諸国の若い音楽家たちから成るウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団の演奏による「第九」を紹介しましょう。ソリストのアンゲラ・デノケ(S)、ヴァルトラウト・マイヤー(Ms)、ブルクハルト・フリッツ(T)、ルネ・パーペ(Br)という名歌手のアンサンブルも要注目です。

1981年、ライプツィヒにある2代目ゲヴァントハウス・ホールのこけら落とし公演でも「第九」が演奏された。

なぜ年末に「第九」?

年末の「第九」は、第一次世界大戦終結直後の1918年12月31日、ドイツにて、来たる年の平和と自由を願い、ライプツィヒ郊外のゲヴァントハウス管弦楽団の楽長アルトゥル・ニキシュ指揮のもと、有志の演奏家と合唱団によって演奏されました。ゲヴァントハウス管弦楽団は、1743年に発足した自主経営の老舗オーケストラで、いまもその伝統を受け継いでいます。

日本における年末の「第九」は、1940年、ラジオ放送の企画として大晦日の深夜に生放送されたのが始まりでした。ポーランド生まれの指揮者、ヨーゼフ・ローゼンシュトックが、「ドイツでは大晦日に第九を演奏する」と提唱したのがきっかけで、彼が音楽監督を務める新交響楽団(現在のNHK交響楽団)の演奏でした。以来同オケによる毎年12月の「第九」コンサート開催が定例化していきます。

日本で年末の「第九」演奏が盛んになった背景としては、戦後、オーケストラの収入不足を解消するための施策として有益だったことが挙げられます。「第九」コンサートは、合唱団も含めて演奏に参加するメンバーが多く、しかも「第九」を演目にすれば、必ずお客さんは集まると言っていいほどの人気があったため、各地のオーケストラがこぞって年末に「第九」コンサートを開催し、それが今日まで年末の「第九」として親しまれてきたといえるでしょう。

「遺書の家」として知られるウィーン郊外ハイリゲンシュタットにあるベートーヴェン記念館。32歳当時、難聴の悪化に絶望したベートーヴェンが遺書を書き記したとされる住まい。

知ってる?「第九」にまつわるトリビア

「交響曲は9番を書くと死ぬ」というジンクス?
ベートーヴェンの残した9つの交響曲は、どれも個性的で完成度が高く、後世の作曲家たちにとっての指針になりました。そんな中、次第に「交響曲は9番を書くと死ぬ」というジンクスが広まり始め、ブルックナー(1824-1896)が「交響曲第9番」を未完のままで亡くなったことや、ドヴォルザーク(1841-1904)の「交響曲第9番『新世界より』」が最後の交響曲だったこともあって、マーラー(1860-1911)は、9曲目の交響曲である「大地の歌」に番号をつけませんでしたが、10番目に書いた「第9番」が最後の完成作品となり、第10番は未完のまま亡くなっています。

12月になるとオーケストラのチューバ奏者はスケジュールが空く?
日本のオーケストラ・コンサートは、12月になると年末の「第九」公演ラッシュが始まるため、この時期のオーケストラメンバーは連日「第九」でスケジュールが埋まるそうです。しかし「第九」に登場しないチューバの奏者は暇になってしまうのだとか。バスチューバが発明されたのは1835年。「第九」が作曲された1824年には、まだチューバがこの世に存在していなかったのです。

CDの規格はカラヤン指揮の「第九」で決まった?
CD(コンパクトディスク)が初めて市場に登場したのは1982年。いまから43年前です。その際に決定したCDの収録時間は、オランダのフィリップスが60分を提唱していましたが、当時ソニーの社長で、声楽家でもあった大賀典雄が、親交のあった指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンから「ベートーヴェンの第9交響曲が1枚に納まる長さにするべきだ」と助言を受け、74分を提唱し、ソニー案が採用されました。

そんなエピソードにちなんで、カラヤン&ベルリン・フィルの1968年の第九ライブを少しだけ。

ウィーン、ベートーヴェン広場のベートーヴェン像。

最後の第4楽章しか出番がないのに、なぜソリストや合唱団はずっと舞台で待機してるの?

「第九」の第4楽章で歌う4人のソリストや合唱団は、曲の冒頭からステージに上がり、着席して出番を待ちます。つまり彼らは歌い出すまで、演奏開始から30分以上の長い時間を舞台上でじっと待機しなければいけません。その間、最高のパフォーマンスを発揮できるよう喉のコンディションを保つのは、特にソリストたちにとって並々ならぬ集中力を要するのです。ごく稀に、第2楽章と第3楽章の間にソリストがステージに登場するケースも見られますが、あまり一般的ではないようです。

なぜ、これほど長い時間、彼らはステージ上で待機しなければいけないのでしょう?その理由として2つの事が考えられます。

ひとつめの理由は「音楽に参加する者は、曲の最初から最後まで共にいるべきだ」 という解釈が根底にあるからです。

そしてもうひとつ、より具体的な理由が、第4楽章でバリトン歌手の歌い出しである「ソロの第一声」に隠されています。このバリトン歌手の第一声は、「おお友よ、このような旋律ではない!もっと心地よいものを歌おうではないか、もっと喜びに満ち溢れるものを」という、まるで独白のようでありながら、聴衆に語りかけるようなレチタティーヴォ(叙唱)です。

この歌詞はシラーの詩ではなく、ベートーヴェン自身が作詞したもので、彼は、第3楽章までの音楽を「この調べではない!」と否定しているかのように、歌手に歌わせています。このため、「歌い手自身が最初から舞台で音楽を聴いていなければ、この否定の言葉に説得力がないのではないか?」という解釈が生まれるのも頷けます。実際、レチタティーヴォの直前には、前の楽章のメロディを断片的に登場させ、「この調べではない!」の歌唱に繋げるのです。

ベートーヴェンが具体的にどの部分を否定しているのかは、彼の残したスケッチだけでは読み解けず、様々な解釈があるようです。しかし忘れてはならないのは、ベートーヴェンの交響曲第9番が、第1楽章から始まる壮大なストーリーを経て、初めて第4楽章の「歓喜の歌」というクライマックスへと繋がるということです。

1824年のベートーヴェン――Decker, Johann Stephan(1783 - 1844) パブリックドメイン





ベートーヴェンの「第九」にまつわるコラム、いかがでしたでしょうか。USEN MUSICの「クラシック特集」チャンネルでは、12月31日まで「第九」全曲を放送中です。ぜひ「第九」という壮大な音楽世界を堪能して、良いお年を迎えてください。

(おわり)

文/大森有花(USEN)
参考資料/『新訂標準音楽辞典』音楽之友社刊、『音楽の友』(2012年12月号、2014年12月号、2015年12月特大号、2016年11月号)音楽之友社刊

Photo by Bundesarchiv, Bild 183-Z1008-030 / Grubitzsch (geb. Raphael), Waltraud / CC-BY-SA 3.0

大森有花(おおもり ゆか)PROFILE

株式会社USEN 編成部。クラシックをメインに、各チャンネルの選曲、ディレクションを担当。今年ラストのコンサート鑑賞はクリスティアン・ツィメルマンのリサイタル!もう飽きるくらいに聴いている(聴き慣れている)楽曲で、なぜこんなにも心を動かされるのか!演奏中の衝撃に近い感動と、翌日以降の心地よい余韻に浸りながら、年末までもう少し、駆け抜けようと思います。

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