ちょうど30年前の1992年に、日本人女性アーティスト史上初となる横浜スタジアム単独ライブを敢行し、会場を満杯にした伝説のシンガーがいる。デビュー35周年のアニヴァーサリー・イヤーを迎えている、永井真理子だ。休業期間を経て2017年に本格的に再始動した彼女が、来たる8月7日に一夜限り、そのスタジアム・ライブを甦らせる。題して『永井真理子 Re-Birth of 1992』。KT Zepp Yokohamaを舞台に、当時と同じバンド、HYSTERIC MAMAの同じメンバーをバックに、同じ舞台監督の演出により、同じセットリストでパフォーマンスが行われるのだ。本稿執筆時点で、すでにチケットはソールド・アウト。連日、オフィシャル・ブログなどにも大きな反響が寄せられているようだが、ファンにとっても彼女にとっても忘れ得ぬライブとなるに違いない。本人に話を聞いた。

――デビューが1987年7月なので、間もなく35周年ですね。

「そうなんですよね」

――あの鮮烈だったデビューを、振り返っていただけますか?

「ハハハハハ。お恥ずかしいです。私は本当の自然体というか、普段のままのジーパンにTシャツっていう格好で世に出ていきまして」

――あれはやっぱり、そうだったのですか?

「本当なんですよ。自分の普段着を使っていたんです。作られたイメージと思われているかもしれませんけど、まったくそうではなくて、まんまだったんです。あの時代って、きらびやかな衣装のアイドルさんも多くて、そこにポツンとボロボロのジーパンをはいた子が現れたので、そういう意味では目立ったのかもしれないですね」

――所属事務所の方針だったということですか?

「いえ、最初はボーイッシュはボーイッシュでも、雑誌から出てきたような、おしゃれなイメージで行こうということになっていました。でも、アーティスト写真を撮影しているうちに、“ちょっと違うんじゃないか?”って誰もが思い始めまして(笑)。それで普段着で撮ってみたら、それが一番よかったので、普段着で行っちゃおうと」

――そうだったんですね。そこからの35年というのは、あっという間でしたか?それとも、それ相応に長い歳月だったのでしょうか?

「気づけば35年という感覚ではあるんですけれども、そうですね、自分なりに結構いろいろありました。デビューにしても、音楽を始めてすぐ、何もわからない状態の時に、お話をいただいたんです。そこからはもう、勝手に扉がどんどん開いていくような感じで、毎日夢なのかなっていうくらいに新しいことが起きていました。自分でも、しばらくついていけていなかったです。それでも、戸惑いながら、まあ若さもあったので、“もう行ってしまえ!”という感じで走り続けたんですね」

――個人的には、シンデレラ・ストーリーという印象が強かったことを覚えています。

「自分でも信じられないような毎日でしたからね。その代償もありましたよ、もちろん。ちゃんと景色の変化を確かめながら階段を上っていかないといけないのに、エスカレーターで上って高いところの景色をいきなり見てしまったので、そのギャップを埋めれらなかったんです。デビューから3、4年した頃、“何が自分らしさなのか?”とか、“自分は何をやりたいのか?”とか、そういうことが全然わからなくなって、すごく悩みました。それでレコード会社や事務所に、1度活動をお休みできないか聞いたんですけど、“なぜ今休むのか!?”と(笑)」

――そうなりますよね(笑)。

「“悩むのはいいから、悩みながらもとにかく走りなさい”ということで、まあ走り続けたわけですけど」

――その間に数々のヒットを放って『紅白』にも出演し、日本武道館と横浜スタジアムでのライブでも大成功を収めるも、結婚と出産を経て海外に移住して、しばらく休業されます。2017年に本格復帰されるわけですが、やはり30周年というのが大きかったのですか?

「いいえ、全然そういうわけではなかったんです。逆に30周年を記念して復帰するっていうのも、照れくさいですよね。ずっとお休みしていたのに。私としては、本当に歌いたいと思えないと、人前になんか立てないと考えていました。そんな時に、ファンの方たちが30周年ということで声を上げてくださったんですよ。私のブログとかで。ブログなんて、1年に2回しか更新していないのに(笑)。急かさずに待っていてくださった方が、たくさんいらっしゃったようで、音楽仲間も“やろうよ、やろうよ”って背中を押してくれました。そういう力が、私をグーンと持ち上げてくれたんです。“今やらなきゃ、いつやるんだ”って。年齢的にもちょうど50だったので、最後のジャンプだと思いました」

――本当に歌いたいと思えたと。

「そうなんです。人前に立って自分を表現するのって、すごくエネルギーが必要なので、そういう時期は来ないかもしれないと思ったこともありました。“もう無理かな”と。やりたいっていう気持ちは、根っこにあったと思うんです。音楽が好きなことは間違いないので。でもどうやって、胸を張って人前に立てるところまで持っていけるかと考えては、沈んでいました。それが、皆さんの応援でスイッチが入って、一気に火が点いちゃって(笑)。性格的に、1回火が点くと異常なくらい燃えてしまうんです。止められないくらい」

――なるほど。では、横浜スタジアム公演の再現ライブ『永井真理子 Re-Birth of 1992』というのも、ご本人の希望だったのですか?

「いえいえ、そうじゃないんですよ。私もそこまでは考えていませんでしたので」

――そもそもあの横浜スタジアム公演は、永井さん自身の中ではどのような位置付けなのでしょうか?

「さっき、すごく悩んだ時期があったと言いましたが、その時期にHYSTERIC MAMAのギタリストでプロデューサーのCOZZiさんと出会ったんですよ。まあ、結婚して人生のパートナーとしても支えてもらうことになるわけですけど、音楽的にも本当に支えてもらいました。プロデューサーとして自分のブレーンのミュージシャンを集めてくれて、私が表現したいことを、ちゃんと形にできるようにしてくれたんです。それがちょうど、1992年ぐらいでした。ライブもすべて変えて、その第1弾があの横浜スタジアム公演だったんです」

――そんなドラマがあったんですね。

「それで、スタッフも新しくなった中で、私のマネジメントの中心になってくださった方が“スタジアムやっちゃおうよ”と。ノリですよね。スタジアムなんか、想像もつかないじゃないですか。“でももう押さえちゃったから”みたいな、本当にそんな感じでした。“え〜っ!?”て(笑)。私にとっては、大きなサプライズでしたね。自分でも夢のようで、やる気は満々だけど“会場を埋められるのかな?”って、それだけが心配でした。でもそのマネージャーさんが、できる方だったんでしょうね。私が『オールナイトニッポン』に出演した時に、電話受付をしていただいたりして、あっという間にソールド・アウトしていたんです。当日、ステージに飛び出した瞬間に、もうなんでしょう、人間の波みたいなものが音楽に合わせて揺れているのが見えて、“うわっ、すごい景色!”って思ったのを覚えています。どこのステージに立っても感動していましたけど、何か特別なものを見ているなって。いまだに鮮明に記憶に残っていますね」

――どのような経緯で、再現ライブが実現することになったのでしょうか?

「去年の暮れにたまたま、横浜スタジアム公演の舞台監督をしてくださった方に、セルフカヴァー・アルバムのリリース・ライブの舞台をお願いすることになったんですね。それで“懐かしいですね”なんて話しているうちに、ちょうど今年の8月で30年ということがわかって、“記念に何かやりましょう”っていう話で盛り上がったんです。そしてその監督さんが頑張って、人気が高くて押さえにくいKT Zepp Yokohamaを押さえてくださったんですよ。しかも当時と同じ、8月の最初の日曜日。それを当時のメンバーに連絡したら、みんな喜んでくれまして。私の心の中も大騒ぎですよ。そんなことになるなんて思ってもみなかったから、嬉しくて」

――皆さんがご健在だったのも、良かったですね。

「そうなんです。まあ、あれから30年、みんないろいろあったみたいですけどね。ひとりは長野に移住していて、山岳ガイドをしているんですよ。現地でライブ活動とかもしながら。今回のライブのために、わざわざ東京に来てくれます。それぞれの人生を経て、また集まれるのが素敵だなと思っています」

――セットリストも同じにするのですか?

「まったく一緒です。すべて再現します。ただ、演奏はミックスしようと思っています。ただ懐かしいものをなぞるのではなくて、進化した自分たちの姿も見てみてもらいたいし、30年前の自分たち自身にも、“今のみんなもカッコいいでしょ”って伝えたいんですよね。そういう心意気でいるので、サウンドも新しいのと懐かしいのをミックスしようと。当時のままの曲もあります。聴いて当時とオーヴァーラップできるようなシーンと、今を感じてもらえるシーンを考えています。懐かしいけど新しいというか」

――たとえば「キャッチ・ボール」では、当時と同じように巨大なボールが転がったりも?

「そのあたりは秘密です(笑)。演出も、新しさと懐かしさをミックスするつもりです。“こう来たか!”っていう」

――となると、30年前に実際にスタジアムに足を運んでくれたファンにこそ、来てもらいたいのではないですか?

「そういう気持ちはありますね。遠くに住んでいたり、幼過ぎていたりして、行きたくても行けなかったという方にも、ぜひ来ていただきたいです。なんか、夢のようですね。こんな未来があったなんて。皆さん、SNSにいろいろ書き込んでくれているんですけど、“あの時に一緒に行った彼女が今の奥さんです。ふたりで行きます”とか、“お金がなくてチケットを買えなかったから、会場の外の公園で漏れてくる音を聴いていました。やっとリベンジできます”とか、読んでいるだけでキュンキュンしちゃって。“一緒に行っていた彼は今、天国にいます。思い出を連れて行きます”みたいなものもあって、泣けてきちゃうんですよ。“再現ライブを企画してくれてありがとうございます”って、皆さん言ってくれるんですけど、こっちがありがとうございますなんですよね。そんなに喜んでいただけて」

――いい話ですね。そして、とにかく楽しみです。

「今回は、私ではなくて皆さんが主役だと思っています。もちろん楽しみですし、早くその日が来ないかなって思う反面、終わっちゃったらイヤだから、まだ来なくていいという気持ちも正直ありますね(笑)。あと今回、もうひとつ果たしたいことがありまして。母親が、私のライブを観るのが生きがいだったんですけど、歳を取ってしまって、もう20年ぐらい来ることができていないんですね。だから今回こそはと思って、兄に連れてきてもらうことにしました。父が早くに他界した後、ずっと不安だったはずなのに、私の夢を応援してくれていた母親に、ステージで感謝の気持ちを伝えようと思っています」

(おわり)

取材・文/鈴木宏和

Release Information永井真理子『Brand-New Door Vol.2』

2021年101日(金)発売
3,000円(税込)

通販サイト

Live Information永井真理子 Re-Birth of 1992

2022年87日(日) THANK YOU SOLD OUT‼️
会場:KT Zepp Yokohama
開場 16:00/開演 17:00
出演:永井真理子 with HYSTERIC MAMA

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