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「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」by SMART USEN



──高校時代は、上野のアメ横によく買い物に行かれていたとか。

木村 治「とにかくリーバイスの501が好きで、よく買いに行っていました。あとは軍ものアイテムでお馴染みの中田商店ですね」

──アメ横が盛り上がり始めた時代ですか?

木村「アメカジブームで盛り上がりをみせはじめていた時で、ミウラ&サンズなどのセレクトショップが出来はじめて、狭いお店にクラークスやスニーカー、ブーツが並んでいた時代です。僕が入社したポイントも、当時としてはまあまあな品揃えだった事もあり、アメカジのファンがいましたよ」



──高校時代に"これは奮発した!"というファッションの思い出はありますか?

木村「ハリスツイードのジャケットです。当時の僕はふだんからMA-1をよく着ていたのですが、デートに着ていきたいと思って、探しに行った時がいちばん気合が入っていましたね(笑)」

──ポイント時代は海外での買い付けをされていたそうですが?

木村「当時、スニーカーブームの始まりで、スニーカーの買い付けによくアメリカに行ってましたね。往復チケットを渡されて"買ってこい!"って。でも、チケットをよく見ると"ホテルに泊まらないのかな?"というスケジュールなんですよ。とにかく、空港に到着したら、そのままレンタカーを借りて、フットロッカーにスニーカーを買いに行って、そのまま空港に戻って、日本に帰る(笑)」

──1日でですか !?(笑)

木村「当時はそんなノリでした。ピストン輸送じゃないですけれど、壁面にスニーカーを並べていた時代で、あってもあっても足りなかったんです。それに買い付けたスニーカーもお店としての差別化になっていたので、他のお店とは違う物を探したりしていました」



──一度ポイントを退社されたそうですが、どのような思いがあったのでしょうか?

木村「オリジナル商品が増えて、ファッションがつまらなくなった時期だったんです。うちの社員たちももちろん洋服好きだとは思うのですが、知識があっての洋服好きとはちょっと違っていまして......僕の場合は、基本洋服オタクなんですよ。例えば、501のビンテージって、赤耳かそうではないかで全然モノが違うんです。僕がポイントに入社した頃は、壁面がすべてデニムで、リーバイス、エドウィン、そして海外ブランドの棚があって、501、502、503が並んでいる状態。でも、そのすべてがどういう形で、どういう特徴があるというのを答えられたんですよ。インポートでいうとアイクベーハーのシャツも扱っていて、当時でも2、3万円くらい。そういう高いシャツは"何層もの糸を使っている"という話なんですが、"糸が何層か?"、"番手がどのくらいか?"なんて今の人に言ってもほとんど分からないじゃないですか(笑)」

──いわゆるうんちく系ですよね(笑)。

木村「サングラスにしてもレイバンの形について語れたし、ニットといえばジョンスメドレーか、イタリア系ならばクルチアーニとか......僕ら世代でバイヤーのレジェンドの方が、当時、ロレックスのサブマリーナを紹介していて、買えもしないのにロレックスの事を雑誌で猛勉強したり(笑)。それくらい洋服というか、ファッションが好きだったんです。それに当時はそういううんちくがお客さんに刺さって、また来てくれるという感じの時代でしたしね。だから、全ての商品がオリジナルになったらうんちくが必要ないわけですよ!」

──本当に洋服が好きだったんですね。

木村「好きでした!今ももちろん好きですが。今日はniko and ...で取材だったので、弊社のNUMERALS(ヌメラルズ)を着ていますが、ふだんはイタリアのジャケットとかスーツを着ていまして......基本はそういうスタイルが好きなんですよね。でも、ジャケットを着て、チーフを入れてみたいな格好している人は会社にいない。そこを求めても仕方がないのは分かっていますがね。たまに福田三千男会長に"どこの服?"とは聞かれますけど(笑)」



──木村さんにとって福田会長はどんな方なのでしょうか?

木村「もちろんファッションも好きな人だとは思いますが、むしろ在庫の人です(笑)」

──え、在庫?

木村「そう、常に在庫チェックの人なんです。でも、このコロナ禍になった時に、会長は正しかったと思いましたね。こういう時勢の時は、キャッシュを持っている会社がいちばん残る」

──確かにアパレルは在庫が大変ですもんね。

木村「会長はずっと"在庫を綺麗にする!"と言い続けている人で、うちは在庫を綺麗にする事をやってきた会社なんですよ。それで今回のコロナショックが来た時に、うちの会社は生き残ると思いましたよね」

──さて、番組本編で言っていた「日本人はファッション好きというよりも得意」という言葉がとても印象に残りました。確かに日本人は器用ですから。

木村「世界を見た時にそれを感じましたね。戦前も戦後も日本人ってファッションが得意なんだと思いました。とにかく、いまあるものの組み合わせで新しいものを生み出しますから」

──なるほど、いったん自分のなかに取り込んでからアウトプットする感じですよね。そういう感覚は音楽もいっしょかもしれませんね。

木村「そう思います。ファッションも音楽も繋がっていますからね」


アダストリア

※「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」の店舗取材、撮影、スタジオでの番組収録に際しては、検温、アルコール消毒、パーティションの設置、換気等の感染症予防対策に取り組んでいます。


──さて、木村さんは、副社長という経営レベルの役職に就かれていますが、その立場から、ファッション業界を目指す若い人に向けてメッセージをいただけますか。

木村「僕は本当にラッキーだったと思うんですよ。予備校を途中で辞めて、上場企業の副社長なんてふつうはありえないと思うし。うちの会社にも優秀な人材がたくさんいますしね。それで"何でだろう?"と考えた時に、ラッキーだったと自分では思うんです。でも、ラッキーだけでは上場企業の副社長にはなれないわけですよ。もちろん他にもいろいろな要因はあると思いますけれど、やはり会長との出会いは大きいですよね」

──人との出会いは確かに重要だと思います。

木村「あと、もうひとつ僕の中で大きな事は、一度独立したという部分です。大きな会社を辞めて、店舗を立ち上げて、自分ひとりでタグ付けから台帳付けまで休まずにやり、夜な夜な整理して品出しして、取引先に頭を下げてお願いするところから入りましたからね。プライドがあったところから、全くプライドがないところへ......そういう小売のすべてを経験したのは大きいと思います」

──そしてその経験を会社に持ち帰った?

木村「はい。その時は"大きい会社ってやっぱりこうなんだ!"と思いましたよね。でも、"言いたい事ははっきり言う"と自分の中で決めて戻ったんです。あまり我慢してはいけない。もちろん立場上、今はいろいろありますけどね。言い過ぎてもだめとか(笑)。ただ、会長にも言いたい事を言うようになった時に、まわりには遠慮してしまう人もいる中で、結果的に会長が僕の事を信頼してくれているという部分も大きいと思います」

──大きい会社ほど遠慮してしまう人の方が多いでしょうね。

木村「会社ってそうですし、僕はなるべくそこに染まらないようにしています。たまに遠慮はしますけどね(笑)。いちばん良くないのは、大企業病になってしまう事です。他の会社よりは新しい事はやれていると思いますが、チャレンジできる環境がありがながら、リスクを負いたくないからやらないという事が多い。だから、社員の人にはもっと前向きにやって欲しいと思っています」

(おわり)

取材協力/niko and ... TOKYO
取材・文/カネコヒデシ
写真/柴田ひろあき




■木村治(きむら・おさむ)
株式会社アダストリア取締役副社長。1969年生まれ。1990年、株式会社福田屋洋服店(のちのポイント、現アダストリア)入社。スタッフ、店長、エリアマネジャー、本部バイヤーを歴任。2001年、ワークデザイン株式会社設立。2007年、株式会社ドロップ(のちのトリニティアーツ)と経営統合。常務取締役営業本部長、開発本部長を経て、2011年、トリニティアーツ代表取締役社長就任。2013年、アダストリアグループに参画し、株式会社アダストリア常務取締役を経て現職。

■久保雅裕(くぼ まさひろ)
ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任教授。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。







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