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SMART USENの「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」、第34回のゲストはアキラナカの中 章さん!



――中さんは、デビューまでの生き様が波乱に満ちているというか、苦労人ですよね。

中 章「んー、苦労したっていう意識はないんですけどね(笑)。まあ、ふつうですよ」

――じゃあ、人生最大のピンチっていつでした?そうですね、ピンチなんてなかったっていう回答もありです。

中「ないですねえ……あ、申し訳ないことしちゃったなと思ったことはありますね。ちょうど会社が大きくなってきて、動かすお金も大きくなってきて、スタッフのミスで1,000万くらいのキャッシュのずれがあって、それを早く鎮火しなくちゃいけない。取引先も困るでしょうし。だからドサまわりというか、たとえば名古屋の大手コンバーターさんとかいろんな地方に頭を下げに行くわけですよ。むこうは“わざわざ中さんが来るんだからなんか新しい仕事かな”ってなるじゃないですか」

久保雅裕「ああ、いい方に期待されちゃって?それは気まずいね(笑)」

中「そうなんですよ。それが申し訳なかったなと。ただ、僕はそれも学びかなとも思っていて。やっぱりお金ってものの怖さとか、重要さとかに気付けたから……そこでピンチだって焦ってもしょうがないし、そういうことが起こった原因とか理由がちゃんとあるわけだから、そういうときこそ、それを突き詰めて考えなくちゃって思考ですね。あとはなんかあったかな……まあ、強いて言えば、ひとりでアトリエを回していた時代ですかね。当時はショーをやってるときも、生産、プロモーション、サンプル、モデルや音響の打ち合わせまで全部ひとりでやってて、寝てない日が続いてたんですよ。それで僕、品川駅でばったり倒れちゃって。それも2回も(笑)」

久保「それはアキラナカ時代?」

中「1年目か2年目です。気が付いたら車いすに乗せられて病院に運ばれてました。こんなのなんの自慢にもならないですけど」





――デザイナーを志して、アントワープ王立芸術アカデミーへ飛び込んで、自分のブランドを立ち上げるプロセスにじっくりと時間を掛けたわけじゃないですか。そのこと自体が強みになっているようにも思えますね。

中「まあ、そうですね。当時のファッション業界って、留学していたりするデザイナーは特に、お家柄が出るというか……僕なんかは絶対に3ユーロ以上の生地は買えませんでしたから。トワルのシーチングが2.5ユーロなのにね(笑)。まわりのみんなはパリとかオランダに行って生地を買ってましたけど、僕は中東の人たちが住んでいるエリアに買いに行って。それでも切り詰めて切り詰めてっていう。だからもちろん齧れる脛があるんだったら齧ったほうがいい。でも齧れる脛がなかったらブランドをやれないかっていうと、そんなことはないと思うし。お金がなかったら稼いでから始めればいい。僕はそうやってゼロから積み上げてきた背景があるので、いまでは他のブランドのコンサルティングもやっているんですけど、それはファイナンスも含めてですが“いまは、そこじゃなくて、こっちをやらないと干上がっちゃうよ”って。僕はバジェットが100万のときのやり方も、1億のときも経験しているし、もちんコケたこともある。そうやって家柄関係なく駆け上がる方法もあると思っているので。金がないってことも強みにできるのではと」





――中さんは、デザイナーとしてのアーティスティックな面と、経営者としてのビジネスセンスがバランスよく備わっている、あるいはそう志向していると感じました。

中「たとえば90年代はどうだったかっていうと、社会がファッションにアートを求めていたんですよ。でもいまはデザイナーが自分の個性を先鋭化して、そこにセグメントされた顧客にひたすら売ってゆくっていう90年代的なビジネスなんて成立しない。僕の今日の格好だってそう。これはトゥモローランドで買ったやつで、これはプラダ、こっちはルメールってばらばらだし……これがむかしだったら上から下までギャルソンで揃えてたかもしれませんけど(笑)。でもいまは時代が違うと思っていて。デザイナーはデザインだけじゃなくて、プロモーションも、コミュニケーションも、戦略も考えなくちゃいけない。ここで言うデザインって、プロダクトはもちろんですけど、チームもビジネスも含めてです。右脳左脳って言いますけど、どっちかしかないって人はいないし。だから僕はデザインチームに、マーケティングの情報を見せています。彼らにはその数字を怖がらずにクリエイティブなものを描けるようになって欲しいから」

――ファッションブランドもある種のバランス感覚と社会との繋がり方が問われる時代なんでしょうね。

中「数字が全くわからないデザイナーはだめでしょうね。みんなそうなんじゃないですか?プラダも、デムナ(・ヴァザリア)だってそうだし、ジェイ ダブリュー アンダーソンも、川久保さんだってそうでしょ。みんなビジネスセンスっていうかトータルのデザイン力が優れている。トム・フォードあたりがはしりだと思いますけど、いまどきアトリエに籠ってひたすら絵を描いてますなんてデザイナーはいない。まあガリアーノはちょっと違うかな……」

久保「ガリアーノはそうだね(笑)。もうちょっとクチュリエ的な立ち位置かもしれないね」





――先ほどアトリエにお邪魔しましたが、なんとなくバンドっぽいモチベーションなのかなって感じました。自分のパートの楽器を弾いているだけ、曲を書いているだけって感じじゃない。互いに影響しあっている。

中「僕はサーカス団だと思ってますけどね。結構な曲者揃いなので(笑)。ただし自分たちの乗っているアキラナカという船を前に進めることに関してはすごく貪欲で我が強い。彼女たちって猛獣なんですよ。ライバル意識もあるし、負けず嫌いだし。だから僕、あんまり指示を出さないんですよ。ゴールを示して、とにかくそこに辿り着いてくれって言うだけです」

――チームとしてちゃんと機能しているということですね。中さん自身は、そういう環境に身を置いて居心地のよさを感じますか?

中「家族みたいなものですし、それがよさだとは思いますけど、居心地がいいかっていうと違うかな……それぞれが成長してきて力を付けてきていますし、僕はそんななかで求心力を示さなきゃならない。それが弱まってしまったらアウトですから。だってそれぞれの技術は彼女たちのほうが優れている部分もあるので、僕は彼女たちに見えないものを見通せる力を持たなくちゃいけない。だから常にファッション以外のフィールドからも学ぼうとしています」

――デザイナーとしての先見性、リーダーシップとマネジメント力のミックスですね。

中「組織としてのエンゲージメントの強さって、4つの“P”――プロフェッション、ピープル、フィロソフィ、プリビレッジ――で測れるって言われていて。プロフェッションは個人の技術ですよね。その組織に属していることで技術が向上する、成長できるということ。ピープルは人。居心地がよかったり、気の合う仲間がいるとか。フィロソフィはスティーブ・ジョブズやユニクロの柳井さんのような哲学があるか」

久保「ああ、ドアに貼ってあったもんね。“Stay hungry, stay foolish”って」

中「好きなんですよあの言葉(笑)。えーと、あとなんでしたっけ……あ、プリビリッジか。これは待遇とか給料ですね。人は4つのPのなにかに導かれて集まってくると思うんです。もちろんプリビリッジはいいに越したことはないけれど、それだけじゃだめで。プロフェッションを上げるには難しいことにチャレンジしなくちゃならない。チャレンジするために、3年先、4年先にアキラナカとしてどこに向かうべきなのか、どんな女性像を作り出すのかっていうビジョンを示さなきゃいけない。それがフィロソフィです。そういう焦りは常にありますよね」





――アキラナカというチームにあって、求心力が求められていると?

中「そうです。でもそれって、常に成功し続けなきゃいけないってことじゃなくて、たとえばブランド全体として成功率や完成度が70%でもいいんですよ。100%のビジョンが見えているならね。逆にブランドとして安定しているだけで、刺激が与えられなかったとしたら、クリエイターはみんな離れていっちゃうと思うんです」

久保「でも猛獣揃いなんでしょ?独立して自分のブランドを立ち上げようって子も出てくるんじゃないかな」

――むしろフォロワーというか、ギャルソンからsacaiの阿部千登勢さんや、beautiful peopleの熊切秀典さんが出てきたように、アキラナカ出身の誰それという文脈が生まれる未来もわくわくしますね。

中「ああ、そうなったらすごくうれしいです。僕はそれでいいと思ってます。うちのデザイナーが独立するって言うなら無理に引き留めたりはしませんし、全力で応援しますよ」

――中さんにとってアントワープ時代のいちばん大きな学びは?

中「これはアントワープに身を置いた人がみんな言うことなんですけど、自分を信じることですね。アントワープでは自分を信じるっていうことを徹底的に叩きこまれますから。2年のときにクラスメイトの女の子が真っ黒のトレンチコートのコレクションを作ったんですよ。先生に“色は黒にしたら”ってアドバイスされてね。結局彼女は落第しちゃったんですけど、後日彼女が先生に落第した理由を聞きに行ったら“色かな。あれ黒だったしね”って」

――なんて理不尽な(笑)

中「でもね、まさにそれなんですよ。自分の表現をしているのか、人から言われたとおりにしているのか、それを見分けているんでしょうね。たぶんアントワープが求めているのはダイバーシティなんですよ。それも独創性のある多様性。そういう才能を集めて化学反応させようとしていたんです。だから自分を信じること、自分の信じるものを突き詰めてゆく精神性を学んだと思っています」

久保「自己肯定感を養うってことなんだろうね」





――さて、コロナ禍を経て、ニューノーマルなんていう言葉も聞かれるようになってきた昨今、洋服の作り方、売り方も変わる予感がしますが、アキラナカとして目指すのは?

中「僕が思うのは、いろんなものが二極化してゆくだろうってことなんです。服の在り方もコモディティ化とアイデンティティ化の差分が顕著になる。コモディティはいわゆるTPOですよね。その場に相応しい服を着るってこと。相手にどう思われたいかっていう選び方。対してアイデンティティって何かっていうと、自分のために着る服、女性が自分を高めてゆくために纏う服っていうことでしょうね。そういう服にはストーリーが必要でしょうし、ブランドとして着る人の知性にもっと密接にエンゲージしないとそれが伝わらないと思うんです」

――それはどちらが正解というわけではなく、それぞれが先鋭化されるということですね。

中「そういうことです。どちらもあっていい。ただ前者はAIとかテクノロジーが担っていく部分が大きくなってゆくんだろうなと思います。与えられる情報量とエディットのスピードが段違いなので。言うまでもなくアキラナカというブランドは後者の立場でありたいですし、クリエイターとして生き残ってゆくには、アキラナカを着る女性たちがいままでとは違う世界を見られるような服作りをしなくちゃいけないってことでしょうね」

(終わり)

取材協力/Harumi Showroom
取材・文/高橋 豊(encore)
写真/柴田ひろあき



■中 章(なか あきら)
1973年三重県生まれ。アメリカ留学時に出会ったテーラーの薫陶を受け、ファッションデザイナーを志す。その後アントワープ王立芸術アカデミーへ。アカデミー在学中にイェール国際モードフェスティバル選出。2006年帰国し、07年、POESIEをスタート。09年春夏シーズンからブランドをアキラ ナカに改め東京コレクション参加。同年ベストデビュタントアワード受賞。19年ジョージアのトビリシファッションウィークに招待。同年、再びブランド名をワンワードのアキラナカに改め現在に至る。

■久保雅裕(くぼ まさひろ)
ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任教授。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。



■第34回のゲストはアキラナカの中 章さん!







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