ジャズを破壊し、創造し続けた帝王の美学
1926年5月26日、アメリカ中部のイリノイ州で生まれたマイルス・デイヴィス。彼はキャリアの中で、ジャズの歴史を何度も塗り替えてきました。その凄さのひとつは、過去の成功に安住しなかったことにもあります。今回はUSENのディレクター目線で、マイルスの歴史を音楽とともに振り返ってみます。
左からトミー・ポッター、チャーリー・パーカー、ちょっとだけ見切れているのはマックス・ローチ、そしてマイルス・デイヴィス、ピアノに向かう後ろ姿はデューク・ジョーダン。1947年ごろの写真(Photo by William P. Gottlieb)熱狂!ビバップとの出会い
トランペット奏者、マイルス・デイヴィスの音楽キャリアは、ジャズのレジェンドたちとの出会いから始まります。10代のマイルスがまず飛び込んだのは、チャーリー・パーカー(アルトサックス)やディジー・ガレスピー(トランペット)が牽引する、ビバップの世界でした。
実は、マイルス、父は歯科医という裕福な家庭の出身です。彼は名門ジュリアード音楽院への進学という名目でニューヨークへ移住しますが、本当の目的は、憧れのパーカーたちを追いかけてジャズクラブに通い詰めること。結局、学校の講義よりもリアルな熱狂を選び、大学を退学しました。
当時のジャズの主流であったビバップは、目まぐるしい速度で変化するコード進行と、極限まで細分化されたルールが支配するスタイルです。それは、天才たちが限界ギリギリのスピードで「音の数学」を解き明かしていくような、熱狂的でスリリングな格闘技のようなものでした。
Photo by William P. Gottlieb, Public domain, via Wikimedia Commons
▼ビバップの登竜門「ドナ・リー」by YouTube
ジャズ奏者の登竜門としても知られる高速チューン、「ドナ・リー(Donna Lee)」。若きマイルスが、憧れのチャーリー・パーカーの背中を追いかける姿が刻まれています。しかし1955年にパーカーがこの世を去った時、ビバップという名の熱狂はひとつの終焉を迎えます。ただ、その頃には既にマイルスはパーカーの影を追いかけるのをやめ、速さの呪縛からジャズを解き放つ準備を整えていました。
静かなる革命――クールの誕生
ビバップの渦中にいながら、一方で、マイルスはある限界を感じていました。どれだけ速く、複雑に吹けるか……というテクニックの競争が、音楽から情緒や空間を奪っているのではないか?と。
実は1940年代後半、彼は編曲家のギル・エヴァンスらとともに新しいサウンドを模索し始めています。目指したのは、汗が飛び散るようなビバップの熱を排除し、あえて抑制を効かせた知的なジャズです。それはクールジャズと呼ばれ、後に白人ミュージシャンたちが活躍するウェストコースト・ジャズの礎となりました。
▼『クールの誕生(Birth of the Cool)』by YouTube
アルバム『クールの誕生(Birth of the Cool)』は、1949年から1950年にかけて録音したシングル(SP盤)をまとめて、1957年にリリースされました。中でも「ボプリシティ(Boplicity)」は私のお気に入りです。ノネット(9人編成)で織りなすアンサンブルの厚みとクールな響き。音を詰め込むのではなく、マイルスはあえて空間を使っています。それは、クールジャズの洗練された美しさ、静かなる革命そのものなのだと思います。
帝王の帰還とハードバップ――モダンジャズ黄金時代
クールジャズで新たな世界の扉を開いたマイルスですが、1950年代初頭、彼は深刻な薬物中毒に苦しんでいました。音楽キャリアは停滞してしまい、心身ともにボロボロの状態にありました。しかし、実家の父のもとに身を寄せて、地獄の苦しみを味わいながらも、自力で薬物を断ち切ります。
この苦悩と再生の時を経て、1954年にニューヨークへ帰還したマイルスが放った一撃。それが、過去の自分への宣戦布告とも言える、ハードバップの名曲「ウォーキン(Walkin’)」です。既にアート・ブレイキーらによってハードバップの原型は芽吹いていました。そこにマイルス自身がクールジャズの洗練を捨て、自らの演奏でハードバップ宣言をしたことによって、ジャズマンたちに、次はこれだ!という明確な指針を示したのです。
また、この時代に録音技術が飛躍的に進歩したことも重要です。より長い尺の録音が可能になり、奏者の息遣いまでもが鮮明に捉えられるようになったことで、数多くの名演が色褪せない名盤として記録されました。
▼ハードバップの名曲「ウォーキン(Walkin’)」by YouTube
1954年に録音し、10インチ盤を経て、1957年にアルバムとして発売された『ウォーキン(Walkin’)』。冒頭の力強い響きを耳にしただけで、帝王の帰還に相応しいサウンドだと思いませんか?マイルスたちはタイトルのとおり、一歩一歩力強くあゆみを進めます。このハードバップというスタイルは、基本的なルールのもと、グループの格好良さと、奏者たちの個性が最大に発揮されており、これこそが、ビバップの熱狂とクールの洗練を通過して辿り着いた、ハードバップの魅力なのだと思います。
左から、マイルス・デイヴィス、キャノンボール・アダレイ、ジョン・コルトレーン。アルバム『マイルストーンズ』のレコーディング時の写真(Photo by 『スイングジャーナル』)メロディの解放へ――モードジャズの発明
1950年代後半には、ハードバップはジャズの主流となり、マイルスはその頂点に君臨していました。しかし、彼はまたしても飽きを感じ始めます。当時のジャズは、決められたコード進行に合わせて即興演奏を行うのが当たり前でした。マイルスは、そのルールが逆に奏者の自由を奪い、似たようなフレーズばかりを生んでしまうのではないかと考えました。
そこで挑んだのが、コードの束縛を捨て、音階の流れで演奏するモードジャズです。彼は理論家のジョージ・ラッセルが提唱する概念や、ピアニストのビル・エヴァンスとの交流を通して、中世の教会旋法(モード)や近代の印象派クラシックが醸す非重力感に魅せられました。つまり、コード進行からメロディを解き放ち、ジャズをかつてないほど自由な次元へと引き上げたのです。
そして1959年、ジャズ史上最大のベストセラーとなった金字塔、『カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)』が誕生。このアルバムは今日もなお世界で最も売れたジャズ・アルバムとして輝いています。
Photo by 『スイングジャーナル』1965年12月号(スイング・ジャーナル社刊), Public domain
▼金字塔『カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)』の誕生 by YouTube
1曲目「ソー・ホワット(So What)」を聴いて、時代の転換を感じませんか?個人的には、エヴァンスのピアノのヴォイシング(音の並べ方)がモードの浮遊感を高めていると思います。もう少しだけ理論的なことを言うと、この曲の譜面上のコードはたったのふたつ、Dm7とE♭m7。つまりDドリアンモードとE♭ドリアンモードのスケールのみで演奏します。構造はきわめてシンプルですが、だからこそ才能やセンスが無いと個性が埋もれてしまいます。
1971年ごろのマイルス(Photo by JPRoche)ジャズの破壊――エレクトリック・マイルスの誕生
1960年代後半、世界はロックやファンクの熱狂に包まれていました。マイルスは、スーツを着て演奏するジャズが、もはやお上品な展示品に成り下がっていると感じます。そして再び、自分が築き上げた音楽を徹底的に破壊することにしました。
そこでマイルスが取った行動は、ジャズ界に激震を走らせます。アコースティックピアノを捨て去り、エレクトリックギターやアンプを通したトランペットを導入。そして、これまでのジャズの聖域を土足で踏み荒らすかのような、張り詰めた不穏な音を鳴らし始めました。かつてのファンからは「ジャズへの裏切りだ!」と激しい非難を浴びますが、マイルスは意にも介しません。
1969年の『イン・ア・サイレント・ウェイ(In a Silent Way)』は、まさに嵐の前の静けさでした。そして翌1970年、ついに混沌としたエネルギーの塊のような奇作『ビッチェズ・ブリュー(Bitches Brew)』を発表します。ジャズの伝統的な形式を破壊し、ロックやファンクの音楽性をも、怪物のように飲み込んでしまいそうな世界観。マイルスはエレクトリックジャズという未知の領域へと、ジャズを引きずり出したのです。またこれ以降は、挑発的でド派手なファッションが彼のトレードマークとなりました。
Photo by JPRoche, CC BY-SA 4.0
▼奇作『ビッチェズ・ブリュー(Bitches Brew)』by YouTube
この異様な音響設計や制作手法にもマイルスらしさがあるな……と思います。左右に配置された二人ずつのエレクトリックピアノ、ドラム、そしてエレクトリックベースとアコースティックベース。音の塊が左右からポリリズミックに押し寄せ、その真ん中を鋭いトランペットが切り裂いていく様は圧巻です。また革新的なのは、ジャズではタブー視されていたテープ編集です。名プロデューサー、テオ・マセロと共に、数時間に及ぶ即興演奏のテープをハサミで切り刻み、繋ぎ合わせてループさせています。これは、後のHIP HOPなどのサンプリング手法の先駆けとなる行為でした。
1987年のマイルス(Photo by Dr Jean Fortunet)街鳴りの音楽を求めて――ポップスへの接近
1970年代半ば、心身の限界に達したマイルスは約5年間の休業に入ります。そして、1981年に奇跡の復活を遂げて求めたのは、ジャズへの回帰ではありませんでした。それは今、街で鳴っている音との融合だったのです。
マイルスは、シンディ・ローパーやマイケル・ジャクソンをカバーし、シンセサイザーを多用したポップなサウンドを展開します。再び往年のファンは「帝王が魂を売った」と大バッシングを浴びせますが、マイルスはニヤリと笑って言います。音楽にジャンルなんて関係ない。あるのは良い音楽か、それ以外か、だと。
Photo by Dr Jean Fortunet,CC BY-SA 3.0
▼シンディ・ローパー「タイム・アフター・タイム」のカバー by YouTube
シンディ・ローパー「タイム・アフター・タイム」のカバーは何度聴いても心に響きます。マイルスは「過去の名曲が、大勢に演奏されてスタンダード・ナンバーになったように、こういう曲は未来のスタンダードになるだろう」と発言しました。また若手発掘の名人でもあったマイルスは、この頃になっても、ジャズの未来を担う若い才能たちを音楽フェスティバルやコンサートに積極的に起用して経験を積ませています。
HIP HOP、そして未来へ
ある夏の日、マイルスはニューヨークの自宅の窓を開け、ストリートから流れてくる若者たちの音楽に耳を傾けていました。彼が求めたのは過去の栄光ではなく、変化し続ける街の鼓動そのもの。その純粋な好奇心は、1991年にこの世を去るまで、彼をHIP HOPとの融合という新たな挑戦へと突き動かしました。
▼最終章にして最先端『ドゥー・バップ(Doo-Bop)』by YouTube
遺作となった『ドゥー・バップ(Doo-Bop)』では若いラッパーを起用し、当時の最先端のビートの上で、どこまでもクールなトランペットを響かせます。マイルスは最期まで、その鋭い眼光を失うことはありませんでした。しかしその奥底には、若い頃にビバップの熱狂に飛び込んだ時と同じ、子供のような純粋な好奇心を持ち続けていたんだろうな、と想像します。
振り返るな!
マイルス・デイヴィス生誕100周年を迎え、私たちが彼から受け取るのは、単なる美しい音楽ではありません。現状の違和感に気付き、玉石混交の情報の中から本質を見極めて形にするという圧倒的な勇気です。
「振り返るな(Don’t look back)」
その一言こそが、帝王が私たちに突きつけた挑戦状なのかもしれません。
(おわり)
文/小島万奈(USEN)

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小島万奈(こじま まな)PROFILE
株式会社USENのジャズ担当。趣味はもちろんジャズを聴くこと、にしておきます。最近は薬膳に興味があるが、好きな食べ物はアメリカンなジャンクフード。
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