Profile/佐藤紀夫(さとう・のりお)COTÉ MERデザイナー
1998年の渡米を起点に、ビンテージの輸入・バイイングを経て、2008年より「COTÉ MER」を始動。国内外の展示会を通じたアーティストとの交流から、キュレーション業務へと活動の幅を広げる。ファッション、アート、ビンテージ。異なる領域を横断的に捉える独自のスタイルで、ブランドの全ディレクションを担う。

オーシャンサイド発、「路地裏の美学」を体現したウェア

――「コートメール」は2008年のデビュー時から「リメイク」による服作りを追求してきました。ビンテージジーンズとサーフィンを学びにアメリカ西海岸へ渡ったことがブランドの設立につながっていったそうですね。
1998年でしたか、18歳のときですね。当時の私はサーフィンやスケートボードにはまっていて、ファッションでは古着にのめり込んでいました。最初の渡米は1カ月間ほどだったのですが、先輩がサンディエゴのオーシャンサイドという街に住んでいたので、そこを拠点にしてサーフィンをしたり、古着屋を回ってビンテージジーンズを漁ったり。本場の様々なカルチャーに触れ、すごく影響を受けました。
――その経験からビジネスを立ち上げた?
ビンテージジーンズを仕入れ、日本のセレクトショップに卸すことにしたんです。輸入卸の会社としてジーエスインターナショナルを設立し、毎月アメリカに行って、カリフォルニア、ロサンゼルスを中心にバイイングを始めました。アメリカで買い付け、日本で売って、またアメリカへ。ただ、卸先が増える中で、良いと思える古着が減っていってリメイクするようになったんですね。その頃に出会ったのが、メキシコ人の工場経営者でした。カリフォルニアのリメイクブランドの服を生産していた彼から、ミシンの使い方からシルクスクリーンプリントのやり方など、服作りに必要な技術や加工方法を現場で学びました。リメイクならやりたいことができると確信し、帰国するとコレクションブランドで経験を積んだ友人の内藤誠司に声を掛け、二人でブランドを立ち上げたんです。

――コートメールは、ビンテージウェアの伝統的な価値を再解釈し、現代の感性と融合させ、新たな価値に変換していくことを追求しています。きものやデニム、ミリタリーアイテムなどを素材として、廃棄物を最小限に抑える服作りも続けてきました。過去と今を掛け合わせることで未来へとつないでいく取り組みとも言えます。そこに通底しているのが「路地裏の美学」というブランドコンセプトです。
中高生の頃に体感した裏原宿のイメージなんですよ。当時も表参道にはラグジュアリーブランドが軒を連ねていましたが、路地を入るとローカルな感じで、「A BASING APE(ア ベイジング エイプ)」や「UNDERCOVER(アンダーカバー)」、「NEIGHBORHOOD(ネイバーフッド)」など、裏原宿カルチャーを牽引するブランドが出始めた頃でした。週末になると友達と裏原宿に通って、シェーキーズでピザを食べて、シカゴで古着を漁ったり、まだNIGOさん本人が接客していたベイプの店前に並んで限定品を買ったりしていました。当時はカツアゲに遭ったり、ちょっとヤバいムードもありましたね。そんな裏原宿の路地裏の感覚が10代の頃から染み着いているんです。コートメールでは、その記憶をたどりながらストリートウェアとして表現しています。

――ブランド名をコートメールとしたのは?
レバノン出身でフランス語を話す友人の奥さんが「コート・ラ・メールってどう?」と。オーシャンサイドのフランス語ですね。語感がいいなと思い、ちょっと縮めて「コートメール」としました。オーシャンサイドのライフスタイルを感じさせるサーフテイストのアメカジリメイクから始め、日本では「ルームス」など、海外でもラスベガスの「プロジェクトショー」などの合同展に出展して販路開拓に取り組みました。まだ誰も知らないブランドだったんですけど、反応は良かったですね。ただ1店当たりの数量が少なかった中で、アッシュ・ぺー・フランスがいきなり6店舗で展開してくれたのはすごく助かりましたし、今も強く記憶に残っています。

唯一無二の「TOKYO STREET STYLE」の体現へ

――現在は自社工場も運営していますが、ブランドのスタート時はどのように服作りをしていたのですか。
私が全体のディレクションとデザイン、内藤がパターンを担当し、縫製は岐阜の工場にアウトソーシングしていました。ところが、数年後にその工場が潰れてしまったんですね。そのときに3台のミシンを譲り受けたのがきっかけで、自分たちで作ろう、工場をやろうと決めました。見様見真似で生産を始め、徐々に縫製スタッフを増やしていったんです。でも、他社と同じことをしていたら、職人の数で負ける、スピードで負ける、組織力で負ける。自分たちにしかできないことに集中しようと、リメイクを軸とした服作りの在り方を模索しました。そんなときに、10代の頃一緒に裏原宿で遊んでいた友人がEXILEなどの所属事務所LDH JAPANに入社し、彼から「こんな服を作れないか」と一点物のオーダーがあったんですね。それを作って納めると、今度は三代目J SOUL BROTHERSのステージ衣裳を作ってほしいと。すると「あそこに行けば作ってくれるみたいだよ」という噂がスタイリストの間で広まって、小ロットのオーダーが増えていったんです。

工場ではベテランから若手まで揃い、カスタムオーダーにも対応している
さいたま市にあるコートメールの工場

――ブランドのコレクション製作に加え、オーダー対応が事業化していったのですね。
はい。一方で、裏原宿カルチャーのつながりでミュージシャンのK.A.N.T.A(カンタ)君と出会った頃でした。「MAJOR FORTH(メジャーフォース)」ってご存じですか。藤原ヒロシさん、高木完さん、屋敷豪太さん、工藤昌之さん、中西俊夫さんが1990年代に立ち上げた日本初のヒップホップレーベルです。工藤さんの息子がカンタ君で、当時すでにミュージシャンとして国内外で活躍していました。お互いに存在は知っていたのですが、初めて会って意気投合したんですよ。14年に「Broke City Gold(ブローク・シティ・ゴールド)」というプロジェクトを立ち上げ、原宿のとんちゃん通りにあったカンタ君のスタジオ「KANTALAND」でブローク・シティ・ゴールドとコートメールの服を販売したんです。すると海外のアーティストが来店し、衣裳のオーダーもいただくようになったんですね。カニエ・ウエスト、アンダーソン・パーク、スティーブ・アオキなどのミュージシャン、彼らからの紹介もあり、海外セレブリティーへの販路が広がっていきました。

国内外のアーティストの衣裳も数多く手掛ける

――服作りにきものや帯を取り入れるようになったのは、その頃のことでしたね。
ええ。きものの産地である新潟・十日町出身のスタッフがいて、彼のお父さんが辻が花染めの作家だったんですよ。反物が山ほどあるというので、分けていただいたのが始まりです。その後は、海外から来たお客様から「骨董市に連れて行ってほしい」と頼まれ、案内していたときに出会った行商の方から仕入れています。きもののリメイクをやっている人はたくさんいますが、おばあちゃんのリメイクみたいになりがちじゃないですか。コートメールが目指しているのはそういうものではなく、いかに角を立たせてエッジーにしていくか。その追求によって唯一無二の「TOKYO STREET STYLE」に行き着くと思うんですね。15年春夏シーズンに東京コレクション(現楽天ファッション・ウイーク東京)に参加して以来、日本の伝統的な文化であるきものや帯を再解釈し、再構築したコレクションも展開するようになりました。

きものを使ったリメイクは15年春夏以来、継続している

ブランド内での一貫した物作りが生むバイブス

――26-27年秋冬コレクションは「REBORN FROM VINTAGE」をテーマに、それまで以上に鮮明に「和」を融合したスタイル表現になっています。
自分たちのアイデンティティーを見つめ直そうと思ったんです。コートメールを立ち上げて18年になりますが、この間、ブランドのベースである路地裏もグローバリズムとキャピタリズムの極致のようになり、家賃も高騰して小規模なブランドが入る余地がかなり狭まりました。商業施設も同様です。数字は確かに大事ですが、あまりにも数字や効率に偏っているというか。そうした大勢とは真逆の価値観でコートメールはブランドも店舗も運営してきました。神宮前に「瑞穂」という豆大福の専門店がありますが、朝9時に店を開けて午前中に売り切れていたりします。豆大福のみを手作りし、売り切れたら営業終了。40年以上にわたり変わらないスタイルで商売を続けています。他にもシルバーアクセサリーの「Goro’s(ゴローズ)」とか、コートメールの近くにある八百屋「松本青果」とか、売れているものをたくさん売るような商売ではありません。ああいう店の在り方ってこの街本来の姿ではないかと。ビジネスとして成り立たせていくには、マーケティングとか、ターゲティングとか、プライシングとか、私たちもいろんなことを考えているけれど、最も大事なのはコレクションや店舗空間が発するバイブスだと思うんですね。

26-27年秋冬コレクションより
26-27年秋冬コレクションより

――バイブスの源にあるのがアイデンティティーだと。
そうです。だからこそアイデンティティーを掘り下げ、10年近く継続してきたきものを使ったリメイクを通じて新たな価値へと変換していく。デッドストックのデニムジャケットに西陣織をミックスしたジャケットや、シルク製の京友禅やコットン製の藍染をリメイクしたボンバージャケット、浮世絵や友禅柄のプリントや帯地を組み合わせたTシャツなど、日本の古き良き文化や伝統を感じる素材、意匠を最大限に生かし、現代のアイテムに生まれ変わらせました。ハンドメイドを大切に一点一点、20~60代の職人たちが作っています。ブランド内で試行錯誤してデザインからパターン、縫製、スクリーンプリントなど全て作り上げるからこそ、バイブスが生まれてくるんですよ。服を作って余った生地は、別の服と組み合わせたり、バッグやハット、シュシュなどの小物に生かしています。サステイナブルな物作りもブランドの設立時から仕組み化してきた私たちのアイデンティティーです。

26-27年秋冬コレクションより
26-27年秋冬コレクションより

古き良きものをキュレーション、価値を体感できる新たな場作り

――ブランドの価値観を伝える場として実店舗があります。
17年から路面や商業施設に出店してきましたが、現在はキャットストリート沿いにある神宮前の路面店のみで、訪日外国人客が約95%を占めています。海外の人って体型がすごかったりするじゃないですか。以前、恰幅の良い外国人のお客様が来店し、シルクのきものをリメイクしたジャケットが気に入って、試着しようとしたら生地が破れそうになったことがありました。でも、どうしてもそのジャケットが欲しいというんですね。衣裳以外にオーダーは受けていなかったんですけど、それをきっかけに個人客のカスタムオーダーにも「カジュアルビスポーク」として対応しています。以降、既製の洋服ではサイズが合わなくて困っているアスリートなどの来店も増え、現在のような顧客構成になっています。

シーズンコレクションがずらりと並ぶ
神宮前にあるコートメールの直営店
「JAPANESE INDIGO RIDERS JACKET」
「KIMONO PRINT BOX T-SHIRTS」

――店内には「こけし」がたくさんありますね。これも商品?
ええ、販売しています。木の温もりから発せられるバイブスがすごくいいなと感じたんです。こけしもアートとして、古着屋のような感覚でセレクトしています。群馬県榛東村の里山で作られている「卯三郎こけし」はとても人気なんですよ。おかっぱ髪が可愛らしくて、彫刻や焼絵を施した立体的な表現を特徴としています。山形県米沢市の創作こけし作家、山中三平さんの作品もあります。ご本人は08年に亡くなられ、作品はコレクターズアイテムになっています。こけしが面白いのは、胴の底に、いつ、どこで買ったとか、購入者が思い思いの言葉を記しているんですね。物作りの背景がしっかりあって、買った人にとっての物語も加わる。そういうカルチャーっていいなと思って。店に墨と硯を用意して、お客様が筆で文字を書けるサービスも提供しようかと考えています。

直営店では「卯三郎こけし」など、セレクトしたこけしも提案

――セレクトアイテムは他にもあるのですか。
正絹の羽織とか、店内にはミシンを置いて服作りの下ごしらえをするアトリエとしても使っているので、裁断に使う文鎮なんかも売っています。店舗は私という店主が良いと思ったものを寄せ集め、キュレーションして体感してもらう空間。単にモノを作ったり、集めたりしているのではなく、何を根本的に大事にしているのか、アイデンティティーを追求することでバイブスを生むことが重要だと思うんです。古き良きものを掘り起こして、キュレーションによって新たな生命を吹き込むことで、興味のある人たちのコミュニティーが自然とできていくような場を醸成していきたいですね。

写真/遠藤純、ジーエスインターナショナル提供
取材・文/久保雅裕

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久保雅裕(くぼ まさひろ)encoremodeコントリビューティングエディター。ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。元杉野服飾大学特任教授。東京ファッションデザイナー協議会 代表理事・議長。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。2019年、encoremodeコントリビューティングエディターに就任。

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