テニス界への「間口」を広げたい、アカデミー構想から始まったブランド

ビームスではこれまでも、2020年に「TOURNA(トーナ)」、22年に「Prince(プリンス)」といった著名テニスブランドと協業し、好評を得てきた。これら別注企画を担当したのがメンズカジュアル部門のバイヤー新井伸吾さんだ。小学校から大学までテニスに没頭し、高校ではインターハイ、大学ではインカレに出場した経験を持つ。「テニス一本できて、大学時代にもうやり切ったと思ったんです。テニス以外では洋服が好きで、憧れていたビームスに入社しました」と新井さん。以降、ビームスの販売スタッフ、ビームス T 原宿のショップマネージャーを経て、17年にメンズカジュアル部門のバイヤーとなり、仕入れはもとより別注企画にも携わった。「いろいろやらせてもらえて、洋服屋としての引出しを増やすことができた。次のフェーズに進みたい、自分自身が持ち得た武器で大好きなビームスにもっと貢献できることはないかと考えていたときに、テニスブランドとの協業があった」。

「Setinn」の新井伸吾ディレクター

自身はテニスに一区切りをつけて洋服の世界に邁進してきたが、テレビなどでテニス中継があると無意識のうちに観入ってしまうとか。ある日のこと、久しぶりに試合のテレビ中継を観て「何これ!?と思った」という。「ウェアがピチピチしていてカッコ悪いんですよ。僕が現役の頃はアンドレ・アガシやピート・サンプラス、ジョン・マッケンローなど個性が強く、ファッションもそれぞれにカッコいい選手がたくさんいました。自分を表現する洋服としてテニスウェアを着ていたんです。今はテニスのためのテニスウェアになっていて画一的、これでは憧れないよなと。実際、日本のテニス人口は減っています。僕はテニスの経験があり、アパレルの世界で物事を正面からも、後ろからも、横からも見て服を作り、売ってきました。ビームスで培ってきたことを生かせば、テニスをやっていない人を振り向かせることができるのではないか、テニス界への間口を広げていけるのではないかと思ったんです」
最初に発案したのは、テニスアカデミーの開設だった。グランドスラムに出場するような選手が育っていくアカデミーがあり、施設内にはウェアやギアを集積した空間もある。テニスをプレーするという体験(コト)を起点にモノにもつながっていく場作りだ。「自分が構想した内容を社長に直接プレゼンしたところ、面白いじゃないかと。ただ、ビームスは洋服屋だから、まずは自分が経験してきた洋服の世界でブランドを作りなさい、そのブランドが後にテニスアカデミーを設立したというストーリーのほうが、ビームスらしくてカッコ良くないかとアドバイスを受け、自分の中で腑に落ちたんです」。1年ほどの準備期間を経て、24年春夏シーズンにデビューさせたのが「Setinn(セットイン)」だ。

「Setinn」2026年春夏コレクションのビジュアル

ブランド名は「TENNIS」のアナグラム。1文字ずつ入れ替えていって現れた綴りを見て、息を飲んだ。「テニスでは馴染みのあるsetのワードが入っていて、『始まる』を意味するset inを連想させる響きもある。ポジティブなフレーズにビビッときた」。アナグラムは、見方を少し変えただけで見えるものがガラリと変わることの象徴でもある。
「テニスとファッション、コートとストリートはかけ離れたものではなく、自由に行き来できる。『テニスとファッションはそう遠くない』をスローガンとして、テニスウェアが洋服として着こなされていた90年代前後のデザイン・スタイルを継承しつつ、ゆったりとしたシルエット、ディテールの機能性や実用性、遊び心など今の要素を取り入れることで、オンコートにもオフコートにも着用できるアイテムを提案しています。『Play The New Classic』ですね」と新井さん。裏地のメッシュやベンチレーション、複数個のテニスボールを収納できるポケットなど、オフコートで着用してそのままプレーに入れるギミックが真骨頂だ。

「Setinn」2026年春夏コレクションのビジュアル

「テニスへの間口を広げる」という思いは、卸ブランドとしてのスタートを選択したことにも表れている。ビームスの店舗で展開するのではなく、ファッション感度の高い人たちが集まるセレクトショップやスポーツおよびテニス専門店を販路の両軸とすることで、より多くの不特定多数の人たちとの接点を求めた。ブランド名に「ビームス テニス」など社名を冠しなかった理由でもある。ビームスでは初めてゼロベースで卸ビジネスを展開し、新たな「間口」として今年7月4日、千駄ヶ谷に出店したのがテニスブティックとカフェを融合した「Setinn/paperboy(セットイン/ペーパーボーイ)」だ。

ペーパ―ボーイは、パリのマレで14年に創業したカフェ。看板メニューのオーガニック野菜のサンドイッチなどが人気で、何よりもアーティストやファッション関係者などクリエイティブな人たちが集まるコミュニティーとしてカルチャーシーンで年々注目を高めてきた。新井さんは知人を介してオーナーのジェームス・ドリディさんと出会い、意気投合。以来、「お互いにパリと東京を行き来するようになり、夢を語り合ってきた」。話だけでなく、18年以降はコラボレーションを活発化させ、パリと東京でイベントやポップアップストアを展開してきた。「ジェームスとベストフレンドの仲になったことと、新聞配達少年のグラフィックを施したペーパーボーイのロゴにIPとしての可能性を直感したことが、様々な協業の根っこにある。セットインを立ち上げた当初から出店するなら単独店ではなく、ペーパーボーイと一緒に、と思っていました」と新井さん。その思いはビームスが創業50年、二人が出会って10年の今年、セットインの旗艦店とペーパーボーイの海外初店舗「paperboy TOKYO(ペーパーボーイ トーキョー)」の共同出店という形で実現した。

千駄ヶ谷に出店した「Setinn/paperboy」。東京都渋谷区千駄ヶ谷3-51-10 1F

買い物プラス何かを持ち帰ることができる体験を届ける

店舗は東京メトロ副都心線の北参道駅が最寄りで、原宿や千駄ヶ谷からは離れた明治通り沿いにある。横に長く大きな空間は繁華街ではなかなか無く、開放感は何より魅力だった。加えて、「表通りを挟んだ向かいに小学校があるのはパリのペーパーボーイと同じで、縁を感じた。表通りの抜け感が何とも心地良い気の流れを感じさせ、原宿からちょっと離れるだけで落ち着いた時間を過ごせることも、ここを選んだ理由」という。不安も無くは無かったが、オープンするとセットインとペーパーボーイのファンはもとより、両ブランドを知らなかったが「目的を持って、目掛けて来店するお客様が多い」。訪日外国人客が表参道方面から徒歩で訪れたり、ハイヤーを店前に着けてゆったりと買い物を楽しんだりと、事前に店の情報を調べてから来店するケースが目立つ。
空間はセットインとペーパーボーイが半分ずつを使い、仕切りを設けないことで、それぞれの世界をフラットに行き来できるようレイアウトした。全てウインドーで構成されたファサードは4カ所にエントランスがあり、セットイン側からでもペーパーボーイ側からでも店内に入ることができる。

テニスブティックからのカフェの眺め
カフェ側からのテニスブティックの眺め

ペーパーボーイの空間は白いタイルやシルバーのステンレス、ナチュラルなウッドを素材として用い、キャラクターをブラックで大胆に描いた壁面のカラーリングにより、パリの本店の空気感を体現した。客席にはベンチ席を採用。隣り合わせた人とのコミュニケーションが自然に生まれる場所になってほしいという思いを込めた。テーブルにはロゴをプリントした紙製ランチョンマットと色鉛筆がセットされ、子供たちが塗り絵を楽しめたりもする。メニューはこだわりの豆を焙煎したコーヒーやパリでも評判のマンゴーシェイクなどのドリンク、ピーナッツバターやチョコレートチャンクのクッキー、バナナブレッドなど。「軽飲食からスタートし、今後はサンドイッチなどのフードも増やしていきます。モーニングやランチも想定しながら、スタッフと共に少しずつ店を仕上げていきたい」。店奥にはTシャツやキャップ、マグカップなどのペーパーボーイのスーベニアグッズも揃う。

  • 「paperboy TOKYO」。壁一面のキャラクターが印象的
  • クッキーやバナナブレッドなどのメニュー
  • 人気のマンゴーシェイク
  • こだわりのコーヒー
  • 「paperboy」のオリジナルスーベニアグッズ
  • テーブルでは子供たちが塗り絵も楽しめる

カフェから見渡すとテニスのクラブハウスをイメージしたセットインの空間が垣間見え、そちらへと歩みを進めると目の前に現れるのはウッド製の小屋。外周には什器が設えられ、ラケットのガットや、ガットにメーカーのロゴをペイントするステンシル、ラケットを手に馴染ませおしゃれに演出するグリップテープなどのアクセサリーが並ぶ。ガラス窓から中を覗くと、テニスにまつわるウェアや小物、ラケット、雑誌などが置かれ、コレクターの趣味の部屋のよう。ここは新井さんの執務スペースで、セットインのディレクター業務や来店客とのコミュニケーションを行っている。

コレクターの部屋のような新井さんの執務スペース
カフェから売り場へ歩いていくと木製の小屋が……

「街のスポーツ用品店の店主のようなイメージですね」と新井さん。「ビームスは単にモノを売るのではなく、その商品を誰が作り、誰から買いたいか、そこまでのストーリー作りによる売れ方を重視するようになりました。そもそもセットインは僕が立ち上げたブランドであり、ブランドのことを最も理解しています。であれば、いられる限りは店にいないといけないと思ったんです。自分の言葉で、自分の気持ちを伝えることで、一点でも多くのモノがお客様に届けば、それはすごくハッピーなこと。買い物プラス何かを持ち帰ってもらいたくて、あえてアナログなやり方をしています」。店内にはガット張り機なども常設し、今後は張り替えなどのサービスも実施する考えだ。

今後はガット張りなどのサービスにも対応する予定
執務室でディレクター業務や接客をシームレスに行う

テニスとファッションを楽しむコミュニティーが自然と育つ場作り

商品は小屋を囲む壁面に集積し、シーズンのフルラインナップを展開する。Tシャツやシャツ、ジャケット、パンツ、キャップ、ソックスなどのオン・オフコート対応のアパレルを軸に、ラケットやラケットバッグ、ギアなどプレーに直結するアイテムも揃う。「ギア類は僕がおしゃれだと感じたものだけをセレクトしています。もっと種類が見たければプロショップをお勧めするというスタンス。これを使えばお洒落に見えるとか、こういう組み合わせをするとお洒落だとか、セットインのウェアとのコーディネート提案によってテニスの裾野を広げる『テニスブティック』と考えています」。

シーズンコレクションのフルランナップを提案
シーズンコレクションのフルランナップを提案
テニスボールを模して作られたレジカウンターもユニーク
モニターでは過去の大会の様子も放映

オープン後はカップルや親子連れなど想定した客層が来店し、「ペーパーボーイとセットインを行き来しながら何かしら購入していく」中で好評なアイテムの一つが、表地・裏地ともにメッシュ素材を使用したトレーニングシャツ「Mesh Gym Crew(メッシュジムクルー)」。ウッドラケットが主流だった時代に材料として使われた品種の木や葉をモチーフにしたオリジナルのリアルツリーカモフラージュ柄が特徴的で、フロント胸部に刺繍したブランドのスクリプトロゴが味わいを添える。裾に搭載したドローコードでシルエットの変化も楽しめる。このカモ柄と無地の2タイプがあり、共に同素材・同柄のパンツとセットアップできる。カモ柄はハーフジップタイプのナイロンジャケットやベストも展開している。
今季は初めて本格的なラケットバッグを投入した。普段の練習や遠征はもとより、飛行機内への持ち込みなど様々なシーンに応じて何と7通りの組み合わせが可能。自立タイプで、レインカバーも備える。オリジナルスペックのラケットも発表した。デザインはクラシカルなエッグ形状のフレームと、メタリックシルバーをベースにレッドを差した90年代を想起させるカラーリングを特徴としつつ、素材には最新のハイモジュラスカーボンを採用することで、テニスの経験や技術力を問わず様々なプレーをバランス良くこなせるモデルに仕上げた。フレームに施したグランドスラムを意味するフラッグ、セットインのコンセプト「PLAY THE NEW CLASSIC」のフレーズはブランドの思いを感じさせる。

  • リアルツリーカモフラージュ柄の「Mesh Gym Crew」
  • オリジナルのラケットバッグ「Setinn Tour Racket Bag」
  • オリジナルスペックのラケット「Setinn Maximum PRO」

店内では月に2回程度のペースでポップアップなどのイベントも行う。7月にはペーパーボーイと「New Balance(ニューバランス)」によるカスタムユニフォームサービスを実施。これまでもコラボスニーカーを発表してきたが、今回はトップスにフォーカスし、購入客は自分仕様にカスタマイズできる場を設け好評だった。まさにコト=体験を起点にした企画だ。8月にはセットインが「VANS(ヴァンズ)」とコラボしたスニーカーをローンチ。テニスにおける“オーセンティック”な存在であるネットの格子柄をモチーフとして採用した「Premium Authentic(プレミアムオーセンティック)」が登場。

「VANS」とのコラボレーションによる「Premium Authentic」

「ペーパーボーイもセットインもオープン記念のアイテムやサービスはあえて用意せず、現在の両ブランドの『素』でスタートさせました。素の状態に対するお客様の反応を把握したかったこともありますが、徐々にステップアップしていくのが自分たちらしいと思うからです。そのためにも、まずは自分たちが楽しむこと。そこにコミュニティーが自然にできていくという、そういうことができたら。テニスが上手な人も初心者も、この場を通じてテニスをファッションとして自分なりに楽しむようになればいいなと思っています」と、新井さんはセットイン/ペーパーボーイの方向性を話す。

写真/遠藤純、ビームス提供
取材・文/久保雅裕

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久保雅裕(くぼ まさひろ)encoremodeコントリビューティングエディター。ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。元杉野服飾大学特任教授。東京ファッションデザイナー協議会 代表理事・議長。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。2019年、encoremodeコントリビューティングエディターに就任。

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