──5月からスタートした『なみなみならぬツアー』も長崎公演を残すのみとなりましたが(取材は9月上旬に実施)、ツアーの手応えはいかがですか?
「ツアー初日の千葉LOOKと今とでは全然違うものになっています。と言うのも、今まで私たちはライブの本数をそこまでやらないバンドだったんですが、ツアーでほぼ同じセットリストを10公演したことで、単純に演奏もうまくなっていますし、歌い方の表現も多分上がっています。しかも“もっとこうしたらいいかも”というアイデアも出てきて、それを試す機会も増えるので、成長のきっかけになっていると思います。アルバム『なみなみならぬ』収録曲には演奏が難しい曲もありますが、ライブで何度も演奏しているうちに上手く弾けるようになってきましたし、やっぱり回数を重ねることは大切なんだと思いました(笑)」
──『なみなみならぬ』収録曲で、ライブで演奏してみて印象が変わった曲や、ツアーで特に成長を感じた曲があれば教えてください。
「「ハッピーバースデイ」と「また夏日」です。「ハッピーバースデイ」はリズムの決めが多くて、合わせるのがかなり難しいですが、ライブを重ねることでだんだんピタッと合ってきました。それによってお客さんもノリやすくなってきて、それを見ているこちらも、サビで思いきり爆発できるようになりました」
──では「また夏日」は?
「この曲は思っていた以上にライブ映えする曲です。アルバムの中では“Sundae May Clubってこういうこともするんだ!?”という枠の曲だと思うんですけど、ライブでは私がサポートベースのとものしんと掛け合いをするのがだんだん定番になってきて…演っていて楽しいし、他の曲でもこういうことをやってみたいと思いました」
──では、改めて、encore初インタビューでもあるのでSundae May Club結成の経緯から教えてください。
「長崎大学の軽音サークルで今のメンバーと結成しました。ただ、実際に知り合ったのはジャズ研でした。3人ともジャズ研に入っていたんです。当時、私は弾き語りもやっていたので、ジャズ研で知り合ったみやはらくんが見に来てくれて“一緒に音楽をやろうよ”と声をかけてくれて、バンドを組むことになりました。最終的には3人とも軽音サークルにも入ったんですが、ロックもジャズも好きな人が奇跡的に集まったという感じです。私自身はジャズ研でウッドベースを弾いていたので、3人でバンドを始めた当時はベース&ボーカルでした」
──では、浦さんの音楽遍歴はどのようなものだったのでしょうか?
「ベタですが、幼少期は父親が車で流していた音楽や家で流れていた音楽を聴いていました。その音楽というのがエンヤやビートルズ、ビリー・ジョエル、カーペンターズといった洋楽やジャズでした。ただ、それらは自分が好きで聴きたいと思っていたというよりは流れてきていた音楽で…自分から好きになったアーティストはアヴリル・ラヴィーンです。小学3年生のときに初めてCDを買って、ずっと聴いていました」
──アヴリル・ラヴィーンの音楽とはどこでどのように出会ったのでしょうか?
「テレビを見ていたら、天気予報でミュージックビデオが流れてきたんです。“可愛い!”と思いましたし、それまで聴いていた音楽ともまた違って衝撃を受けました。DVDを買って、弾き語りの真似もしていました」
──と言うことは、その頃から歌うことも好きだったんですね?
「はい。歌は小さい頃から好きでした。祖母がすごく歌が好きな人で、1ヶ月に何回もカラオケに一緒に行っていました。そこでは拙い英語でアヴリルも歌っていましたし、あとはアニメ『おジャ魔女どれみ』の「おジャ魔女カーニバル!!」とかも歌っていました」
──可愛い!
「そうしているうちに、小学6年生のときに天気予報で流れてきたa flood of circleに衝撃を受けて、初めて行ったライブもa flood of circleでした」
──a flood of circleのどういうところに惹かれたんだと思いますか?
「天気予報で流れてきたのは「I LOVE YOU」という曲なんですが、明るくて楽しい曲だったから。それにミュージックビデオのフラッドのビジュアルもカッコよくて。一瞬で引き込まれました」
浦小雪(Gt. Vo.)──楽器はいつ頃から始めたのでしょうか?
「小学4年生のときにいやいやピアノを始めました」
──“いやいや”って(笑)。
「祖母がピアノの先生だったので、“やったほうがいいよ”と言われて始めました。それでいやいや始めましたが、弾けるようになると、“曲も作ってみたいな”と思うようになって。楽譜もそんなに書けないのに、右手だけのメロディを五線譜のノートに書いて曲を作っていました」
──そのときはメロディだけですか? それとも歌詞も書いていましたか?
「実は歌詞はそれよりも先、小学2、3年生くらいから書いていました。歌詞カードを読むのが好きで、アヴリルの和訳もよく読み込んでいたので、自分でも書いてみたかったんです。小さかったので当時は歌詞の意味がわかっていないところもあったんですが、なんとなく“この歌詞が好きだ”みたいな感覚はありました
──すべてが小学生のときに始まっていますが、人前で歌うとか、歌を仕事にしてみようと思うようになったのはいつ頃ですか?
「高校生のときに、生演奏カラオケ・歌ってみた投稿アプリのnanaに、日記のように自分の曲を作って投稿していたんです。そこで自分の曲を人から評価してもらうことが喜びになって“いつかは人前で歌いたい”と真剣に思うようになりました。だけど高校の友だちに聴かれるのは本当に恥ずかしくて…高校では自分で曲を作っていることは内緒にしていました。大学に入って知り合いもあまりいなくなった環境で、弾き語りでライブに出演するようになって、そのライブをみやはらくんが見てくれて、Sundae May Clubを結成したという流れです」
──Sundae May Clubは“ウルトラスーパーポップ”を謳っていますが、結成当時からそういうイメージだったのでしょうか?
「結成当初はみやはらくんも曲を作っていて、ドリームポップっぽい曲でした。その曲をSundae May Clubの"幻の4人目"のメンバーに聴かせて、バンドに加入してもらいました。だけど蓋を開けてみたら私の作った曲ばかりやることになり、幻の4人目のメンバーは初ライブを最後に辞めてしまいました(笑)。それ以降は“ウルトラスーパーポップ”というキャッチフレーズも作って、ポップな曲をどんどんやるようになって…幻の4人目もいた最初期に作ったのが「サニーハニー」です」
──と言うことは、浦さんが作る曲は最初からそれこそ“ウルトラスーパーポップ”だったわけですが、浦さんに大きな影響を与えたa flood of circleとは音楽性はちょっと違いますよね? そのポップさはどこから来ているのでしょうか?
「どこからだろう? a flood of circleは大好きでしたけど、本当にいろいろな音楽を聴いていて…アヴリルはかなりポップですし。あと、アニソンが好きだったこともあるのかな? とにかくいろいろな音楽を聴いていたことが大きいと思います」
──浦さんの書く歌詞もとても魅力的です。小学生の頃から歌詞を書いていたということですが、現在の浦さんが歌詞を書く上で、影響を受けていると思うものはありますか?
「短歌を読むのが好きなんです。“五・七・五・七・七”の31音にとらわれないものもありますが、限られた文字数で、“美しいものを見た”とか“こういうことを感じた”ということをぎゅっと表現するところは歌詞にも活かせると思って、いろいろな短歌を読んでいます」
──個人的に「月夜に奥二重」の歌詞は“すごい!”と思っていて…。
「ありがとうございます。「月夜に奥二重」は歌い出しの<倒置法で遊んでたら あなたに似た言葉を見つけたよ>から書きました。と言うか、私は歌詞を基本的に歌い出しから書くんです。本当はサビでぐっと掴むようなことを書くほうがいいと思うんですけど、私の場合は一行目が好きなフレーズになっていることが多いです」
──ここからは新曲「爆音モノローグ」についてお話を聞かせてください。この曲は8人組人気コントユニット ダウ90000の単独ライブ『40000』の主題歌ですが、最初にその話を聞いたときはどう思いましたか?
「友だちの少年キッズボウイが、ダウ90000と仲良しで、Sundae May Clubと少年キッズボウイの対バンに、ダウ90000の園田祥太さんが見に来てくださったんです。だから、近いところにいるとは思っていて…。ダウ90000の公演の会場BGMで、私のソロ曲「フリック入力オールデリート」を流してくれているというのも知って、“いずれご一緒できるかな?”と思っていたんです。だから、今回、主題歌のお話をくださったときは“本当に頼んでくれるんだ!?”という驚きもありましたし、単純にすごく嬉しかったです。本当に好きでいてくれているんだとわかって“よし、やるぞ!”という気持ちでした」
──お笑いライブの主題歌ってどうやって作るのでしょうか?
「私自身、何度かお笑いライブを見に行ったことがあるんですが、そのとき聴いた出囃子はだいたい勢いがあって明るい曲の印象だったので、今回、お話をいただいて最初に“勢いのある曲にしよう”ということは思っていました。それから、ダウ90000のコントの内容に寄り添うような曲にしたくて、インタビューを読んだり、コントを見させてもらって…“蓮見(翔)さんって人間が好きなんだろうな”と感じたので“世界のことを好きだ”という内容の曲にしようと思いました。あとは、“ステージに立つ”ということをテーマにすれば、私の視点も入れられると考えて。そうやって書いた結果、自分の目指す姿にまっすぐ走るような曲になったと思います」
──普段の曲作りとはやはり違いますか?
「かなり違いました。まずは私たちの曲ではなくて、人のための曲だということ。だけど今後は私も歌っていくものだから、私ともリンクさせたくて。“ダウ90000の夢”と“私自身の夢を叶えていくぞという決意”の間をいく曲にしたかったです」
──普段は間を取る必要がないですしね。
「はい。普段は全部自分の話か、完全にフィクションにするかなんですが、今回はその間を取りました。それが新鮮で楽しかったです」
──そこからバンドで編曲をされていくと思うのですが、作り方としてはどのような工程だったのでしょうか?
「一旦、私の中で歌詞と曲を完成させて、ギターで弾き語りをして、ギターのみやはらくんに編曲をお願いして…その段階で歌詞や曲を調整することもありますし、“ここはこうしてほしい”とオーダーをすることもあります。私たちは3人とも離れた土地に住んでいて、簡単には集まれないので、みやはらくんのパソコンの中で編曲が完結します。この曲もそうやって出来上がりました」
──みやはらさんがアレンジをする中で、浦さんの想像していたものとは違うものが生まれることもありますか?
「あります。みやはらくんとは通ってきた音楽が違うので、私からは出てこないようなフレーズを出してくれることが多いです。「爆音モノローグ」で言うと、イントロはみやはらくんのアイデアです。彼なりに“どういうイントロがカッコいいのか?”を日々更新しているみたいですが、現時点では“結局、フレーズを繰り返すのがカッコいい”というところに行き着いているみたいで、このイントロが出来ました。このイントロを提案されたとき2人で“インディっぽくてカッコいい!”という意見で一致して、“やっぱりこの人は信頼できる”と思いました」
──素敵ですね。では浦さんがこだわったポイントはどんなところでしょうか?
「サビのメロディがすごくいいと思ったので、間奏にギターでそのメロディを入れています。これは曲ができたときから決めていました」
──レコーディングの際に演奏もしくは歌唱で意識したことやこだわったことも教えてください。
「<この身よ滅べ 転がり出せば 止まんない 太陽に焦がれて今>から始まる最後のサビをどれだけカッコよく歌えるか!?に全力を注ぎました」
──この歌詞は、それまでとは雰囲気がかなり変わりますよね。野暮な質問で恐縮ですが、この歌詞にはどのような想いが込められているのでしょうか?
「蓮見さんだったら“脚本を書く”とか、私だったら“曲を作る”とか、そういう、ものを作るときって、自分自身を削って生み出しているような感覚になるんです。だから、自分を全部使って一番カッコいいものを出したいという想いで書きました」
──実際にダウ90000の『40000』を観に行かれたそうですが、「爆音モノローグ」が会場で流れているのを目の当たりにしていかがでしたか?
「オープニング映像で「爆音モノローグ」を流してもらったんですが、すごく幸せな気持ちでした。でも、少し照れてしまう感じ…不思議な気持ちにもなりました。でもそのオープニング映像もすごくカッコよかったので、“関われて嬉しいな”という気持ちが一番大きかったです」
──「爆音モノローグ」を作ったことは、浦さんにとって、もしくはSundae May Clubにとって、どのような経験になりましたか?
「まずはすごく良い曲を作ることができたと思っているので、Sundae May Clubの代表曲の一つになればいいと思います。それと、やっぱり私たちはこういう全力疾走する曲を作ることが好きだと、改めて思ったので、今後もこういうパワー全開の曲を作ろうと思いました」
──浦さんご本人は、例えば声がとても大きいとかライブでステージ上を動き回るとか一瞬でわかるようなパワーの方ではないですが、内にパワーを秘めているんですね。
「小さい頃は親の目を盗んで駆け出していくようなおてんばな子供だったので、もともとはこういうパワータイプの人間だったんです。その後、環境の変化によっておとなしくなっていきましたが、やっぱり爆発するくらい自分を曝け出すような人のことをカッコいいと今でも思いますし、そういう人になりたくて。そういう憧れを曲で体現しているんだと思います」
──“環境の変化によっておとなしくなっていった”とおっしゃいましたが、だからこそ表現として、爆発させるようなパワフルなものを生み出すようになったのかもしれないですね。
「そうかもしれないです」
──では最後に。「爆音モノローグ」に<あなたに届く その瞬間のため生きる>という歌詞がありますが、Sundae May Clubというバンドや、Sundae May Clubの音楽は、どのようなものになってほしいと思っているのか、聞かせてください。
「最初は、本当にただ私の考えたことを歌うだけでしたが、聴いてくれる人がどんどん増えて、その感想をもらうようになっていくと、“曲の向こうに聴いてくれる人がいる”ということを実感するようになりました。そうすると、その人に一番キラキラしたものを渡したいと思うようになりました。だからSundae May Clubの曲は、未来で何をしたいかを考える助けになる曲だったり、過去の一番キラキラしていた瞬間を思い出せる曲だったりしてほしいと思っています。とにかくキラキラでありたいです」
(おわり)
取材・文/小林千絵
ライブ写真/Viola Kam (V'z Twinkle) カン ビオラ
RELEASE INFORMATION
LIVE INFORMATION

爆音モノローグツアー
2026年10月10日(土) 香川県 TOONICE
2026年10月31日(土) 新潟県 GOLDEN PIGS BLACK STAGE
2026年11月8日(日) 岡山県 CRAZYMAMA 2ndRoom
2026年11月14日(土) 京都府 磔磔
2026年11月23日(月・祝) 大阪府 シャングリラ
2026年11月28日(土) 愛知県 CLUB ROCK'N'ROLL
2026年11月29日(日) 福岡県 Queblick
2026年12月6日(日) 東京都 LIQUIDROOM


