今回から、私が以前監修した小学館刊行のCD付隔週マガジン『ジャズの巨人』にちなみ、ジャズ史に名を残したビッグ・ネームたちの名演・名盤をご紹介して行こうと思います。

第1回目はマイルス・デイヴィスです。マイルスは時代によって大きくスタイルを変え、そして彼の「新趣向」自体が「モダン・ジャズ」の領域を広げて行った、文字通りジャズの巨人です。

マイルスは天才アルト奏者、チャーリー・パーカーのサイドマンとしてジャズマン人生をスタートさせますが、パーカー流、即興第一主義に疑問を感じ、アンサンブルにも意を払った9重奏団によるアルバム「クールの誕生」(Capitol)を40年代末に録音します。このサウンドは後にウエスト・コースト・ジャズに影響を与えました。

しかしマイルス自身は次の時代のジャズ、ハードバップの先駆けとも言えるアルバム「ディグ」(Prestige)を、ソニー・ロリンズ、ジャッキー・マクリーといった次世代のスターたちとレコーディングしています。50年代初頭のことでした。そして54年のクリスマス・イヴに録音された「バグス・グルーヴ」(Prestige)は、マイルスが共演者の先輩、セロニアス・モンクに「オレがソロをとっている間はバックでピアノを弾くな」と言った、有名なアルバムです。

「喧嘩セッション」などと言われていますが、むしろハードバップ流、「楽想の統一」を考えたマイルスの音楽観が背後にあったのではないでしょうか。そして、その成果ともいうべき名盤が56年に大量録音されます。世に言う「プレスティッジ・マラソン・セッション」と、それと同時期のコロンビア録音「ラウンド・ミッド・ナイト」です。これらに録音された名曲「ラウンド・ミッドナイト」や「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、マイルスの名を不動のものとした名演です。

58年、早くもハードバップの行き詰まりを感じ取ったマイルスは、新時代のジャズを目指し「モード」の考えを取り入れた演奏「マイルストーン」(Columbia)を録音します。そしてこの発想は、翌59年録音の歴史的名盤「カインド・オブ・ブルー」(Columbia)に結実します。このアルバムは現在に至るまで、ジャズ・アルバムとしては驚異的な累積販売枚数を誇っています。

そして60年代マイルス初期の名盤として、レギュラー、テナー奏者、ハンク・モブレイと、ゲスト参加した元サイドマン、ジョン・コルトレーンが共演した「いつか王子さまが」(Columbia)がジャズ喫茶で大人気を博します。この時期はサイドマンがなかなか一定せず、さまざまなテナー奏者がマイルス・コンボに去来します。

64年録音のライヴ盤「フォア&モア」(Columbia)は、ジョージ・コールマン参加の名ライヴ盤として知られると同時に、まだ10代のトニー・ウィリアムスの火の出るようなドラミングが素晴らしい。そしてようやくレギュラー、テナー奏者がウェイン・ショーターに決まり、傑作「ソーサラー」(Columbia)が67年に吹き込まれます。しかしマイルスの前進は止まりません。69年にはエレクトリック楽器を大胆に取り入れた記念碑的作品「ビッチズ・ブリュー」(Columbia)を吹き込み、エレクトリック・マイルスの次代が始まります。「アット・フィルモア」(Columbia)は70年代前半の名演です。

そしてマイルスは75年の大阪公演を最後に、6年に及ぶ活動停止期間を経た後、81年に「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」(Columbia)を引っさげ、颯爽とシーンにカムバック。その後は今回最後に収録した「デコイ」(Columbia)など、多くのレコーディング、そしてライヴで80年代シーンを牽引して行ったのです。

文/後藤雅洋(ジャズ喫茶いーぐる)

USEN音楽配信サービス 「ジャズ喫茶いーぐる (後藤雅洋)(D51)」

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