聞くところによると、1959年に録音されたマイルスのアルバム『カインド・オブ・ブルー』は、現在に至る累積販売枚数1000万枚に及ぶそうだ。これは明らかにジャズ・アルバムの域を超えている。つまりジャズマニア以外の音楽ファンが相当数購入していると見てよい。

だから史上有名なこの作品をもって、マイルスの音楽やジャズに対して一定のイメージを抱いてしまうと、ちょっと的外れになってしまうかも知れない。現にマイルス自身、このアルバムに対しては少しばかり否定的なことを言っている。

「オレだって『カインド・オブ・ブルー』が好きなことは好きだ。だが、特に《オール・ブルース》と《ソー・ホワット》でオレがやろうとしたことは、完全な失敗だった。」(「マイルス・デイヴィス自叙伝」宝島社刊より)

私もこのアルバムは、素晴らしいけれど良い意味でジャズを超えている、というか普段クラシックやポップスに親しんでいるファンにも受け入れられる要素が大きいのでは、と思っている。つまり、メロディの美しさや構成美といったジャズ以外の音楽でも通用する価値観に支えられている部分が大きいゆえに、売れたのではなかろうか。

とは言え、演奏者が「好きなことは好きだ」と言っている超有名盤を、一度は聴いておくのも悪くない。というわけで冒頭は『カインド・オブ・ブルー』から問題の《ソー・ホワット》を含めた2曲をお聴きください。マイルスの音楽に対するスタティックなイメージは、多分にこの演奏からきていることがわかると思う。

面白いのは、マイルスは問題の《ソー・ホワット》をこの後何度も録音しており、特に5年後1964年のライヴ盤『フォー・アンド・モア』では、とても同じ曲とは思えないほどダイナミックで「ジャジー」な演奏を展開しているので、聴き比べてみるのも一興だろう。

今言ったこととも繋がるのだが、マイルスは必ずしも「ジャズ史の転換点」などと言われた『カインド・オブ・ブルー』の緻密な構成美路線を継承せず、2年後に吹き込まれたライヴ盤『イン・パーソン』では、昔ながらのジャズ的躍動感に満ちた演奏をしている。

もっともこの時期マイルス・バンドはメンバー交代期に入っており、ピアノがエヴァンスからウィントン・ケリーに、サックスもコルトレーンからハンク・モブレーへと変わっているので、そのことも印象の違いに大きく作用している。

一方マイルスはギル・エヴァンスとの共同作業も続けており、クラシック作曲家ロドリゴの《アランフェス協奏曲》が収録されたアルバム『スケッチ・オブ・スペイン』は、発売当時日本でも非常に多くのリクエストが寄せられた。これも魅力的な演奏だが、その完成された美しいメロディが、『カインド・オブ・ブルー』で形作られた前述のマイルス・イメージを補強してもいた。

60年代マイルスが本格始動するのは、1964年ウエイン・ショーターがメンバーに加わってからで、彼の初参加アルバム『マイルス・イン・ベルリン』では早くも息の合ったところを見せており、1967年録音の『ソーサラー』に至ると、ショーターはマイルスに影響を与えるにまでなっている。

そして問題のエレクトリック・マイルスに至る直前の作品『ネフェルティティ』は、ジャズの演奏概念が根底から変わりつつあることを予感させる斬新なアプローチが試みられている。

文/後藤雅洋(ジャズ喫茶いーぐる)

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