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「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」by SMART USEN



――泉水さんは、サブカル体質とまではいかないにしても、やはりデザイン、ファッション、アートの分野について語っていると声のトーンが上がりますね。

泉水 隆「まあ、プラモデルが好きっていう部分はサブカルでしょうねえ(笑)。パルコに入社して、もともとは営業畑の人間だったんですけど、カルチャー周辺の人材がどんどんいなくなってしまって、必要に駆られてやるようになったんですよ。"じゃあ、僕が……"って。そうすると、やっぱり、デザイナーさんとかアーティストさんにご挨拶に行ったりするようになるじゃないですか」。で

久保雅裕「やっているうちに、だんだん好きになっていった?」

泉水「いや、そもそも嫌いじゃなかったんですよもまあ、仕方なくですよ。みんな辞やめちゃったり、現場に出て行ったり、仕方なくって感じでした」

久保「ぼくが知っている範囲だと、草刈 洋さんが本社にいたころですよね?」

泉水「そうですね。でも草刈もずっと現場に出ちゃっているんで。彼はいま、上野のパルコヤ店長です」



――パルコヤの出現にはびっくりさせられました。御徒町というロケーション、「ちょっと上の、おとなの、パルコ。」というコンセプトだったり、出店しているテナント、もちろん屋号もですが(笑)

泉水「ネーミングは準備室のスタッフがみんな"松坂屋の隣だからパルコヤがいい"って(笑)。花火師の玉屋、鍵屋みたいな下町のニュアンスもあるし。賛否両論ありましたけど、パルコヤにしてよかったなと思います」

――僕がパルコという三文字から連想するイメージは、「ビックリハウス」とか、クラブクアトロ、パルコ劇場、WAVE、パルコブックセンター、TVCMも印象的でしたし、渋谷カルチャーの発信源というか……「ACROSS」の「定点観測」も好きでした。

泉水「「定点観測」(笑)。Web Acrossでいまも続いていますよ」



――1980年代のシンクタンク、メセナっていう言葉も当時のセゾングループの企業活動から知ったように記憶しています。

泉水「セゾングループは、言うまでもなく堤 清二さんが作った偉大な企業グループです。そのなかにあってパルコは、堤さんの友人でもあった増田通二(パルコ元会長)が創業したんですが、自分たちがちょうど増田さんといっしょに仕事をした最後の世代でしょうね。いまでも覚えているのは、堤さんのところに増田さんとパルコ Part3のプレゼンをしに行って"なんだこの案は!エコロジーをやれ!"って怒られて……何十年前だろう(笑)。そんな薫陶を受けた最後の世代なんですよ。で、今回リニューアルした渋谷パルコの裏テーマは"セゾンカルチャー"なんですが、当時、広告コピーを書いてくださっていた糸井重里さんが2店舗も出店してくださったんです」

久保「「ほぼ日カルチャん」と「ほぼ日曜日」ですね」

泉水「そうです。あとはセゾンカルチャーの申し子ともいえる宇川直宏さんもスーパードミューンで参加してくれていますし、かつてグループの一員でもあったWAVEも復活しました。いまではマッシュホールディングスさんが運営していますが、近藤広幸社長がひと目見るなり"この場所がいい"って出店を決めてくださいました。反対側の通りを挟んでスペイン坂側にはスペースシャワーネットワークのWWWとWWW Xがありますし、糸井さんも"セゾンカルチャー復活だね"って喜んでくださって」

――あの界隈は、ちょっとした文化的コミューンというか、有機的な繋がり感がありますね。

泉水「やっぱり、お店が決まるのって運なんですよ。我々は場所をご提案して、そこに出店される側が温めているプランがあったり、場所をご覧になって"よしやってみよう"と決断していただいたり」



――運であり、縁でもあるように思います。

泉水「おっしゃるとおりです。まさに任天堂さんなんかはご縁があってニンテンドートウキョウの国内初出店になりましたし。6階のCYBERSPACE SHIBUYAはアニメとゲームのフロアで、カプコンストアトーキョー、刀剣乱舞万屋本舗も入っていてファミリーの来店も多いんですが、我々は子供服を一切扱っていないんですね。なので、MD的なバランスを全く考えずにおもしろいものだけを集めたらああいうふうになっちゃった(笑)。子供服とリビング雑貨はやっていないんですよ」

――ああ、だからアッシュ・ペーは「H.P.DECO アート感のある暮らし」なんですね?

泉水「はい。アッシュ・ペーさんと我々の歴史がありますので、最初にリビング雑貨をやらないというコンセプトをお伝えして"じゃあアートをやりましょう"という提案をいただいたんです。H.P.DECOさんで扱っているアスティエ・ド・ヴィラットというパリの陶器ブランドがあるんですが、彼は学生時代にパルコでやっていた展覧会に出展したことがあるって言っていて」

久保「えっ!ブノワ・アスティエが、ってことですか?」

泉水「ええ。アスティエさん本人にお会いしたときに教えてくれて。僕もびっくりしました……うん、確かにこれって縁ですよね」

――縁ですよ。長く続けていればこその巡り合わせですね。

泉水「もういちど堤さんや増田さんが考えていたように商業とアート、カルチャーを結び付けたいという思いがあります。それもあって2階の2G(ツージー)というギャラリーは増田通二さんのお名前を頂いたんです」

久保「確か、POGGY'さんと、デイトナ・インターナショナルと……」

泉水「そうです。あとNANZUKA.の南塚真史さん、MEDICOM TOYさんのコラボレーションです。あとパルコも参加していますので5者のコラボレーションですね。アートとカルチャーと商業を結び付けたギャラリーショップというのが命題でしたから。「OIL by 美術手帖」も同様です」



――オープン以前に泉水さんの想い描いていた渋谷パルコの姿をどの程度実現できたと思いますか?

泉水「うーん……初代の渋谷パルコを100点とすると、プランニングの時点では"65点くらいだね"ってみんなで話していたんですよ。まあぎりぎり及第点かなって。それがオープンした時点では80点くらいになりました。もちろん時代背景は初代よりもいまの方が厳しいですし、運営してゆくなかで徐々に進歩する部分もあるでしょうし。やっぱりどんなお客さんを呼びたいか?とか、商業施設って、お客さんといっしょに育ってゆくものですから。実際、想定よりも男性のお客さんが多いし、ちょっとだけ客層も若い方に振れているんです。それは開業してからわかったことなので」

――じゃあ、数年後には100点に達する日がやってくるかもしれませんね。

泉水「いや、100点はね、絶対取れないんですよ(笑)。プラモデルと同じなんです。やった完成だ!って思っても、翌朝に起きて眺めてみると、あれ?なんかちょっと違うな……って手直したくなっちゃうものですよ。その繰り返しだから」



――未来の、パルコのような商業施設のあるべき姿とは?

泉水「コロナ禍を経て、ニューノーマルの時代は非接触型ビジネスやECの強化だったりということが話題になりますが――もちろんそうした取り組みは必要ではあるんですが――つまるところ、いいモノを売る、おいしいもの提供する、他にないものを出すということを研ぎ澄ますというのが僕なりの結論です。まあ、当たり前といえば、当たり前のことなんですが、品質、味、接客も含めて、その場所に足を運びたいと思っていただけるようにする、ということでしょうか」

久保「なるほど。やりたいからやる、おもしろいことだけをやる。奇手妙手はないってことですね」

泉水「そう、結局はそこに行きつくんじゃないかなと思います」

(おわり)

※※2020年7月の「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」番組収録後インタビューより

取材協力/渋谷パルコ
取材・文/高橋 豊(encore)
写真/柴田ひろあき





■泉水隆(せんすい たかし)
1960年9月13日生まれ。東京都出身。千葉大学人文学部卒業。1983年、株式会社パルコ入社。2005年、渋谷パルコ店長。2007年、執行役浦和準備室室長に就任。その後関東店舗グループ担当や新規プランニング部門担当などを歴任。2019年からPARCO開店準備室担当として新生渋谷パルコの開発に携わる。

■久保雅裕(くぼ まさひろ)
ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任教授。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。







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