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SMART USENの「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」
――まずはじめにmatohuといういうブランド名を思いついたきっかけ、その時おふたりで話していたことなどを教えてもらえますか?
関口真希子「日本語にしかない言葉にしたかったんですよね。"Wear"とか"Put On"とかそういう風にならない言葉にしたいなあってずっと考えていて、その中でいろいろ考えててmatohuってことになったんですよね」
――きっといくつか候補があったんでしょうね。
堀畑裕之「ブランド名ってクリスチャン・ディオールとかシャネルとか、作り手、デザイナーの名前がブランド名になっていて、ある意味ブランドっていうのは焼き印を押すって事ですよね。つまり、自分の所有であるという事を主張するためのものであるんですけど、僕たちはそういう自分たちの名前をブランド名にするというより、着る人が主語になるようなものを作りたい。僕たちが生み出すものは、動詞として"まとう"ことなので、着る人があくまで主体になるようなブランド名にしたいなと思ったんです。日本語で、他の言葉に置き換えられないような言葉は何かな?と思ったときに、最初に"まとう"って言葉が出たんです。同時に"待ちましょう"って意味もかけたんですが、ファストファッションの時代にあって、流行を使い捨てるような風潮もあるなかで、そうでないものを作りたいという思いもあります」
――急がず、という感じですね。
関口「そうですね。ブランドを作った時に、半年周期でものを作っていくっていうペースでは、あまりにも時間が足りない。もうちょっと丁寧にものを作っていくことってできないのかな?と考えながらやっていたので。そんな意味を込めて」
――非常に日本人的な思考というか、日本語ならではの意味合いの"matohu"というブランド名を、たとえば海外の方にその由来やコンセプトを説明する時は?
堀畑「今言ったような話をするんですけど、面白いのはそういう言葉はそれぞれの国に実はあるんです。"私の国だったら、そういうのはこういう言い方をする"とか、ニュアンスは変わってくるとは思うんですけど、それぞれの文化の中に"ただ着る"とかっていうだけじゃない特別な意味合いの"着る"と言う言葉が実はあったんです。あ、でも英語にはないかもしれませんね(笑)」
久保雅裕「ポルトガル語にもありますよ」
関口「インドにも。だから"まとう"って当たり前の事かもしれない。本来、着るという事は、今のような消費文化ではなくて、もっと特別な意味を持っていたはずですし、それはどこの国の歴史の中でもそうであったはずなので、そのための言葉があるって事はもしかしたら世界共通なのかな?と」
――"まとう"は、装うという言葉ともまたちょっとは意味合いが違いますよね。
堀畑「違いますよね。"まとう"という言葉の由来が面白いんですけど、"まとめる"なんですよね。つまり、着物って羽織っているだけだとずるずると全部落ちちゃうじゃないですか。裸になっちゃう(笑)。最後にきゅっと帯でまとめる、包んできゅっと結ぶ事。それが"まとう"という言葉の由来なので、着物というものの在り方と密接に繋がっている動詞なんです」
――纏うという字は纏めるとも読めますしね。そうした言葉の持つ意味合いや、言葉が持つ力強さは、デザインとか製品にも反映されている?
堀畑「活きてきますよね。ちゃんと筋が通ってるというか言葉の上でも大事ですし、もの作りの方法論としてもすごく大事なことかもしれないですね」
――ちなみにブランドロゴに千鳥をあしらっていますが、あれはどういった意味合いでしょうか?
堀畑「鳥って国境を軽やかに越えていくじゃないですか。風をはらんで飛んでいく感じが服をまとうって事にも繋がっていきますし」
関口「動物の中でもいちばんカラフルで綺麗ですし、私たち鳥が好きなのもあるんですけど(笑)」
堀畑「ブランドの家紋みたいなものを作ろうと思った時に最初に浮かんだのが千鳥だったんです。可愛らしいし、縁起物の鳥なんですよね。千の鳥って書きますけど、千を取る、たくさんの事が手に入れられるって。だからいろんなものにモチーフで千鳥が使われるんですよね。あと、客観視するというか鳥の目線で見るって意味も込めています」
――全てにちゃんとした理由があるんですね。
関口「ふたりで 話していて何かを決めるとき"じゃ、こうしようよ"って言った時に、"じゃ、何となく"って事にならないんですよね。"なんで?こっちの方がよくない?"って話になったら、やっぱりちゃんとした理由がないと」
――なるほど。ひとりで考えている事と、それを口に出して人に伝えることで自分の頭の中が整理される事ってあると思うんですよね。それがふたりで仕事をされている強みのひとつかもしれないですね。
堀畑「結局、服を選ぶ、服を着るということは、自分がどう見られたいとか、自分をどういう風に表現したいかっていうコミュニケーションでもあるので、それはすごく大事な事ですよね」
――まずいちばん身近にいる隣のパートナーに自分の意思を伝えるっていうことから仕事がスタートしてるんですね。
関口「私たちの仕事ってアートじゃないから、作ってそれで終わりというわけにはいかないし......やっぱり、たくさんの人に着てもらえた方がうれしいので。そういう意味ではコミュニケーションをとることが必要なんでしょうね」
久保「そういうおふたりのリズム感が素敵ですよね。今の時代、YouTubeやInstagramなどの視覚情報が重視されてますが、一方、matohuは、コレクションに長大な文章を添えてコミュニケーションを図ろうとしています」
堀畑「人間って辛いものばかり食べてると甘いものが欲しくなったり、いろいろと揺れ動くじゃないですか。みんなが説明なしのイメージだけで満足するか?というとそうではなくて。何かもっと深いもの、そこにストーリーがある、自分がそれを使うことで何かに役に立つとか、何かと繋がっていけるっていうものに関心が向く人がいるんですよね。そういう人たちと言葉を使ってコミュニケーションをとることが必要なのかなと私は思っています」
関口「写真があるだけじゃなくて、その下にたくさん文章を書いている人たちの方が結構読まれたりしていると思います。アーティストだったり、お店やギャラリーをやってる人はたくさんの文章を書いているんですよ。その人たちがウェブ上にアップしたものを読むのを楽しみにしている人とか、電車の中ではぱっと見れないけれど、家に帰ってからインスタでその人たちがアップしたものを読むのが楽しみって話をよく聞きますし、そういう部分もあるのかな?って思います」
堀畑「ハッシュタグも言葉だから面白いんですよね。イメージを伝えるために、実はその共通項を言語化して――面倒くさいけど一生懸命ハッシュタグをつけて――っていう。イメージだけでは伝えられない何かを伝えようとしているというか......」
――たぶん、共通項を見出すツールとして使ってるんでしょうけど、共通言語とか共通認識って言い方がありますけど、やっぱり言葉がないと難しいかなって感じがしますよね。
関口「言葉の選び方、短いフレーズだけど、それと写真があることで、すごく違う世界を見せることが――俳句みたいなものもそうかもしれないですけど――日本人って結構そういう言葉の使い方が上手なんじゃないかなと思います」
久保「そうやって属性とか同類項をフィルタリングして表示するということがネット上で行われているじゃないですか。AIの発展によって画像認識の精度が向上すると、今度はその人が好きそうな写真が表示されるという機能が一般化していくのかもしれませんね」
堀畑「僕たちはファッションショーをやめて、映像によるプレゼンテーションに切り替えたんです。ファッションショーだとイメージの消費しかされないので、みんな目の前をモデルが歩いているのをずーっと撮っているんです。それをウェブ上にアップしたら、翌日にはもう忘れるているんです。そういう時代に何が人の心に残るのかといったら、たとえば言葉だったり、動画でもそれをリアルに撮ったものは、ずっと残るんです。そういうかたちで東京コレクションでファッションショーを13年間やっていたんですが、自分たちなりにそれに見切りをつけて新しい表現やアプローチを見つけないと時代についていけないんじゃないかと思ったんです」
久保「いろんなありかたがあっていいし、もちろんいろんなやり方に挑戦してる人もいっぱいいますものね。先ほど番組本編で堀畑さんが言っていた"哲学者っていうのは職業にしなくていいんだよ"って、鷲田清一さんが全く同じことを言われています」
堀畑「本当だ!同じ事を言ってますね。でも、それは鷲田さんや僕の先生が言ったことではなくて。哲学=フィロソフィーは、ギリシャ語でフィリオが"愛する"で、ソフィアが"知恵"、つまり知恵を愛するって意味なので、本来物理学者とか社会学者とかっていうような学問の領域があるわけではなくて、人生の真理を知ろうと愛する人々のことをフィロソフィーという......そんな言葉の由来を鷲田さんが仰っているんだと思います」
――日常生活の中でそれぞれの人が小さな哲学を持ってたりするかもしれませんね。
関口「そういう人と話してると結構楽しいですよね」
――鷲田さんや堀畑さんが先ほど言っていたような事柄って、哲学の素養がある人がたどり着く考え方ではあるんですね、きっと。
堀畑「そうかもしれないですね。哲学者のカントに "人は哲学を学ぶことはできない。哲学することを学ぶだけである"という名言があって、哲学というものは学問としてはいろいろあると思いますけど、哲学者になるということは"哲学する"という動詞なんですね。カントは"自分で哲学的に考えることによってしか学べない"と言っていて、まさにその通りかも知れませんね」
(おわり)
取材・文/高橋 豊(encore)
写真/柴田ひろあき
※2019年11月の「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」番組収録後インタビューより
■堀畑裕之(ほりはた ひろゆき)
同志社大学文学部大学院でドイツ哲学を専攻。修士論文は「カントの理性神学批判 - 存在の根拠、理性の深淵をめぐって」。在学中にKCI主催の「モードのジャポニスム展」でモードに強い興味を抱き、哲学者鷲田清一のモード関連の著作にも感銘を受けた。文化服装学院アパレルデザイン科在学中に関口真希子と出会い、共同で舞台衣装、ウエディングドレス、ヘアーショー、コンテンポラリーダンスの衣装などを制作。1998年、コム・デ・ギャルソン入社、パタンナーとして川久保玲によるレディースのパリコレクションラインを手掛ける。2003年退社後にロンドンに移住。Bora Aksuのアトリエで働く。
■関口真希子(せきぐち まきこ)
杏林大学卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科へ。卒業後ヨウジヤマモトプールオムのパタンナーに。2003年、ヨウジヤマモト退社、ロンドン移住。トルコ人デザイナーBora Aksuのアトリエで働く。
■matohu
2005年、東京で「日本の美意識が通底する新しい服の創造」をコンセプトに、堀畑、関口によってmatohu(まとう)設立。2006年より東京コレクションに参加。2009年、毎日ファッション大賞新人賞 資生堂奨励賞を受賞。2011年、青山スパイラルビル、熊本市現代美術館において「matohu 慶長の美」展開催。2012年、金沢21世紀美術館において「matohu 日本の眼 日常にひそむ美を見つける」展開催。2015年より朝日新聞夕刊紙面にてコラム「言葉の服」を執筆。2019年7月『言葉の服 ? おしゃれと気づきの哲学』を出版。
■久保雅裕(くぼ まさひろ)
ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任教授。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。