――新曲「そして誰もいなくなった(And No One Was There)」は、ヒョンジュさんから再びユーミンの歌が歌いたい、というラブコールがきっかけだったと聞きましたが?
「昨年日本デビュー20周年記念のシングルとして、「春よ、来い」を、SUGIZOさんにヴァイオリンで参加してもらってリメイクしました。その「春よ、来い」は、20年の節目という思いがありました。それを経て、これからの20年に向けての新たなスタートとして、ユーミンさんに楽曲を提供していただけたらうれしいという気持ちがあり、彼女の事務所を訪れて相談させてもらったのが始まりです。ユーミンさんは、いつも変わらず優しい方なので、快く応じてくださり、“実は、壮大なクラシックをイメージした曲があって、イム君に歌ってもらえたら”と。それが彼女の40枚目のアルバム『Wormhole/ Yumi AraI』の最後に収録される「そして誰もいなくなった」という曲なんですが、ぜひその曲を歌って欲しいと思っていると言われました。しかも好きなようにアレンジしていいとまで言ってくれて。うれしかったし、奇跡のようなことだと思いました」
――新曲を聴いた第一印象はいかがでしたか?
「デモを送ってくださったんですが、ユーミンさんの歌声は、いつ聴いても人の心を揺さぶる力があると思うんですね。なので、新曲も言葉で表現するのは難しいんですが、懐かしさとは違う、でも、聴いたことがあるような感覚があって、とても感動しました」
――その新曲を日本語ではなく、ヒョンジュさんが作詞家のハメリさんと共作した韓国語詞バージョンで歌っています。
「謙虚という言葉を脇に置いて言うと、私はユーミンさんの熱烈なファンで、韓国で誰よりもユーミンさんの音楽の世界を理解しているひとりだと自負しています。私も長年作詞に取り組んできていますが、ユーミンさんの歌詞に対しては、もう嫉妬しかありません(笑)。しかも彼女は、シンガー・ソングライターなので、当然作曲もされていますが、彼女が紡ぐメロディーと歌詞の結びつきには何か、すごく特別な関係が宿っていると思っています」
――そう思うなかでの新曲の歌詞についてはいかがですか。
「歌詞の最初の言葉が“オレンジ”から始まるんですね。韓国にもオレンジという単語はありますが、あまり“染まる”という風景の表現で使うことはなく、普通は“朱色”と言います。ですので、“朱色に染まる”という風に言い換えることは出来たのですが、敢えてそのまま生かしました。おそらくユーミンさんも何か意図があって、この色を用いたと思ったので、私も“オレンジ”と歌うことにしました。他にもいくつかあって、“サイレン”も韓国語に訳すことなく、そのまま“サイレン”と歌っています。また、“ただ、抱きしめ”という歌詞の“ただ”という語感がすごく好きなので、それを生かせる韓国語はないかと考えて、“ただる”という言葉に置き換えました」
――韓国では空がオレンジ色に染まって、というような言い方はしないんですね。
「韓国では夕焼けは、朱色ですね。日本ではオレンジとも言い表すと知るまでは、ユーミンさんは天才だから、敢えてこのような詩的な表現をされたのかと思いました」
――歌詞の翻訳、解釈するにあたって、苦労した点などはありましたか。
「根本的なところで、この曲の世界観ですね。当初は、恋の歌なのかなと。この歌詞はちょっと難しいと感じました。僕もアーティストなので、時どきこの世にたったひとり取り残されてしまう、といった想像をすることはあります。でも、それを歌で表現したことは、一度もないんですね。いろいろと思い悩むなかで頭に浮かんできたのが、サン=テクジュペリの「星の王子さま」の物語でした」
――「春よ、来い」をカバーした時に映像が浮かんでいると言っていましたが、今回は、それが「星の王子さま」ということでしょうか。
「そうです。どんな風にイマジネーションを膨らませようかと考えた時に、“星の王子さま”が浮かんできました。私がひとり取り残されることがあったなら、私にとっての“バラ”は、何なのだろうか。そんな思いを巡らせていました。そして、その愛だけが世界を救うのか。最後に答えが見つかるというドラマティックなストーリーを私なりに考えました。ですので、聴いていただければわかると思いますが、静かに歌い始めて、終盤にかけてどんどんドラマティックになっていくという展開になっています」
――オリジナルの歌詞で、“私はまだ生きている”という一行がとても印象的です。いろいろな解釈が出来ると思うのですが。
「毎朝、目が覚めると、“私はまだ生きている”と思います。コロナ禍を経験して、親しい人が亡くなる現実を目にしてこう思うようになりました。歌の中の“私はまだ生きている”というのは、肉体はもちろんのことですけれども、魂もちゃんと生きている、というように私はとらえています」
――資料に平和へのメッセージを込めて歌っているという、ご自身の言葉が記されていますが、このことについて少し詳しく教えてもらえますか。
「今年は、韓日国交正常化60周年という大きな意味のある節目の年です。そのような時に韓日同時にひとつの同じ曲をリリースする。日本のアーティストは日本語で、韓国のアーティストは韓国語で。これってとても特別なことだと思っています。このようなプロジェクトが進められたこと自体が奇跡ではないでしょうか。両国の間には政治の問題がいろいろあって、関係が揺れ動くこともありますが、音楽をはじめ芸術というものは、そういうことを超越して永遠のものだと思っています。全世界の人々が国や人種を超えて、平和を守ることが出来る。それこそが音楽の偉大な力だとあらためて感じています」
――ところで、韓国ではユーミンのどんな曲が人気ですか。
「「春よ、来い」は、2004年に私がカバーして知られるようになりましたが、その後、韓国の有名なラッパー、MCスナイパーがこの曲をサンプリングしたことで、さらに一般に知られるようになりました。また、日本人と韓国人が出場する「歌王戦」というTV番組があるんですけれど、日本人参加者が「春よ、来い」を歌うことが多く、それもあって韓国で一番有名な曲は、「春よ、来い」です。2番目は、スタジオジブリの映画『魔女の宅急便』の挿入歌である「やさしさに包まれたなら」。そして、もう1曲、TVドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』で有名な女優イ・ヨンエが主演した映画『春の日は過ぎゆく』のタイトルソングをロックバンド、ジャウリムのヴォーカルのキム・ユナが歌って人気が出たのですが、この曲を書いたのもユーミンさんです」
――ジャケットのアートワークですが、いままでとは印象が違いますね。いままでは白を基調としたものが多かったと思いますが、このジャケットのコンセプトは?
「心機一転して、22年間一緒に仕事をしてきたデザイナーから、アイドルのジャケットなども多くデザインしているデザイナーが初めて手掛けることになったのがこのジャケットです。そのデザイナーに私のイメージは全く考えずに、この曲を聴いたイメージでデザインして欲しいと依頼して出来たものです。ユニバーサルミュージック韓国のスタッフは、最初驚いていましたし、私もちょっと戸惑いましたが、でも、新しいことに挑戦したいと思って、このデザインにしました」
――「ユーミンさんは天才」という言葉が先ほどありましたが、アーティスト、松任谷由実に思うことは?
「50年超のキャリアを誇る大ベテランでありながら、ステージであれほどのベストを尽くすアーティストは、多くないと思います。パフォーマンスの点でもリスペクトしています。
また、そのキャリアのなかで常に松任谷正隆さんという最強のサポーターがそばにいますよね。私自身は、30年近くセルフプロデュースで音楽活動をしてきているので、音楽のパートナー、魂のパートナーと言えるプロデューサーがいることは、すごく羨ましいです」
――誰かプロデューサーと組みたいと思うことは、これまでなかったのでしょうか。
「韓国での私のイメージは、ポペラ歌手の先駆者というものが強く、さらに大統領の就任式をはじめ、国家的イベントで歌うことが多いので、どうしても韓国を代表する歌手というイメージが植え付けられてしまっています。なので、プロデュースをお願いすると、そのイメージを踏襲しようとすることが多く、ならば、セルフプロデュースで、という気持ちがありました。でも、これからは少しずつ軽やかなイメージも打ち出していきたいと思っているので、プロデューサーの起用を含めて何か新しいことに挑戦していきたいですね」
(おわり)
取材・文/服部のり子
通訳/リン・ヒョンジュ
写真/平野哲郎

イム・ヒョンジュ 「そして誰もいなくなった(And No One Was There)」DISC INFO
2025年11月18日(水)配信
ユニバーサルミュージック
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