――子供の頃からクラシックを学び、バークリー音楽大学でジャズに転じて、その後オリジナル楽曲を作曲するピアニストとして活動するようになりましたが、なぜこのように転向していったのか、あなたの音楽遍歴を教えていただけますか。

「子供の頃からクラシックを学んだことで、ピアノの基礎となるテクニックを身につけることができました。ラジオでポップスを聴く環境がなかったので、当時はクラシック以外の音楽に触れることもなかった。それが16歳頃に地元のウエディングバンドに雇われて、ポリスとか、スティーヴィー・ワンダーを演奏することになり、それをきっかけに彼らがどんな人に影響を受けたのか探るなかで、時代を遡ってポピュラーミュージックをいろいろ聴くようになったんです。クラシック音楽を学ぶ学校に進学する予定だったけれど、もっと表現する音楽を知りたくて、バークリー音楽大学に入学したところで出会ったのがジャズでした。その時どきの瞬間に音楽が生まれる即興演奏に創作意欲を刺激されて、ジャズに惹かれていったのですが、ジャズもテクニック主体の面があって、それが僕の性格にあまり合っていなかった。それよりもどう感じているのか?その感情を表現する方が自分に合っていると発見したことで、オリジナル楽曲を書いて演奏する道に進むことにしました」

――オリジナル楽曲といってもいろいろなスタイルがありますよね。いわゆるヒーリングの方向へすぐに進むことになったんでしょうか。

「いいえ、ジャズのベースがあったので、無意識のうちにジャズの知的に洗練された部分を持ち込んで、おもしろいものを作ろうとしていましたね。でも、うまくいかなかった。なぜうまくいかないのかと考えるなかで、多くの人は、日中外で働いて帰宅してからも、家のことをいろいろやらなくてはいけない。子供が病気になることもあるでしょう。そんな時にヒップなもの、おもしろいものを作ろうと思っているピアニストの音楽なんて、人にはなにも伝わらないってことがわかったんです。その境地に辿り着くまでにはちょっと時間がかかりましたが(笑)」

――過去の記事で、メロディーが浮かんだら、ピアノを弾く前にまず口ずさんでみる、というエピソードを知りました。それは今も変わらず?

「今もそうしているし、歌えないメロディーは、曲にする価値はないと思っています。以前僕は、『The Chopin Variations』というアルバムで、ショパンの名曲の必要じゃないところ全てを取り外して、骨格だけの状態にしても果たしてショパンであり続けられるか?ということに取り組みました。結果は、それでもショパンだった!僕が初めて“これだ!”って確証を持てたのが、2013年のアルバム『The Space Between』でした。その頃すごく好きで聴いていたのが、映画『バベル』のサントラに参加していたギタリストのグスタボ・サンタオラージャだった。彼の音楽は、すごい長い一音のあと、空白の時間があって、また一音鳴らすという構成で、空間を生かした音楽を作っていました。自分もこういう音楽をやってきたつもりなのに、レコーディングでも抑えながら弾いてきたつもりなのに、ついついもっと音を入れたい、聴きたいという風になってしまっていた。空間が音楽のマジックを生むと考えているのにね(笑)。一音鳴らした音で種が蒔かれて、その次の音までの空間が庭となり、次の音で水をやり、さらに次の音で根が張って、そこに感情の素敵な花が咲くという感覚をつかむことが出来たのです。音が詰め込まれたメロディーでは感情の庭は、生まれないと思っています」

――その庭は、聴いたリスナーが育てるもの?

「リスナーと僕自身の両方かもしれない。聴くにあたって心構えというか、ちょっと準備がないと、庭が固い石だらけで、聴けなくなって放置すると、雑草だらけになってしまうかもしれない(笑)。そうじゃなくて、聴くたびに雑草をひとつ抜いて、また抜いて……となるかどうかは、リスナー次第。彼らにも時間の流れというものがあるわけだから、僕のアルバムを聴こうと思った段階で、最初の作業に入ってくれた……って僕は思うんだ」

――2年に1枚のペースでアルバムを発表されていますが、アルバム制作は、コンセプトを決めてから?それとも楽曲が集まったら、それをアルバムにするというアプローチですか?

「作曲に関しては、曲に教えてもらうまで、最後の最後まで自分がどういう曲を書くのかわからないんだ。実際に今月末から新作の制作を始める予定で、僕の中にあるアイデアをすでにチームに送ってあるんだけれど、作曲途中の曲がいろんなストーリーを僕に教えてくれるので、すでにチームに伝えたアイデア自体が違ったものになってきている。そういう作り方をしているので、どうしても2年に1枚のサイクルになってしまう」

――ただ、アルバム『Where We Are』の場合、2024年にオリジナル盤がリリースされ、今年新曲が追加された『Were We Are : Unity Edition』がリリースされました。これは続編的な作品として捉えていいのでしょうか?

「アルバムを制作したあとで、もう一度それらの曲に立ち戻って新しいカタチで作り直すから。新作が完成したら、それでおしまいではなく、続編や続々編を作るのは、僕のなかでひとつのストーリーとしてつながっているから。まるでジェームズ・ボンドの007シリーズのようにね(笑)」

――その『Where We Are』ですが、ファンとの会話がインスピレーションになったと聞きました。

「当初は、『The Dream We Chase』というタイトルで、私たちはどうして夢を追い続けるのだろうか?そして、その夢が消え失せても人は、生き続けられるのだろうか?というアイディアで、もっとテクニカルで、クラシカルで、派手なアルバムになる予定だったんだけれど、自分のなかにどこか違和感があった。そのうちあるコンサートで、僕のポッドキャストのリスナーが“自分の父親がステージ4の癌を患っていて、今あなたの音楽とポッドキャストしか聴けない”と話しかけてきた。その時に夢を見る準備が出来ていない人もいると理解したんです。リスナーの言葉に、僕たちはみんな一緒なんだという思いを込めて、このアルバムは、最後の最後に路線を変更して『Where We Are』というアルバムになったんだ。この作品で僕がやりたかったことは、アルバムを通してコミュニティーを作ること。答えは出ないかもしれないけれど、君の体験を聞いて、一緒に涙を流すよ、という思いが伝わるようなアルバムにしたいと思ったんです」

――『Where We Are』のアルバムジャケットは、オリジナルとユニティ・エディションで背景が異なっていますよね。オリジナルは額縁だけで、ユニティ・エディションでは額縁に絵が入っています。

「オリジナル盤は僕のサイトで、リスナーから額縁の中に収めたいストーリーを募集して、体験談を書き込めるようにしました。もともとは、その体験談を映像にして額縁に収めるようなことを考えていたのだけれど、ユニティ・エディションで昔の写真とか、実際に制作したMVの写真を収めたりしています。それぞれ曲のストーリーを物語るものが絵となっていて、ある意味曲へのオマージュのようなものを見ていただけるように」

――ピアノを演奏している時にあなたの中にあることは?何か映像が浮かんでいるとか?

「アーティストには2つのタイプがいると思います。ひとつはアートを創りだす人たち。もうひとつはリスナーのニーズに応える人たち。僕は後者のタイプ。ピアノの前に座ったら、リスナーが求めるものを追うようにしていて、この音がどのような目的を持っているのか、聴く人を癒すものになって欲しい。そんな思いでピアノを弾いています」

――そのピアノと呼吸法や瞑想を結び付けるようになったのはいつ頃からですか?

「コロナ禍だね。ツアーに出られないし、それまで柔術とかをやって体を動かすことが好きだったけれど、それも出来ない。じゃあ!とヨガマットを買って、自宅で動画を観ながらヨガを始めたら、心を落ち着かせる効果があることを知った。最初は、ヨガの先生が呼吸に戻りましょうと言う意味さえわからなかったけれど、そこから自分なりに勉強を進めるなかで、これをどうやったら音楽と結びつけられるだろうかと考えるようになり、そこからさらにシンプルなメロディーを探求するようになりました。メロディーが忙しいと息も切れてしまうから」

――企業の招聘で、呼吸法や瞑想をレクチャーするワークショップを行われていますよね。現代人は疲れていると思われますか。

「まず企業に行って感じるのは社風の違い。たとえば、こちらの企業は足を踏み入れた瞬間にリラックスしたいいエネルギーが感じられ、もう一方の企業では張り詰めた緊張感が社内にあった。その違いにまず驚くんだけれど、コロナ禍で自分は何者なんだろう?と、自分を振り返る時間が地球規模で生まれたのかもしれません。自分と向き合うなかで、今の姿に違和感を抱いたり、背負っている重い荷物を下ろしたくなった人が出てきている。そんな人たちに呼吸法とか、音楽とか、それで全てが解決するわけではないけれど、尖った部分がまろやかになったり、あなたのサンクチャリ=聖域を見つけることが出来るかもしれないと勧めています。疲れている人は確かにいると思います」

――日本も同様です。疲れた人々がUSENでもあなたの音楽をヒーリング・ミュージックとして聴いて癒されています。

「正しい聴き方だと思うし、うれしいことですね。僕はデータが大好きなタイプですが、自分のリスナーをデータで分析すると、日曜日の午後から木曜日の夜までリスナーが多く、そして週末にかけて減っていく。その理由を知りたくてリサーチしたところ、学生だったら平日学校に行ったり、試験勉強をしたりする時間に僕の音楽をBGMとして聴いている。また、夕食の時間にリラックスして、ストレスを軽減させたくて聴いている人も多かった。そんな人も週末になると、外出したりして楽しい時間を過ごすので、僕の音楽は求められていない(笑)。それがわかってからは、辛くなったら僕のところに戻っておいで、という気持ちで音楽を作っています」

――ストレスに対するカウンターパート的な存在?

「はい、僕の音楽はストレスの緩衝材。“ミュージシャンになっていなかったら何になりたかった?”とよく聞かれるのですが、僕は心理学を学んで精神科の先生になりたかったと答えると、“すでに音楽でそれをやっているのでは?”と言われる。確かにそうなのかもしれない。ただ、みなさんにお伝えしたいのは、運転中は僕の音楽を聴かないでってこと。リラックスしすぎて居眠り運転しちゃうから(笑)」

(おわり)

取材・文/服部のり子
写真/平野哲郎

チャド・ローソン『Were We Are : Unity Edition』DISC INFO

2024年5月16日(金)配信
ユニバーサルミュージック

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