――3月のイル・ディーヴォの来日公演、ほとんどのMCを日本語でしていましたよね。前回までは英語のMCに日本語が少し交じる程度だったと思いますが?

「日本語のMCは大変だった(笑)。ここだけの話、実はプロンプターを使っていたんだ。デイヴィッドは、もともと日本語を勉強していたから、初来日公演からずっとMCは日本語だったけれど、僕の場合は、観客とのコミュニケーションをよりよく図るために、その国の言語で語り掛けるようにしているんだ。それが公演する国へのリスペクトでもあり、観客とつながるひとつの方法だという思いを今強くしているから、日本では日本語でMCをした。僕らが頑張っているということをわかってもらえたならいいんだけど?」

――その気持ちは、十分に伝わっていたと思いますよ。観客のみなさんも喜んでいました。さて、今回のソロアルバム『フロム・セブ・ウィズ・ラヴ』は、いつ頃、どんなアイデアで作り始めた作品ですか?

「パンデミックが始まった頃、急に時間の余裕ができたので、せっかくだから、この時間をクリエイティヴなことに使おうと思ったのが最初だった。その時点で浮かんだアイデアが若い頃から僕が大好きで、慣れ親しんできた曲を歌おうというもの。だから、フランス語の歌「バラ色の人生」、「ラ・メール/ビヨンド・ザ・シー」が収録されている。日本ではかつてシャンソンが人気だったと聞いているので、そこにつながりがあると思っている」

――「バラ色の人生」の最後に“Oh Yeah!”という声が入っていますが、これはうまくいったぞ、という気持ちの表れですか?

「そうなんだ!歌っていて本当に楽しくて、思わず声が出てしまったので、プロデューサーのジョン・コギンズに“今の声、消さずにキープしておいて”って頼んだんだよね(笑)」

――ところで、なぜこの曲を選んだのでしょうか。フランスにも名曲がたくさんあるわけで……

「この曲を聴くと、子供時代のことを思い出すんだよね。パリの街をエディット・ピアフの「バラ色の人生」を聴きながら、歩いていた自分のことを思い出す。だから選んだんだ」

――フランス人にとってエディット・ピアフは、どんな存在ですか。

「アメリカ人にとってのエルヴィス・プレスリーのような存在。まさにアイコンだよね。だからこそ、歌うとき、いつもプレッシャーを感じているよ。この曲に限らずにね。オリジナルがいい、あのカヴァーがいい、という意見は絶対にあるものだし、あって当然だと思うから、僕自身は、他の人がやっていることは忘れて、自分の歌を歌おう、自分の曲にしよう、という思いで歌っている」

――他の収録曲についてうかがう前に、そもそも、というところで、なぜソロアルバムを作るのか、理由を教えていただけますか。

「いい質問だね。イル・ディーヴォに加入する前も、僕はソロで活動をしていた。新作『フロム・セブ・ウィズ・ラヴ』は、3枚目のソロアルバムになる。英語に“いくつもの帽子を被る”という言い回しがあるけれど、僕は、フランスでは他のアーティストに楽曲を提供するなど、ソングライターとして、またプロデューサーとしての活動を続けている。そういう一面をもっと出していきたいという気持ちが強くある。それがソロ活動をする理由のひとつ。もちろんイル・ディーヴォを愛しているし、イル・ディーヴォは、僕の人生そのものだけれど、僕のなかに潜在するクリエイティヴな部分、創作への意欲をずっと出さずにいると、僕自身を殺してしまうような感覚に襲われてしまう。だから、ソロ活動を続けている。今映画のプロジェクトの話もあるので、今後役者としても活動するかもしれない」

――演技にも興味があるんですね?

「フランスでは演技経験がある。将来的に映画に出演するなど、演技することが夢のひとつかな。誰か僕のことをフランス人役で、日本の映画にキャスティングしてくれないかな(笑)」

――イル・ディーボのセブが日本の映画に出たいと言っていると書いておきますね(笑)。ところで、ソロ活動においてイル・ディーヴォで得た知識や経験が影響を与えていることはありますか。

「それはすごく大きい。今回オーストラリア出身のアレンジャー、ジョン・フォアマンとオーケストラのアレンジを共同で手懸けたんだけれど、彼は、もともとイル・ディーヴォのレコーディングで組んだ才能ある人。キーを選んだり、ここで転調しようか、また、最後はこんな風に歌い上げようかとか、そういったアイデアを出し合いながら、アレンジをしていったんだけれど、それらのアイデアは、イル・ディーヴォで学んだことのひとつ。プロデュースの部分でもいろいろな影響を受けているよ」

――オリジナル楽曲以外にカバーが9曲収録されていますが、選曲って悩ましい作業ですよね。

「そうなんだ。やりたい曲がありすぎた(笑)。最初リストアップされた曲は、もっともっとたくさんあった。でも、よくよく見ると、わりと似通っている曲があったので、その重複する楽曲を削り、他の曲をプラスしていった。その出来上がった選曲リストも実際に歌ってみると、なんかしっくりこないとか、繰り返しが多いかなとか、そういった理由で削られていき、さらにレコード会社の意見も取り入れた。マーケティングに関しても考慮しないといけないからね。その結果、最終的に素晴らしいレパートリーになったんじゃないかな。全てマスターピースと呼ばれるような曲になったと思うよ」

――では、その収録曲について聞かせてください。まずは先行シングルとなった「ハヴ・アイ・トールド・ユー・レイトリー」は、ヴァン・モリソンのカヴァーですよね。

「「ハヴ・アイ・トールド・ユー・レイトリー」は、ヴァン・モリソンのコンサートで聴いてすごく感動したので、ぜひやりたいと思った。ロッド・スチュワートのカヴァーも有名だから、プレッシャーを感じる曲ではあったけれど、僕自身は楽しんで歌うことができた」

――日本語の歌もありますよね。坂本 九の「上を向いて歩こう」。イル・ディーヴォでも「故郷」という曲を日本語で歌いましたが、今回なぜこの曲を歌おうと?

「日本語の歌は、最初から入れたいと思っていた。その理由のひとつは、僕自身が18年前に初めて日本に来た時から日本に恋してしまったからなんだ。そして、この18年間、僕らは日本の人達から常に大きな愛をもらい、たくさんのサポートを受けてきた。そのことに対する感謝の気持ち、日本への贈り物として日本語の歌をぜひ歌いたいと思った。そのなかで「上を向いて歩こう」は、もともと好きな曲で、心を上向きにしてくれるメロディーが本当にいいなと思ってきた。だから、迷わずこの曲をやろうとするなかで、この歌を作曲した中村八大さんのご子息、力丸さんから連絡があり、日本語の歌詞を英語で丁寧に説明してくれた。アメリカでヒットした英語版「スキヤキ」は、歌詞が全然違うものだからね。彼の手紙で語られたこの曲のメッセージは、僕が日本に描いているイメージそのものだった。この18年間に日本は東日本大震災を経験したよね。そういう大変なことに直面した時、何が起きてもみんなが前に進んでいこうとする強さがある国だと思う。しかも過去に起きたいろいろなことを忘れるのではなく、いい教訓として生かしている。そんな日本を僕は、心から尊敬しているので、何か僕から贈り物にしようと思って、「上を向いて歩こう」を歌うことにした」

――この曲は、親しみやすく、一見誰にでも歌えるようなシンプルな歌に思えるけれど、実際に歌うには難しいのでは?

「そう、本当に簡単そうに聴こえるんだよね(笑)。日本語はアクセントをどこに置くかで、言葉の意味が違ってきてしまう。そこに最初苦戦をした。どう発音するかで、意味が伝わるか、伝わらないか、その違いは大きい。最初僕ひとりで歌った音源を日本のスタッフに送ったところ、“じゃあ、日本語の指導をしてくれる人を紹介するね”って返事が来て、LAに住む日本人が僕を指導してくれたんだ。最初の歌ではダメだったということだよね(笑)。その人がどう発音するか、どう歌うかを教えてくれた。それで無事にレコーディングすることができた。この歌の魅力を台無しにしたくなかったからね」

――イル・ディーヴォは、東日本大震災の際に「故郷」を歌ってくれましたが、「上を向いて歩こう」は、1995年の阪神淡路大震災の際にずっとラジオから流れた曲でした。そのことを知った上で、選曲されたのでしょうか。

「1995年のことは知らなかった。でも、この曲を歌うことになり、来年「上を向いて歩こう」が生まれて60年ということを知った。ちょうど来年1月にソロコンサートで日本に戻ってくるので、この曲の60周年を僕のコンサートでもお祝いしたいと思っている。まだ、具体的なことは決まっていないけれど、日本人ゲストを迎えて、一緒に歌えたらいいな」

――ソロコンサートを1月に行うんですね!

「東京と大阪でね。新作を中心に、前作の楽曲も、アルバムで歌っていない曲も歌おうと考えているんだ」

――もう一度アルバムの話に戻って、1曲だけ収録されているオリジナル楽曲「アイ・ドゥ」について教えてください。

「この曲にはちょっとエピソードがあるんだ。彼女にプロポーズする時のことをイメージして書いた曲だった。実際にあの日の僕は、この曲を彼女に聴いてもらうためのヘッドフォンを用意して、ニューヨークのセントラルパークで馬車に乗り、公園の中にあるアイス・スケート・リンクに向かった。歌詞の最後が<Do You?>となっていて、それは“僕と結婚したい?”という意味なんだけれど、それを彼女に聴いてもらった。ここまではパーフェクトだったんだけれど、いざ彼女に指輪を渡してみるとと、サイズが小さすぎて第二関節のところで止まってしまった!大失敗だよね(笑)。「アイ・ドゥ」をプロポーズの歌としてみんなに親しんでもらいたい、大切な場面で使ってもらいたいと思うけれど、“指輪のサイズは間違えるなよ”というアドバイスも添えておきたいね(笑)」

――それで、彼女は「アイ・ドゥ」を気に入ってくれましたか?

「とても気に入ってくれた。僕もとても心を込めて書いたからね。プロポーズの時ってなかなか言葉にして伝えるのが難しい。だから、それを曲で代弁してもらうのがいいんじゃないかと思って書いた。もちろん僕だけではなく、他の人にも使ってもらえたらいいな、という思いを込めて書いた曲だよ」

――イル・ディーヴォについて、少し聞かせてもらえますか?

「もちろんだよ」

――カルロス・マリンが昨年末に突然亡くなられて、その時点でイル・ディーヴォは、活動をやめてしまうのでは、と危惧したのですが、ほどなくしてツアーを再開しましたよね。そのことについて聞かせてください。

「うーん……まだつらい時間が続いているんだ。話すのが嫌というわけではないんだけれど。カルロスの話をする時は、いまだにつらくてね。僕らがツアーに戻って活動を続ける決断をしたのはファンの声援が後押ししてくれたからなんだ。ファンから“負けないで”とか、“私達にはイル・ディーヴォが必要です”か、そういう声をすごくもらった。僕としてはあまりに突然カルロスを失ったので、すぐにイル・ディーヴォの曲を聴けなかった。カルロスの歌声を聴くのがつらくてね。今はこうして話せるようになったけれど、でも、どうしても悲しみがこみ上げてしまうんだ。ステージでも感傷的になってしまうことがある。今年のツアーは、スティーヴン・ラブリエをゲストに迎えて、ダンスをする場面があるなど、楽しくパフォーマンスしたけれど、やはり心の痛みはある。それでも続けられるのはファンがいてくれるから。それが前へ進む、未来に進む力になっている。カルロスのレガシーを守りたいし、カルロスも“続けてくれ”ときっと言ってくれると思うから、今はデビュー20周年に向けて3人で前進しているところで、年内はヨーロッパツアーを回るんだ」

――3月の来日公演で「僕らは家族だから」とデイヴィッドが日本語で何度も言っていましたが、それが継続の原動力になっている?

「そう、僕らは家族。でも、それはメンバーだけでなく、ファンも家族だと思っている。だから、たとえば、デビューからずっと欠かさずコンサートに来てくれていた夫婦の姿を見かけなくなると、大丈夫かな?どうしているのかな?と心配になってくる。家族ってそういうものだからね」

――最後に日本のみなさんへのメッセージを願いします。

「今はコロナとか、ウクライナの戦争とか、不況とか、問題が山積している厳しい時代。このアルバムにはそんな時代を軽やかに踊って抜け出せるような、たとえばマーク・ロンソンの「アップタウン・ファンク」のような曲も収録されているし、クリスマスの季節が近づく時期でもあるので、そんな季節に心温まるような曲を聴くこともできるので、楽しんでいただければ、うれしいです。ぜひ聴いてください」

(おわり)

取材・文/服部のり子
写真/平野哲郎

DISC INFOセバスチャン・イザンバール『フロム・セブ・ウィズ・ラヴ』

2022年9月28日(木)発売
SHM-CD/UICY-16090/2,750円(税込)
ユニバーサルミュージック

Linkfire

関連リンク

一覧へ戻る