5月14、15日に、ぴあアリーナMMにて『㊗21周年! スーパーウルトラちゅらちゅらカーニバル』を開催するORANGE RANGE。今回の2デイズ公演は、1日目をORANGE DAY、2日目をRANGE DAYと題し、21周年にちなんで1日21曲、全42曲をかぶりなしで披露するという、まさにORANGE RANGEらしい賑やかな2日間になりそうだ。また、今回のライヴの模様は、U-NEXTでの独占生配信が決定。月額会員であれば、追加料金なしでライヴ映像を楽しむことができる。
──ぴあアリーナMMでの『ORANGE RANGE ㊗21周年! スーパーウルトラちゅらちゅらカーニバル』の開催が迫ってきていますが、プレ公演として行なわれた『ROAD to スーパーウルトラちゅらちゅらカーニバル』を終えた感想からお聞きできればと思います。いかがでしたか?
「メンバーのHIROKIがコロナになって、新潟公演が延期になってしまったので、お客さんに迷惑をかけてしまったところはあったんですけど。でもまあ、こればっかりは誰が悪いとかじゃないので」
──このご時世ですからね。
「延期になってしまったけど、やれてよかったですね。ライヴの内容自体はすごく順調でした」
──『ビクターロック祭り』では、フロントがひとりいないという状況でステージに立ったわけですけども。
「結構ギリギリでしたね(苦笑)。ここには何とかして出ようと思ったんですけど、HIROKIがメインのメロディを歌っている曲がほとんどなので、YAMATOと話しながら、“どうしたもんか?”っていう。でも、逆にみんなスイッチが入って。ピンチをチャンスに変えるというか、自分達のものにすることができたかなと思います。だから、3月から4月にかけての流れは、いろんなことがあって大変ではあったんですけど、みんなでギュっと固まれた時期だったなって」
──より一丸となっていた感覚があったと。
「ありましたね。普段はなかなか言葉にしない人達なんですけど(笑)、リハのときにみんなの不安を感じたりしていて。そういうときに、俺は“大丈夫、できるから”って言う人なんですよ。何の保証も確証もないんですけど。ただ、そうやって引っ張る人がひとりいればいいというか、自分は“大丈夫”って言う係。そういうバランスがうまくできているなと思うけど、この3月から4月は、メンバーが頼もしく見えましたね。みんな僕の2つ上なので、高校生のときに“先輩すごいな”と思っていたのを思い出すような感じでした(笑)」
──プレ公演は、2月にリリースされた『OKNW.ep』の楽曲が軸になっていたんですか?
「もちろんやりつつ、ぴあアリーナも意識しながらバランスを考えて組みました。だから、プレ公演と言えど、自分達の中ではカーニバルが始まっているような感覚でやっていました」
──昨年は20周年記念ツアーもありましたが、新しいルール内でのライヴにも少しずつ慣れてきましたか?
「そこは“自分達なりに”という感じだと思います。コロナ期間になって、まだ他のアーティストさんのワンマンライヴを観れていないので、みんながどう進めているのか勉強できていないし、正解があるのかないのかも微妙なんですけど、自分達の中では掴みかけてきたのかなと思います」
──確かに、そもそもライヴ自体に正解がない上で、より正解のないものを、という。
「そうなんですよね。ライヴはパーフェクトというものがないものだと思うので」
──新しいルールに沿ったライヴ作りについても、いろいろ話し合われたりされました?
「しました。自分達のライヴはお客さんに声を出してもらうことが多かったけど、それがまずできないので、“どうしたもんか?”というところから話し合って。でも、ボーカルが3人いるというのは大きかったかもしれないです。いつもならお客さんを煽って曲に入るところを、こっちの3人でやって、それをショーとして見せるというか。お客さんを巻き込むというよりは、ステージの中だけで完結させることができるようになってきたのかな?って。ただ、やっぱりお客さんを巻き込みたいバンドなので、ちょっと我慢しているところもあるんですけど」
──そこは本当にそうでしょうね。
「ただ、これは若い頃にはできなかったなと思いました。いい意味で衝動的にパワーを出していくのが自分達だと思うし、その強さは自分達でもわかっているつもりでいたんですけど、そうじゃなくて、ちゃんと流れを汲んで見せていくというか。そこに変な緊張はあったけど、やっぱりステージに立つ人間なので、そういう武器も持っておいたほうがいいなという感覚でやっています。制限が全部解除されたときに、衝動的な強さと、その新しいものが揃っていれば、いろんな角度からライヴを作れるようになると思うので、早くそこに持っていきたいですね」
──最新作の『OKNW.ep』についてもお聞きしたいです。タイトルの通り、今回のEPには沖縄にまつわる作品に提供した楽曲を収録されていて。20周年というタイミングで、自分達の地元と関係のあるものから依頼が立て続けにくるのもすごい話ですね。
「こういうことってあるんだなぁと思いましたね。狙ったようにどんどん来たので。なんか、引き寄せるものがあったというか」
──確かに。ただ、これまでORANGE RANGEとしては、楽曲の中で沖縄をそこまで強く打ち出してきたわけではないという発言を、メンバーのみなさんがされているのを拝見したことがあるんですけども。
「そうですね、自分達の中ではそういうつもりでいて。僕達の場合は、あくまでもテイストなんですよ。掛け声がちょっと入っていたり、三線の音が少し入っていたり。でも、4つ打ちだったりするから、全然民謡じゃないし。だから、いいとこ取りをしている感じではあるんです。それに、沖縄をより打ち出している先輩方もいらっしゃいますし」
──錚々たる方々が。
「はい。沖縄のお祭りとかでBEGINさんとかを見ていると、音を鳴らしただけで、もうBEGINなんですよ。まだ曲を始めてないのに。しゃべりも、スタジオでもこんな感じなんだろうなって思うぐらいナチュラルで。その佇まいがかっこいいんですよね。そういうのを見ていると、自分達は全然まだまだだなと思います」
──あと、沖縄を打ち出す意識はしていないけれども、暮らしている場所が沖縄だから、それが自然と出てくるところもありそうですね。
「確かに、そこは狙って出るものじゃないというか。さっき話した先輩の佇まいも、狙ってないと思うんですよ。本当にそのまま。普段の自分をナチュラルに出せる感じがいいんだろうなと思って。そこに憧れているところもあるので。人のオーラじゃないけど、そういうものは作って出すというよりも、内から出てくるものだと思うし、好きなことを追求していったら、いつかはああなれるのかもしれないなとは思っています」
──EPの収録曲に関してですが、1曲目の「Melody」は、NHK沖縄放送局「本土復帰50年」テーマソングになっていました。お話が来たときにどんなことを思いました?
「本当にいいのかな、と。50周年という本当に大事な時期のものだし、今までHYやBEGINさんもやっていたけど、ウチらが背負えるものなのか?という気持ちは、正直ありました。けど、やってほしいという熱い要望もいただいていたので、これは自分達ができる/できないの判断をするんじゃなくて、とにかく素直に、まっすぐに向き合おうと思って作っていきました。ここまでちゃんと向き合って沖縄の曲を作るのは初めてでしたね」
──制作していくにあたってどんなことを考えましたか?
「歌詞を書く上で、各々が沖縄の歴史を勉強したりして、改めて向き合ったんですけど。親から話を聞いたりもしていたので、沖縄の歴史は知っているつもりだったんですけど、やっぱり少ししか知らなかったんだなって思いました。自分達の世代は、戦争体験もしていないし、復帰した1972年にはまだ生まれていなかったけど、おじいちゃんおばあちゃんとか、戦争を経験した人からの話をギリギリ直接聞けているんですよ。なので、そこにちゃんと責任を持って、改めて話を聞いていくというか。“実は今度こういう曲を書くんだけど”という話をしたら、どんどん話が出てきて」
──どんな話でした?
「特に復帰のときは、ものすごく複雑な時代だったんだなと思いましたね。答えがないというか。復帰を喜ぶ人もいれば、そうじゃない人もいたとも言うし、場所によって得する人、得しない人がいたり、みんながバラバラで、みんなが自分の正解を持っていて。ネガティブなことも含めて、そこからいろいろな問題がありながら今に繋がっているので、これは難しいなと思ったんですけど」
──確かに。
「でも、“自分が生まれて幸せなことは何だろう?”って考えると、自分達の世代には、アメリカの基地で生まれた子達がいたんですよ。もちろんその子達も戦争に行ってないし、沖縄で生まれていて。で、週末に基地から出てきた彼らと、バスケとかしてたんですよ。その子達とは今もまだ友達なんですけど、そこに関しては人同士の関係性だし。そういうことを考えると、それもひとつの歴史になるし、そういったものも全部を拾い上げていかなきゃいけないと思って」
──なるほど。
「となると、自分が生きてきた中で見てきたものというのは、かなり大事だなと思って。自分が沖縄県民として、ひとつの答えじゃないけど、柱を持っておかなきゃいけないなと思いましたね。今の若い子とか、10代、20代前半の子とかは、こっちの話を聞いたら“そうなんだ”、また別の話を聞いたら“そうなんだ”って、葛藤しちゃうと思うんですよ。その子達に、“沖縄に対する自分の気持ちをひとつ持っておきなさいよ”って言う役割なんじゃないかなって思いました、今回の曲に関しては」
──次の世代の人達に向けて、自分が言えるのはそのことだと。
「そうですね。“人を否定せずに”ということかなって。否定が入ってしまうと、また分かれていくので。そうではなくて、自分の意思とか考え方を持っておくことが大事なんじゃないかなって思いました」
──RYOさんが沖縄のことを考えていく中で思ったことは、今の世の中にも当てはまりますね。いろんな情報が飛び交う中で、自分という軸をしっかり持っておかないといけないという。
「僕も思いました。特にコロナが始まってからは、心が弱くなっているというか。“自分にとって本当に楽しいことは何か?”とか、“何がやりたいのか?”とか、そういった当たり前のことをしっかり持っておかないと、本当にちょっとしたことで崩れていってしまうと思うので。しょうがないところもあるとは思うんですけどね。やれていたことがやれなくなるわけだから。でも、根本にあるもの、自分が元々持っていたものは忘れないでほしいなって」
──「Melody」の歌詞に関しては、様々なことを考えながらも、筆はスムーズに進みましたか?
「いや、やっぱり悩みました。それで、平和記念公園にひとりで行ったんですよ。全都道府県の(慰霊)塔、全部に手を合わせて回ったんですけど、なんか、亡くなった人達に“大丈夫だよ”って言われているような感じがして。それに対して、こっちも“大丈夫、幸せだよ”って言ってあげたかったっていうか。そこで気持ちが落ち着いたんです。自分の命と引き換えに沖縄を守ってくれた人達に対して、自分ができる一番の恩返しは、自分が“幸せだ”って、その人達に自信を持って言うことだなと思って。あなた達が繋いでくれて、自分は今生きているから、あなた達が生きた証が自分ですからって。そこでまとまってからはすぐに書けました。行ってよかったですね。行かないとわからなかった」
──2曲目の「エバーグリーン」は、映画『ミラクルシティコザ』の主題歌です。
「時期はかぶっていないんですけど、平(一紘)監督は、自分が通っていた中学の後輩なんですよ。自分達の地元から映画監督が出ていることの嬉しさもあったし、同じ地元というのもあって、ORANGE RANGEも聴いてくれていたらしく、“絶対に曲をお願いしたい”と言ってくれて。映画の撮影場所もめちゃくちゃ地元なんですよ。今でも普段よく歩いているところが舞台なので、そこに桐谷健太さんとか、沖縄でよく見る先輩の役者のみなさんがいるのは、なんか変な感じがしましたけどね(笑)」
──確かに、地元の景色をスクリーンで観ると不思議な感じがしそうな。
「なんかワサワサしますよね。本当にここでいいのかなって(笑)」
──曲としては、それこそ地元をイメージして作られたんですか?
「歌詞は映画の脚本に寄せてはいるんですけど、ロックなんだけどバラードみたいな感じにしたのは…コザにゲート通りというのがあって。週末になったら基地の人達が流れてきて、ライヴハウスみたいなところで曲をやるんですよ。コピーだったりいろんなジャンルの曲が流れていて、それがああいう曲調なんですよね」
──まさに地元の雰囲気というか。
「コザは、華やかなんだけどちょっと寂れていて、ディープな街なんですよ。さっき話した70年代とかは、それこそ複雑な場所で。コザ暴動というのが起こったりして、大変だった時期もあったけど、そこで泥臭く自分を守るというか、自分を立てるというか。そういう熱い気持ちみたいなものが、コザの先輩方にはあって。その人達がゲート通りのライヴハウスとかで頑張ってやっていたから、自分達が学生のときには、ライヴハウスがめちゃくちゃいっぱいあったんです。当時まだ高校生だったけど、高校生の日みたいなのを作って、受け入れてくれたりして。そこに集まることができたから、バンドが栄えたんですよね」
──そういう土壌があったんですね。
「そこを作ったのが、それこそ(映画『ミラクルシティコザ』にも出演・協力している)紫さんとかを見て育った世代で。あの辺の人達に憧れて、真似をして、ライヴハウスを持った世代がいて、その下の世代が自分達なんですよ。その人達のライヴハウスに出させてもらったりとかしていて」
──ミュージックタウン(音市場)ってコザでしたよね。
「そうです。ミュージックタウンも、その世代の人達がこういうものを作りたいという話をしてできたものなので。だから、先輩達がすごく頑張ってくれています」
──先輩という点でいうと、3曲目の「フイリソシンカ」は、みなさんの母校・沖縄県立北谷高等学校の創作エイサーイメージソングです。
「YAMATO以外は出身校で、他のメンバーの同級生、俺からしたら2個上の先輩が、今そこで先生をやってるんですよ。その人から、今はコロナで体育祭ができていないから、こういうことがしたいんだという話が来て。それでやろうということになりました。時期的にメンバー全員では行けなかったんですけど、HIROKIとNAOTOが見に行ったら…高校生って体育祭のときとかにダラダラしたりするじゃないですか。北谷高校って特にそんな感じなんですよ(笑)。シャキッとしなよって言いたくなるぐらい。でも、この曲でエイサーしてるときは、すごくキビキビしてたみたいです(笑)」
──(笑)。嬉しい話ですね。
「そうなんですよ。“それホントか!?”って思ったけど。嬉しかったですね」
──お話を聞いていると、3曲共通して“繋がっていくもの”というテーマが浮かび上がってきますね。
「今、30代後半なので、そういう時期なんでしょうね。自分達がバンドをやっているからとかではなくて、他の仕事をやっているみんなも、同じような感じになっているんじゃないかなと思うんです。上から学んで、若手に教えるじゃないけど、そういう立ち位置の人が多いんじゃないかなって」
──それも含めて、バンドの今という感じがします。
「素直に書いたものばかりですからね。こうやるとみんなクスっと笑ってくれるだろうなというのは、今回はしていないので。となると、やっぱり自然とこういうメッセージになっていくんだろうなって」
──20年前の自分が、20年後にこういう歌詞を書いていることを知ったら、どう思うと思います?
「どうなんだろう…やっぱり嬉しいんじゃないかなぁ。こういう歌詞を書きたいと思っていたとは思うんですよ。だけど、どれだけ書いても子供っぽくなるというのは、悩んでいたと思うので。バンドを始めたばかりの頃は、それを隠すようにふざけたり、照れ隠しみたいなこともしていたと思うから…安心するのかもしれないですね。ちゃんと大人になってるな、みたいな」
──逆に、昔の歌詞を見たときに、改めてこんなことを書いてたんだって思うこともあります?
「ありますよ。特に「花」とかは、“綺麗な歌詞でまとめてくるじゃんか!”って思いますけどね(笑)。すごい苦労したんですよ。映画(『いま、会いにゆきます』)もあったし、ひとつの単語を見つけるのに1週間ぐらいかかったりとか」
──ちなみにどの部分ですか?
「<雨上がり 虹架かり 青あらしに生まれし光>の<青あらし>です。春一番って春が来る前の嵐のことを言うけど、夏が来る前の嵐のことを青あらしって言うんですよ。で、映画が梅雨の時期の話だったから、“ピッタリだ…!”と思って。すごく覚えてますね。<雨上がり 虹架かり>と<生まれし光>はずっとあったんですけど、<青あらし>の部分だけが全然出てこなかったから、ひとりでスタジオに籠って、辞書を開いて。あの頃って今みたいに携帯とかで簡単に調べられなかったじゃないですか。パソコンも持ってなかったので。でも、よく書けたなと思います。あんなに大人っぽく、今は書けるのかなって(笑)」
──逆に今書けなくなっているかもしれない。
「逆に照れくさかったりとか(笑)。大人っぽいとはいえど、すごくまっすぐなんですよね。他の言い回しがわからない分、ストレートを投げている感じがして」
──その年齢だから書けるものというのはありますよね。そして、冒頭でも少し触れさせていただきましたが、21周年を祝したライヴ『スーパーウルトラちゅらちゅらカーニバル』を、5月14、15日に、ぴあアリーナMMで開催されます。21周年にちなんで1日21曲、全42曲をかぶりなしで披露されるわけですが、めちゃくちゃハードですね。
「まだリハで半分しかやってないんですけど、すでにハードでしたね(笑)。後半、誰もしゃべらなくなるっていう。でも、ある程度沖縄で固めてきたので、ここからまた東京でリハに入って、あとはやり込むだけです」
──セットリストはすぐに決まりました?
「いや、結構いろいろあって。みなさんが知っているような曲以外のものをメンバーそれぞれ出したんですけど、“カーニバルだ!騒げ!”っていう感じじゃなくて(笑)。それで悩んでました」
──それこそ去年から始めた、見せるパフォーマンスのことも大きいんでしょうか。
「そこもありますね。あと、シングルに夏の曲が多いので、そことのバランスを考えたんだと思うんですよ。ただ、全員がバランスを考えた選曲をしちゃって(笑)。でも、大丈夫だと思います」
──あと、ゲストで吹奏楽部やダンス部の学生さんや、ゴスペルチーム、エイサー、ストリングスが参加されることになっていて。賑やかなステージになりそうですね。
「学生さんを入れるようになったのは、8年前ぐらいだったかな。ツアーで地方を廻ったときに、地元の吹奏楽部の子達を入れ始めたのがキッカケで。最近はダンスも体育の授業に入るようになって、ダンス部もできてきたから、ダンサーも入れようかなって。ゲストのみなさんには、一番いい演出をしてあげたいですね。だから、どの曲をやって、どういう入り方をして…というのは、最後までずっと考え続けると思います」
──今回のライヴは、U-NEXTで独占配信されることになっています。取材の前に少しお話ししていたら、RYOさんは普段からU-NEXTを利用されているそうですね。
「今日はジム・キャリーの『イエスマン』を観てきましたよ(笑)。最初はリーダーが使ってたのかな。移動中の飛行機でずっと映画を観てたから、いいなと思ってたんですよ。で、話を聞いたら、U-NEXTでダウンロードして観てるって言ってて。それで俺も入ったんですけど、もう何時間移動でも大丈夫です」
──移動が苦じゃなくなりますよね。
「そうなんですよね。むしろ(時間が)足りないと思っちゃう。映画の途中とかだと、“もう着くの?”みたいな」
──なんならちょっと到着遅れないかなっていう(笑)。ぴあアリーナMMでのライヴ以降も、いろいろと予定は考えられているんですか?
「そうですね。イベントごともいろいろあって。ライヴの1週間後にアコチル(『ACO CHiLL CAMP 2022』)に出るので、また全然違うことに取り組んだりとか」
──だんだん日常を取り戻している感じが出てきましたね。
「ほんとそうですね。今日沖縄から飛行機で来たんですけど、久しぶりに見ました、あんなに賑やかな空港」
──2022年後半はどんな活動をしていきたいですか?
「あんまり大人になりすぎないというか。自分達らしさみたいなものを取り戻しつつ、というのがいいのかな。どのバンドやアーティストもそうだけど、この2、3年は、自分達がどうしていくかを話すキッカケになる期間だったと思うんですけど。そうなったときに、変わりすぎて、渋みが入りすぎないようにしたいというか。ちゃんとORANGE RANGEらしさは取り戻していきたいですね。もうすぐ夏も来るので」
取材・文/山口哲生
Live Photo 撮影/西槇太一
Release InformationORANGE RANGE『OKNW.ep』
2022年2月23日(水)発売
VIZL-2017/2,970円(税込)
ビクター
Live Information
ORANGE RANGE ㊗️21周年! スーパーウルトラちゅらちゅらカーニバル -ORANGE DAY-
<日程> 2022年5月14日(土) -ORANGE DAY-
<会場> 神奈川・ぴあアリーナMM
<時間> 開場17:00/開演18:00(予定)
ORANGE RANGE ㊗️21周年! スーパーウルトラちゅらちゅらカーニバル -RANGE DAY-
<日程> 2022年5月15日(日) -RANGE DAY-
<会場> 神奈川・ぴあアリーナMM
<時間> 開場15:30/開演16:30(予定)
U-NEXT『ORANGE RANGE ㊗️21周年! スーパーウルトラちゅらちゅらカーニバル』
<独占見放題>
●『ORANGE RANGE ㊗️21周年! スーパーウルトラちゅらちゅらカーニバル -ORANGE DAY-』
配信時間:5月14日(土)17:30~ライブ終了時間まで
●『ORANGE RANGE ㊗21周年! スーパーウルトラちゅらちゅらカーニバル -RANGE DAY-』
配信時間:5月15日(日)16:00~ライブ終了時間まで
●見逃し配信:見逃し配信の準備が完了次第〜2022年5月22日(日) 23:59
【会場名】
ぴあアリーナMM
【視聴可能デバイス】
・スマートフォン / タブレット(U-NEXTアプリ)
・パソコン(Google Chrome / Firefox /Microsoft Edge / Safari)
・テレビ(Android TV / Amazon FireTV / FireTV Stick / Chromecast / Chromecast with Google TV / U-NEXT TV / AirPlay)
※ライブ配信には1時間に最大約5.5GBの通信量を消費します。当日はWi-Fi環境での視聴を推奨します。
<U-NEXT内ORANGE RANGE作品特集>
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