昭和歌謡をこよなく愛する大人の感性と、その大人を拒絶する反骨精神、地元を飛び出し渋谷でギャルとして生きる奔放さを併せ持った、札幌出身の異端児が、流しでの47都道府県制覇を経て、201951日、「ヨコハマ・ヘンリー」でビクターからメジャーデビューを果たした。その名は、おかゆ。すべては、37歳にして旅立ってしまった母のためだった。約6年間の地道な活動の後、文字通り自問自答を重ねて独立し、King & Princeの「シンデレラガール」、中島みゆきの「時代」などを手がけたことでも知られる船山基紀をアレンジャーに迎えた、渾身のニュー・シングル「ジモンジトウ」で新たな道を歩き始めた本人に、話を聞いた。

──音楽の原体験が、スナックだそうですね。

「はい。物心ついた時には、スナックにいました。母のお腹の中にいる頃から行っていて、オギャーと生まれてきたら、そこもスナックだったという感じでしょうか(笑)。とにかく歌が好きで、歌手になるのが夢だった母が、お酒好きだったこともあって地元の札幌にあるスナックに通っていて、私も連れていかれていました。世代的に知らないはずの演歌や歌謡曲、ムード歌謡なのに、“どうして私が知っているんだろう?“という曲がやたら多いのは、そこで耳にしていたからだと思います」

──特に好きだった歌手は、いたのですか?

「高橋真梨子さんの曲を歌っている母の姿ばかり見ていたので、自然と私も真梨子さんが好きになっていました。私の人生のBGMです。母は37歳で亡くなったんですけど、それからは自分でCDを買って聴いていました。生きていたころは共有していなかったというか…“私も好き”とか言ったことがなかったですし、真梨子さんの曲を母の前で歌ったことも1度もありませんでした。母が生きていたら、今も歌っていないと思います。それは断言できます。亡くなってから、母の夢を叶えるために歌い始めたので…」

──不仲だった、ということなんでしょうか?

「私が一方的に拒絶していました。それで渋谷に出てきたんです。反発というか反抗というか、ギャルになりたくて(笑)。母が生きている間は、ずっと拒絶していましたね」

──若くして急逝したことも大きいのでしょうが、そのお母さんの夢を叶えたいというのは、屈折した愛情、みたいなものなのでしょうか?

「そうですね。正直、母が亡くなってからの記憶が3ヶ月ほど曖昧なんです。受け入れられなかったというか、後悔の念みたいなものがそうとうヤバかったです。“なんでこうしてあげられなかったんだろう”、“ああしてあげられなかったんだろう”って。失ってから気づくんですよね…。とても後悔しました。そこで、自分の好き勝手ばかりやって上京したんだから、ここからは“母の夢を叶える”、“歌手になるんだ”って決意しました」

──なるほど。

「それで、3ヶ月くらい、ふさぎこんでしまって家から出られなくなっていたので、まず、“外に出なきゃいけない”と思ってカラオケに行ったんです」

──渋谷でですか?

「平和島です(笑)。今は渋谷に事務所がありますけど、当時、家賃も高くて渋谷には住めなかったので。その時に高橋真梨子さんの曲を歌ったら、それまで抱いたことがないような感情があふれ出てきて、涙どころかもう、嗚咽で歌えなくなったんです。“歌手になりたかったって、いつも言っていたな“とか、”夢だったのに諦めたんだな“とか、拒絶していたことへの後悔とか…いろんな気持ちがどっと押し寄せてきちゃって」

──そこから、どういう経緯で流しを始めるのですか?

「いろんなオーディションを受けたりもしたんですけど、なかなかうまくいかなかったんです。高橋真梨子さんの曲を歌っていた私は、“演歌を歌う女の子“と思われていたんです。真梨子さんって演歌ではないんですけど、当時はそれこそギャルばかりで、”演歌歌手はいらない“みたいな感じで、一般投票で落とされることが多かったです…厳しかったですね。だから”20歳になってダメならやめよう“と思ったんですけど、やめられなくて、最後の賭けだと思って”スナックで流しをしよう“と決心しました。こっちから歌いに行けば、聴いてくれる人がいるかもしれないですし、そうすれば、もしかしたら歌手の道につながる可能性あるかもしれないと思って」

──スナックでの流しというのは、具体的にはどのような活動なのでしょうか。


「基本、アポナシの飛び込み営業です。ギターを抱えて。マネージャーもいないので、担当者連絡先として自分の携帯番号を入れたチラシを作って、それを持って夜中の2時3時まで、1日20軒、30軒とスナックを回っていました」

──宿はどうしていたのですか?

「カプセルホテルとかです。宿代と交通費を稼ぐまでは、帰りませんでした。知らない曲があると怒られるので、レパートリーも増やしながら、必死にやっていました。気づいたら47都道府県、全て回っていました」

──おかゆさんは、その時…。

20代前半です。青春を全部、捧げました」

──それはなんというか、とんでもないド根性ですね。

「(爆笑)。母親のためと思ってやっていましたけど、もしかすると、母に何もしてあげられなかった自分に対する戒めもあったかもしれません。償いというか…。歌手なりたかった母に代わって、毎日私がいくらでも歌うからっていう。“母の夢だった”と言っていますけど、実はあながち夢でもなくて、母は弦哲也先生にスカウトされてもいたんです」

──えっ!?

「祖父に反対されて諦めたと、母からは聞いていました」

──なんと…。

「さらに、その後、衝撃の事実が判明したんです。最初にお話しした札幌のスナックのマスターに、2年前に再会することができたんですけど、マスターが言うには、スカウトを断ったのは私が生まれたからだったそうなんです。新しい命を授かって、それどころではないと、ちゃんと自分で育てていかないといけないと…」

──メジャー・デビューした時は、お母さんには心の中でどう報告したのですか?

「“あなたの夢を叶えたよ。でもこれが私のゴールじゃないから、一緒に頑張ろうね”という感じでした。そこでゴールしちゃったら、ただの自己満足ですし、ずっと応援してきてくださった人たちがいるからこそなので、しっかり恩返しをしないといけませんから」

──おかゆさんは、カバーもとても重視していますが、独自の世界観を表現するのと同時に、昭和の名曲を歌い継いで次の世代へ伝えていきたいという想いも強いのでしょうか?

「わ〜、まさにそうなんです! ありがとうございます。そういう意識でカバー・アルバムをリリースしていますし、日本の名曲を大事にしたいんです。それに、流しは幅広い世代から幅広い年代の曲のリクエストをいただくので、演歌、歌謡曲だけではなくて、なんでも歌えないといけないんです。だから、それを示すためにもやり続けたいと思っています」

──そして今回のニュー・シングル「ジモンジトウ」は、おかゆさん流のJ-POPとも言える楽曲ですね。

「この間に以前所属していた事務所から独立しまして…えっと、何かやらかしたとかそういうことではなく(笑)、いろいろと自問自答を繰り返して決断したことでした。今も自問自答の繰り返しなんですけど、そういう自分を鼓舞するために書いた曲です。悩んだ末に決断したんだから、ここからは前に進んでいくだけだっていう。誰でも自問自答ってすると思うんですけど、重く考えたり、ネガティブになったりすることも多いじゃないですか。その時に、“でも、〇〇かも”、“でも、〇〇じゃん”って、救いや希望を見出そうとしますよね。そういう音楽が、あったらいいなと思ったんです。そういう曲になってほしいです」

──自身を鼓舞しつつ、聴いてくれる人の背中も押せるような曲に、ということですね。

「そうです。悩んだり迷ったりするのって、自分自身とちゃんと向き合っているからだと思うんです。真剣に生きている証しというか…。みんな頑張っているんですよ。偉いんです、生きていること自体が。私も自問自答しながら、皆さんと明日に向かって歩いていきたいですし、少しでも皆さんの心の重荷を軽くするような曲になってくれたら嬉しいです」

──船山基紀さんのアレンジというのは、おかゆさん本人の希望だったのですか?

「はい。ずっと憧れていた編曲家さんで、面識はなかったのですが、今回ディレクターさんが直談判してくださって、ご快諾いただきました。本当に嬉しかったです。シャイニ〜!っていう感じの、イントロから“陽”になれるアレンジで、詞とメロディをより引き立ててくださりました。今まではちょっとスカしてというか、抑えた感じで歌に入る曲が多かったので、これはニューおかゆですね(笑)」

──カップリング曲が違うG線上盤、シブヨル盤、桑名盤の3パターンを、ジャケ写も変えて発売するというのもユニークですね。

「G線上盤のカップリング曲「G線上のマリア」は、ご存じの通りバッハのクラシックの名曲に歌詞をつけた曲で、平和や愛をテーマにしています。私のレパートリーに、「戦メリ」(※映画『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲)に歌詞をつけた曲があって、それをリリースしたかったのですが、権利の問題でできなくて…。クラシックなら問題ないということだったので、この曲が一番、みなさんに届きやすいと思って、同じような観点から歌詞を書きました。シブヨル盤のカップリング曲「シブヨル」は、若い方や同世代の方に向けて、“遊び心で振り切っちゃおう!”と思って作った曲です。この曲もニューおかゆです(笑)。そして本格的な演歌・歌謡曲を本気で歌うおかゆが、桑名盤のカップリング曲「桑名の渡し」です」

──面白い試みですね。最後に、現時点での目標をお聞かせください。

「歌謡曲や演歌が好きな方にも、それ以外のジャンルが好きな方にも、愛してもらえるシンガー・ソングライターになりたいです。心機一転、新境地、新事務所、新社長ですし(笑)、“頑張らないと!“と思って魂を込めた「ジモンジトウ」が、少しでも新たなリスナー層に広がってくれたらと願っています。ずっと歌謡曲にこだわってきたので、J-POPで世界を広げてまた歌謡曲にも戻ってきたいです。演歌男子。の皆さんが、頑張ってJ-POPとクロスオーヴァーしてきているので、歌謡曲女子。として、そういう存在を目指していきます!」

(おわり)

取材・文/鈴木宏和
写真/野﨑 慧嗣

RELEASE INFORMATION

おかゆ「ジモンジトウ」G線上盤

2025年6月18日(水)発売
VICL-37783/1,500円(税込)
Victor

G線上盤

おかゆ「ジモンジトウ」シブヨル盤

2025年6月18日(水)発売
VICL-37784/1,500円(税込)
Victor

シブヨル盤

おかゆ「ジモンジトウ」桑名盤

2025年6月18日(水)発売
VICL-37785/1,500円(税込)
Victor

桑名盤

「おかゆーせん」-USENがお届けするオリジナル番組!

おんなギター流し・シンガーソングライターのおかゆとUSENがコラボした昭和歌謡を思いっきり楽しんでいこう!という番組。題して「おかゆーせん」
昭和歌謡の名曲や、流しの旅のエピソード、弾き語りもありの30分。

そして続いての30分はDJ OKAYUとしても活動するおかゆが選曲する昭和歌謡のプレイリストをお届け!
さぁ、一緒に昭和歌謡の旅を楽しんでいきましょう!

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番組放送内容から収録風景、動画の更新をお楽しみに!!
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