──まずは、この映画が製作された経緯を教えてもらえますか?

日比遊一「以前から僕は、“うた”の持つ力についてメッセージを込めた映画が作りたかったんです。というのも、これまで人類は天災や戦争、そしてコロナ禍のような困難において、“うた”の力で救われてきた部分が多かったのではないかと思っていて。もちろん、“うた”をテーマにした映画は過去にたくさん作られてきましたが、それとは全く違う視点からの作品が、自分なりに作りたかったんです。そんなことを考えていたとき、縁あって中村耕一さんと遥海ちゃんに出会いました。プロの俳優さんにお願いするより、映画や演技の経験がない二人にしか出せない空気感が、本作を全く新しい映画にしてくれるのではないかとその時に思ったんです。なので、二人との出会いがこの『はじまりの日』を作る上で、大きなきっかけになったのは間違いないですね」

──「男という役は……半分くらい僕ですね。実話に近いところもあります」と中村さんが評されていましたが、男の設定を考える上で、日比監督が特に意識したことはありましたか?

日比「実は最初に中村さんにオファーをした時は、断られてしまったんですよ。これまで演技などしたこともないし、ミュージックビデオへの出演すら自分には無理と言い続けてこられたそうなんです。ならば、中村さんご自身を演じてもらうのだったらどうだろう?と。演技をする必要もなく、ただその場にいてくれればいい。それを僕が映像にうまくはめ込んでいくやり方なら、中村さんもいくらかやりやすいのではないかと考えました。結果、すごく自然に演じてくださいましたね。遥海ちゃんもそう。自分でもまだ気づいていない才能にあふれた人なので、その才能が映像に刻まれることで、映画としてのストーリーが形になったと思います」

──今、監督がおっしゃったように中村さんはオファーを何度か断られたとお聞きしました。最終的に、受けようと思った決め手は何だったのでしょうか。

中村耕一「監督には何度も足を運んでくださって、そのたびにお断りするのは本当に申し訳ないなと感じていました。しかも、自分の中でだんだんと「これは本当に、望んでできるような体験じゃないな」と思い始めてきて。ただ最終的な決め手は、セリフを極力少なくしてくれたことです(笑)。それなら一つ、挑戦してみようと決意しました」

──中村さん自身が経験されたことと、映画の内容が重なる部分もあったかと思います。例えば、JAYWALKのライブ映像が回想シーンに使われていて、役柄と重なる部分もありましたが?

「やりやすかったですね。当時のことや事件のことを色々と思い出しましたし、思い出した方がいいという気持ちもありました。監督さんとお会いしている時に、僕も過去のことは全部洗いざらいお伝えしたんです。というのも、アメリカに30数年いらっしゃった監督は、JAYWALKのことも、僕ら唯一のヒット曲である「何も言えなくて…夏」も、全く知らなかったんですよね。僕の過去を知っている状態で今の僕の歌を聴いてもらうのと、全く無垢な状態で聴いてもらうのとでは、やっぱり違うじゃないですか。僕を知らない状態で歌を聴き、その上で評価してもらえたことは、本当に冥利に尽きるというか、ありがたいことでした」

──遥海さんも、統合失調症の母を持つ女という非常に難しい役どころを演じていました。

遥海「最初は“夢を追いかける人の話”としか聞いていなかったんです。しかもオファーをいただいたのがコロナ禍の真っ只中で、奇しくも私は2020年にメジャーデビューを果たしたので、本当に大変な時期だったんですよね。なのできっとこの映画も実現しないだろうな……って半分諦めていました。だって変に期待しちゃうと、ポシャった時に期待した分がっかりするじゃないですか(笑)。それが嫌で、ずっと半信半疑でいました。結果的に、オファーをいただいてから実際の撮影までにかなり長い時間がかかったんですけど、台本をもらって初めて自分が演じる役を知った時は、驚きと共に“これって昔の自分と似ているな”と思いました」

──例えばどんなところが?

遥海「私もこの映画の女のように、目の前のことと戦わなければならないために夢を諦めかけたことがあったんです。もちろん、置かれている立場や家庭環境は全く違うけど、あの時の自分の気持ちを役柄に置き換えることができるんじゃないかと。そう考えると、あの時の大変だった時期を乗り越えられたのは、この映画に出会うためだったんじゃないかとさえ思えてきて(笑)。半信半疑のまま実際に撮影が始まって、無事に完成し公開されることになって本当に嬉しいです」

──物語の舞台を名古屋にしたのはなぜですか?

日比「僕、名古屋の出身なんですよ。ニューヨークに移り住んだ時には二度と故郷に戻らない決意でいたのですが、50歳を過ぎてまた日本へ戻ってきて、名古屋へ行く機会も増えてきたんです。そうすると、やはり故郷に対して何かしらメッセージを残しておきたいと思うようになってきて。今回も名古屋以外で考えることはなかったですね。おかげで中村さんにもお会いできたわけですし。ちなみに、最初中村さんにお会いした時は、歌っている姿ではなく普段の姿だったんですよ。短パンにTシャツ姿で(笑)。この人がロックスター?って、こっちも半信半疑になるくらいおじさんまるだしで(笑)。でも実際に歌い始めると、そのギャップがものすごく衝撃的だった。“このギャップを映画に落とし込めたら、すごくドラマチックな作品になる”と」

──ギャップ、ですか。

日比「だって、そうじゃないですか。この映画で最初に中村さんが登場した時、JAYWALKの全盛期を知らない若い方たちは、“え、この人が歌えるの?”って思うはずですよ。実際、共演者のみんなも半信半疑でした。岡崎紗絵ちゃんなんて“本当にあの人が歌うんですか?”って(笑)」

──遥海さんは、JAYWALKや中村さんの歌をご存じだったんですか?

遥海「私、フィリピンで生まれ育って13歳の時に日本に来たのですが、当時は日本語もできなかったし、日本のカルチャーのことも全く知らなくて。なので映画が決まって中村さんのライブに行った時に、その歌声を聴いて“え!マジっすか?”って(笑)。本当にびっくりしました」

中村「僕も遥海さんとの共演が決まって、東京でコンサートがある時に、じゃあ、見に行ってみようと家族と一緒に遥海さんのライブを見に行ったんです。実際に歌っている姿を見て尻込みしましたね。これ、共演なんてできないよ……って(笑)。彼女はまさしくディーヴァだし、こんな俺が共演してもいいんだろうか?としばらく悩みました」

──映画の中にミュージカルの要素を入れたのは、どんな意図があったのでしょうか?

日比「この映画をミュージカルと言うと語弊があるかもしれないので、僕としては現実とファンタジーを行き来する“うたファンタジー”とカテゴライズしています。まだあきらめない、世代も性別も違う二人の物語が進んでいき、一歩踏み出す勇気が、未来を変える第一音になる。どんな小さな歩みでも、それがやがて旋律となって、その人なりの物語が奏でられる。そういう作品にしたいと思っていました。なので、ベースとなるストーリーの中で“うた”が行間を埋めるような、歌詞がその間に込められるような作品にしようと思いました。ミュージカルのように突然違う世界へと誘(いざな)うのではなく、歌詞には主人公のリアルな気持ちが込められている。そんな“うたファンタジー”にしようと」

──劇中歌がどれも素晴らしかったです。

遥海「私が2019年に作ったアルバム『CLARITY』の中から選んだ「記憶の海」なども使っていただきましたが、ほとんどすべての歌詞を監督自身が担当されました。作曲とプロデュースはMayu Wakisakaさんで、自分の歌いやすいレンジに合わせて作ってくださったので、全曲とても楽しく歌えましたね。どこか懐かしい雰囲気というか、昔の自分が尊敬していたアーティストたちに通じるところもありましたし、私のルーツがすごく入っていたのも嬉しかったです」

──中でもMIRAI TOWERのふもとで繰り広げられる、大人数でのダンスと歌唱が圧巻でした。

日比「大変でしたね。1日しか場所を借りられなかったので、雨が降ったら最悪。許可を取るのにも1年くらいかけましたから。あの場所であれだけの撮影をするのは最初で最後になるんじゃないかと思います(笑)。このシーンも含め、全体を絵本のような映画にしたかったんですよ。昨今、巷には複雑な映画が溢れていますが、今回僕が目指したのは、あらすじを一言で言えるような映画です。例えば、中村さん演じる男や、遥海さん演じる女が暮らしているアパートには、いわゆるマイノリティが助け合って暮らしている。老人やLGBTQ、障がいを持つ人や黒人が住んでいて、そこで中村さんと遥海ちゃんが「beginning」という曲を歌うシーンは、まさにこの映画のファンタジー的な要素を象徴していると思います」

──中村さんが特に印象に残っているシーンは?

中村「どのシーンも印象的でしたが、“俳優さんって本当にすごいな”と改めて感じたのは、遥海さんのお母さん役の高岡早紀さんから思いっきり罵倒されるシーンです。本気で罵倒された気持ちになって、その日は本当にちょっと落ち込んで、泣きましたよ(笑)。俳優さんたちって、本当にスイッチの入り方が違うんだなと感じました」

──作品の見どころのひとつでもあると思うのですが、男が居酒屋で友人を追悼するために歌うシーンは、映画の流れを変えるスイッチのような役割を果たしていましたね。

中村「あのシーンは、自分の中で一発で決めなきゃいけないプレッシャーがあって、余計に力が入ってしまいました。実は、十数年前に実際にあったことなんです。東日本大震災が起きた直後に、僕も物資を運ぶ手伝いをしていたんですが、被災地に行った時にお寺に宿泊させてもらったんです。すると住職から“明日のお葬式で歌ってくれませんか?”と言われて。最初は僕が歌うなんて弔いになるわけがないと思ったんですが、住職がどうしてもと折れなくて、最終的に歌わせていただきました。それが事件以降、初めて人前で歌った瞬間だったんです」

日比「そのエピソードを中村さんから伺った時に、ぜひ映画の中に盛り込みたいと。本当に心に残る話でしたし、中村さんに無理なく演じてもらえると思いました」

──遥海さんはどんなシーンが印象に残っていますか?

遥海「私は今までミュージカルしかやったことがなくて、ミュージカルは物語が進む中で気持ちを作っていけるので、気持ちの整理がしやすかったんです。でも、映画は流れで撮らないので、最初にクランクインしたシーンが母親役の高岡早紀さんとの喧嘩のシーンだったんですよ」

──いきなりあの壮絶なシーンからですか?

遥海「そうなんです。一番きついシーンから入らなければいけなくて、どれくらいやっていいのかも分からない。高岡早紀さんはすごく優しい方なのですが、アクション!という掛け声がかかった瞬間モンスターのようになるんです(笑)。それが本当に怖くて、劇中で私が叫んでいる声は本物の悲鳴ですね。俳優さんって本当にすごいエネルギーを持っているんだなと思いました。個人的に、中村さんを責めるシーンもすごくきつかったです。中村さんが“この映画の半分は本当だ”と言っていましたが、その本当の部分を責めているようなシーンでもあったし、もし自分があんなふうに言われたら絶対嫌だなって。しかも中村さんが、そんな私をただ静かに受け止めるんですよ。もう二度とやりたくないなと思うくらい心がえぐられました」

──人は何かしら強いプレッシャーやストレスを感じると、他者に対して攻撃的になってしまうことってあると思うんですよね。あのシーンはとても重要だと感じました。

遥海「監督からも、“このシーンが撮れなかったら映画は完成しないからね”と言われたんですよ。それが余計にプレッシャーで。演技とはいえ、こんなに酷いことを人に対して言わなければならないのか、今までそれを頑張って言わずに生きてきたのにって。自分の安全地帯から出るってこういうことなのか……と。いい経験にはなりましたし、忘れられないシーンです」

──世代も性別も違う二人が音楽を通して交流する映画だと思いますが、どんな人に見てほしいか、どんなふうに感じてほしいか、それぞれお三方にお聞かせいただけますか?

日比「最初に言ったように、人は人生の中で一歩踏み出す勇気を持つことが大事だと思っています。次に繋がるためには、その一歩が必要です。そのことを多くの人に伝えたいと思っているので、年齢や性別に関係なくいろんな方々に観てもらいたいですね」

中村「生きていると、叶わないことや諦めなきゃならないことってたくさんあるんですが、それでも諦めないことが大切な時もある。そのことを映画を通して伝えたいですね。僕自身、この映画のポスターにも使われていますが“本当はあきらめていない”という言葉に心を動かされました。あの事件からしばらくの間、僕はもう音楽やめよう、諦めようと強く思っていたけど、どこか心の中では諦めていなかったんだな……と。演じながら、そのことに気付かされた映画でしたね」

遥海「私は、夢を持っている人に見てほしいなって思っています。夢を持つことは何歳になっても遅くない。諦めたけど、本当はまだ叶えたいという気持ちが残っている人たちにも、この映画を観てほしいです。この映画では20代の女と70代の男が夢を見るのですが、みんなそれぞれタイミングがあるんだなと思いましたね。中村さんがおっしゃっていたように、諦めないという気持ちがあれば、いつか必ずチャンスが訪れるのだと。私が演じた女は、自分のことなんて誰も見てくれていないと感じて生きてきたけど、それでも音楽がそばにあったからこそ救われて、出会いが生まれたんです。誰かが絶対に見てくれているというメッセージが、この映画には込められていると思いますね」

(おわり)

取材・文/黒田隆憲
写真/野﨑慧嗣

MEDIA INFO『はじまりの日』2024年10月11日(金)全国ロードショー

監督/日比遊一 
出演/中村耕一、遥海、高岡早紀、山口智充、岡崎紗絵、竹中直人
配給/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

『はじまりの日』

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