──最初に音楽との出会いからお伺いできますか?

「物心ついたときから音楽はずっと好きでした。4歳の時にダンスを始めたんですけど、その頃から音楽が大好きで、次は歌いたいに変わってきて。歌をしたいってずっと言って、小1の時からやっと歌のレッスンを受けさせてもらえるようになって。その頃からもうずっと歌ってますね」

──どんな音楽が好きでしたか?

「家では絢香さんやコブクロさんが流れていたので、小学生の頃は両親が好きな曲を一緒に聴いていました。両親ともに音楽が大好きなので、その影響は強いと思います。学校に行って、帰ってきてからは歌の練習をして…という生活を毎日送っていて。父と母にも“歌手になれたらいいね”って言われていたので、もうその時から歌手になりたいなと思ってましたね」

──10歳の時に様々なオーディションに参加して、グランプリや特別賞を受賞してますね。

「コンテストやオーディションもたくさん出ていました(笑)。たくさん受けていたので、予選で落ちちゃったこともあるんですけど、すごく負けず嫌いの性格なので、毎回、泣いてましたね。いつも“絶対に勝ちたい!”っていう気持ちで挑んでいるなかで、ありがたいことに何度か優勝させてもらえたこともあって。ただ、今、振り返ってみると、当時はただ歌が好きで、楽しくてやってるっていう感覚の方が大きかったかもしれないです」

──その後、11歳の時には“歌うまキッズ”として、テレビにも出演していました。

「あのときは、父がやりとりしてくれていたので、気づいたらもうスタジオにいたっていう感じでしたね。そこまで深く考えずにいたし、どこか夢みたいな感じもあって。今、思うと、よく小4や小5でスタジオで歌えてたなって思うんですけど…」

──小柳ゆきさんの「あなたのキスを数えましょう」を歌ってましたね。

「“歌がうまい人しか歌えない”っていうイメージの曲だったので、あの曲を歌いこなせるようになりたいってところから始まったんですよね。当時は主にカバー曲の練習をして、少しだけ自分で作詞作曲をするっていう日々でした」

──作詞作曲を始めたのは?

「オリジナルをSNSにアップし始めたのは中学生になってからなんですけど、小学5年生の時から曲作りを始めていたんです。父に“自分で曲を作ってみたら?”ってずっと言われていて。あんまり興味がわかなかったんですけど、その言葉がどこか脳裏にあったのか、小5の冬にふと、“作ってみたいな”と思って作り始めたのがきっかけですね。小4から曲作りのためのコード進行を習うピアノ教室に通っていたので、ピアノで作ったのが最初の曲です」

──どんな曲でしたか?

「<どうすれば夢にたどり着くの?>っていう歌詞から始まる、「どうすれば?」という曲でした。バラードで、ピアノ一本でしんみり歌ってました。小5にして、すごい病んでるような歌詞を書いた曲なので、恥ずかしくて家族にしか聞かせたことないんですけど(笑)」

──(笑)14歳、中1の頃からキーボードで弾き語りをされていますね。

「そうですね。その頃から曲を本格的に作り出して。当時様々な方とやりとりしていく中で1回挫折をしちゃって、“曲を作るのはやっぱり向いてないかも…”って思った時期もありましたね」

──そこはどう乗り越えたんですか?

「一番は周りの環境ですかね。ファンの皆さんはもちろんなんですけど、家族の存在が大きかったかな?と思います。私の家族って慰めてくれるタイプではないんですよ(笑)。“いや、お前、やるって言ったのにそんぐらいなんかよ!?”っていう圧をかけてくる方なので、“やってやるぞ!”って気持ちで頑張っていましたね。一時期、“歌は好きだけど、もう歌手を目指すのはやめようかな?”とか思ったときもあったんですよ。でも、その度に、“やっぱり自分には歌が必要だな”って思ったし、“応援してくれている人たちに、私の最終目標である大阪城ホールに立ってる姿を見せたい、一緒に共有したい”っていう思いは変わらなくて」

──大阪城ホールに立つという夢はいつ頃に定めましたか?

「中学生の頃からふんわりと思っていたんですけど、高校生の時にONE OK ROCKさんのライブを見に行ったんですよ。その時に“私もここでライブがしたい!”って思って。地元が関西なので、“夢は大阪城ホールだな!”っていうふうに決めました」

──高校生になって、ご自身が生み出す曲は変わっていきましたか?

「そうですね。歌詞に関してはずっと、“キャッチーで、同世代のみんなに共感してもらえる身近な気持ちを書きたい、きれいごとじゃないリアルを書く”っていう姿勢は変わらないんですけど、高校生になると周りがちょっと大人の恋愛をするようになって。友達の失恋話を聞いて、そのまま題材にしてみたりとかしていました。あと、中学生あたりからロックにハマりだして、ONE OK ROCKさんをすごく聴くようになって。高校ではバンドサウンドに憧れていた時期だったので、エレキギターを習ってみたりしていましたね」

──高校1年生の時にはエレキを弾いてましたね。

「そうですね。中学を卒業してすぐにロック調の曲作りを始めてみたり、そのときは“中学3年間、AYANEは何をしていたんだろう?”ってすごく思っていたんです。3年間で全然結果が残せなかったし、“なんか悔しいな”っていう気持ちから曲を作っていましたね」

──でも、ポジティブなメッセージも詰まってますよね。

「自分では“無駄”って思っている3年間も、最終的に成功すれば、“あの時期も貴重な挫折の時期になるな”と思って。そんな気持ちも全部詰め込んでいました」

──ここまでのディスコグラフィーを振り返ってみると、サウンドの変遷もわかりますね。ピアノの弾き語りのバラードから始まって、青春ギターロックがあり、次第に打ち込みベースのR&Bになっていく。

「それも自然な流れですね。そのとき自分がやりたいと思ったものをやっている結果が今なんですけど、“自分の心に正直に生きる”っていう姿勢はずっと大切にして音楽活動をしています」

──2021年もまた新たなスタート感が出てます。

「上京した年ですね。春から上京する話も決まっていて。その時はまだ高校生だったので、まず1人で暮らしていくっていうこと自体不安だったんですね。プラス、東京で、知らない大人の人たちと過ごしていくのか…と。だけど、“こんなところで負けてられない!”っていう自分の決意を表した曲を作ってみたり。あと、上京する前にライブをしたいと思っていたので、そのときのライブに歌える曲、みんなに届けたい曲っていう意味で作った曲もあります」

──上京するときはどんな心境でしたか?

「家族と高校の友達が新幹線の乗り場まで送ってくれて。普段全然泣かないおじいちゃんが、陰で泣いていて…それに感動して、私も泣いちゃって。みんなに見送ってもらって、旅立ちました」

──東京に来て、何か変わりましたか?

「楽曲の制作のスタンスは2021年時点ではまだ変わっていなかったんですけど、心境の変化がすごくて。遊ぶ友達もいなかったし、外に出て人と関わる機会がすごく減っちゃって。ちょっとネガティブな時期に入ってしまって。メロディも全然いいのが思い浮かばないから、“1回、実家に帰ろう”と思って…早いんですけど(笑)、5月に2週間ぐらい実家に帰えったんですよ。“ここだったら、ずっと曲を作ってきた場所だし、メロディも浮かぶかも”と思って、実家に帰って曲作りをしていたんですね。友達と遊びに行って、エネルギーをチャージして、曲を作って…“この感覚だ!”って思い出して、“よし、いける”と思って、また東京に帰ってきて。そこからはリズムよく作っていけるようにはなりましたね」

──そして、2022年に入って、新たな転機を向かえていますね。サウンドがガラッと変わりました。

「中学校から高校ぐらいまで、“自分のやりたいジャンルってなんだろう?”っていうのを6年間ぐらいずっと迷ってきて。いろんなものに挑戦しつつ、“どれも好きだしな”っていう中で、今のサウンドプロデューサーである西 陽仁(Haruhito Nishi)さんと出会って。そこからやっと、“これだ!!っていう理想の音楽のジャンル感というか、形が明確になった気がしますね。だから、西さんと初めて作った「泣きたい夜」は自分の中では大切な曲になっていて。上京したときの心境をそのまま自分に当てはめて書いた曲なんですけど、そのときのことも思い出すし、TikTokで一番、皆さんに使っていただいた曲なので、新しいファンの方との出会いって意味でもすごい大切な曲です」

──2022年7月にリリースされた「泣きたい夜」をきっかけにTikTokのフォロワーが39万人を超えて、YouTubeでも113万回の再生を突破してます。ご自身ではどう感じてますか?

「小学生でテレビに出ていて、あの頃に注目されていたのが頭に残っていたんで、ちょっと悔しさがあって…。“過去の自分に負けているのは悔しいな”って気持ちもあったんで、TikTokがバズったときに、“まだ求めてもらっているんだ”っていう嬉しい気持ちがありましたね。でも、自分のオリジナル曲がそんなに再生数が伸びるのは、“まだ夢なんじゃないか?”って思うぐらい実感がなくて。嬉しいんですけど、ふわふわしている感じです」

──「泣きたい夜」は20歳を迎えるタイミングでもありましたよね。

「はい。20歳目前の19歳のときに作った曲なんですけど、全部実話になっていて。<ママから心配の電話がくる>とか、本当に毎日、LINEも電話もあるんですよ。<パパにもらった最後のレター>も上京前にもらった手紙で、よく読んだりしていて。実話だし、自分を軸に書いているのは間違いないんですけど、私だけじゃなく、周りを見ても、将来に悩んでいたり、“19歳は一番不安定だな”って感じるんですよね。そんな子たちの気持ちも代弁できたらっていう思いで書いた曲です」

──同世代の女の子の代弁者っていう気持ちが常に根底にあるんですね。

「中学高校からずっとそうですね。自分はポジティブな思考だからこそ、リアルな友達からもよく相談を受けたりとかするんです。人の相談を聞くのが好きっていうのもあるんですけど、“AYANEに言ってよかった”とか、“相談して解決できそうな気がする”っていう言葉をもらうと、すごく嬉しくて。それは、音楽活動にも通ずるところがあるかなと思います」

──歌唱に関しては、「泣きたい夜」以降は、歌い上げなくなってますよね。

「歌詞もラフな感じで書いてるので、歌も気張らない感じで聞いてもらえたらなっていうふうに作っていて。ただ、個人的にはこれからは魅せる曲というか、声を張って歌う曲も挑戦していきたいなと思ってます。そういう要素も今の感じの要素も交えつつ、やれたらいいなとは思っています」

──TikTokでバズった後の「bye bye」はちょっと心配になる歌詞でした。

「あはははは。ファンの方からも“歌詞が強烈”っていうコメントをいただきました。2番のサビ頭に<とっくに知ってるキミ/クズなこと>って歌詞があるんですけど、棘のある言葉を入れたのが初めてで。“あ、思いついちゃった”と思いました(笑)。“これ、歌詞に入れていいのかな?”って。実家に帰ってるときに作ってたんで、リビングで歌ってたらお母さんが“え!?”って驚く顔をしているし(笑)」

──あははは。そうですよね。“東京で何があった?”って思うかもしれない。

「でも、“メロディにハマるな〜”と思って。最後まで迷ったんですけど、TikTokでも受けるような曲を作りたいとずっと思っていたので、これぐらいパンチ効いてもいいんじゃないかっていうことで、棘のある歌詞を入れることにしました。それに、ネットを見てても、悩んでる女の子って結構多いんですよね。そんな子の味方になれる曲というか、同じ境遇の曲が1曲あるだけでも、心がちょっと楽になるかなと思って作りました」

──続く「hot coffee」では過去の恋愛を思い返してます。

「この曲は、テーマを考えていたわけではなく、サビを鼻歌で歌ったときから<泣けるほどにね/好きだったよ>って歌っていたんです。そのフレーズも考えずに歌っていたので、“過去の恋愛を思い出している曲にしよう”って感じで作り始めました。甘かったり、苦かったり、冷めたり、温かくなったりする…“恋愛とコーヒーは似ているな”と思って、それを軸に考えていって。その後の「初雪」は中学生ぐらいのときのピュアな恋愛を思い出して書いた曲なんですけど、あるとき、街中で制服のカップルが歩いてるの見て、“とっても初々しいな”と思って。“あ、もう冬だな、曲を書きたいな”と思って書いて。これは全体に言えることなんですけど、自分の恋愛観だけではなく、友達の経験とか、ドラマを見て自分が感じたことだったり、いろんな日常の感情を入れ込んで作っていますね」

──2022年っていうのはご自身にとってどんな1年でしたか?

「「泣きたい夜」のリリースは7月だったんですけど、バズったのは8月だったんですよ。TikTokで楽曲がどんどん使われていったのがきっかけだと思うんですけど、ある日、携帯を見たら、「泣きたい夜」が1000件も使ってもらえてて。どんどん増えていって、1日に300件ぐらい増えていくっていうときもあって。それが特に印象に残っていることなんですけど、一番は今のプロデューサーの方と出会えて、自分のこれから進むべき道が明確になった年だなと思います。“ここから頑張るぞ!”っていう、スタートの1年だったかな?と思います」

──そして、2023年に入って、3ヶ月連続リリースがスタートしました。

「第1弾としてリリースした「2023」は今までにないぐらいポジティブな面を全面に出していて。新年ということもあって、みんなの気持ちを代弁したり、共感してもらえる歌詞はそのままに、“みんなの背中も押せるような歌詞とサウンドにしたいな”と思って作った曲ですね」

──歌声も明るさがありますよね。<来年の今頃はどう過ごしてるのかな>というフレーズもあります。ご自身は来年の今頃はどうなってますか?

2022年に積み重ねたものをさらに伸ばせるように、走れる1年にしたいなとは思っていて。あまり大きいことを言うと恥ずかしいんですけど(笑)、メディア露出の面でも頑張って、目標としている大きな会場でライブができたら嬉しいなと思っています。私、関西なので関西のライブ会場に思い入れがあるんですけどずっと憧れがあったBIG CATでのライブを目標に頑張りたいです」

──2月1日には第2弾「空っぽ」がリリースされましたが、思い通りにいかない日々でも焦らずに一歩ずつ足跡を残そうというポジティブなメッセージソングに続いて…。

「幸せな曲が続いてたんですけど、ちょっと落ち込みソングになってます(笑)。これも結構、強烈な歌詞になっていて」

──伏字を表すピー音が入ってますね。

「“かなりインパクトあるな“って思って。この曲の二人がどういう関係かは想像にお任せしたいんですけど、冒頭は<あの子がいいなら言って>から入ってて。浮気なのかどうかがわからないけど、私以外の誰かがいる。そういう恋愛してる子もやっぱり多いんですよね。そんな子に味方できるような曲になったらなと思って。<寝言で言ったよ/「」って誰なの?>もその子の気持ちになって代弁してるので、ちょっとすっきりしてもらえたらな、って」

──90’s R&Bのサウンドになっていますが、レコーディングはどうでしたか?

「結構、落ち込みましたね…曲に引っ張られたというか。“レコーディング頑張ろう!”っていう気持ちでいったんですけど、プロデューサーの方に“今日、声、沈んでるね”って言われちゃうぐらい落ち込みました。なんかもう、泣きそうになりながら歌ってました」

──楽曲の主人公になりきって歌っているんですね。

──さらに3月には第3弾がリリースされますが、どんな楽曲になりそうでしょう?

「恋愛続きの曲が続いていたんですけど、次の楽曲は“いつか友情や家族愛の曲を作りたいな“と思っていたので、このテーマの曲に挑戦しました。曲調は今までと一緒ですけど、ゆったりかわいい感じの曲に仕上がったと思います。「空っぽ」とのギャップもすごいんですけど、3曲とも全く違う曲で、幅広い感情を歌っているので、幅広い年代の方に聞いてもらえたら嬉しいなと思っています。その中でも「2023」は、どんなときでも当てはまる曲なのかな?と思っているので、この曲で”2023年もみんなの背中を後押ししたい!“と思っていますし、昨年はリリースがメインになっていたので、今年はみんなに直で会いに行けるライブをたくさん出来るよう頑張っていきたいなと思ってます!」

(おわり)

取材・文/永堀アツオ
写真/中村功

RELEASE INFORMATION

AYANE「空っぽ」

2023年21日(水)配信

AYANE「空っぽ」

AYANE「2023」

2023年12日(月)配信

AYANE「2023」

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