今回は1954年にレコーディングされた作品を録音順にお聴ききいただこうと思う。というのも時系列に沿って音を並べてみることによって、当時のジャズ・シーンの変遷がリアルに実感できるからだ。
ジャズの歴史には特別の年というものがある。1954年もエポック・メーキングな年といってよいだろう。その理由は、それまで活況を呈していた西海岸から、ジャズの中心が東部の大都市ニューヨークに移って行く年であり、ジャズが黒人の手に戻ってきた年でもあるからである。
最初のアルバム『チェット・ベイカー・シングス』は、前回ご紹介したとおり「ウエスト・コースト・ジャズ」の大ヒット・アルバムで、つまり54年の時点ではまだウエスト・コースト・ジャズにも勢いがあったのだ。だが、それと時を同じくして「ハードバップの夜明け」とも言われた歴史的セッションが、ニューヨークのジャズ・クラブ「バードランド」で開かれる。
アート・ブレイキーが当時の若手黒人ミュージシャンを一堂に会したこのライヴ・レコーディングは、アルバム『バードランドの夜』として発売され、これをきっかけとして次々に黒人たちによる意欲的な作品が現れる。このセッションのスタープレイヤー、クリフォード・ブラウンがマックス・ローチと組んだ傑作『クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ』は、はっきりとジャズ・シーンが黒人たちの手に取り戻されたことを告げる、ハードバップの傑作だ。
だが、歴史は一気に動くわけではない。同じ頃、西海岸カリフォルニアではチェット・ベイカーと並ぶウエスト・コースト・ジャズのもう一方の雄、ジェリー・マリガンによる『カリフォルニア・コンサート』が吹き込まれている。こういうことが分かるのが「録音順に並べて聴く」ことの面白さなのだ。
しかしやはりシーンの主流はニューヨークに移りつつあり、『バードランドの夜』でピアノを弾いていたアート・ブレイキーの盟友、ホレス・シルヴァーがいかにも黒人的な演奏を『ホレス・シルヴァー・アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズ』で披露している。この「ジャズ・メッセンジャーズ」の名称は後にアート・ブレイキーに譲られ、ハードバップの代表的グループとして、長きに渡ってジャズ・シーンを賑わせることになる。
そして年の瀬も押し迫った12月24日クリスマス・イヴに、これもジャズの歴史に語り継がれたマイルス・デイヴィスとセロニアス・モンクの有名な「喧嘩セッション」が、アルバム『バグス・グルーヴ』に記録されている。もちろん「喧嘩」というのは誤解で、マイルスが自らの音楽的信念に従って、自分がソロをとっている間はモンクにバッキングをしないように指示しただけのことである。そしてこのように音楽をリーダーの意図の下に音楽的統一を図るというのが、まさにハードバップの考え方なのだった。
文/後藤雅洋(ジャズ喫茶いーぐる)
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東京・四谷にある老舗ジャズ喫茶いーぐるのスピーカーから流れる音をそのままに、店主でありジャズ評論家としても著名な後藤雅洋自身が選ぶ硬派なジャズをお届けしているUSENの音楽配信サービス「ジャズ喫茶いーぐる (後藤雅洋)(D51)」。毎夜22:00~24:00のコーナー「ジャズ喫茶いーぐるのジャズ入門」は、ビギナーからマニアまでが楽しめるテーマ設定でジャズの魅力をお届けしている。