三原康裕は、「私は疲れているのかもしれない。時代の空気の箱に投げ入れられて、いつの間にか蓋をされて閉じ込められた。不快なこの箱から抜け出したい。実在しない景色でもいい、むしろ表層的であればあるほど今は快い。」と「だまし絵」=トロンプ・ルイユにそのアイロニーを載せて表現した。

閉塞感を漂わせ続ける息苦しい現実社会において、ファッションは息抜きのひとつであり、それはあたかもトロンプ・ルイユのユーモアのようなものと通底しているという解釈だ。

古着の転写プリントを重ねたスウェットや意図的に固定されたパーツなど三原が得意とするレイヤードとドッキングの手法はいつも以上にふんだんに組み込まれ、大量生産・固定概念の象徴として好んできたデニム、ミリタリーなどのワークウェアには、エイジングやダメージをはじめとするさまざまな嘘(加工)を施した。

それもトロンプ・ルイユの概念による解釈といえる。
ハンドペイント風プリントなどのアイコニックな表現手法もアップデートされた。

そして、あるはずの背中が存在しないジャケットやコート。まるで、ぐるりとえぐり取られたように空いた背中は、「いなせな風情」とでも言いたげだ。

パリでの発表機会喪失からの解放と再会を祝うハッピー感に溢れたパサージュ(アーケード商店街)でのショーは、純粋にファッションを楽しむ熱気に包まれ、22年秋冬の浅草商店街のショーの再来のようでもあった(のだろう)。

フィナーレには、シャボン玉が宙を舞い、
さらにハッピー感を盛り上げた(ようだ)。

文/久保雅裕

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