定刻を5分ほど過ぎた頃に客電が暗転。御供信弘(Ba)、伊藤大地(Dr)、ヒグチの実妹であるひぐちけい(Gt)からなるバンドメンバーに続いて、暗がりの中でも煌めくシルバーのロングスカートをたなびかせながらヒグチアイが姿を見せる。
客席からは期待に満ちた温かく大きな拍手が湧き上がった。この日のライブは、3月2日にリリースしたばかりの通算4枚目のアルバム『最悪最愛』のオープニングナンバーで、“働く女性”をテーマにした配信三部作の1曲でもある「やめるなら今」で幕を開けた。何かの決断を迫られるような、人生の残りの時間の少なさに迫られるようなバスドラの響きは、バンドセットでしか体験できないものだろう。彼女は時を刻むバスドラに急かされながらも、不安や迷いを断ち切るように強いタッチで鍵盤を叩き、夢を抱いて働き始めた大人たちに向けて<なんでもいいからやめんなよ/続けようよ>というメッセージをパワフルに放つ。続く「前線」も夢と現実、仕事と恋愛の狭間で自問自答しながらも、それでも夢を見たいという思いに至る楽曲だ。夢を持つこと、生きることに情熱を持つこと、人生を諦めないこと。だからこそ、生まれ出てくる苦悩や悲哀、終わりのない寂しさが本公演を貫くテーマになっていたように感じた。
「今日、ここを選んでくれた人も、迷ってこなかった人も、私はみんな認めてあげたいと思いながら、今だけは、ここに来てくれた人たちのために、そして、私のために歌いたいと思います」そんな挨拶を経て、明るくポップに弾む「サボテン」では場内から手拍子が湧き上がり、タイトなグルーヴを奏でる「ハッピーバースデー」、アカペラから三声へとドラマチックに展開していく「火々」と、「30歳を迎えてからの2年間で発見した、新しい気持ちで作った」というニューアルバムに収録された“別れ”をテーマにした曲を続けて演奏。そして、離れて暮らすふたりを題材にした「距離」では、御供がエレキベースからウッドベースに持ち替えて、弦弾きで彩りをつける。アルバムのタイトルに紐づくアーバンR&B「悪い女」では、ヒグチはピアノを離れ、ハンドマイクを手に、小さなハートを作りながらチャーミングにパフォーマンス。バンドならではのグルーヴに乗せて多彩な表現を見せてくれた。
ここで、バンドメンバーがステージを下り、ひとりになったヒグチは、「最近、みんなどうでしたか?元気でしたか?」と観客に呼びかけ、「なんかさ、最近思うんだよ。言葉は武器だなって。言葉は武器だから、自分を守るためにも使えるけど、守るために使うからいいというわけでもなく、すごく大切にしないといけないなって。なんか言われて、私、簡単に傷つくんですよ。相手がそういうつもりで言ってなくても、自分が傷つくことがあるなって思ったんですよね。本当は許してあげたいけど、許せないこともある。許せないものがずっと残ってるとしんどいので、いつか許せたらいいなという気持ちでいて。……でも、コーヒーを飲んだ後にカップに残ってる黒いざらざらのようなものが、私の心のタンクの一番下に残ってるんです。それをいつか綺麗にできたら、歌にしたいなと思ってます。歌にできてよかったよね。ほんとにそう思う。みんなが歌にできない分は、私が歌を唄えたらいいなと思います」
そして、ピンスポットに照らされた彼女は、アルバムと同じく、ピアノ弾き語りで「悲しい歌がある理由」を歌唱。心の奥底にある過去の傷を優しく撫でるように歌う姿に観客は自身の思い出を重ねながら息をのんで見入っていた。「ほしのなまえ」の途中で再びバンドの演奏が加わり、世界中のサブスクランキングを席巻したアニメ「進撃の巨人 The Final Season Part2」のEDテーマ「悪魔の子」へ。ステージ後方に、真っ白な半円に彼女の影が映し出されるなか、スタンドマイクを両手で握り、時に激しく、時にダイナミックな声で歌い上げた。照明のドラマチックさも含めてこの日のライブのクライマックスのひとつであったことは間違いなく、観客はあまりの迫力に拍手を忘れるほどであった。さらに、そのままピアノリフが印象的なアップテンポのポップロック「まっさらな大地」、バンドマンやホームレス、ピンヒールを履いたOLなど、さまざまな人から見える渋谷の街を描いた「東京にて」を歌ったあと、ニューアルバムのジャケットを思わせる真っ赤な夕焼け――あるいは朝焼けか――をバックにした「劇場」へ。
「いろいろある人生ですよね。13年前にシンガーソングライターとしての活動を始めて、6年前にメジャーデビューをして、5年前にこの鍵盤を買って。この鍵盤は20キロあるので、私ひとりでは運べなくて。この鍵盤を買うということは、人の手を借りる活動をしないといけない。その努力をしなくてはいけないけれども、もしかしたらうまくいかなくて、またひとりでやらないといけないかもしれない。そんな葛藤の中、この鍵盤を買うことにしました。この5年間、ずっと誰かに手伝ってもらって、この鍵盤は今、ここにあります。自分のまわりの人も、ライブに来てくれる人もどんどん変わっていって。同じ大きさの歯車でまたすぐに会えることもあれば、どっちかが大きくて1回だけしか会わない人もいるかもしれない。でも、その1回がくることをとっても幸せに感じる日々なんですよ。もう会えなくても、今日会えたんだから。もう会えなくても、元気でいてほしい、幸せでいてほしい。その人の人生を続けてほしい。ずっとそう思っています」
自分の人生を舞台に例え、生きる意味と歌う理由が密接に関わり合う濃密なライフストーリーを歌い切った彼女は、この日の観客に向けて<さみしいけど孤独じゃないの/愛してくれてありがとう>という感謝の気持ちを歌声に込めてまっすぐに届けた。そして、ライブの最後に歌われたのは、ドラマ「生きるとか死ぬとか父親とか」の主題歌で、家族を題材にしたカントリーポップ「縁(ゆかり)」。客電がつき、自然と手拍子が沸き起こった明るいムードの中で歌われた<あなたがいたから/私がいるのよ>というフレーズ。本来の“あなた”は父親の意味だが、ライブという場所では観客に向けて歌われているように感じた。
大きな拍手を受けてすぐにステージに戻ってきたヒグチは、この日が、11年前に東日本大震災が起こった3月11日であることに触れ、「いつもライブをやってきてなくて。何を歌えるのだろうかと悩む日だったので、これまで避けてきました」と告白。「何かを発さなければいけないという気持ちにはあまりなれなかったけど、11年前から考えたら私は大人になって、考えも変わって。私のできることは歌を歌うことなんですけど……」と語りながらピアノを弾き始め、この日のために作った「新曲」を初披露した。<僕には小さな夢がある>と繰り返す姿は、まだ悩みの最中にいながらも、なんとか前を見据えて、まっすぐに今、ここにいる“自分”と“生”を受け止めようとする不器用さと苦難の末の覚悟、そして、愛の痛みと切なさが滲み出ているように見えた。
ヒグチアイは弾き語り全国ツアー「HIGUCHIAI solo tour1[ 最悪最愛 ]」を4月9日のLIVE HOUSE 燦庫 -SANKO-での高松公演からスタートすることが決定している。
(おわり)
取材・文/永堀アツオ
構成/高橋 豊(encore)
写真/藤井 拓
LIVE INFOHIGUCHIAI band one-man live 2022 [ 最悪最愛 ]
3月27日(日)umeda TRAD(大阪) ※開催見送り
[大切なおしらせ] 2022年3月27日(日)大阪公演開催見送りのお知らせ
ヒグチアイよりみなさまへ
LIVE INFOHIGUCHIAI solo tour 2022 [ 最悪最愛 ]
4月9日(土)高松 LIVE HOUSE 燦庫 -SANKO-
4月16日(土)広島 Live Juke
4月23日(土)神戸 海辺のポルカ SOLD OUT!
4月24日(日)福岡 ROOMS
4月28日(木)金沢 もっきりや
4月29日(金)名古屋 BL cafe SOLD OUT!
5月1日(日)長野 長野市芸術館 アクトスペース
5月6日(金)京都 磔磔
5月8日(日)東京 早稲田奉仕園スコットホール SOLD OUT!
DISC INFORMATIONヒグチアイ『最悪最愛』
2022年3月2日(水)発売
初回限定盤(CD+DVD)/PCCA-06116/4,950円(税込)
ポニーキャニオン