――まず初めにデビュー45周年を迎えられたお気持ちを聞かせていただけますか?

「2023年に病気になって、その時すでに頭の中に45周年のことはあったので、果たしてその節目を迎えることができるんだろうか?と考えましたから、今こうして45周年について訊いていただいていることを思うと信じられないような気にもなりますね。45年の間には良いことも悪いことも色々ありましたけど一時はそういう過去のことを振り返るだけの余裕も失くしてしまっている時期もありましたから、今はまだ闘病中ですけれど、歌もうたえるし取材も受けられるし、本当にありがたい気持ちです」

――現在のように活動を続けられていることについては、兄である鳥羽一郎さんの存在が大きいと思います。

「そうですね、公私ともに。レコード会社も事務所も違って、兄弟でありながらどこかにライバル意識みたいなものもあって、それが自分の気持ちを奮い立たせてくれたこともありましたし、癌とわかってからは病気に立ち向かう意識を持たせてくれましたから本当に感謝しています。病気のことを知らされた直後はまだ受け止め切れていなかったんですけど、家に帰って一人になったら段々と事実が実感されて、兄貴に電話していたんです。自分に何かあったら仕切ってもらわなければいけないから、葬式のこととかお墓のこととか話したんですけど「馬鹿野郎!そんなことを言ってる場合か!? どんなことをしてでも治せ!!」って怒られて。それで踏み止まって前に進む気持ちになれましたね。ただ兄貴へのライバル意識がしんどい時もあったんです。負けたくないけど越えられない、みたいな。それが楽になったのは木村徹二がデビューして木村竜蔵と二人で活躍する姿を目にすることが増えてからですね。自分のことよりも甥っ子たちを見守って応援したいっていう気持ちの方が強くなって。45年も歌手をやらせてもらっていれば、この世界の厳しさも大変さもわかっていますから、その辺りの乗り越え方とか心構えとかを教えられたらと。やっぱり親子となると兄貴にはその辺やり辛いところもあるだろうから、ここは俺の出番だと思っていますね。今ふたりはまだ勢いがあるし注目もされていて、ファンの方々も熱心に応援してくれてますけど、ずっとこの調子で行けるか?ってなると、そんなに甘くはありませんから。僕はそういう波も経験しているので、追い風が止んだ時にどうするか?なんていうことも教えていけたらと思っています」

――徹二さんがデビューしたのに合わせて竜蔵さんのプロデューサー、作家としての活動も加速しています。

「才能がありますからね。兄貴も自分も竜蔵君に子供の頃のこととか故郷を思う気持ちとかを細かく話したことなんかないのに「俺たちの子守唄」(2024年発売。木村竜蔵の作詞作曲による山川と鳥羽のデュエット曲)にはそれがしっかりと書かれていて初めて詞を読んだ時、驚きましたからね。お袋が海女をしていて家にいない時間も多かったから、僕は寂しくなって海女小屋へおふくろに会いに行っては困らせたことがあるんですけど、歌詞には海女小屋が入っているし、兄貴は落ち込んだ時に新宿の高層ビルのレストランで酒を飲みながら親父やお袋のことを思い出しては気持ちを整理していたことがあるそうなんですけど、そういうことも盛り込まれていて、これはもう驚くしかないですよ。徹二がデビューする前には兄弟ふたりで竜徹日記として8年も、客が10人くらいしか入らないようなライブを細々と続けていたことも知っているから、二人ともようやく才能の花を開き始めていることが本当に嬉しいです」

――二人の甥御さんのためにもまだまだ頑張っていただかないと。

「それもありますし、病気になってから以前にも増して人の優しさや励ましのありがたさを身に沁みて感じているので、感謝の意味でも負けていられないですよね。応援の手紙やお守りを送ってくれるファンもいれば、僕が良くなるまでは坊主頭でいることにしたなんていう方もいて、感激とか感動という言葉を越えた気持ちになりますから。そういう想いに応えるためにも次の50周年に向けて頑張っていかなければと思っています」

――山川さんの闘う姿が多くの人に元気や勇気を与えるでしょうし。

「そんな風にでも人の役に立てたら、ありがたいですね。今は自分よりも病気が中心の生活ですから、できることは多くないかも知れませんけど自分が生きている意味、存在している意味を大事にしたいですね。最初に「山川さんはこれから薬と一緒に生きていくことになります」って言われた時には愕然としましたけど、毎月検査をして決められた薬を飲んで投与も受けて、というのが日常になったら喜ばしいものではないけれど、そういう生活にも慣れていくものなんです。薬の副作用も結構きついんですけど、それももう我慢するのが当たり前になってね、そんな風ですから精神状態だって元気な頃と比べたら普通ではないんでしょうけど、でも歌だ、仕事だとなると、しっかりするんですよ。歌の力で病気が治ってしまうんじゃないかなんて気にもなりますしね。本当はアルバムのことなんかを話さなければいけないんでしょうけど、すみませんね、病気のことばっかりになってしまって」

――いえ、まずは現状を伺いたかったので、お気になさらないでください。

「僕と同じ病気の方も別の病気と闘っている方にも、自分の体験や心境をそのまま伝えることで役に立てることもあると思うもので。とにかく自分には歌があるということが本当にありがたくて、それが闘う気持ちを奮い立たせてくれるしエネルギーを与えてくれて、不安だってないわけではありませんけど、腹を括って行けるところまでは歌っていく覚悟でいます」

――『メモリアルソングス』収録曲でレコーディングが済んでいる何曲かを聴かせていただきましたが病気の影響は全く感じませんでした。一時は絶望して弱音も吐いたという方が、今は力強い歌声で12曲入りのアルバムをリリースされようとしています。何が山川さんの原動力になっているんでしょう?

「使命感……でしょうね。竜蔵、徹二の二人に教えなければいけない、伝えなければいけないということ。お世話になった方々、ファンの皆さんにお返ししなければいけないということ。プロ歌手としてしっかりと歌うこと。歌を通して届けなければいけないこと。自分の姿を通して同じように病気と闘う人たちを励まし勇気を持ってもらうこと。そういう一つひとつが、自分の心が折れてしまったらできなくなってしまいますから。無理するわけではなく、どうせ無理なことはできませんから、できることをしっかりとする、するために頑張るという気力が僕を動かしていると思います」

――打たれてもリングに立ち続けるボクサーのように思えます。

「ああ、確かに副作用ってジャブのように効いてくるんですよ。一つ治まったら、また別の症状が出てくるし。そういうのを乗り越えて毎月の検査を受けて、特に進行はしていないなんて結果を聞くと、今月もよく頑張ったなって思ったりして」

――毎月の結果はラウンド毎の採点表のようなもの?

「そう、そう!それで一喜一憂はあっても、絶対にタオルは投げるなっていうことだけは決めていて。兄貴の"どんなことをしてでも治せ"っていう言葉に従って、身体に良いと言われたことは試すようにしていて、食事の中身も変えて今は昭和初期のような食生活を送ってますよ。玄米に味噌汁、干物に漬物だけとかね」

――闘病が始まって2年半、相手のこともわかって闘い方も見えてきているのではありませんか?

「そうですね、もう闘うというよりは共存するという考え方ですね。癌に向かって”今日もありがとう”とか”明日もよろしく”なんて話しかけたりしますから。癌という病気は余程のことでない限りは終活の時間を与えてくれるから悪いことばかりではないという意見もあるし、今は倒すべき敵というような意識は持っていません。そういう感覚に変わってきました」

――すると山川さんと病は、ロッキーとアポロのような関係とも言えるでしょうか?

「その通りです。上手いこと言いますね!それじゃ、そろそろ歌の話、しましょうか(笑)。9月に出すアルバムですけど、正直なところ、これが最後のアルバムかも知れないなという気持ちがあります。それは悲観的な考え方ではなくてね、アルバムもシングルもステージも、全てがそれで最後かも知れないという気持ちで精一杯やって、またその次があったらそれはありがたいばかりという捉え方です」

――今回は全12曲新たに歌われたんですね?

「そうです。今の自分の歌を収めたいんだとお願いして。「駅」なんて2月に出したばかりですけど、この数ヶ月で僕の歌だって変わっているはずですからね」

――ギターとアレンジで参加されている斉藤功さんとは長いお付き合いがあったんでしょうか?

「付き合いは兄貴の方が長くて、兄貴の紹介でコンサートで弾いてもらうようになったりして。いつか斉藤さんの伴奏でアルバムを出したいという気持ちはあったんですけど、なかなか機会がなかったんです」

――斉藤 功さんという名手が弾いているということもあるでしょうが、シングルのオーケストラ・アレンジに比べて陰影がより深くなっているように感じます。そして演歌の原形とはこういうものではないかという気にもなりました。それから印象的だったのは「兄弟船」です。こういう「兄弟船」があるのか!と驚かされました。

「あの歌は今まで歌うたびに、やっぱり兄貴は凄いなと思わされてきたんです。あれこれ細工をするわけじゃなく、とても自然に素直に歌っているのに伝わってくるものがあって。船村先生(船村徹。鳥羽一郎の師匠である作曲家)が、兄貴にレッスンしなかったから、ああいう歌い方になったんだと思うと、敢えて指導をしなかった船村先生という方の才覚の素晴らしさがわかりますよね」

――鳥羽さんの「兄弟船」がとても鳥羽さんらしいものになっているとすると、山川さんの「兄弟船」にも山川さんの持ち味が活きていると感じました。そして、この歌の主人公が“弟”であることに改めて気付かされて、歌という表現の面白さを味わえた気がします。

「そんな風に思ってもらえたら嬉しいですよ。自分らしさというのは意識していたことですしね。兄貴に聴かせたら何も言わずに下を向いていて、これで良かったのかなと思えました」

――「紅い花」「星影のワルツ」といったカバー曲はどのようにして選ばれましたか?

「個人的に大好きな歌で絶対に入れようと思ってました。レコーディングしながら改めてなんていい歌なんだろうって感じました。こういう歌って今の時代にだって作れるんじゃないかと思うので、できればそんな名曲にこれからも出合っていきたいですね」

――それには元気で歌い続けていただくことです。『メモリアルソングス』は山川さんの魅力が詰まった素敵な作品になりましたからより多くの方の心に届いてほしいと思います。

「ありがとうございます。山川豊らしいアルバムになっているなら願った通りです。歌もね、多少音程が外れた所があってもあまりデジタル処理をしないでほしいってお願いしたんです。その方が人間味が感じられますからね。演歌って正確で整っていることより温かみや人の息遣いを感じさせるようなことの方が大切だと思うんですよ」

――確かにギターからもバイオリンからも演奏する人の熱や心の動きが伝わってくるように感じます。

「ミュージシャンの一人ひとりが僕を泣かせに来てましたからね。楽器の音を聴いただけで涙が出そうになりましたから。もし、次の機会があったら斉藤さんをはじめとする皆さんと同録で歌ってみたいですね。より生身の歌がうたえる気がするんですよ」

――これからの歌手として、そして作曲家(「駅」は、やまかわ豊のペンネームで自ら作曲)としての活動に期待しています。お身体を大切にどうぞご活躍ください。

「ありがとうございます。皆さんも定期健診を忘れず、健康を大事にお過ごしください」

(おわり)

取材・文/永井 淳





山川豊『メモリアルソングス』DISC INFO

2026年9月2日(水)発売
CRCN-41601/3,500円(税込) 
日本クラウン

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