――『岩佐美咲・はやぶさの「同期deどーよ」』の収録お疲れさまでした。まずは収録を終えての感想から伺えますか?
「後輩歌手の方々とお話しする機会って、そう多くないんですね。ですから、はやぶさのお二人と岩佐美咲ちゃんとお話しするのも初めてで、今日は私の方がいろいろ聞いていただきましたが、こちらからもいろいろ質問したい気持ちもあって、もっとお話ししたかったな……って思ってます。私は昭和の人間ですから、子供の頃から演歌の方もニューミュージックの方も一緒に出演されるような歌番組を観て育っていたので、演歌・歌謡曲の道に進みましたが、今日の皆さんは音楽のジャンル分けが進んで、テレビやラジオでも演歌なら演歌、ポップスならポップスというように出演する歌手やオンエアされる曲がジャンル別に構成されることが多い時代の方たちですよね。そういう若い世代がどうして演歌・歌謡曲を歌うようになったのかしら?なんていうところに興味があって、本当に聞いてみたかったんです」
――収録中は坂本さんも楽しそうでしたが、特にパーソナリティの3人がとてもうれしそうに坂本さんと話しているのが印象的でした。
「私もうれしかったですよ、めったにないことですから。同年代の歌手仲間とのお付き合いはありますし、二葉百合子先生のように大先輩でありながら親しくさせていただいている方もいらっしゃいますが、若い方たちの接点って意外なくらいに少ないんです」
――スケジュール的に難しいとは思いますが、坂本さんが若手にいろいろ聞きながらアドバイスもされるなんていう番組が出来たら楽しいだろうと思います。
「アドバイスはできないかも知れませんが、自分が経験してきたことならお話しできると思います。私がデビューして歌ってきた時代は、まず歌手になりたいと思って、次に紅白に出たい、そして次は座長公演がしたいっていう風に追いかける夢がいくつもあったんですが、今の時代は例えば紅白の演歌・歌謡曲の枠が少なくなってしまっているように、私たちの頃に比べて目標を立てたり達成したりすることが難しくなっていると思うんです。そういう時代の中で若い方たちがどこを目指しているんだろう?なんていうのは私にはとても興味深いことなんです。もっとお話しできる機会が出来たらいいなって本当に思いますね」
――確かに坂本さんがデビューして活動されてきた時代と、はやぶさのお二人や岩佐さんの時代では、演歌・歌謡曲の存在というものがかなり違っていると思います。
「私から見て先輩方というと、猪俣公章先生にご指導いただいていた頃に、かろうじてスタジオの隅で美空ひばりさんの生歌を聞かせていただいたことがありましたが、島倉千代子さん、都はるみさん、八代亜紀さんや三橋美智也さん、三波春夫さん、村田英雄さんといった、本物のスターの方々とご一緒にステージに立たせていただいていて、この経験は本当にかけがえのない財産だと思っているんです。ですから今の若い世代の方たちにも、スターと言われる方々との共演があったら、その姿をしっかりと目に焼き付けて、歌声を心に残してほしいと思いますね」
――若い世代にとっては坂本冬美さんという存在もまたスターであるに違いありません。
「仮にもしそうであったとしても、昭和の時代に輝いたスターの方たちの偉大さは別格だと思います。ですから今もご活躍なさっているスターの方々とご一緒される機会は本当に大事にしていただきたいですね」
――スターと呼ばれる方々は実力、魅力を備えていて、なお名曲にも恵まれていたと思います。
「レコードの売り上げが100万枚を超えることも珍しくはない時代でしたからね。人々の生活と歌というものが今よりももっと密接な関係にあったんですよね」
――今の時代は娯楽が多様化していて、かつては娯楽の王様の位置にあった映画や歌が、その一部になってしまったと言われています。
「そうですね、存在感や価値観が変化していることは否定できないでしょうね。それが新型コロナが流行した時期に顕著になりましたものね。確かに歌は癒しや元気を与えるものではあるけれど、人が窮地に立った時にまず必要なものかどうかと言ったらそうではない。やっぱりある程度、心の余裕がある状態でないと歌は届かない、求められるものではないんだなというのを私自身痛感しました。そして痛感したことで、私の中では求められ、聴いて下さる方に癒しや勇気を感じていただける歌をお届けしていかなければいけないっていう気持ちがますます強くなりましたね」
――そして坂本さんはコロナ禍が終息に向かう兆しが見えてきたところで、世の中に元気を届けたいと「再会酒場」をリリースされました。
「発売は2023年5月でしたが、実はその1年前に曲は出来上がっていたんです。でも、まだ時期が早いだろうということで温めていたものを、新型コロナ感染症が5類に移行するタイミングでリリースしました。コロナのために世の中全体が我慢を強いられてきましたから、そこから解き放たれたところで、祝杯を上げてまたみんなで頑張っていこうという詞を吉田 旺先生が書いてくださいまして、徳久広司先生には喜びが胸に染み渡るようなメロディを作っていただきました。本当にコロナ禍の時期は誰もが大変な想いをしましたが、何十年か経った時にこの歌を聴きながら“辛い経験だったけれど、よくみんなで乗り越えたね”なんて振り返れるような、そんな曲になればという気持ちで歌わせていただいてきました」
――YouTubeチャンネルでは居酒屋でお店の方やお客さんと触れ合う企画が配信されて、とてもうれしそうな表情でしたが、坂本さんの庶民的な一面が窺えて楽しく拝見しました。
「デビュー3年目から付いてくれている私のマネージャーさんが言うには、私はお客さまと接している時に一番よさが出るそうなんです。“らしさ”が出ると言いますか……ステージに立って恰好つけて歌っていますが、本当は客席の側の人間なんですよ(笑)。地元に帰ればいまだに“隣りの冬美ちゃん”ですし。着物を着て歌っているのは、歌手・坂本冬美で、それは本来の坂本冬美が演じている姿なのかも知れません」
――坂本さんにはデビュー前に地元の和歌山で梅干し工場でお勤めになったご経験がありますが、庶民的でありながら人々に元気を与えるという点では、ご自身もまた梅干しのような方なんですね。
「ああ、そういうこと(笑)!いいですね、各家庭に必ずある……みたいな存在で、まさに庶民派の代表ですものね」
――そして、次にはどんな作品で世の中に活力を与えてくれるのか?と思ったところでリリースされたのが「ほろ酔い満月」でした。
「スタッフさんと、毎回次はどんな企画で行こうかということを話し合うんですが、「再会酒場」が演歌でしたから、次は私がまだ歌っていなかった、小柳ルミ子さんの「お久しぶりね」「今さらジロー」ですとか、梓みちよさんの「二人でお酒を」みたいな歌謡曲で行きたいということで出来上がりました。歌謡曲ですから昭和を想わせるような懐かしさもあるんですが、歌詞には男とか女という言葉が出て来なくて、この辺りには現代の感覚が反映されていると思うんですね」
――性別やジェンダーといったものの見方が変化してゆく昨今ですが、“男らしさ”や“女らしさ”を描くことの多い演歌はどうなっていくのか?ということにとても興味があったんです。そのひとつの回答が「ほろ酔い満月」とも言えそうですね。
「敢えて言わなければ気付かないことかも知れませんが、こういうところに“人は世につれ世は人につれ”という流行り歌の感覚が生きているんじゃないかしらという気がします」
――そしてなんとも印象的なサビ。
「ちゃらんぽらん !?(笑)」
――はい、まさかこの言葉が歌のサビになるとは !?と思いました。そして、この言葉のせいで歌にコミカルな印象が生まれていて、まさに坂本冬美さんのイメージがとても新鮮に感じられました。
「“ちゃらんぽらん”という言葉がメロディにぴたりとはまっていて、とてもキャッチーですよね。子供たちも意味はわからなくても口ずさんでくれそうな。私自身も小さい時に意味なんかわからないのに歌謡曲をうたっていたことがあって、そういうのってヒット曲のひとつの条件だと思うんです。たくさんの人に歌っていただきたいし、作詞の田久保真見先生もきっとみんなに親しんでもらえるようにっていう気持ちで、この言葉を使われたんだと思います」
――田久保さんにはどのようにオファーを?
「ディレクターさんは“坂本冬美のイメージで書いてください”ってお願いされたそうです。先生には以前「グラスの氷がとけるまで」っていう五木ひろしさんとのデュエット曲を書いていただいたことがありましたが、お会いしてはいなくて、どんなイメージの歌を作ってくださるんだろう?って思っていたら、まさに等身大の私。主人公は恋も断捨離してしまっていて、今の私のイメージに自然に重なると思いますし、“断捨離”なんていうある意味、今どきの言葉を使われているところにも流行り歌の要素を感じます」
――いわば演劇の当て書きのように坂本さんのイメージでこの詞が書かれたというのは意外です。さすがプロ作詞家の独自の感性ですね。
「私も驚きました。ただ、私がそういう人間であると思われたのではなくて、今までに例えば「夜桜お七」や「ブッダのように私は死んだ」を歌ってきましたから、そういう女性像を演じてきた私に、“では、こういう女性像はどう?”っていうお気持ちで書いてくださったのかなとも思ってます」
――歌手というのは、歌を演じる人とも言われます。それに坂本さんは、舞台やテレビの役者経験もお持ちで、昨年放映された『ひとりぼっち-人と人をつなぐ愛の物語-』は、名プロデューサーとして知られる石井ふく子さんに抜擢されての主演でした。坂本さんには演じる人として制作者を刺激するものがあるように感じます。
「デビューして何年か経ったあたりから、新曲をいただく度に“今度はどんな人を演じられるんだろう?”って楽しみにしていますし、演じることを楽しんでいるところはありますね」
――そういう坂本さんの演じ、歌う楽しさが匂い出ているのを、制作者の方々が感じ取られて、今回は田久保さんがこのような個性的な詞を書かれたように思いますが、もちろんこの作品は詞が先に出来たんですね?
「そう思わいますよね?実は曲が先なんです。作曲してくださった杉本眞人先生は曲先が少ないそうなんですが、今回は「ほろ酔い満月」、カップリングの「淋しがり」とも曲先だったんです」
――あのメロディに“ちゃらんぽらん”という言葉を乗せるとは!ますます驚きました。
「でも、今となってはあのメロディに合う言葉って他に思い付かないんです(笑)。そういうフレーズを生み出すというのもまさにプロの業だと思いますね」
――歌に描かれている主人公像にはべたべたした感じがなく、坂相手との関係には歯痒さも感じられているようで、本さんのイメージにぴったりです。
「ふふふ……だから断捨離ですよ。お仕事の時は一応きれいにして着飾って出掛けてますけど、家に帰ったら普通のオバちゃん、いや、オジちゃんに近いかも知れないくらいですから(笑)。粋な恋愛なんていうものとはちょっと縁遠い気がしますね」
――オジちゃんということはないと思いますが(笑)。デビューの頃からとてもさっぱりした気性の方という印象でした。
「そうですね、そのままだと思います。くよくよ考える性格でもあるんですが、ある程度まで行ったら開き直ってしまうような所があって、あまりベタベタ、ネチネチしたタイプではないですね」
――以前に「竹を割ったら餅が出てきたような性格」と聞いたことがあります。
「藤あや子さんが言ったんです(笑)。一見さっぱりしていそうで、実は悩みがちであるということなんですけど、いつも餅のようではないので、さっぱりした性格と言っていいと思います。「ほろ酔い満月」の主人公にもそういう印象がありますから、この辺りは田久保先生に見事に私というものを見抜かれたなっていう感じがしています」
――そして今回は若い男性陣と共演されているMVもとても印象的です。
「そうですね、何人も男性を侍らせてちょっと弄ぶような雰囲気も出しつつ演じてみたんですが(笑)」
――「あばれ太鼓」の頃には弾けるような若さを感じさせていた坂本さんが、妖艶なマダムといったイメージを放っていらっしゃって、良い歳を重ねられたんだなと思いました。
「だってデビューしてから37年もの時が流れているんですからね。ここまで歌ってこられたのは、支えてくれたスタッフや素晴らしい作品を提供してくださった作家の先生方、そして応援してくださるファンの皆さんがいらっしゃったからこそで、私は本当に恵まれているなぁと思っています。あとはタイミングですね。なっちゃん(伍代夏子)、あや子さん、香西かおりさん、長山洋子ちゃんと同じ時代に歌ってこられて、一人ではできなかったことや生み出せなかったものが可能になったという気がするんです」
――確かに今名前が挙がった皆さんとはひとつのムーブメント、一時代を築かれたと思います。皆さん、演歌歌手という枠組みで一括りにされることもあったでしょうが、実際はそれぞれが幅広い音楽性を備えていらっしゃって作品や活動にそれを活かしてこられていました。今考えると、新しい時代の扉を開こうとそれぞれチャレンジをしていらっしゃったんだと思います。
「思い出してみれば、時代というか世代の壁みたいなものは、身近な所にもあって、そういうものとも闘ったり折り合いをつけたりしながら、新しい時代の歌、歌手としてのあり方みたいなものを模索していたこともありましたね。デビューしたばかりの頃にジーパンを履いてレコード会社に行ったら“演歌歌手はジーパンを履いちゃ駄目だ!”って怒られたなんていうこともありましたしね(笑)。スーツを着てくるようにって言われてもスーツなんて持っていなかったのでヘアメイクさんに借りたものを着て取材を受けたなんてこともありましたね。今では信じられないでしょ?」
――演歌という形があってないような固定概念にとらわれた人が、音楽業界や芸能界に多い時代でしたね。
「それでも私が当時所属していたのは東芝EMIで、ポップスや洋楽にも力を入れていましたから、古くない考え方のスタッフもいて、“ジーパンにTシャツだっていいじゃない”って応援してくださるような方もいて救われたこともありました。いろいろ困ることやわからないこともあったと思うんですけど、お蔭さまでとにかく忙しくさせていただいていたので、立ち止まって悩んだり落ち込んだりしている時間の余裕がなくて、ひとつひとつの仕事をこなすことに必死でした」
――時間の余裕がなく必死に仕事をこなすことが続いてのちに休業することになるわけですね。
「そうですね。でも、あの1年間の休業の意味は本当に大きかった。あの期間がなければここまでやって来られなかったかも知れません。仕事をお休みして気持ちや考え方をリセットすることで歌が好きな気持ちを取り戻せたんですね。一時は歌わされている、歌わざるを得ないというような感覚に陥っている時もあって、歌うことが嫌いになりかけていましたから。それが休ませていただいたことで歌う楽しさや自分にとっての歌うことの大切さといったものが甦って来たんです」
――活動再開後には「また君に恋してる」という新たな代表曲が生まれました。
「あの曲との出合いは私にとって本当に大きな出来事でしたね。それまでは着物だったのが普段と同じ洋服で歌うことになって、そこで素の自分を出すことができるようにもなって何かから解放されたようなところがあったのかも知れません。それまではリセットして歌い始めたとは言え、考え込んだり悩んだりすることがあったんですが、以降は吹っ切れた気がします」
――“吹っ切れた”という言葉から連想されるのは「ブッダのように私は死んだ」です。
「“吹っ切れた”とは言いながらも実際にはどこかでまだ優等生でいなければいけないというような感覚に縛られているようところはあったと思うんです。それが「ブッダのように私は死んだ」を歌うことで解消できましたね。デビュー35周年を前に私自身、先ほど言いましたように優等生の感覚に縛られていて、殻を破れずにいたんですね。それを担当ディレクターに指摘されて“殻を破らなければ次のステージには進めませんよ”って言われたんです。そこから新曲について話す中で希望を聞かれて私が答えたのはただひとつ。桑田佳祐さんに作っていただきたいっていうことだったんです。そして、それが叶えられたことで私としては課題だった殻を破ることができたという実感を持つことができた気がします。もうそこからは歌うことも演じることも心から楽しいと思えるようになって今日に至るという感じです。
――「夜桜お七」は坂本さんの作品ということを除いてもとても画期的な楽曲でしたが、「ブッダのように私は死んだ」はそれをさらに超える衝撃を感じました。
「確かに衝撃的な作品ですよね。演歌かそうでないかというようなレベルではない、過去に聴いたことがないような曲でしたから、私のファンの方でもあれを機に離れていかれた方だっていたかも知れないと思うんです。でも、殻を破る、つまり新しい自分を獲得するためには、何かを得ようとするならば何かを手放す覚悟で臨まなければいけないということを学ぶ機会でしたね」
――そうした覚悟によってまた新たなファンが生まれたことは間違いありません。そして、そのように新たな試みや挑戦を続けながら、時代と共に歌っていくのが理想的な流行歌・歌謡曲の歌手のあり方でしょうし、それを実現できている坂本さんはスターと呼ばれるに相応しいと思います。
「でも私には自分がスターであるという自覚はなくて、ただ偉大な憧れの先輩方の背中を追いながら、自分の背中を見た後輩の方たちにかっこいいって思ってもらえるような歌い手でありたいという気持ちでいます」
――その気持ちで前進を続けながら、よい意味でファンの期待を裏切っていきたいとも思っていらっしゃるんですよね?
「そう!裏切りたい(笑)」
――これからも目が離せない存在であることは間違いなさそうです。
「目を離さないでほしいですね。ひばりさんがファンの方に“ここまで応援してきてくれたんだから、あななたち、最後まで責任取ってよね”って、ちょっと冗談めかした口ぶりでおっしゃったことがあっったんですけど、それがとてもかっこよくて可愛らしかったので、私も真似てファンの方に言ってますから、“最後まで責任持って応援してね”って(笑)」
――それではUSENとしても目を離さずに坂本さんの活動を追い掛けさせていただきますので、これからも様々なチャレンジや展開で楽しませてください。
「はい、そこは“ちゃらんぽらん”ではなく一生懸命、自分も楽しませていただきながら、皆さんと楽しんでいきたいと思っていますので、これからもどうぞよろしくお願いします!」
(おわり)
取材・文/永井 淳
岩佐美咲、はやぶさ「同期deどーよ!」by USENMEDIA INFO
USENのC42チャンネル「元気はつらつ歌謡曲」で、岩佐美咲、はやぶさのヒカルとヤマトがお送りするオリジナル番組「同期deどーよ!」は隔週月曜日更新。
5月13日(月)から26日(日)まで放送中の「同期deどーよ!」。ゲストは坂本冬美さん!
坂本冬美「ほろ酔い満月」DISC INFO
2024年2月21日(水)発売
UPCY-5119/1,400円 (税込)
ユニバーサルミュージック