──改めて、今年6月にデビュー15周年を迎えた心境から聞かせてください。
「15年できるとは思ってなかったので、信じられない気持ちの方が強いですね。『マクロスF(フロンティア)』という大きなタイトルのヒロインの1人としてデビューをして…それまでは、いち女子高生みたいな感じでしたから、右も左もわからないまま、プロと呼ばれる立場になって。一時は、“このまま続けていけないんじゃないか?”と思うぐらい、作品の大きさに対する勝手に感じているプレッシャーがあって。もはやここまでか…と思ったりもしましたけど」
──“もはやここまでか…”と感じたのはいつですか?
「1年目です(笑)。これ以上のキャリアを積むのは難しいんじゃないかなって思うくらい、いろんな体験をさせてもらったんですね。でも、そこから“もうちょっと頑張ってみよう、もうちょっと頑張ってみよう”を繰り返して、気づいたら15年という感じです」
──その重圧を跳ね返して、歌手、声優として活動し続けることができたきっかけは何かあったんですか?
「マクロスシリーズ自体は今も続いている作品なので、重圧が完全になくなるっていうことは、ほぼないだろうなとは思います。でも、月並みではありますけど、その作品自体を応援してくださってる方がたくさんいることが一番大事というか…ファンの方を裏切りたくないっていう気持ちでやってこれたことが一番かな、と思います。自分のためとか、自分のキャリアをどうしていこうっていうよりは、応援してくださる方に報いたいっていう気持ちが強かったと思います」
──ランカ・リー=中島愛としてのデビュー曲「星間飛行」は今も歌い継がれてるスタンダードナンバーになりましたね。
「当時、プロデューサーの菅野(よう子)さんが作詞を手がけてくださった松本隆先生にサプライズで会わせてくれたんですけど、ど緊張していた出会いの日に、松本先生が“大人になっても、ずっと歌える曲を作りますからね”って言ってくださった。ずっと歌えるっていうことは、私はずっと歌うっていうことだよね…って思ったりして。でも、カラオケでっていう可能性もありますけど。あはははは」
──(笑)翌年の2009年1月に「天使になりたい」でソロシンガーとしてデビューしました。
「私よりも周りのスタッフの方々が“「星間飛行」っていう大きなものに立ち向かっていかなければ!”っていう意気込みとや使命感を感じているなと思っていました。私自身は、曲に優劣を付けることはなくて、自分の曲は全部、1つ1つが輝いているんですよ。でも、中島愛としてソロデビューするときに、周りの方が“どうしようか?”って悩んでるのを見て、“超えなきゃいけない壁だって思う日が来るのかな?”って、デビュー当時に思っていたことを覚えています。デビューして数年は、やっぱり子供でしたし、その曲の大きさが実感できないので、15年かけてやっと、どれだけすごいことだったかっていうことがわかった気がします」
──リリースから時間が経てば経つほど実感するものがありましたか?
「そうですね。『マクロスF(フロンティア)』は長いスパンで、毎年、何かのアクションがあるんですよ。新作じゃなかったとしても、ゲームや遊戯機に声をあてる機会があって。10年以上、その動きが途切れずにあると、“好き”って言ってもらえるのも現在進行な感じがして理解できたんです。でも、ワルキューレがデビューして、フロンティアの後輩ができて。現在進行形の作品ではなくなったときに、それでもまだ聞き続けてくれていたり、カラオケのランキングに入っていたりするのを見ると、ある意味、“過去作なのに?”って思うんですよね。そこがやっぱり、10周年からの5年間で変わったというか…“すごいことなんだな”っていう気持ちを味わえたかもしれないです」
──そして、6月25日にはデビュー15周年記念ライブを行いましたが、セトリはどんな意図で組みましたか?
「今年から再来年の1月までデビュー15周年イヤーって謳えるんですよね。ランカ・リーとして、中島愛として、15周年が立て続けに来るので、数回ライブができるように考えていて。ということは、同じ曲ばかりを聴いてもらってもつまらないだろうと思って、各タイアップ曲とか、自分の最近のアルバム曲をちりばめて、個人的にはすごくまとまりのいい、納得のいくセットリストにはなったかなと思ってます」
──ソロのアルバムとしては2枚目の『Be With You』と最新の5枚目のアルバム『green diary』の曲が多かったですね。
「3枚目の『Thank You』と4枚目の『Curiosity』が好きな人は来年もきてね!っていう感じです(笑)。私、先々のライブのセトリもだいたい考えた上で組んでいて。あと、自然とライブ定番曲が決まってくると、セットリストに入りづらくなっちゃう曲があるので、例えば、久しぶりに歌う『たまゆら』の楽曲もすくい上げていきながらやっていけたらいいなっていう。15周年ライブの第1弾として、あの流れになりました」
──『たまゆら』はご自身にとってどんな作品になってますか?
「作品世界を体現させてくれる楽しさを長期にわたって教えてくれたなって思います。広島の竹原で過ごす高校生たちの夢や迷いとかを描いた作品で。その地域に根ざしている作品ではあるんですけど、全ての大人たちに刺さる普遍的なテーマでもあるので、そこが私にとっては、大きいのかな?って思います。何か大きな事件やアクシデントが毎回、起こるわけではないんですけど、何気ない日常こそ彩りが豊かで、いろんなグラデーションがあるんだよっていう。映像もそうですけど、音楽でかなり丁寧に編み上げていった作品でしたし、いいところで挿入歌が流れるので、責任重大ですよね。それを何曲も担当させてもらったので、自然と大きな位置にくる曲たちになってます」
──そして、新曲「equal」の初披露もありました。
「私、これまではずっと、ランカ・リー=中島愛っていう二つの存在の間に勝手に壁を作っていたんですよね。壁を作らないと自己の確立が難しくて。<=>って書かれちゃうと、“俺がお前でお前が俺で”みたいな感じで(笑)、わかんなくなってくる。性格も立場も違うんだけど、“どっちだったっけ?”って混ざるのが怖くて」
──明確に分けて考えていたんですね。
「区別しなくちゃいけないんだけど、区別して見てる方はとても少ないと感じることが多いんです。だから、“分けなくてもいいかな?”と思ったり、ごちゃごちゃしていたんですけど、「equal」を作ることで、勝手に作っていた壁を1回取っ払えたんです。あとは、もう正直に言うと、20代ぐらいまでは“ランカちゃん”って言われると、“中島愛なのに…”って思うときもあったんです。どれだけやっても、私は私として認められないのかっていう悔しさもあったり。でも、今の年齢になって…さっき言ったように10周年から15周年での変化が大きかったんですけど、“まだ言ってもらえるんだ”っていう方に変わって、受け入れられるようになりました。そのことを、ぼんやりした自分の中の記憶だけではなく、ちゃんと曲にできたので、“ごめんね、ランカ”みたいなところもあって。だって、<私が私であること>って歌っている私の声が、もうランカ・リーなんですよ(笑)。“イコール”って言ってもらえるのはとっても幸せなことじゃないかって思っています」
──ランカへの感謝も込めてますよね。レコーディングはどんなアプローチだったんですか?
「すごく不思議でした。大人っぽくしようと思って、ちゃんと準備していって歌ったんですけど、録ったものを何度聞き返しても、きゃぴっとしちゃっていて。キュルン、みたいな(笑)。共作した作詞家の児玉雨子さんも、“年齢相応でもいいかも”って言うフィードバックをくれて。“だよな”と思ってやるんですけど、ならないんですよ、なかなか」
──中島愛の新曲を歌ってるのに、ランカになっちゃう?
「はい。今まで一生懸命に分けてきたんですけど、いい意味で、初めてごっちゃになったんです。“これは分けられないぞ”って、ちょっと面白くなってきちゃって。これは私からランカへの曲だと思ってやっていたんですけど、ランカが私に歌ってくれているようにも聞こえるなっていうことに気づいて。ランカではビブラートはあまり使わないとか、私の時はやらないしゃくり方とかがあって。ずっと歌い回しを明確に分けていたんですけど、それがバッと一緒になって、計算しないで歌えました。ほぼ初めてじゃないですかね」
──面白いし、不思議ですよね。イコールになったり、離れたり、混ざったり…。
「どういう存在なんだろうなって思っちゃいますよね。友達でもなく、家族でもないし、ま、本人?」
──(笑)中島愛=ランカ・リーにしてもよかったかもしれない。
「それ、初めて言ってもらいましたね。確かに、逆にしてもいいんですもんね。ランカちゃんが嫌がらなければ」
──あはははは。
「“私でよかったんですか?”っていつも思うんですよ。顔出しのライブも多かったですし、自分がランカにふさわしかったかどうかはずっと考えていて…それは、作品に対しての責任とは違う、個人的なところでも思っていたんですけど、やっと整理できました。ただ、ここからもう1回、離れたりくっついたりをいろんなタームで繰り返していくんだろうなって思うんですね。“今、私達はわかり合えました。これからもずっと一緒です!”みたいな美談ではないと思うんですけど、“1つ決着ついたよね”っていう感じがします」
──お客さんの反応はどう感じましたか?
「あの日、声が駄目になっちゃったんですけど、みんなが“ここまでよく歌った、頑張った”っていう称える気持ちで聞いてくれてるっていう雰囲気が感じられて…申し訳なくなると同時に、お客様あっての「equal」だな、と強く感じましたし、あの日、ちゃんと完成したなって。みなさん、キラキラした瞳をしていたし、みんなの目をキラキラさせる曲のパワーも感じました。よく“ライブで歌ってやっと完成する”って言いますけど、この曲はレコーディング以上に、このライブで「qual」像がはっきりと見えたし、“これから長く歌っていける曲だな”っていう確信もありました」
──本編の最後を「equal」で飾り、アンコールの最後に「星間飛行」で締めくくるライブになってましたが、MCでは“ずっと歌い続けていきます”ともおっしゃってました。
「私、このライブの日に、“こんなにも歌が好きだとは思わなかったな”って感じたんです。マネージャーたちはよく知っていると思いますけど、私ってよく、“もう無理”、“もうできない”、“もう駄目”って言ってるんですよ。でも、こんなにも歌いたい人なんだっていうのを15年経って、やっとわかりまして。いや〜、自分がここまで歌いたい人だとは思っていなかったです。2014年に活動を休止したときもまだ気づけなかったことだったんです」
──歌いたいのに思うように歌えないという状況もあったからかもしれないですね。
「そうですね。その後、10日間ほど静養していたんです。ただ休んでいるのは…と思って、頭を動かしまくった結果、とりあえず2025年のやりたいことまでは考えられました。だから、この1ヶ月の話ですよね。ムクムクと気持ちが湧き上がってきているのは。ここまでは刹那的に、“1年後にどうやったらタイアップをいただけるんだろう?”、“1年後にどうやったら見向きしてもらえてるんだろう?”ってずっと考えながらいたんですけど、それよりは“歌を歌い続けていたい”みたいなギアに入りました」
──近年は先輩方と共演するイベントへの出演も多いですよね。7月15日には『売野雅勇 作詞家40周年コンサート』に出演しましたし、一昨年は松本隆 作詞活動50周年を記念するイベント『風街オデッセイ』にも出演されています。
「そうなんです。そこで、作詞家の先生もそうですけど、たくさんの大ベテランの方たちにお会いして。今年、『うたコン』にMay’nちゃんと一緒に出演したときもそうなんですけど、もう60、70、80歳近くになっても、同じ覇気で変わらずに伸びやかに歌ってらっしゃる。そんな先輩方を見ていて、“15年なんてちっぽけだな”って感じて。それは、自分が30代に差し掛かってきて、まだちょっと手をかけたくらいですけど、声を維持することがどれだけ大変かっていうのが想像できるようにやっとなってきたからだなと思っています」
──うんうん。
「20代の頃には全く想像がつかなかったんです。“長く歌っていくってどういうことだろうな?”みたいな。“元気ならいいのかしら?”ぐらいに思っていましたけど、自分がちょっとバランスを崩したり、体調の管理がうまくいかなかったりする中で、ああやってステージに立ってるっていうのは、並大抵のことじゃないんだなと思うと同時に、すごいハッピーなことだろうなって思って。羨ましいんです。ああなりたい。そう本気でそう思いました」
──10日前くらいのことですよね(笑)。
「そう、先週ですね(笑)。私、家で一人で泣いていたんですよ。“あと40年は歌いたい!私の声、持ってくれ!”って(笑)。先輩方は昔よりずっといい状態を見せ続けているじゃないですか。昔のままじゃ駄目なんですよね、きっと。スターと自分を比べるのはおこがましいですけど、それでもやっぱり羨ましいし、悔しくもあって。絶対にああなりたい。珍しいんですよ、私が何かになりたいとか、野心を持つとかって。本当になかったから。“仕事なので”とか、“学生の頃からやってきたし、これが私の職業なんで”みたいなテンションだったんです。どこかでクールさを装っていたかったんでしょうけど、今は悔しいし、もっと歌いたいし、羨ましいっていう気持ちになってます」
──かなり前向きな姿勢になった中で、12月にはデビュー15周年ライブの第2弾が予定されています。
「私の故郷の水戸。しかも、新しい市民会館。地元だし、クリスマスイブでもあるので、街やホールの雰囲気に合うような曲を考えていて。自分でも今から楽しみです」
──第1弾とはまた違うライブになるってことですよね?
「かなり違いますね。これまでを振り返るような場面も考えつつ、まだ言えないんですけど、あの終わり方はきっとエモいと思います。あと、『マクロスF cosmic cuune』っていう『マクロスF』のクリスマスアルバムがあって。このアルバムに収録された曲をソロではあまり歌ってこなかったんですけど、ちょっと歌ってみたいなと思っていたりします。そこが聞きどころかもしれませんし、第2弾はもちろん、第3弾以降も心を込めてセットリストを考えています」
──楽しみにしています。そして、USENでは2017年4月からトーク番組「れでぃのたしなみ」が放送中です。
「本当にお世話になっております。こんな長く続くとは!って、びっくりしてるんですけど」
──7年目に入ってますが、中島さんにとってはどんな場所になってますか?
「お仕事なんですけど、息抜きって言っていいのかな(笑)。復帰前までは、レギュラーのラジオもあったんですけど、もうちょっとかっちりしていたんですよ。紹介することや話すことがしっかりと決まっていたし、『マクロスF』関連のラジオも多かったんですけど、復帰して、このラジオが始まったきっかけが面白かったんですよね。私が“ボビー・コールドウェルさんのライブに行った”っていうブログを2016年か2017年に書いていて。それを見つけてくださった番組スタッフさんが“どんな曲でもかけていいラジオをやりましょう!”って言ってくださったんです。だから、『愛のレコードラック』っていう、本当に何でもかけていいコーナーもあって。蛭子能収さんのソロ曲とか流しても何も言われないんです」
──(笑)w-inds.のインストを3曲かける番組もなかなかないですよね。
「そうですね。でも、ずっとやりたくて。“インスト3曲かけていいですか?”って言ったら、ディレクターさんも“全然いいですよ。ありですよ!”って言ってくれて。歌も好きなんすけど、音が好きな私にとっては最高の場所なんです。2週に1回ですけど、顔なじみのスタッフと会えるだけで、気を張っていた力が抜けますし、ラジオがすごい好きなスタッフさんが作ってくれているっていうのがわかるので、それにとっても感化されながら、7年間やってこられました」
──そのラジオでは今年の目標として、“やってみようをテーマにする”と掲げていました。
「声優の活動も含めて、あまりやったことのないこと、避けていたことに真正面から向き合ってみようっていうキャンペーンを自分の中で開催中です。その精神でやってみて、少しずつ実を結びつつあるので、そのままいけそうかどうかを12月に判断しようかと。やったことないことっていっぱいありますけど、一度やってみて、やらなくていいこともあるなと思ったら、そこは来年、軌道修正します。そして、そのまま続けていくことを目標にしたいです。“いつ辞めてもいいや”って思うなら、それはやらないんですよね。続けたいからやる試行錯誤なので、少なくとも30代いっぱいは続けていきたいです。今まではレコード会社の方にも“私はこれはやらない”って宣言しちゃってたりしたんですけど、そこのロックをちょっとずつ外しながら、もう1回ロックするところも考えつつ、長く長く歌い続けていくための活動を大事にやっていきたいと思います」」
(おわり)
取材・文/永堀アツオ
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