──リリース日当日のインタビューになりますので、新しいEPがリリースされた心境から聞かせてください。
空野青空「私たちがこのEPのリリースを知る前から「ONE NATION UNDER THE DEMPA TOUR」を始めていて、全国を回らせていただいてたんで、ここにたどり着くまでの期間がすごく長かったなって感じてます。私の中では“ついにここまで来たぞ!”っていう達成感が沸々と湧いてきてる感じですね」
高咲陽菜「私も“やっと”っていう感じが強くて。ツアーが始まった3月から3ヶ月…まだかまだかと待ちに待っていたし、前回のEP『でんぱぁかしっくれこーど』の発売されるタイミングで、もふくさんが、“これからも続編みたいに続けてく”っていう話があったので、みんなが気になってた続編が出たぞという感覚もあり。この5曲のサイズ感がとっても好きですし、おすすめしやすいと思うので、ぜひぜひ手に取って聞いていただきたいです」
小鳩りあ「前回のEPが、“令和版魔改造電波ソング”ということで、秋葉原にフィーチャーした、最強の令和の電波ソングですごく好きだったんですけど、今回のEP『ONE NATION UNDER THE DEMPA』は、「古代アキバ伝説」みたいな秋葉原感もありつつ、電波ソングやロックな感じも入ってきてて。TAHITI80さんやギターウルフさんに関わっていただいているので、秋葉原要素もあるんですけど、よりワールドワイドになったっていうか。世界が広がったなっていう感じがして、このEPもすごく好きです」
天沢璃人「私は、「ONE NATION UNDER THE DEMPA TOUR」が始まって、「古代アキバ伝説」を最初に聞いた時はまだあんまり理解をしきれていなくて。今までは日本語の題名のツアーが多かったし、記憶の中では、“でんぱ組.incとして初めてちょっと意味があるようなツアーだな”って思っていて。その最後に、このEPが発売されたことにより、全てのつじつまが合って、全部がまとまったなって。このEPの中に、今、我々が心に持っている“一つになろう”みたいな気持ちが全部詰まってるのではないかなと思います」
──ぺろりんはどうですか?
鹿目凛「私は最初、先行配信の「古代アキバ伝説」を聞いたときに、ちょっと抵抗があったんですよ」
──そうなんですか!?
鹿目「はい。“なんだ、この変な曲は!?”って感じて。世間的にも清純というか、王道というか、可愛いアイドルソングが流行ってる中で、すごく面白い曲だったので、EPになるということは、もっとヤバい曲がいっぱいくるんじゃないかな?って思ってたら、それぞれのジャンルで、5曲で1つの物語が完成するようなEPになってて。いい作品を作ってくださってありがとうございます!の気持ちです」
──続いて、ピンさん。
藤咲彩音「でんぱ組.incで、いろんな調理をしてくださる作家陣、作曲家陣、クリエイター陣がいてくださって。今回、また変な曲が増えて、また楽しい日々が増えるなっていうことを感じています。コロナ禍の3年間でリリースを経験してきた子たちもいたし、みんなで盛り上げてはいたけど、ずっとインターネットの海を泳いでて。今のタイミングで、声出しライブのツアーがあって、リリースイベントでも直接に会えて、リアルに肌で感じることができて。一緒に盛り上がっていけたのが、本当久しぶりな感覚で。リリースできることは本当に当たり前じゃないからこそ、ファンの人と一緒に作っていくんだよなっていうことを改めて感じさせてもらえたEPでしたね」
古川未鈴「ツアーや、お芝居の戯曲もそう。いろんなことをやってきたけど、やっと今、一点に集中したものが世の中に発売されて。“あ、全部このためにやってたんだな”みたいなことに気づいた日になりました。『ONE NATION UNDER THE DEMPA』は、タイトルがオマージュなんですよね」
──ファンカデリックの「ONE NATION UNDER THE GROOVE」から来てるのかもしれないですね。
古川「私は正直、もふくちゃんとは違う音楽の趣味を辿っていってるので、元ネタの全てがわかるわけではないんですけど、わかんないなりにも乗っかって楽しむみたいなことができたEPになったと思います。それこそ、TAHITI80さんやギターウルフさんも通ってない道ではあるんだけれども、YGQ(音楽ディレクター/映像監督)がめちゃくちゃテンション上がってたり、ヒャダインさんが、“俺はTAHITI80の曲に歌詞を書いたぞ!”ってTwitterにつぶやいてくれるぐらい、何かすごいもんがうごめいてる作品で、そこに私達でんぱ組.incのメンバーが乗っかって、どんちゃん騒ぎができたっていうのがすごい楽しかったです。“萌きゅんソング”の定義がまた広がったなっていう感じもしましたね」
相沢梨紗「今回のEPは、今のでんぱ組.incができること、やらなきゃいけないことを詰め込んでもらったのかなって思っていて。前回の『でんぱぁかしっくれこーど』は、今までの秋葉原の歴史とか、配信もなくて埋もれそうになってる電波ソングが世の中に残っていかないなんて悔しいっていう思いがあって。それをサルベージしようというテーマを、組んでたのかなと思っていて。そこには、でんぱ組.incのルーツが確かにあって。ただ、私達も半分くらいは妄想や想像でやらなきゃいけなかったんですけど、今回の『ONE NATION UNDER THE DEMPA』に関しては、今のリアルタイムの私達で、一つ一つの曲に向き合って、“私達で作っていい”みたいな雰囲気があって。すごく楽しかったし、自信を持って、“でんぱ組.incの曲なんだ!”って言える曲たちになったなって私は思っていて。それは、きっとでんぱ組にしか歌えない曲ばっかりやらせてもらえたからかもしれないんですけど、今のでんぱ組.incを聞いてもらいたいなって思ったら、まず、このEPを渡したいなという気持ちです」
──りさちーからあった“でんぱ組.incがやらなきゃいけないこと”というのは?
相沢「『でんぱぁかしっくれこーど』では“秋葉原を守らなきゃいけない”ということで、『ONE NATION UNDER THE DEMPA』は、声出しができるかできないかみたいなときにスタートしたツアーのタイトルだったんですよ。そのツアーの中で、<失われていた“萌え”と“エモ”を取り戻すために立ち上がった>って言ってて。“萌え”も“エモ”も、それぞれ持ってるものは違うけど、やっぱりみんなが失っていたのは確かだと思うんですね。そこで、私達が声を上げることで、でんぱのもとに集まって、一緒に盛り上がろうじゃないか、一緒に熱い気持ちになろうじゃないか、みたいな。その気持ちの交換できる場所に持ってくる通行手当のようなものかなって、勝手に私は解釈してるんですけど」
藤咲「“みんなで熱い気持ちになろうよ!”っていうのを、私、忘れていたんですよね。というのも、私自身はずっと熱い気持ちのままなんですよ」
空野「確かに!」
藤咲「あははは。ずっと燃えてたからね。だから、声出しできないコロナ禍のライブが歯痒くて。見てる人に対して、“なんで盛り上がってないんだよ。なんで熱い気持ちになってないんだ。ライブなのに。今しかねーだろう”っていう熱い気持ちを持って見てたんです。でも、“そっか。だって声出しできないし、できることが限られてきてるし、そりゃそうなるよね”っていうことに気づいて。私はマイクを使って声を出せるけど、“そうだよね、みんな我慢してる状態をずっと過ごしてきてたんだよな”って、改めて思って。だから、今こそ、その気持ちを思い出してほしいなって。別にライブじゃなくてもいいんですよ。自分の夢だったり、欲望みたいなのを諦めないで欲しいんです。“あなたの体の中にも萌えとエモがあるじゃん!熱くなるものがあるじゃん!”っていうのを言ってますね、このEPは」
相沢「あと、「古代アキバ伝説」に関しては、未鈴とりさ、ピンキーはなりきり役のキャラクターがあって、りあぴもメイドカフェのルーツがあったりして。それとはまた別で、でんぱ組.incになってから秋葉原に触れたメンバーもいる。あおにゃんは北陸でアイドルをやっていたし、ぺろりんも秋葉原でバイトをしたこがとないタイプだけど、今、この状況に巻き込まれてる人たちが、ちゃんと曲の中で<誰やねんそいつ>とか、<はァ!?>とか、ツッコミを入れてくれてるんですね。そういう人がいないと、やっぱり裾野が広がっていかないし、狭くなっちゃうから」
鹿目「私が最初に「古代アキバ伝説」にちょっと抵抗があったって言ったのは、前作『でんぱぁかしっくれこーど』の舞台が秋葉原で、私はでんぱ組.incに入って、秋葉原に触れたので、昔の秋葉原のことをあんまり詳しく知らなくて。だから、ちょっと疎外感を感じるというか、うまく乗れなかったんですよ。そのことをりささんに相談したら、“ぺろりんみたいな子がいるおかげで、秋葉原の歴史とはまたちょっと違うふうに生きてきた人の架け橋になるんだよ”と言ってくれて」
相沢「でんぱ組.incのファンの人って、いろんな人がいますからね。東京じゃないところに住んでる人の方が多いし、全員が全員、秋葉原にノスタルジーを感じたり、詳しいわけではない。それって当たり前だから、でんぱ組.incがそれでいいと思ってるよっていうのも伝えられたらいいなって思います」
──みなさんとって秋葉原とはどんな街ですか?
空野「私はネットカルチャーが好きなタイプで、ずっとネットで生きてきたので、秋葉原は孤高の戦士が集まる戦場みたいな、すごくいい印象を持っていたんです。しょこたんのおかげもあって、ヲタク=恥ずかしいじゃなくなってきてた世代でもあるんですよね。だから、今、富山からずっと憧れを抱いていた秋葉原のカルチャーにどっぷり触れることができて。しかも、そのアキバカルチャーを歌にして表現していくことができるのは、ヲタクとして嬉しいことだなって思います」
高咲「私は秋葉原の場所を知るきっかけが、でんぱ組.incだったんで、秋葉原に最初来たときに、“うわ! ここがでんぱ組.incでかの有名な秋葉原だ!なんてかっこいい街なんだ!”って。全てでんぱ組.incから得た知識ばっかりだったんで。何があるとかも何もわからないまま、でんぱ組.incの聖地巡礼みたいな感じで来てたんですけど、その場にいる人たちはみんな好きなものを持って、自信満々に歩いてる姿を見て。私も学校でひそかに、缶バッジをぎゅうぎゅうに詰めたペンポーチとを持って行ってたんですけど、そういう人たちがもっと強化された人が秋葉原にたくさん集まってたいたので、“まだまだ私はこれからだ!”みたいな気分で秋葉原に最初入ったのを覚えてます」
小鳩「私は福岡に住んでたので、秋葉原は、小学生の時にテレビで放送されていたメイドカフェの特集を見て知って。かわいいものにすごく憧れてたので、“こんな格好で働けて、いい場所だな”って思っていたんです。福岡にもメイドカフェが少しだけあって、働いてみたら、本当に秋葉原の特集で見たような女の子とか、ご主人様やお嬢様がいて。“あ、こんな世界、本当にあるんだ”と思って、夢を見て上京して、秋葉原に来たんですよ。でも、実際、私が秋葉原に来た頃はブームが下火で、電気街的な一面の方が私は大きく見えて。“こういう街なんだ。本当は…”っていうのを知って、ちょっと悲しいというか、寂しくなって。それは、私が大きい偏見を持っていたからなんですけど、『でんぱぁかしっくれこーど』で秋葉原の街を主人公にした舞台をやったときに歴史的な部分をもふくさんから聞いたりして、秋葉原って強い街だなって改めて好きになりました」
天沢「私は宮崎に住んでて、元々ボーカロイドが好きだったんですけど、メイドさんやアイドルが好きな友達がいて。師匠って呼んでるんですけど、師匠が、私にメイド文化を教えてくれたんですよね。宮崎にもあったんですけど、なくなっちゃって。秋葉原に行けば、メイド喫茶がたくさんあって、アニメやボカロのグッズもいっぱいあるんだって、めっちゃ憧れを抱いてて。上京してから“絶対にアルバイトするのはアキバにしよう!って思ってたくらい憧れてました」
──師匠はディアステージにも来ましたか?
天沢「最初の生誕を見に来てくれて。その師匠が、福岡のメイド喫茶で働いてる時の(小鳩)りあさんを教えてくれたんですよ。その後、“りあさんが秋葉原のディアステージで働いてるからいいんじゃない”って言われて、ディアステに来たんです」
相沢「師匠ありがとう!」
天沢「なので、すごく憧れの街だし、『でんぱぁかしっくれこーど』の戯曲で昔あったこととか、わかんないなりにやって。今、自分が秋葉原に関われていることがすごく嬉しいです」
鹿目「私は埼玉出身なんですけど、池袋、新宿、渋谷、秋葉原みたいな。東京の第4都市みたいなイメージがあって。学生時代、アニメにハマっていたときに、休日に1人で秋葉原に行って。今ではSNSでいろんなスポットを調べられるけど、当時はパソコンで調べるしかなかったし、そもそも私に調べる能力があんまりなくて(笑)。でも、秋葉原っていう場所は、第4都市の中でも、“いやすいな、自分に合ってるな”みたいな感じだったので、あてもなく散歩してました。ふふふ」
藤咲「私は両親の影響で、1歳からコスプレをやっていたので。埼玉生まれで隣の県なので、東京に来ることが多かったんですよね。日暮里とか池袋、秋葉原、晴海、東京テレポート、ビックサイト…」
相沢「コスプレイベントの場所ばっかりだ!」
藤咲「はい!」
──サラブレッドですよね。
相沢「血統書付きです」
藤咲「だから、肌なじみがあったんですけど、私はまだまだヲタクを受けいれてもらえてない時代に生きていて。物心がついて、ヲタクは隠さなきゃいけないものって思っていたけど、秋葉原に行くと、みんな開放的で。“ここはヲタクの駆け込み寺なんだ”って思ってました。ここでは、私も好きなものを言っていいんだな、好きなものを買おうって。それは今でもずっと変わらない。ヲタク文化は受け入れてもらえてるけど、今でもヲタクにとっては、安息地で、駆け込み寺だなって思ってますね」
相沢「私は秋葉原にしか居場所がなかったので、秋葉原がなかったら今はないかもしれないです。学校にも家にも馴染めなくて。秋葉原に来て、自分で名前を決めて、メイドカフェでメイドさんとして働くようになって。秋葉原の住人になった瞬間に、“私は生きてていいんだな”って思えたんですよ。私に新しい命をくれた場所が秋葉原で、そこがやっぱり自分のターニングポイントにもなっている。“生きづらかったら自分で生きやすい場所を作ったらいいんだ”っていうのを教えてくれた街だったので、最初は、自分が消費するだけだったんですけど、気づいたらでんぱ組.incになれたんで、自分と同じような人たちにもアキバの街を知ってもらえたらいいなっていうのが、でんぱ組.incをやる原動力になってます」
古川「私は実はあんまり秋葉原のオタクの人種ではないんじゃないかな?と思っていて。私が初めて秋葉原に足を踏み込んだのは、高校をやめて、ファミリーマートとネットゲームを往復していた時代なんです。私はアイドルになりたかったので、オーディションを受けて、書類落ちして、いろんなオーディションも受けて、全部駄目で。“クソっ!”て思ってた時代(笑)。ネトゲの友達からの“メイド喫茶っていうのがあるらしいよ”っていう一言で、“なるほど、そんな街があるのか!”と思って、メイド喫茶の面接で初めて行ったんですね。なので、私は秋葉原文化に憧れてとかでは実はなくて。“私はこの街で絶対に有名になってやる!”っていう感じで、秋葉原に通ってました。メイド喫茶とか、ディアステージで働くことによって、1つ気づいたのは、“やっぱり人に喜んでもらえることは楽しいな”っていうこと。それを仕事にできているのはすごい天職だなというのがあって、バイトに飽きっぽい私が、ディアステージをこんなに続けられて、そして、アイドルになれて。本当に“この街でやってやってるぞ!”みたいなところから始まってるので、私にとっての秋葉原は挑戦する場所みたいな感じで捉えてますね」
相沢「あと、不思議なのは、こんなに秋葉原のこと歌ってるのに、私達、ご当地アイドルではないんですよ」
古川「確かに、秋葉原のご当地アイドルとは言われないね」
相沢「そういう人がいっぱいいっぱいすぎてならなかったのかな?…でも、こんなに一つのグループで秋葉原のことばっかり歌ってる人いないと思うんですよね。固執するというか」
藤咲「秋葉原の電気街まつりで、アキバの街にポスターででんぱ組.incジャックしてた時代もあったけど、アキバのご当地アイドルとは言われてない」
相沢「AKBさんも秋葉原だけど、秋葉原のご当地アイドルではないじゃないですか。アキバってなんか不思議な街だなって思います。未だにわからないことたくさんありますね」
(後編に続く)
取材・文/永堀アツオ
写真/中村功
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RELEASE INFORMATION
でんぱ組.inc『ONE NATION UNDER THE DEMPA』
完全生産限定盤(CD+DVD)/TFCC-81030~81031/3,500円(税込)
Toy's Factory
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