
はじめに……
音楽評論家の富澤一誠です。いい歌、いいアーティストを見つけて紹介するのが私の仕事です。加藤登紀子さんの歌は単なる歌ではありません。歌を超えた「音楽文化遺産」と言っても過言ではありません。なぜかというと、時代が音楽を生み、音楽が時代を生むという必然性から生まれたすごい歌だからです。「知床旅情」をはじめとして「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」などはまさに時代が生んだ歌です。そこで加藤さんの歌が生まれた背景にせまってみたいと思います。というわけで、「Age Free Music 富澤一誠のこんないい歌、聴かなきゃ損!」今回のゲストは加藤登紀子さんです。
富澤一誠「去年の春、家の近所を歩いている時につまずいて転びましてね、左目の上を11針縫ったんですよ。調べても特に何もないんですけど、それからどうも調子が悪くて。だから今日うまく話ができるかどうか、言い訳しておこうと思って(笑)」
加藤登紀子「気を付けないとね。私も転ばないように注意してますよ、下を向いて歩こう♪ってね(笑)。この間もお墓参りに行って転んだからね。空が美しいなあと思って上を向いて歩いてたら地面がでこぼこだったからつまずいたのね。それで”ギャーッ!”って声出して転んだんだけど、家族が言うには、ママはスローモーションで転んだって。それでどこも怪我しなっかたの。あと、これは今から10年くらい前だと思うんだけど、宮沢和史さんと一緒にライブをしたんだけど、ステージの前の方で”それでは宮沢さんをお呼びしましょう”って言って振り向いた時に機材にぶつかって転んだの。だけど私、咄嗟に回転して起き上がったのよ。宮沢さん、私が転ぶのを見て驚いたけど、すぐに起き上がったのを見てもっと驚いたって(笑)」
富澤「瞬時に受け身が取れたんですね。年齢のせいなんでしょうけど、そういう瞬時の反応が遅くなってますよね。若い頃に比べると明らかに、思い付いたことを言葉にするまでに時間が掛かってるのを感じますから」
加藤「それはあるわよね。去年ステージの上で谷川俊太郎さんの名前が出て来ないことがあって、その時は”ほら、あの方……えーっと、これはクイズにしましょう!先日92歳でお亡くなりになった詩人です”って言ったら客席から”谷川俊太郎さん!”って名前が上がったから”当たりー!”って言って、話を進めたんだけど(笑)。そういうこと増えてきますよね」
富澤「そうなんですよね。だから今日は伺うことをメモしてきました。どうぞよろしくお願いします。まずは60周年おめでとうございます。50周年の時にもお話を伺いましたけど、その時は60周年に向けてこれからは1年1年の積み重ねという風におっしゃっていました」
加藤「10年後はどうなっているかわからないから1年ずつ数えようって気持ちだったのね」
富澤「その1年1年を積み重ねてのこの10年間というのは加藤さんにとってどんなものでしたか?」
加藤「まず覚えているのは75歳になった時のこと。12月25日に「ほろ酔いコンサート」(本人も観客もお酒を飲みながら歌とおしゃべりを楽しむ年末恒例の公演)が終わったんだけど、その翌日から膝が動かなくなったの。病院に行ったら”水を抜けば大丈夫ですよ”って言うので処置してもらって、27日の誕生日には杖をついてハルビン――私の出生地なんですけど――に行ってたんだけど、その後また病院に行ったら”完治することはありませんが毎日トレーニングをしてください”って言われて、”ついに来たか!?”って自分が老境に踏み込んだのを実感しました。それで筋肉の衰えを抑えるような運動をきちんとするようになったの。そうしたら前よりも状態が良くなったんだけど、その次にコロナがやって来たのよね。感染症が流行ってコンサートが全部中止になってしまったから、その時期にYouTubeで「土の日ライブ」を始めました。今でも当時の手帳を見るとライブの予定がみんなバツ印で消されててゾッとするけど、スタッフにしばらくは持ち堪えられるだろうし、ギリギリになっても家の米びつが空になるまではみんなの面倒を見るから、今はゆっくり日々を楽しもうって言ったの。うちはお米つくってるから米びつが空になることはないのね。でも”登紀子さん、米だけじゃ困ります”って言われて(笑)。まあ、そんな覚悟でみんなでできることをやろうって話し合って、うちのスタッフだけでYouTubeを始めたの。そんな風にしているうちに少しずつ仕事ができるようになってきたんだけど、仕事が終わった後にご飯を食べられる所がなくて、どこも夜8時で閉店とかね。恐ろしい時代をくぐり抜けたなと思いますね」
富澤「確かに恐ろしい体験でしたね。しかしようやくくぐり抜けたら今度は、自分のことになりますけど体調が良くなくて。医者に診てもらってもどこも悪い所はなくて”加齢です”って言われて。それじゃしょうがないと思うしかないんだけれども、どうも気分がすっきりしなくて、今だってしっかり話せてるだろうかなんて不安があるんです」
加藤「大丈夫よ、ちゃんと話せてるもの。それに、しっかりしようって頑張ってるでしょう?頑張ることが大事なのよ。そう、私、頑張って老眼が良くなったのよ。60周年を迎えるってことはそれだけの衣装があるってことなのね。使い回しもするから捨てないでいて、それは大変な数。中にはウエストが入らなくて着れなくなったようなものもあるんだけど、そういうのも直せばまた使えるからコロナで時間が出来た時に洋裁をするようになったの。そうしたら針の穴に糸を通すのが大変でね、iPadで原稿を打つ時も文字が見辛くって大変だったんだけど、つまり老眼よね。それでも諦めていられないから目を見開いて、ホント私、頑張ったのよ。そうしたらそのうちに楽に針に糸を通せるようになって前よりも物がよく見えるようになってきたの。悪い状態になってもそれを突破しようとすることが大事です」
富澤「けっこう気になってましてね、家でもカミさんに”俺、口回ってる?”って訊いてみたりもしたんだけど”あなたは昔から滑舌よくないわよ”なんて言われちゃって」
加藤「あはははは!奥さんの答え、いいわね。確かに滑舌よくなかったわよ。今の方が却っていいかも。だからね、諦めないで頑張ること、訓練することって本当に大切なのよ。私、50歳になる頃までボイストレーニングってしたことなかったのね。偉そうに無手勝流で歌ってたの。それが50歳くらいのところでちょっとマズいかもって感じるようになってボイストレーニングの先生について、自分で体操なんかもするようになったの。そうしたらその先生が”登紀子さん、この感じだったら60歳まではいけますね”って言ってね。でも、気が付いたら60歳を過ぎてて、次は先生に”70歳までは保証します”って言われたんだけど、それがもう81歳。教わったことが身に付いて今は自分で自分の声の調子をコントロールできるようになってるんです」
富澤「若い時は速球派だったピッチャーが年齢を重ねて技巧派に変わっていくようなものでしょうかね」
加藤「そう、その通りだと思う。私、膝を曲げると痛いから真っ直ぐ伸ばして、肩甲骨の辺りに力を入れて踵を床に着けて身体を持ち上げるようにしっかり立つことを意識するようになったのね。それを頑張って続けてたら”登紀子さん、前よりも声が出てる”って言われるようになったの。つまりいろいろ悪い所が出てきたとしてもそこで止まってしまわないで、どうにかして乗り越える努力をすることが大事なのよ。そうやって今も体調を保てているから今年も自信を持ってツアーをやるんです。いろいろと水面下で足掻いてるんですよ(笑)」
富澤「さて、そういう加藤さんに今日ぜひ訊きたいと思っていたことがあるんですが、それはどこへ着地しようと思っていらっしゃるかということなんです。記念の2枚組アルバムを聴かせていただいて思ったのは、DISC 1の方、本来ならベストアルバムにするところをそうせずにオリジナルアルバムにされていて、常に現在進行形だから倒れた所が着地点になるんだろうということだったんです」
加藤「そうね、その通りだと思う。ベストアルバムにしようとは思わなかったし、まさに倒れるまで進むんだと思う」
富澤「曲作りにも意欲的だし大変な数の公演も続けていらっしゃる。年齢を考えたら普通はあり得ないと思うんですが、なぜそれが可能になっているのか?」
加藤「自分が何者であったかを見定めて終わるんじゃなくて、最期まで何者かわからないまま可能性を追っていたいのね。そして、できればその過程で素敵な出会いを重ねたい。例えば中島みゆきさんが書いてくれた「この空を飛べたら」という曲に出会った時も、みゆきさんと私はすごく理解し合っていたわけではないけど、とても深い出会いをしたと思うの。中森明菜さんの時だって「難破船」という曲を手渡すだけの接点しかなかったんだけど、今になるとやっぱりそこにはとても深いものがあったって感じるの」
富澤「加藤さんの素晴らしいのは、思い立ったら行動に移す所ですよね。明菜さんに歌ってほしいと思ってテープを送ってしまうとか」
加藤「そうなの、行動に移しちゃうのよ。でも、誰に対してでもそうというわけではなくて、よっぽどの時だけなの。そういうよっぽどの背景に何か特別な深いものがあるのよね、きっと」
富澤「加藤さんの中では常にマグマが燃えていて、それがある出会いの瞬間に噴火するということなんでしょうね」
加藤「森繁久彌さんが私の歌を初めて聴いたのは、大勢の歌手が出演する公演の時で、森繁さんは地下の控室にいらっしゃってスピーカーを通して私の歌を聴いたそうなんです。そうしたら”おっ、誰だ !?初めて聴くな”って言って地下から舞台の袖まで上がっていらっしゃったんですって”僕の心に届いた”って。その後に”あんたの声はツンドラの風の冷たさを知っている声だ”って言われたんですけど、それはまさに一瞬の感性が生んだ出会いだったと思いますね。そして、そこには私とみゆきさんや明菜さんとの間にあったのと同じものがあったんだと」
富澤「やっぱりアーティストとしての感覚、感性が加藤さんや森繁さんを動かしているんでしょうね」
加藤「うーん……なぜだか動こう、やらなくちゃと思っちゃうのよね、こっそり悩んだりしながらね。今、心の中にあるものを全部出せる曲があるだろうか?って考えた時に、ないってなったら新たに作るしかなくて、例えば現在の世界状況を眺めた時に生じるモヤモヤとした、わけのわからない不安みたいなものを歌に出来たら、自分は一歩先に進めるっていうような感覚があるんです。そんな気持ちから作った「運命の扉」を、去年の「ほろ酔い」の時に歌ったんだけれども、ファンの方からは過去の作品について”なぜあの歌をうたわないの?”という声をいただくことも多い中で、誰も知らない新曲を披露するのでドキドキもしたんです。”これならあの曲の方が良かった”なんて言われることもあるだろうと考えて。でも、そういう心配な気持ちを跳ねのけて私はラストに「運命の扉」を歌ったんです。勝負なの。私が過去に作ってきた歌よりも今、現在地で歌いたい曲を選んで皆さんに受け入れてもらえるかどうか?私の想いが受け止めてもらえるかどうか?という。それがありがたいことに認めてくださる方が多かったことから、やっぱり私は現在地から自分の想いを発信していこうっていう気持ちを強く持てて、記念のアルバムを今回のような形で作ることになったんです。だから代表曲だけを集めたものにはしなかったし、でも皆さんに愛されている曲はやっぱり周年記念のアルバムだから外せなくて、それなら「運命の扉」だけじゃなくて、今現在の表現で収録したいと思う曲についてはレコーディングし直すことにして、それで15曲を新録したの」
富澤「現実的なことを言えば、時間もお金も掛かるから、敢えて新録はしないって考え方の方が普通ですよね」
加藤「そうかも知れませんけど、結果的にやってよかったです。とても楽しいレコーディングができたから」
富澤「DISC 1の「for peace - 80億の祈り」というタイトルはどのようにして付けられましたか?」
加藤「“for peace”というのは今年のコンサートタイトルとして付けたものだったんだけど、これだけじゃ弱いと思っていたのね。それでYae(シンガー・ソングライター。加藤の次女)が2年前に作った「80億の祈り」っていう歌もタイトルにいいなあって思っていたから”入れてもいい?”って訊いて、収録してタイトルにしたんです」
富澤「Yaeさんもこの歌のコーラスで参加されてるんですよね」
加藤「ええ、すごくいいコラボができたと思います」
富澤「ところで作られた時点よりも時を経たところで歌にリアリティーが生まれることってあるじゃないですか?加藤さんにはそういう作品が多い気がします」
加藤「確かに「百万本のバラ」は失恋の歌ですけど、根底には支配的な体制への抗議の念、自由な表現や平和への祈りが流れていて、とても大事な歌になりましたしね」
富澤「ただ、歌にリアリティーが伴うのはいいことなんだけれど、それが平和を願うような歌の場合は、世の中にとっては望ましいことではないという現実もありますね」
加藤「そうね、おっしゃること、よくわかります。なかにし礼さんもそうだったと思うんだけど、私、生まれた時から危機的環境の中にいたのよね。敗戦国の人間だから、難民、否定的な存在として人生が始まってるの。礼さんは自分のそういう歴史についてなかなかカミングアウトされなかったんだけど、それは誰にもわかってもらえないという周囲の人たちと自分との間のギャップがあったと思うんです。それで礼さんが書いてくれた私のデビュー曲が「誰も誰も知らない」。私がハルビンの生まれだということは知っていたから、誰も知らないところで自分の胸の想いを詞にしていたんだなと後になって気付きましたね。それで自分のことを考えてみると、私にもギャップがあって、そのせいでどこかで遠慮してたのね。デビューの時だって歌謡曲をうたってキャバレー回りをするような歌手じゃなくて”シャンソンを歌っていきたいんです”って、もっと自分の希望を言ったってよかったのかも知れないんだけど、それが怖くてできなかった。それでキャバレー回りをして歌謡曲をうたうんだけど何も届いていない気がするの。そして好きなシャンソンを歌えば”外国の曲か”って不評が返ってくるし、とてもとても苦しかった。2枚目に出した「赤い風船」もあまり出足が良くなかったから、3枚目の「恋の別れ道」で礼さんと私は勝負に出たんです、演歌をうたって。礼さんが”お登紀、やるか !?”って言うから私も”やる!”って応えて、もう二人とも”私たちは演歌でも何でもやります”っていう意思表示をしたの。そうしたら「赤い風船」がレコード大賞の新人賞を獲ってね、この曲と「恋の別れ道」では色合いが全く違うものだから「恋の別れ道」の方は全品回収になったの。ということで礼さんと私の大きなトライはつまずいて終わったんです。それから20年くらい経ってから礼さんは私に曲を書けって言ってくれて、石原裕次郎さんの「わが人生に悔いなし」で二人の歌への想いは結実したんだけど」
富澤「「恋の別れ道」は幻の曲になってしまった?」
加藤「それがね、礼さんが作詩家・作家生活50周年の時に出した『なかにし礼と75人の名歌手たち』っていうアルバムがあるんですけど、そのリリースの前に”お登紀さあ、僕あの曲入れたよ”って連絡をくれたの。私がキャリアから抹消した歌よ。何か礼さんとの心のつながりを改めて感じたんだけど、それは普通の日本人とは違う、どこかにギャップを抱えた者同士という感覚だった気がする」
富澤「だからでしょうけど、加藤さんの歌には単なる歌を超えた、重くて深い体験をベースにしているからこその力がありますよね。それは曲を作り始めた初期の頃からあった傾向なんでしょうか?」
加藤「どれもがそうではないと思うの。結果として残ったものがそうだったということじゃないかな? 何か訳ありのものが残ってるのは確かだけど。「ひとり寝の子守唄」なんて、こんな寂しい歌が流行るとは思ってなかったし、「知床旅情」だって誰も売れるなんて想像してなかったもの。「知床旅情」は、お蔭さまで多くの人に聴いて歌っていただくようになりましたけど、時を重ねるごとに深いストーリーを持った歌になってますよね。と言うのは沢山の人を送ったから。3年前に痛ましい事故がありましたから、私は今回のアルバムにオリジナルではなくて改めて歌ったバージョンを入れたんです」
富澤「ではDISC 1と2の収録作品についてですが、選曲のポイントはどこだったんでしょう?」
加藤「まずこだわったのは、DISC 2は自分の作詞作曲の歌だけにしたいってことで、そうさせてくださいってレコード会社にお願いしました。DISC1は新しい曲と訳ありの歌なんだけど、DISC 2にはそれに呼応する自作曲を入れたいということで選びました。だからヒットソング集という括りではないです。DISC 1は「for peace」、2は「Life」というタイトルになってますけど、60周年を振り返るともうひとつ大きなテーマがあるなと思っていて、それは"出会い"なんです。本当に私にとってはこれまでの一つひとつの出会いが素晴らしかったの。できれば今回のアルバムとは別に「出会い」というタイトルでも作りたいくらい」
富澤「繰り返しになりますけど、やっぱり60周年ということでベストアルバムにしないところが加藤さんらしいですね。まだまだやりたいことがいっぱいありそうだし」
加藤「81歳だから取材なんか受けても老人向けの質問が多いのね。”終の棲家はどんな所がいいか?”とかね。私に終の棲家はないんですよ。トルストイは死の10日前に家出をして旅の途中に亡くなったんですけど、私にはそれが理想なの。なぜ家出したのか真相はわからないんだけど、そういう最期に憧れるの」
富澤「その気持ちはわからないこともありませんけど、加藤さんにはまだまだ現役で活躍を続けてほしいですね。今回のアルバムにしたって、僕みたいな仕事を何十年もやっていれば、フライヤーを見ればどんな内容でどんな意図があるのか想像はつくんですけど、加藤さんの場合はご本人に聞かないとわからない意味や想いが詰まっていて、ますます加藤さんという人や今後への興味を掻き立てられています」
加藤「記念アルバムじゃなくて企画アルバムと銘打ったのも、そういう気持ちがあったからなの。2枚のCDに入れられる最大の曲数を収録して、それから価格は最低限に抑えてもらいました(笑)」
富澤「新録が15曲も入っているのにお値段は据え置き(笑)」
加藤「そうね(笑)。そこには決意がありましたからね。本当は新録だけで出したいくらいの気持ちもあったんだけど、やっぱり過去の人気曲も押さえておきたいっていうレコード会社の意向もありまして。だからコンサートをするとなったら歌うであろう曲は全部入ってます」
富澤「コンサートも大変な数の予定が入っているようで」
加藤「お蔭さまで。だからまだまだ立ち止まっていられないんですよ。NHKホールのコンサートには「きみはもうひとりじゃない」を書いてくれた江﨑文武くんやYaeも出てくれることになってます」
富澤「僕も楽しみにしてます」
加藤「ありがとうございます。今日は他の媒体ではできないような、転んだ話なんかもできてよかった(笑)。お相手が富澤さんだからこそよね。楽しかった。本当にありがとね」
富澤「こちらこそありがとうございました。ますます加藤さんから目が離せなくなりましたよ」
(おわり)
取材・文/永井 淳
写真/平野哲郎

加藤登紀子 60周年コンサート for peace ~80億の祈り~ ツアーLIVE INFO
3月29日(土) 熊本県立劇場 演劇ホール
3月30日(日) 岡山芸術創造劇場ハレノワ 中劇場 14時開演
4月12日(土) 山形テルサホール
4月26日(土) 旭川市公会堂
4月27日(日) 札幌コンサートホールKitara 大ホール
5月24日(土) 住友生命いずみホール(大阪)
5月25日(日) ロームシアター京都 サウスホール
6月7日(土) 鳥取市民会館
6月22日(日) NHKホール(東京)
6月28日(土) 神戸国際会館こくさいホール
7月5日(土) iichiko総合文化センター 音の泉ホール(大分)
7月6日(日) アクロス福岡シンフォニーホール
7月20日(日) 愛知県芸術劇場 コンサートホール
8月9日(土) あきた芸術劇場ミルハス大ホール(秋田)
9月7日(日) りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場
9月13日(土) あしかがフラワーパークプラザ(足利市民プラザ)
10月12日(日) レクザムホール 小ホール(香川)
10月18日(土) YCC県民文化ホール 小ホール(山梨)
10月25日(土) 赤穂市文化会館 赤穂化成ハーモニーホール
11月1日(土) アクトシティ浜松 中ホール

加藤登紀子『for peace』DISC INFO
2025年5月21日(水)発売
UPCY-8047/8048/4,000 円(税込)
Lighthouse Music / ユニバーサルミュージック
…… and more!
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