1929年オクラホマ州の音楽一家に生れたチェット・ベイカーは、40年にロサンゼルスに移住する。そして西海岸を訪れたチャーリー・パーカーと共演することによってジャズ・トランペッターの道を歩み始めたが、パーカーとともにニューヨークに進出することはなく西海岸に留まり、ジェリー・マリガンと組んだ“ピアノレス・カルテット”が大人気を博して50年ウエスト・コースト・ジャズのスターとして一躍脚光を浴びることになった。
その後、麻薬がらみの事件に巻き込まれさまざまな問題を抱えるが、70年代にヨーロッパを活動拠点としてシーンに復帰、80年代には日本でも30年ぶりの人気が再燃し来日も果たした。今回はそうした数奇な運命をたどったミュージシャン、チェット・ベイカーを3回に渡ってご紹介するその第1回目として、50年代60年代のアルバムをお聴いただきます。
ヨットのジャケットからマニアの間で「加山雄三のチェット」などと呼ばれている『チェット・ベイカー&クルー』(Pacific Jazz)は初期の傑作で、チェットの自信に満ちた力強いトランペット・サウンドが聴き所だ。続く『チェット・ベイカー・シングス・アンド・プレイズ』(Pacific Jazz)は、タイトル通りチェットのヴォーカルとトランペットの魅力が1枚で楽しめる徳用盤。特に、晩年彼のドキュメンタリー映画のタイトルともなった《レッツ・ゲット・ロスト》は、チェットが生涯一度しか録音しなかったという貴重なトラック。
57年の秋、ようやくニューヨークに活動拠点を移したチェットが、58年にハードバップ・テナーの大物、ジョニー・グリフィンと共演したのが『チェット・ベイカー・イン・ニューヨーク』(Riverside)だ。このアルバムでチェットは黒人の一流ミュージシャンとも互角に渡り合えることを証明した。
ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の作者として名高いラーナー&ロウのコンビの作品集である『チェット・ベイカー・プレイズ・ラーナー・アンド・ロウ』(Riverside)はチェットのメローな魅力が楽しめるアルバムで、サイドにはビル・エヴァンスも参加している。バリトン・サックス、フルートなどを組み合わせた華麗なサウンドから、ウエスト・コースターらしい軽やかなチェットのトランペットが浮かび上がる。
59年ドラッグで逮捕されたチェットは釈放後単身イタリアに渡り、現地で吹き込んだのが『チェット・ベイカー・イン・ミラノ』(Jazzland)だ。私生活ではさまざまな問題を抱えつつもイタリアの空気が彼を元気にさせたのか、いたって快調なチェットが聴ける。そして64年、5年ぶりにアメリカに戻って吹き込んだのが「プレスティッジ5部作」などと呼ばれている作品群で、『スモーキン』(Prestige)はその中の1枚。ジョージ・コールマンをサイドに迎えたクインテットはまさにハードバップ。
そして今回最後にご紹介するのがチェット・ベイカーの名をわが国に知らしめた初期の大ヒット作『チェット・ベイカー・シングス』(Pacific Jazz)で、60年代のジャズ喫茶では、このアルバムの《マイ・ファニー・ヴァレンタイン》が実に良くリクエストされたものだった。そしてアメリカでも、彼の中性的とも言えるヴォーカルがご婦人方、そしてゲイの方々からも絶大な人気を博し、50年代のさまざまな人気投票で一位の座を獲得するに至ったのである。
文/後藤雅洋(ジャズ喫茶いーぐる)
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