いわゆる「ハードバップの夜明け」とされる54年と、名盤が最も多く録音されたと言われる56年にはさまれた55年は、ジャズにとってどんな一年だったのだろう。

まずなんといってもこの年を代表するアルバムは、マイルス・デイヴィスの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』(Columbia)だろう。結成されたばかりのマイルス・クインテットの実力、人気を知ったコロンビア・レコードは、彼をプレスティッジ・レーベルから引き抜き、最初にレコーディングしたのがこのアルバムである。ジョン・コルトレーンの参加により5人のレギュラー・メンバーが固まった時期で、これをもってマイルスのハードバップが完成したといって良いエポック・メーキングな作品である。

ハードバップはチーム・プレイを身上とする音楽だけに、この年は他にも多くのハードバップ・グループが誕生した。白人ピアニスト、ジョージ・ウォリントン率いるクインテットもその一つで、当時の若手黒人ミュージシャン、ドナルド・バードとジャッキー・マクリーンを擁し、「カフェ・ボヘミア」に出演した際の記録が『ジョージ・ウォリントン・ライヴ・アット・カフェ・ボヘミア』(Prestige)だ。プログレッシヴ・レーベルから出たこのアルバムのオリジナル盤は、「幻の名盤」として驚異的な価格で取引されたものだった。

ハードバップとはちょっと趣きを異にするけれど、ともにレニー・トリスターノの門下生である白人二人組、リー・コニッツとウォーン・マーシュも息の合ったアルバムを作っている。『リー・コニッツ・ウィズ・ウォーン・マーシュ』(Atlantic)は、元“クール派”の二人が和やかに交歓する傑作。しかし彼らの師であるトリスターノは同年、テープ操作を駆使した実験的作品『レニー・トリスターノ』(Atlantic)を発表している。孤高のピアニストの前衛魂は意気盛んだ。前衛といえば、後にオーネット・コールマンと並んで“フリー・ジャズ”の旗手となるセシル・テイラーもこの年、きわめて意欲的なアルバム『ジャズ・アドヴァンス』をトランジション・レーベルから出している。つまり1955年には、後のジャズ激動期を先取りする動きがすでに芽生えていたのだ。

そして西海岸では、チコ・ハミルトン・クインテットが“ウエスト・コースト・ジャズ”の最後の華を咲かせるようにして、室内楽的なジャズで大ヒットを飛ばす。クラシック音楽にも通じる静謐な響きを持った《ブルー・サンズ》は日本でも大流行した。一方、“ワン・アンド・オンリー”と称され、時代の流れには関係のないスタイルで人気を博したピアニスト、エロール・ガーナーの代表作『コンサート・バイ・ザ・シー』(Columbia)が録音されたのもこの年である。

こうして概観してみると、1955年は翌年のイースト・コースト若手黒人勢力爆発の予兆を感じさせる、過渡期的な年であったといえるだろう。

文/後藤雅洋(ジャズ喫茶いーぐる)

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