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SMART USENの「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」、第33回のゲストはシップスの原 裕章さん!



――パリで川久保 玲さんと邂逅(かいこう)したエピソードが印象的ですが、パタンナーとしてコム デ ギャルソンに在籍していた当時はどうでしたか?

熊切秀典「当時、僕はCOMME des GARCONS HOMME(コム デ ギャルソン オム)で働いていたんですけど、たまに“ボタンダウン・シャツの試着をするよ”っていうときに――ギャルソンで言う試着っていうのはいわゆるフィッティングで、皆さんが想像するような仮縫いにピン打ちするっていうあれです――川久保さんにお会いしたくらいで。そうですね、2回くらいかな……すごく緊張しましたね」

――そうだったんですね。

熊切「もちろん会社のエレベーターでばったり居合わせたり、というのはしょっちゅうありましたけど。そうそう、あれはちょうど日韓ワールドカップのときだったのかな……朝、僕がスポーツ新聞を6紙くらい買いこんで会社に行く途中、青学のあたりでばさっ!と落として、それを拾っているところを川久保さんに見られちゃって“あなたずいぶんたくさん読むわねえ!”って言われました(笑)。顔を合わせるとそんな風に気さくに話しかけてくれましたね。名前まで覚えてくれていたかわかりませんけど。だからパリでお会いしたときも“15年くらい前ですが、お世話になりました”って僕のほうからごあいさつしました。まあ、ギャルソンにはパタンナーが大勢いますからね。当時でも100人近くいたのかな……」

久保雅裕「100人!海外のビッグメゾンならそういうところもあるんでしょうけど、日本で100人ものパタンナーを抱えてるって大手アパレルでもなかなかないんじゃないかな」

熊切「そうでしょうね。そのかわりデザイナーっていう職種の人は比較的少なかったのかもしれません。絵を描く人よりも布を動かす人が多いのがギャルソンの特徴ですね。耀司さんのところも多いみたいですけど。やっぱり、耀司さんもスケッチからというよりはパターンからっていう考え方なんでしょうね」

久保「確か、gomme(ゴム)の真木洋茂さんもヨウジヤマモトのパタンナーだったんだよね。GARDE COLLECTIVE(ギャルデ・コレクティブ)の真木喜久子さんももともとパタンナーでしょ。いま世界に出ている50代、60代のデザイナーさんで川久保さん、耀司さんの薫陶を受けた方は多いでしょうね。みんな30歳くらいで独立して自分のブランドを立ち上げて……」

熊切「僕はいま45歳ですが、beautiful peopleとしてパリコレに出たのは2016年。川久保さんがパリコレに参加したのも39か40のときですから。僕も“いまからでも遅くはない”って自分に言い聞かせてましたね。ギャルソン出身でギャルソンと同じようにパタンナーが何十人もいるっていうシステムを作り上げたのはsacai(サカイ)の阿部千登勢さんくらいじゃないですかね。もちろんbeautiful peopleにはそんなにいませんし。いや、まだまだ時間がかかりますね」





――beautiful peopleというブランド名の由来は?

熊切「うーん、単なる思い付きではあったんですけどね。じゃあ後付けかっていうと、そういうわけでもなくて。いろんな人びとの、それぞれの美しさを導き出せるような、引き出せるようなブランドにしたいという気持ちはありましたね。実はどうやってbeautiful peopleという名前を思いついたのか全く覚えていないんですよ(笑)。たぶんひらめきだったんでしょうね。いや、創業メンバーが集まって、ティッシュの空き箱にブランド名のアイデアを投票してっていうことはやったんですけど。最終的には僕の独断でbeautiful peopleに決めました」

久保「ははは!“俺の会社だぞ!”って?」

熊切「はい(笑)。“もうbeautiful peopleでいいや!”って。そうそう、ビートルズの「ベイビー・ユーアー・ア・リッチ・マン」という曲に“One of the beautiful people”って歌詞があるんですけど、それはあまりいい意味では使われていなくって、“セレブ連中の一員になった気分はどうだい?”くらいの感じで。でも、そういういろんな意味を含んでいるっていうのがよかったんでしょうね。最近もエド・シーランの「ビューティフル・ピープル(feat. カリード)」っていう曲があって、そこでも嫌味なヤツって意味で使われていて、日本語で言うところの“ご立派よね”って皮肉った感じなんですかね」

――先ほどアートスクールに通うつもりでコムデギャルソンに入社したという話がありましたが、そのときから自分のブランドを持つという未来予想図があった?

熊切「ギャルソンは明確にひとつのステップとして考えていましたね。僕、どうしてもレディスをやりたかったんですけど、ギャルソンでもメンズをずっとやっていましたし。独立してレディスをやるしかないかなって。なんでレディスかっていうと、単純にレディスのほうがやっていて楽しいからなんですよね。これ、変な言い方かもしれませんけど、女性の近くで接することができるいちばんの方法がレディスの服を作ることだと思っているんですよ。それはコミュニケーションの手段としてっていう意味ですけど。自分で言うのもあれですが、僕、意外と――別に意外じゃないか(笑)――シャイなので。服を介してなら女性とコミュケーションをとれるっていう意識はずっとあったんですよね」





――まあ、高校時代はヘヴィメタルに傾倒していたわけですし。そういう意味では硬派というか男臭い感じはありますね。

熊切「メタル好きでしたね。当時流行っていたイングヴェイ・マルムスティーンとかクラシック音楽がベースにあるギタリストが好きで。僕、ヴァイオリンをやっていたんですが、そのおかげでイングヴェイのフレーズだっていとも簡単に弾けたんです。いや、いまは弾けないですけど、昔はもっと上手だったんですよ(笑)」

――ジョー・サトリアーニ、スティーヴ・ヴァイ、イングヴェイのG3(ジースリー)とか懐かしいですね。

熊切「ああ、そうですね。僕のまわりだけだったのかもしれないけど、高校時代は北欧メタルが流行っていて、そのへんが入りやすかったんですよね。先ほどもお話しましたけど、ヌーノ・ベッテンコートにハマってヌーノモデルのギターも持ってました」

――いまもメタルとかハードロックを聴いていますか?

熊切「いや、全然聴かなくなっちゃいましたね。いまはグレン・グールドとかスタジオ録音のピアノ曲をよく聴きますね。ジャンルでいうとクラシック音楽なんですけどピアノソロですね。最近、クラシックでもオーケストラ演奏はうるさく感じてしまって。不思議ですね。若いころはヘヴィメタだったのに(笑)」

――beautiful peopleのショーでは熊切さん自身がビートルズの曲を弾いたり……という話題もありましたが、自分の好きな音楽がデザインに影響を与えたという意識はありますか?

熊切「そうですね……東京でやっている頃は、あえて音楽の匂いを漂わせたりしていたんですが、パリに行ってからやっていないですね。僕ら日本人がパリでビートルズを語ってもまるで意味を持たないと思うんです。日本にいたころは単純に自分の趣味をかたちにするっていう考え方が通用していましたけど。パリではそういう文脈が通用しないと思ったので。いや、もしかしたら通じるのかな……」

久保「うーん……そう言われてみると、パリでビートルズを直截的に引用しているデザインって、あまり見たことないかもね」

熊切「beautiful peopleのコレクションでビートルズをモチーフにしたときは、ちょうどYouTubeでルーフトップ・コンサートの映像が流れていて。それがすごくかっこよくて。映像で見た色を全部かき集めて……っていう作り方をしていましたね。本当はビルの屋上でショーをやりたかったんですけど、できなくなっちゃって。たぶん屋上でショーをやっていれば、“ああ、ビートルズのルーフトップ・コンサートだね”って見え方をしたんでしょうけど」

――引用のしかたが洒落てると感じるかどうか、国によって文脈の伝わり方も違うんですね。

熊切「違うでしょうね。東京でやった2013年秋冬コレクションのショーではコピーバンドでビートルズを演奏して話題になりましたけど。のちにローリング・ストーンズをモチーフにして、彼らのモノクロの映像を見て色を想像して服に落とし込むということもしましたし」





――さて、beautiful peopleのシグネチャーとも言えると思うんですが、やはりライダースジャケットの存在感は大きいですよね。

熊切「おっしゃるとおり、やっぱりライダースジャケットは自分たちでもいちばんの傑作だと思っているアイテムですね。すごく小さいサイズで着られるんだけど、それを着て電車に乗って吊り革につかまれるし。それだけでbeautiful peopleの強みが全部伝わるのかなって思います。いろいろユニークな取り組みをしていても、そういう技術の裏付けがあるというところはこれからも守っていきたいですね」

――そうやって継続してゆくことでクラシックと呼ばれるようになったり、ヘリテージが醸成されてゆくんでしょうね。

熊切「僕らは“大人のための子供服”って呼んでいるんですが、そういうオクシモロン的な、あり得ないテーマで海外でもやっていきたいなと思ってます。beautiful peopleはトレンチコートでデビューして、2シーズン目にライダースを出したんですが――この番組にも出ていましたけど――The SECRETCLOSETの小野瀬慶子さんがそれに飛びついてくれて」

久保「ああ、ユナイテッドアローズ時代の小野瀬さん?ロンドンに行く前だよね」

熊切「そうです。あの頃の小野瀬さん、かっこよかったなあ!バーキン片手に颯爽と歩いていて。いや、いまもかっこいいですけど(笑)。ライダースが小野瀬さんの目に留まって、ユナイテッドアローズに置いてもらって一気にbeautiful peopleの人気が出たんです」





――久保さんはこれからのbeautiful peopleに何を期待しますか?

久保「そうですね……“日本人デザイナーだよね”って海外のシーンではよく聞く言葉なんですが、これはふた通りの意味があって、肯定的なときもあれば、そうでないときもあるんです。もうひとつ、ヨウジ、ギャルソン、イッセイというビッグ3が世界に与えた印象が強過ぎて、日本人デザイナーが何をやってもその二番煎じに捉えられてしまうリスク。アンリアレイジの森永さんなんかも常にそれと闘っていると思うんだけど、熊切さんには、そういう海外の評価とか先入観を飛び越えてその向こう側に行って欲しいってことかな」

熊切「僕らは先人たちが生み出してきたものに機能性を加えてゆくということが課題のひとつでしょうね。もちろんビッグ3にそれが足りていなかったとは思っていないんですが。川久保さんたちは、それまでの概念を壊すところからスタートして、それをやり切っているから、もう新しい壊し方みたいなものって残ってないんですよ。じゃあ僕らはどうするか?それを修復しながら新しい機能を加えるということが大事なんだろうなと思うんです。吊り革につかまれるライダースじゃないですけど、デザインに機能を加えて違いを生み出してゆくということを極めたいですね」

(おわり)

取材協力/beautiful people@Aoyama
取材・文/高橋 豊(encore)
写真/柴田ひろあき



■熊切秀典(くまきり ひでのり)
文化服装学院卒。コム デ ギャルソン オムを経て、2007年、戸田昌良、米タミオ、若林祐介とともにbeautiful peopleを設立。2016年からパリコレクションにも参加している。

■久保雅裕(くぼ まさひろ)
ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任教授。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。





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