――制作のきっかけは、やはりアントニオ・カルロス・ジョビンの生誕100周年だったのでしょうか。

「そうですね。生誕100周年は2027年1月25日なのですが、ブラジルの友人達をはじめ、あちこちから”もうすぐだね”と言われるんですね。それで私も、100周年だと実感して、そのような節目の時に、何か一枚出せたらいいなと思いました」

――そもそもジョビンの音楽との出会いは?

「初めてギターを手にして練習した曲が、“ワン・ノート・サンバ”でした。ジョビンの曲はジョアン・ジルベルトが数多く演奏していて、ギターを学んでいる時にジョアンをコピーすることも多かったので、自然とジョビンの曲を演奏するようになっていました。日本のライヴハウスで演奏していた時代にも、ジョビンの曲を演奏すると皆さん喜んでくれましたし。そのころ私は、ボサノヴァというジャンルにすごくこだわっていたので、曲の形や歌い心地もふまえて、ブラジル音楽の中でもジョビンの曲をよく演奏していました」

――このアルバムを制作するにあたって、ジョビン本人との思い出が蘇ったりしましたか?

「一度、『エスペランサ』というアルバムの中の「Estrada Branca(白い道)」という曲で、一緒に演奏させていただいたのですが、その時のことが本当に忘れられません。彼の自宅で練習したこととか、レコーディングしたこととか。当初はデュエットの予定だったのですが、ご自宅に行ってから、ジョビンが急に息子さんのパウロや、フルートも入れようと言ってダニロ・カイミを呼んで、なんか喜んでもらえているのかなと思って、うれしかったです(笑)。その後、息子さんのパウロやお孫さんのダニエルとご一緒する機会も多かったので、彼らを通して、よりジョビンが私の中に染み込んでいったというのもあると思います」


 

東日本大震災から15年、「花は咲く」のポルトガル語ヴァージョンを発表した小野リサ「ブラジルの方が涙してくださるくらい、素晴らしい歌詞なんです。私も抑え切れなくて泣いてしまいます。それじゃいけないんですけど」Photo by Teruhisa Tajima

――リサさんにとってジョビンはどのような存在ですか?

「偉大ですね。偉大すぎて(笑)。とてもチャーミングだし、とてもフランクな方でした」

――今回のアルバムでは、取り上げる楽曲をどのようにして選んだのですか?

「ジョビンはたくさんの名曲を作られていますが、皆さんがご存じの曲もありますし、そうではないものもあると思うので、その両方を聴くことができるアルバムにしたいなと思いました。たぶん、多くの人が耳にしたことのない曲もあると思います。でも、どなたでも”ボサノヴァだ”ってすぐにわかるような、お馴染みの曲もあります」

――2007年にリリースされたリサさんのジョビン作品集『The music of Antonio Carlos Jobim "IPANEMA"』にも収録されていた楽曲も2曲入っていますが、ある意味違う曲として楽しめますね。

「前回は、パウロとダニエルを中心に作ったアルバムでしたから。アレンジも、オリジナルに忠実に、全部ジョビンのスタイルで演奏しました。今回は林さんとのデュオ編成ということで、歌いたかったバラードを何曲かピック・アップしました。演奏面では、ギターとピアノだけでリズムがないので、テンポ感などの自由度が大きくなりましたね」

――そして、渡辺貞夫さんの参加も大きなトピックですね。

「昨年「築地JAM」というフェスティバルで久々にお会いして、楽屋で一緒に写真を撮ったり、それがきっかけで今回の共演が実現したのですが、まさか貞夫さんが参加してくださるなんて、夢にも思っていませんでした。父がサッシペレレというブラジル料理の店を営んでいたのですが、そこでBSのテレビ番組の収録があって、一緒に演奏させていただいたことはありましたが、レコーディングは今回が初めてで、自分でも本当にびっくりです(笑)。母も感無量だったようです。きっと父も喜んでいると思います。もっと遡ると、私が8歳ぐらいの時に、父が貞夫さんをブラジルに招いたことがありました。それから貞夫さんは、ブラジル音楽が好きになられて、ご自身でブラジル音楽のユニットも作って活躍されて、ブラジルの国家勲章も授与されています。浅からぬご縁です」

――そんなサプライズもありますが、今作で目指したのは?

「デュオなので、林さんのピアノに自由に身を委ねるような感覚で演奏させていただきました。林さんとは長年、私のコンサートでご一緒させていただいていて、時々デュオでも演奏しているので、お任せできるんです。包み込んでくださるような、優しい演奏が好きです。引き出しがたくさんあって、どんなスタイルに持っていっても世界を作れる方だと思います」



Photo by Yasukuni Iida

――渡辺貞夫さんの参加曲は、どうやって決めたのですか?

「林さんが、貞夫さんのユニットで何回か演奏されていたので、林さんにアイデアをいただきました」

――貞夫さんの演奏の感想は?

「もう本当に、どこを聴いても貞夫さんってわかるじゃないですか。それって、すごいことですよね。人の声というのは特徴がわかりやすいですけど、楽器でパーソナリティーがすぐわかるって、本当にすごいなって思います」

――アルバム全体の仕上がりについてはいかがですか?

「ライヴ感のあるアルバムになったと思います。スタジオでの私たちの一瞬一瞬が、写真みたいに収められていて。実は、前回のジョビン作品集である『The music of Antonio Carlos Jobim "IPANEMA"』も、今回と同じスタジオでレコーディングしていたんですよ(笑)」

――なるほど、奇しくもといったところですね(笑)。ところでアルバムタイトルの由来を教えてください。

「6曲目の「スー・アン」は映画の挿入歌で、カリフォルニアに住んでいた時に、ジョビンが映画のために作った曲なんですね。あまり皆さんに知られていない曲ですが」

――とても美しい曲ですね。

「前々から大好きで、インストゥルメンタルなので歌詞はありませんが、とても美しいですし、アルバムの中にそんな曲があってもいいと思って選びました。Sue Annは主人公の女性の名前で、それも素敵だなと思いました」

――もうひとつ、ライナーノーツが村上春樹さんというサプライズがあります。

「コロナ禍の時に、ライヴで大西順子さんや村治佳織さんらとボサノヴァを演奏する機会がありまして、そこで村上さんと初めてお目にかかれました。村上さんは「イパネマの娘」というエッセイを朗読されて、とても素敵なエッセイでしたし、大西さんのピアノ演奏に乗せた朗読も素晴らしかったです。そのご縁で、お願いすることができたのですが、本当に素敵な文章を書いていただき、感謝の気持ちでいっぱいです」

このアルバムからBGMとしてセレクトするなら?という問いには「やはり歌のない「スー・アン」でしょうね。あとはそうだな……貞夫さんが入っている「あなたのせいで」も捨てがたいですね。BGMというには空気になりきれないというか、聴く人を惹きつけてしまうかもしれませんけど(笑)」Photo by Yasukuni Iida

――改めて、ジョビン100周年という節目に際して馳せる思いを聞かせてください。

「ジョビンはよく、”ボサノヴァは日本人のように優しい音楽だ”と言っていました。私も、ボサノヴァと日本って、つながっているなと思うところがあります。ジョアン・ジルベルトがボサノヴァのバッキングを編み出したわけですけれども、それにジョビンは衝撃を受けたんですね。ジョビンはクラシックが大好きでした。ライヴハウスでバラードを多くを演奏している中で、ジョアンのあのバッキングを耳にして、ものすごい衝撃を受けて、ジョアンを讃えていたそうです。ジョアンがいなかったら、ボサノヴァはなかったと思っていたと思います」

――ボサノヴァ前夜というか黎明期ですね。

「ふたりは意気投合して、ジョビンはジョアンのバッキングでたくさんボサノヴァの曲を作っていきました。そのジョアンも、瞑想したり、どこか神秘的なところがありましたし、日本の思想と通じるものがある気がします。現に来日した時も、”日本は素晴らしい”と何回もおっしゃっていました。思想だけでなく、空気感みたいなものも、日本人の感性に合う気がしています」

――この記念すべき作品の楽曲を、ライヴで味わえる日を楽しみにしています。

「ライヴは今後もコンスタントに続けていきたいです。楽しみにしていてください」

(おわり)

取材・文/鈴木宏和




 

小野リサ『Sue Ann~アントニオ・カルロス・ジョビンへのオマージュ』DISC INFO

2026年4月8日(水)発売
SHM-CD/UCCJ-2255/3,520円(税込)
ユニバーサルミュージック

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