いい歌でありさえすれば必ずヒットする。
これが歌の本来あるべき姿です。しかし、現実は強力なタイアップが付いていなければ売れない時代です。いかがなものか?と思います。この風潮に私はあえてアンチテーゼを投げかけたい。いい歌は売れるべきだし、たくさんの人たちに聴いてもらいたい。そんな“音楽愛”が私のポリシーです。
こんないい歌、聴かなきゃ損!
今回はせきぐちゆきさんの「ひかげの雪」を紹介します。
せきぐちゆきさんは2004年1月15日にインディーズ・レーベルから「ドライブ」でデビューしました。彼女の歌を初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられません。瞬時にリスナーのハートをわしづかみにしてしまう“すごい歌”でした。そのとき以来、彼女は“すごい歌”を歌うアーティストとして熱狂的な支持者を持っています。彼女の歌はすごいとしか形容できないほど女の本音を情念の炎で見事に歌い切っているのです。人は誰も心の中に魔物を飼っています。ふだんは理性で抑えつけていますが、何かの拍子でそれがはずれたときに魔物は現れて突然暴れ出すのです。それが人間の“本性”というものですが、そんな本性をすくいとって歌にしたのが彼女の4枚目のアルバム『衝動~魔物が暴れ出す時~』です。すごい歌の真髄にせまってみたいと思います。
せきぐちゆきの歌は“すごい歌”としか形容できない!
2011年の〈第53回日本レコード大賞・優秀アルバム賞〉が、『どーも/小田和正』『HoSoNoVa/細野晴臣』『MUSICMAN/桑田佳祐』『DISCOVER JAPAN/鈴木雅之』『素顔~愛すべき女たち~/せきぐちゆき』の5作品に決定しました。小田、細野、桑田、鈴木はいずれ劣らぬキャリア・アーティストですが、その中でひときわ異彩を放っていたのが“せきぐちゆき”でした。「せきぐちゆきって誰?」と思う人々はたくさんいたと思います。そんな中で彼女はなぜ受賞できたのでしょうか?
昨今は日本酒ブームです。大吟醸や本醸造酒など甘くて飲み易いからですが、本物のお酒飲みはやはり清酒やにごり酒などきりりと辛い重い日本酒を好むもの。それと同じように、ソフトタッチで気楽に聴ける歌もいいが、やはり大人が本当に聴きたいのは、成熟した大人同士の濃密な愛を描いた“熟恋歌”。せきぐちゆきの歌はまさにそんな熟恋歌です。痛いと心が悲鳴をあげている「化粧」、命を宿した女の髪が男をからめとる究極のラブソング「お菊ちゃん」、浮気な男に糸をめぐらせる地獄蜘蛛のような女の執念を描いた「地獄花」など、ドブロクを飲まされて泥酔させられてしまったような衝撃が彼女の歌にはあるのです。好き嫌いは別にして、こんなに怖くてすごい歌はありません。
〈レコード大賞・優秀アルバム賞〉の審査員は9人いて、私もその中のひとりでしたが、アルバム賞においては、それぞれの委員が自分の推薦するアルバムを3枚ずつ出し合って、それらを全部聴いてから、1枚ずつ議論にかけます。審査委員会は都合4回行われ、だんだんふるいにかけられて、最終候補に残ったのは17作品でした。そして、この17作品の中から5作品が優秀アルバム賞に選ばれるというわけです。
私は初めに3枚のアルバムを推薦しました。『Sada City/さだまさし』、『Oh!LIFE/ブレッド&バター』、『素顔~愛すべき女たち~/せきぐちゆき』です。議論を重ねるうちに、さだは今でなくとも、ブレバタも今でなくとも…と思うようになったので、この2枚はある時点で取り下げる決心をしました。しかし、せきぐちゆきの『素顔』だけは最後まで押し通そうと心に決めていました。なぜか? はっきり言って、今の時点でこれ以上いいものはできない、と判断したからです。初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられません。瞬時にリスナーのハートをわしづかみにしてしまう“すごい歌”でした。ところが、メジャーにいってから、その“すごい歌”が聴き易くなったがために“うす味”になってしまったのです。売るためにポピュラリティーを要求された結果、彼女本来のオリジナリティーのすごさが希薄になってしまったのです。だからこそ、彼女はあえてメジャーからインディーズに環境をかえて、自分の原点に立ち返って“あの頃”の感触を思い出したのです。その意味では、メジャーからこぼれてインディーズになったのではなく、自分を取り戻すためにあえてインディーズを選んだのです。結果的にそれが吉と出て、彼女は『素顔』という素晴らしいアルバムを作ったことで、“すごい歌”を取り戻したのです。こんなすごいアルバムはない、と評価したからこそ、私は〈レコード大賞・優秀アルバム賞〉に強く推薦したのです。
『素顔』に続くオリジナル・アルバム『衝動~魔物が暴れ出す時~』はさらに進化しました。彼女に“すごい歌”を生み出させているのが彼女の心の中にいる“魔物”ですが、今作はその魔物がこれまで以上に暴れまくっているのです。必然的に全編“すごい歌”のオンパレードですごいアルバムです。正直に言って、こんなに“怖い歌”聴いたことありません。CDの帯のキャッチコピーは〈人は誰も心に魔物を飼っている。その魔物が暴れ出した時、人は己をさらけ出す。〉
〈radio encore〉ぜひ聴いてください。全11曲を私とせきぐちゆきさんが解説、分析しています。特に「ひかげの雪」は聴かなきゃ損!
文/富澤一誠
radio encore「Age Free Music 富澤一誠のこんないい歌、聴かなきゃ損! 第4回 せきぐちゆきさん」
「こんないい歌、聴かなきゃ損!(音声版)」第4回目のゲストには「ひかげの雪」を歌うせきぐちゆきさんをお迎えしてお送りします。せきぐちゆきさんの歌への想いはもちろん、オリジナル・アルバム『衝動~魔物が暴れ出す時~』の全曲解説など、ここでしか聴けない超レアなお話が満載です。こちらもぜひお楽しみください。
富澤一誠
1951年、長野県須坂市生まれ。70年、東大文Ⅲ入学。71年、在学中に音楽雑誌への投稿を機に音楽評論家として活動開始し、Jポップ専門の評論家として50年のキャリアを持つ。レコード大賞審査員、同アルバム賞委員長、同常任実行委員、日本作詩大賞審査委員長を歴任し、現在尚美学園大学副学長及び尚美ミュージックカレッジ専門学校客員教授なども務めている。また「わかり易いキャッチコピーを駆使して音楽を語る音楽評論家」としてラジオ・パーソナリティー、テレビ・コメンテーターとしても活躍中。現在FM NACK5〈Age Free Music!〉(毎週木曜日24時から25時オンエア)、InterFM〈富澤一誠のAge Free Music~大人の音楽〉(毎月最終水曜日25時から26時オンエア)パーソナリティー。また「松山千春・さすらいの青春」「さだまさし・終りなき夢」「俺の井上陽水」「フォーク名曲事典300曲」「『こころの旅』を歌いながら」「私の青春四小節~音楽を熱く語る!」など著書多数。