いい歌でありさえすれば必ずヒットする。
これが歌の本来あるべき姿です。しかし、現実は強力なタイアップが付いていなければ売れない時代です。いかがなものか?と思います。この風潮に私はあえてアンチテーゼを投げかけたい。いい歌は売れるべきだし、たくさんの人たちに聴いてもらいたい。そんな“音楽愛”が私のポリシーです。

こんないい歌、聴かなきゃ損!

 いい歌を見つけて紹介するのが私の仕事です。「こんないい歌、聴かなきゃ損!」第1回目は坂本つとむさんの「LOSTプロポーズ」を紹介します。誰にも「もしもあの時、この一言が言えていたなら…」という言葉があると思います。あのとき勇気を持って「結婚してくれ」と言えたならば違った人生を歩んでいるかもしれません。いや、プロポーズだけではありません。両親、家族にあのとき「ありがとう」と素直に言えていたなら、友だちに「ごめんね」と言えていたならどうでしょうか?

もしもあの時、この一言が言えていたなら… 坂本つとむ「LOSTプロポーズ」

 過ぎ去った思い出は時が経つにつれ、けばけばしさがとれセピア色になっていく。特に男の別れた女に対する思い出は、時が経つと1枚のセピア色の写真となって心の片隅にしまわれる。どんな男にも、そんな写真の1枚か2枚は必ずあるものです。

 いつもは心の奥深くにしまいこまれているだけに、ふだんは意識することもありません。しかし、何かの拍子で想い出されたときは美しい思い出だけが蘇ってきます。そんなとき、男はふと過去を振り返る。すると脳裏のスクリーンに女の面影が思い浮かびイメージは勝手にふくらんでいきます。そして、それまで眠っていた“想い”がマグマとなって沸き出してくる。「会いたい」。と同時に、封印されていた過去が解凍されます。「もしもあの時、この一言が言えていたなら」人生が変わっていたかもしれない。「君を愛してる」という想いを伝えることはセピア色の思い出を原色に戻すこと。その先のことはわからない。それでも原色に戻すのか、戻さないのか?その答えはそれぞれの心の中にあるのです。
 
実は私には苦い経験があるんです。花嫁をさらって逃げるダスティン・ホフマン。映画〈卒業〉のあまりにも有名なラスト・シーンですが、この映画を見た男なら、誰もが一度くらいはダスティン・ホフマンになりたいと思ったはずです。しかし、ダスティン・ホフマンになることは難しいのです。

 彼女との付き合いは大学一年のときまで続きました。だが、一年の終わり頃だったでしょうか、彼女からの手紙を最後にぷっつりと切れてしまいました。中学を卒業して高校は別々になりました。このときから会う機会は減り、二年、三年になるにつれてさらに減りました。お互いに受験勉強を優先させなければならなくなったからです。そして私は現役で大学に合格して、彼女は一浪しました。東京と長野。離れ離れの年月がお互いの心を変えたとしか思えません。まさに「木綿のハンカチーフ」の世界です。

 あれからもう二年以上も経っていました。彼女は一浪して大学に合格して上京していました。だが、私は彼女に一度も会ったことはありませんでした。彼女は私の意識の中から完全に消えていたのです。しかし、彼女が「結婚する」と友人から聞かされたとき、その存在が突然に蘇ったのです。と同時に彼女に「会いたい」という熱い想いが湧きあがってきました。その結果、「俺はダスティン・ホフマンになるんだ」と思ってしまったのです。そして彼女はやって来ました。1時間ばかり雑談が続いた後、私は心の中にあったもやもやを晴らすために、勇気を出して尋ねました。「付き合っていた頃、俺のことをどんなふうに思っていたのか、教えて欲しいんだ」。少女のあどけなさは消えた大人の女性の表情で彼女は言いました。「・・・・」。平静をよそおいながらも、私は目の前が真っ暗になる思いでした。こうして私はダスティン・ホフマンになろうとしてなれませんでした。いや、それどころか、私にとって美しかった“青春の思い出”さえもなくしてしまったのです。

 セピア色の思い出は下手に掘り起こして原色にしない方がいい。セピア色はセピア色だからこそ美しいのです。もしもあなたがセピア色の思い出を持っていたなら、坂本つとむの「LOSTプロポーズ」を聴いて、さて、あなたはどうしますか?

文/富澤一誠

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富澤一誠

1951年、長野県須坂市生まれ。70年、東大文Ⅲ入学。71年、在学中に音楽雑誌への投稿を機に音楽評論家として活動開始し、Jポップ専門の評論家として50年のキャリアを持つ。レコード大賞審査員、同アルバム賞委員長、同常任実行委員、日本作詩大賞審査委員長を歴任し、現在尚美学園大学副学長及び尚美ミュージックカレッジ専門学校客員教授なども務めている。また「わかり易いキャッチコピーを駆使して音楽を語る音楽評論家」としてラジオ・パーソナリティー、テレビ・コメンテーターとしても活躍中。現在FM NACK5〈Age Free Music!〉(毎週木曜日24時から25時オンエア)、InterFM〈富澤一誠のAge Free Music~大人の音楽〉(毎月最終木曜日25時から26時オンエア)パーソナリティー。また「松山千春・さすらいの青春」「さだまさし・終りなき夢」「俺の井上陽水」「フォーク名曲事典300曲」「『こころの旅』を歌いながら」「私の青春四小節~音楽を熱く語る!」など著書多数。

俺が言う!by富澤一誠

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