いい歌でありさえすれば必ずヒットする。
これが歌の本来あるべき姿です。しかし、現実は強力なタイアップが付いていなければ売れない時代です。いかがなものか?と思います。この風潮に私はあえてアンチテーゼを投げかけたい。いい歌は売れるべきだし、たくさんの人たちに聴いてもらいたい。そんな“音楽愛”が私のポリシーです。

今回紹介するのは、おがさわらあいさんの「サクラ知れず」です。この歌は2015114日にリリースされた「サクラ知れず」というアルバムの収録曲ですが、この歌を初めて聴いたときに私はハートを鷲づかみにされてしまいました。一言で言うならば、〈現代の「神田川」〉と言ってもいい名曲だと思います。それ以来、私はこのアルバムを大切に保管しています。いつでも聴けるように…。ということで、今回のゲストは「サクラ知れず」を歌われている「おがさわらあい」さんです。

「神田川」のすごさとは?

「サクラ知れず」は現代の「神田川」です、と言うかぎりは、まずは南こうせつとかぐや姫の「神田川」のすごさを述べておかなければならないでしょう。私はこう思っています。

50年程前、高度成長の翳りが見えた時代。若者たちはそれまでの学生運動に疲れ切り目標を失っていました。そんな不透明に沈んだ空気の中でかぐや姫の「神田川」(作詞・喜多條忠、作曲・南こうせつ)という歌は生まれました。1973年晩秋のこと。そして空前の大ヒット。100万枚を売りつくしました。

誰もが思い出す、あるいは誰もが思い浮かべる心象風景を描いて「神田川」は同棲という言葉を日常に溶け込ませ、時代を“やさしさ”で染めあげたのです。その結果、「神田川」が「やさしさの時代」「やさしさの世代」を作り上げたのです。時代を作った歌「神田川」のすごさは、ラストのフレーズ「若かったあの頃 何も怖くなかった ただあなたのやさしさが 怖かった」の「怖かった」にあったのです。ふつうなら、このフレーズは「うれしかった」にするところでしょう。私も初めて聴いたときは「オヤッ?」と思ってしまいました。やさしさがなぜ怖かったのか?と考えてしまったからです。「怖かった」を「うれしかった」と書くなら誰にでも書けるでしょう。しかし、「怖かった」というこの一言にこそ、この歌の価値はあったのです。

なぜか―?

「怖かった」というフレーズには万感の思いがこもっています。「若かったあの頃 何も怖くなかった」―おそらくこの歌で歌われている女にとって外的なもの、それは両親、世間の目、金がない…ということかもしれませんが、そんなものはどうにかしてみせるという強さがあったのでしょう。だから、「何も怖くなかった」といえるのです。

しかし、そんな女にとって、どうにもならなかったのは、男の気持ち、です。一緒に住んでいて、やさしいし、愛してくれる。女もたまらなく男を愛している。だが、愛というものは確かめようがない。身分証明書があれば本人だとすぐにわかるような確かなものは何もない。何もないからこそ、男と女は「愛している?」と尋ね、そして「愛してる」と言葉で確かめ合うのです。

男は女を真剣に愛している。女も男を真剣に愛している。その愛に嘘はない。嘘はないけれども、嘘でないという確証はない。愛は証明するものがないのです。それだけに、愛すれば愛するほど、その辺が不安になってくるのです。

女にとって男の「やさしさが 怖かった」ということは、その辺の真理を巧みに表現したのだろうと私は思います。

「サクラ知れず」は三角関係を歌った〈究極のラブソング〉!

さて、おがさわらあいさんの「サクラ知れず」ですが、はっきり言って、三角関係を歌った〈究極のラブソング〉と言っていい。

歌の主人公は幼なじみの3人(男が2人、女がひとり)。高校を卒業して、それぞれがそれぞれに好意を持っている仲の良い3人組という設定です。やがて年月が流れ、それぞれの生活に慣れた頃、3人の関係に変化が起きる。ひとりの男が事故かなにかで亡くなってしまう。悲嘆にくれる残された2人はお互いを助け合いながら生きていく。そんな中で愛が生まれる。いや、愛が生まれたかと思われたが、そう簡単に事は運ばない。もともと3人は仲が良かった。3人とも友だちではあるが男2人は女性に好意を持っていたし、女性の方も男2人に好意を抱いていたのです。

亡くなった男のぶんも背負って、残された男は女性にやさしく接する。その好意は女性にもはっきりとわかります。そして、その愛を受け入れることが幸せになること、だということも十分に理解しています。しかし、彼女はわかってはいるものの、一歩を踏み出す勇気がありません。一歩を踏み出せば幸せになれるということはわかっています。しかし、だからこそ一歩が踏み出せないのです。

「ごめんね あたしやっぱり あの人が好きなんだ」

これが彼女の本音です。やさしいあなただからこそ、彼女は嘘はつけないのです。だが、それは男にとっては「絶望」以外の何ものでもありません。うすうすわかってはいても「ごめんね あたしやっぱり あの人が好きなんだ」と言われてしまうと絶望の淵に立たされてしまいます。

その結果、彼女が出した結論は「ごめんね あたしやっぱり 一人で歩いていくよ」であり「もう少しここで頑張ってみるから さよなら」です。悲しいけど、つらいけど、「さよなら」を言って乗り超えていかないと自分を見つけることができない。こんなにすごいラブソング、そうざらにあるものではありません。だから、「サクラ知れず」は現代の「神田川」である、と私は確信しているのです。

「サクラ知れず」、こんないい歌、聴かなきゃ損!

radio encore「富澤一誠のこんないい歌、聴かなきゃ損!」 第10回 おがさわらあいさん

「こんないい歌、聴かなきゃ損!(音声版)」第10回目のゲストには「サクラ知れず」を歌われている、おがさわらあいさんをお迎えしてお送りします。ミュージシャンとしてのルーツ、楽曲にまつわる秘話などをたっぷりとお話しいただきました。番組後半にはプロデューサーの田村武也さんにスタジオに飛び入り参加いただきましたよ。こちらもぜひお楽しみください。

おがさわらあい

生年月日:1980年6月20日(双子座)
血液型:B型
出身地:千葉県
特技:民謡

幼少の頃より音楽に囲まれて育ち、気が付けば歌を唄っていた。
三味線演奏家の父、民謡歌手の母の薦めで数々のコンテストに参加。
2004年11月、ヴァイオリンとヴォーカルの女性ユニット「つきよみ」で
コロムビアレコードよりデビュー。3枚のシングルをリリース。
2007年つきよみ活動休止。ソロとしての活動を開始する。
2010年秋、ソロ初のミニアルバム発売。
いつの時代にも色褪せずにずっとそこにあるような歌を
今の彼女が今だから歌える等身大の歌を
迷うことなく歌い続ける。

おがさわらあい 公式ホームページ

おがさわらあい「サクラ知れず」

定価¥2,500(税込)
発売元STANDARD&Co.
販売元BM.3

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富澤一誠

1951年、長野県須坂市生まれ。70年、東大文Ⅲ入学。71年、在学中に音楽雑誌への投稿を機に音楽評論家として活動開始し、Jポップ専門の評論家として50年のキャリアを持つ。レコード大賞審査員、同アルバム賞委員長、同常任実行委員、日本作詩大賞審査委員長を歴任し、現在尚美学園大学副学長及び尚美ミュージックカレッジ専門学校客員教授なども務めている。また「わかり易いキャッチコピーを駆使して音楽を語る音楽評論家」としてラジオ・パーソナリティー、テレビ・コメンテーターとしても活躍中。現在FM NACK5〈Age Free Music!〉(毎週木曜日24時から25時オンエア)、InterFM〈富澤一誠のAge Free Music~大人の音楽〉(毎月最終水曜日25時から26時オンエア)パーソナリティー。また「松山千春・さすらいの青春」「さだまさし・終りなき夢」「俺の井上陽水」「フォーク名曲事典300曲」「『こころの旅』を歌いながら」「私の青春四小節~音楽を熱く語る!」など著書多数。

俺が言う!by富澤一誠

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