大淵 毅(おおふち・たけし) ポストオーバーオールズ デザイナー
1962年、東京生まれ。ビンテージのワークウェア、ミリタリーウェアに関する深い造詣をベースに、確かなプロダクトメイキングで人気を博す「ポストオーバーオールズ」の主宰者。
日本人デザイナーによるアメリカブランド
今でこそワークウェアは様々なブランドがモチーフとし、ファッション性と機能性を掛け合わせたスタイルとしてマーケットを広げている。
しかし、大淵毅さんが「POST O’ALLS(ポストオーバーオールズ)」を立ち上げた頃までは、ワークウェアに興味を示す者すらごく僅かだったようだ。「僕はファッション誌のエディターをしていた両親の影響で、子供の頃からファッションに興味があったんです。最新のものが好きだったんですけど、中学生のときに古着に目覚め、古いものが好きになって。とりわけ興味を持ったのが、1920~30年代のアメリカのワークウェアでした。当時の古着は50年代のものが中心で、それも好きではあるけれど、戦前のワークウェアに出会って『他の古着とは全然違うなあ、何が違うんだろう』と。でも、その頃の日本には物自体がほとんどなかったんですね。誰に聞いても戦前のワークウェアのことなんて知らないし、興味もない。なので、自分で集めて研究したんです」
やがてビンテージワークウェアへの興味は、自分で服を作りたいという思いへと変わっていった。古いものと新しいもののミクスチャーによる「今、着たいと思う服作り」。生産の基本を身につけようと88年、25歳で渡米する。FIT(ニューヨーク州立ファッション工科大学)でプロダクションマネジメントを学ぶ一方、古着のディーラーとして働きながら、戦前のワークウェアを蒐集。卒業した92年にNYで会社を設立し、服作りをスタートさせた。「アメリカでもワークウェアを集めている人はなく、カッコいいと憧れる人もいなかったので、ゼロから自分で色を付けられると思ったんです。アメリカのワークウェアを基にしているけれど、フランス人が着ているようなイメージで作り始めた」という。
翌年にはワークウェアをベースにしたオリジナルデザインによるブランド「ポストオーバーオールズ」を立ち上げ、ラスベガスで開催される世界最大級のアパレル見本市「MAGIC(マジック)」に出展。アメリカのライフスタイル提案型セレクトショップ「Fred Segal(フレッドシーガル)」、パリのブティック「HEMISPHERES(エミスフェール)」、日本のセレクトショップとの取引が始まった。以来、日本人デザイナーによるアメリカブランドとして海外と日本に卸先を広げていった。
メイド・イン・ジャパンに転換、小売りも始める
「気づけば渡米して30年が経っていた」と大淵さん。当初、海外には階級意識が強い国も多く、労働者階級をイメージさせるワークウェアはプロモートしにくい場合もあったが、アメリカやヨーロッパ、アジアにも販路を開拓していった。そして、最終的に大淵さんが選んだのは帰国だった。
「いくつか理由はありますが、そろそろ親のことが心配になったんです。服作りもメイド・イン・USAで続けてきたけれど、アメリカには好きな生地がもうあまりなく、随分前から日本の生地を多く採用してきました。縫製も日本の工場はアメリカでやっていることは全てできますし、それ以上のことも可能にする技術があります。日本でやりたいことがたくさんあったんです。また、僕は『自分は今、何が着たいのか』を考え、NYで服を作ってきました。
ところが展示会などで帰国すると、空港に着いた瞬間にその服を着ている自分に違和感を覚えることがあるようになったんですね。日本の社会もファッションも大きく変化したことは分かるんだけど、何が違うのか。日本にずっと住んでいたらどんな服を作っていたんだろう。そんなことを思うようになったのも、日本に戻った大きな理由です」
2018年に帰国すると、19年春夏コレクションでメイド・イン・ジャパンに切り替えた。ドレス縫製の工場で作ったワークシャツ「ニュートラ」は、その象徴的なアイテムだろう。アメリカでも一度作ったことはあったが、日本で進化させた。バージョン2は襟を袋縫いに、前立てを付けずにすっきりと仕上げた。ドレスシャツのしなやかさを持ちながら、左右の胸ポケットの大きさをあえて変えるなどワークシャツの要素をミックスしている。ニュートラは「ニュートラル」からの造語で、コーディネートのムードをニュートラルな方向へシフトさせることを意味している。
19年には直営店も出店している。立地は大淵さんが生まれ育った街に近く、慣れ親しんだ杉並区上高井戸の環八沿いにあるゲームセンター跡地。
店舗デザインはオリジナル家具の企画・製造・販売や空間デザインを手掛けるパシフィックファニチャーサービスのデザイナー石川容平氏に依頼した。
「石川さんは隣町に住んでいた先輩で、以前に古着を買ってもらったことがあったんです。昭和20~30年代にあった『日本の中のアメリカ』のテイストにこだわっていて、僕も同じ志向だったのでお願いしました」。だが、当初は店舗にするつもりはなかったという。「週末に気が向いたら開けてもいいかなあぐらいの話をしたら、半分は店舗、半分は事務所兼倉庫になっていた(笑)」。
そんな経緯でポストオーバーオールズ初の直営店ができ、卸と並行して小売りも取り組むことになった。
しかし、日本でのポストオーバーオールズの代理店がショップ展開したことはあったが、自力でのBtoCは初めて。
「ましてや30年間もアメリカにいたので日本のお客様のことが分からないんですよ」と大淵さん。実際に客と接するうち、「ブランドのコンセプトやイメージをある程度は分かりやすく提示したほうが伝わりやすく、楽しんでいただけると実感した」。それまでは意識的にルックブックなどの媒体は作らず物一本で勝負していたが、プロモーションにも取り組み、新たな顧客を獲得していった。
さらなる転機があったのは21年。原宿で会場を借りてサンプルセールを開催し、多くの来場客で賑わった。しかし、「以前はポストオーバーオールズの服を買っていたけれど店舗が遠いので行けていないとか、今回はアクセスが良いので来たという声がとても多かったんです。申し訳なかったなあと思った」ことから、よりアクセスが良く、気軽に立ち寄れる立地を探した。
なかなか良い物件が見つからず、探しあぐねていたときにたまたま空き物件が出たのが、NYにいた頃に帰国するとよく出掛けていた中目黒の目黒川沿いの立地だった。22年10月に新たな旗艦店として「ポストオーバーオールズ中目黒」をオープン。高井戸店は事務所兼倉庫に変更し、ショップ機能は中目黒店に集約した。
進化する定番というサステイナビリティー
中目黒店の内装デザインは高井戸店と同じパシフィックファニチャーサービスが手掛けた。
入り口の大きなウインドーから自然光が差し込む空間に、アメリカの老舗家具ブランド「HEYWOOD WAKEFIELD(ヘイウッドウェイクフィールド)」をイメージしたメープル材のナチュラル感と、スケルトン構造の中に配されたグレーのドアや什器などの機械的なイメージが醸すインダストリアル感を融合し、全体として40年代のカリフォルニアのように明るく、ゆったりと時間が流れる場を生んでいる。
オープンに際して展開したのは22~23年秋冬コレクションと限定アイテム。
「De Luxe Railroader 2(デラックス・レイルローダー2)」は、1910年代頃に鉄道作業員が着用したカバーオールを再構築したデラックス・レイルローダー(90年代に発表)のリデザイン版。やや短丈のボックス型シルエットとアシンメトリーに配置したVステッチのポケットが特徴で、左胸ポケットのデザインを変更し、重ね着のしやすさと防風に配慮して玉虫タフタのライニングを付加した。
ブランド設立時からの定番アイテム、フロントに同素材の大きな当て布を付けたダブルニー仕様のパンツも改良を施した。「E-Z DND(イージー・ディーエヌディー)」としてイージーパンツ化。
デニムの無骨な素材感とイージーパンツのユルさが共存した絶妙なバランスが新鮮だ。
ジャージーを中心に展開するE-Zシリーズでは、ベロア素材を導入した。70年代のサーファーが着ていたポロシャツやショーツ、80年代以降のアメリカ向けスポーツブランドのセットアップから着想を得て、カーディガンやフ―ディー、パンツなどに仕上げた。
改めて海外へ販路を拓く
中目黒店はコロナ下でスタートしたが、前年までの行動制限もなくなり、新旧顧客はもとより、訪日外国人の来店も増えている。アメリカ時代からヨーロッパなど海外のセレクトショップに卸していたため、ブランドのことを知っていて来店する外国人観光客も少なくない。新たな足場が築かれる中で、今年1月には23年春夏コレクションの第一弾を投入した。
「DEE V(ディーブイ)」は、パーカシリーズの「DEE Parka(ディーパーカ)」のバージョン3をベースに、あえてフードを付けず軽量化を図った。
ハンティングポケット(縦に重ねたポケットの上ポケットの底が下ポケットのフラップになる)のビンテージデザイン、フロントのダブルジップアップがアクセントとなっている。
前述した「ニュートラ」のバージョン3も注目アイテム。シリーズ初のオープンカラー仕様で、よりリラックスした着こなしが楽しめる。
「A-Ⅲ Pack(エースリーパック)」はタクティカルギアメーカーのイーグル社が米国の特殊部隊向けに納めていたバックパック。
ポストオーバーオールズは素材変更などした別注品を90年代後半~00年代に展開していた。
約20年ぶりの復活となる今回は、ミリタリーやモーターカルチャー、アウトドアをデザインソースとしたギア開発で定評のあるバリスティクスインダストリーズに製作を依頼し、リップストップナイロン使いでよりタウン向けの軽さが魅力となっている。
今後の課題としては一休みしていた海外販路の再開拓を挙げる。
21年春夏からコロナ禍のためウェブを活用した営業活動に取り組み、すでにイタリア、フランス、韓国、インドネシアに新規卸先を開拓している。
また、今年1月にはパリのメンズファッション合同展「MAN(マン)」に出展し、日本のブランドとして改めて世界の舞台に立った。
次なる23~24年秋冬では「93年にファーストコレクションで展開したアイテムを全て復刻させる」と大淵さん。単なる回顧ではない、今だからこそ響くポストオーバーオールズ流の「進化するアーカイブ」に期待したい。
写真/遠藤純、ポストオーバーオールズ提供
取材・文/久保雅裕
久保雅裕(くぼ まさひろ)encoremodeコントリビューティングエディター
ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。