高校野球の応援歌として、近年盛んに取り上げられるようになった「ダイナミック琉球」。この歌を大切に歌い続けているシンガーソングライターが、石垣島出身の成底ゆう子だ。声楽を学び、イタリア留学までしたという異色の経歴を持っており、2010年にメジャー・デビューして以来、その澄んだ歌声とほのかに感じさせる島育ちならではの大らかさでリスナーを魅了している。今回4年ぶりとなるオリジナル・アルバム『島心~しまぐくる』を制作し、新たな一歩を進み始めた彼女の中で、何が変化したのか。そして、新しいチャレンジとは。新作だけでなく成底ゆう子の代名詞となった「ダイナミック琉球」についてもじっくりと話をしてもらった。

──新作のお話の前に、まず聞いておきたいのが「ダイナミック琉球」のことなんです。あの曲はいろんな意味で成底さんにとって大切な一曲になっていると思うんです。

「本当にそうですね。「ダイナミック琉球」がなければ、こうやって活動し続けることができなかったんじゃないかって思うくらいです。高校野球などのスポーツの応援歌としていろんな人が歌ってくれるようになって、ミュージックビデオを作ったり、応援ヴァージョンを作ったりして、今に導いてくれたと感じています」

──結果的にそうなったとはいえ、そもそもこの曲は成底さんが歌っているたくさんのレパートリーの中の1曲だったんですよね。

「そうなんですが、インディーズ時代に出合った大切な曲なんです。沖縄の現代組踊という新しい伝統芸能の舞台で使われている曲で、作詞をされた詩人の平田大一さんから、“舞台で歌ってくれないか?”と渡されました。でもこれって、完全に男性の歌なんですよ。私には合わないんじゃないか?って思っていたんですが、歌ってみたら雷に打たれたような衝撃がありました。その時に“この曲は絶対に歌っていくべきだし、出合うべくして出合った”と直感的に感じたんです」

──「ダイナミック琉球」は、話題になるよりもかなり前から大切に歌い続けてきたんですね。

「はい、私自身への応援歌としてもずっと存在していて、“絶対にメジャー・デビューしよう!”って。だから、2011年のファースト・アルバム(『宝〜TAKARA〜』)でカヴァーさせてもらいました。ライヴでも必ず歌ってきましたし」

──なるほど、それだけ大切な歌だからこそ、その後もヴァージョンを変えてカヴァーされているんですね。

「その時々に、この曲を通じて新しい出会いもありますし、それがまた励みにもなって。この曲をテレビのCMで使用してもらったことで浸透して、沖縄のイベントにも最近は呼んでいただけるようになりました」

──「ダイナミック琉球」の応援バージョンが話題になったのが2019年くらいで、その後2020年にはアルバム『ダイナリズム~琉球の風~』を発表されましたが、そこから今作まで少し空いていますよね。やはりコロナ禍の影響はあったのでしょうか?

「完全にコロナ禍の影響です。『ダイナリズム~琉球の風~』の後に、沖縄を含むツアーを予定していたんですが、キャンセルになってしまったんです。沖縄での本格的なライヴは初めてだったのですごく楽しみにしていたのに…。でも、そんな状況の中でも、私の知らないところで“「ダイナミック琉球」を歌ったよ!”、とか、“ラジオで流れてきたよ”とか、そういう話をすごく聞くようになって、それで徐々にイベントなどに呼んでもらえるようになって、ようやく念願の沖縄ライヴが実現するんです」

──だからツアータイトルが『音(おん)がえし』なんですね。

「そうです。このツアーのために、「音がえし」という新曲も書きました。テーマもそのまま、恩返しです。石垣島で生まれなかったら知らなかった愛情や、島に生まれたからこその出会い、そして私の歌を応援してくれる人、待ってくれる人、そういった様々なことに対するありがとうの気持ちを込めました」

──島に生まれ育った成底さんならではの曲ですよね。

「私は石垣の宮良村という小さな村で育ったんですが、その地域のおじーやおばーはみんな家族のようで、普通に叱られたりしていましたから(笑)。今思えば人の心を豊かにする優しさに溢れていたし、そういう原風景はしっかりと伝えなきゃって。私がこうやって活動できているのも、みんなの優しさの中で育ったからだってことを、ちゃんと感謝の言葉で伝えたかったので、この曲を作りました」

──その「音がえし」も収録したアルバム『島心~しまぐくる~』がついにリリースされましたね。今回はどういうコンセプトで制作したのでしょうか?

「島に生まれて、沖縄の音楽に親しんで、でも大学で声楽を学んでオペラ歌手を目指していたという、私のバックボーンをひとつにしたような作品にようと考えていました。あと、最近“ケルティック島人(シマンチュ)”という新しいジャンルを作ろうと思っていて。まだ全然浸透していないんですが(笑)、少し神々しくて、島の風を感じられるような、そんなイメージなんです。それと、今回のアルバムでは作詞家の方と一緒に曲を書くという試みにもチャレンジしました」

──「生きている歓び」と「光と風の島」ですよね。これはとても意外でした。

「鮎川めぐみさんに「生きている歓び」の歌詞を書いていただいたんですが、プロデューサーの方から紹介していただき、実際お会いしていろんな話をしたんです。その時に私が“生きている歓び”という言葉を言ったらしくって、でも自分では全く覚えてないんですよ。だから最初に届いた曲タイトルを見て驚きました。それと、歌詞を見たときには“ちゃんと曲にハマるのかな?”と思ったんです。と言うのは、わたしの中から出てこない言葉ばかりだったんです。でも、いざ歌ってみると、“この曲にはこの歌詞しかない!”と思えるくらいぴったりでした」

──確かに、成底さんが書いたといってもいいくらい、力強いイメージがあります。

「その力強さが突き抜けてくると言うか、沖縄の言葉でいうと“ちむどんどん”すると言うか、すごくワクワクするんです。この曲で伝えたいのは、“やり続け、生き続けていると、本当に愛する人がちゃんと応援してくれるし、生きているだけで勝ちなんだよ”っていうことなんです。“命があるだけですごい”って、そういうことを伝えられたらいいなって思うんです」

──そうやって大切に歌っているんだなって、とてもよく伝わる一曲ですね。

──「光と風の島」も作詞家の方とのコラボレーションです。作詞は保岡直樹さん。

「これは私の生まれた石垣島の風景を、そのまま曲に込めてほしいって言うのがあって。父が軽トラックを運転するんですけど、“歩いたほうが早くない?”っていうくらいすごいゆっくりなんですよ(笑)。それって8分の6拍子だなって思って、スルスルっと曲が出てきたんです」

──ゆったりとしたワルツのようなリズムは、沖縄時間を表しているんですか?

「みんなゆっくりし過ぎているので、久々に帰ると慣れるのに少し時間がかかるんですけど、慣れてしまえば私もゆるゆるです(笑)。そういう大らかな島の雰囲気が伝わればいいなって思って、そんなイメージそのままの歌詞を書いていただきました」

──そういう島の雰囲気は、「赤瓦の家」にも感じられますね。こちらは成底さんが歌詞も書いていますが。

「この曲は以前からあったんですが、レコーディング直前に歌詞を書き直しました.。と言うのも、今回、鮎川さんと保岡さんという2人の作詞家さんとコラボして、風景を描写するテクニックにすごく感化されたんです。それでふっと出てきた歌詞が、これだったんです」

──この曲もご自身の故郷での体験を描いているんですよね。

「実際に赤瓦の家に住んでいたし、狭い家なんですけど、すぐ手の届くところに家族の誰かがいるんですよ。一緒にご飯を食べて、一緒に寝て、おじーが三線弾いて、おばーと一緒に踊って…みたいな、赤瓦の家の思い出って、すべてが愛おしいくて柔らかいんです。その空気感を出したいと思って書きました」

──この曲の歌詞の良さは、心情を描かず情景描写に徹しているのに、優しさや温かさのようなものがすごく伝わってくるところだと思います。

「そうなんです! それをやりたかったんです。だから、鮎川さんと保岡さんには私の中の引き出しの鍵を開いてもらったという感覚で、このやり方をしっかり育てていこうと思っています」

──成底さんの新しい一面が引き出されましたね。この曲とはまた違う意味で感情を揺さぶられるのが、「父」という曲で、これは非常にヒリヒリとした印象を受けます。

「これは完全に懺悔です(笑)。私って本当にひどい娘だったんですよ、父にとって。話もしないし、言うこと聞かない、おまけに、もらったものをそのまま捨てたし(笑)。不思議と父の前では素直になれなかったんです。父は娘に近づこうと頑張ってくれるんですけど、無口で不器用で曲がったことが嫌いな昭和の父親って感じなので、ぶつかってばかりだったんです。それでも私のことを信じてくれたし、支えてくれたから、私も飾らずにむき出しの言葉で書こうって思って」

──あまりにもむき出しすぎかな?と、心配してしまいましたが(笑)。

「母や妹にも言われました(笑)。友達からも、“もうちょっと違う言葉にすれば?”って言われましたし(笑)。でも、色々あったけれど、私にとっては世界一の父親なので、ラブレターのつもりで素直な気持ちを書きました」

──父親になった人にはグサグサと心に刺さる歌だと思います。以前インタビューしたときに、“痛みを感じるような曲も書いてみたい”とおっしゃっていたんですが、力強さや優しさや懐かしさを感じさせる成底さんのこれまで音楽から、一歩踏み込んだ新境地かもしれないですね。

「そう感じてもらえると嬉しいです」

──それと、最初の話に戻るかもしれないですが、今回は「ダイナミック琉球」のピアノのみをバックに歌うAcoustic versionが収録されています。

「デビュー前からずっと歌い続けてきて、応援バージョンなど何度もレコーディングしてきましたが、いざライヴで歌う際にどうしようか?って考えて出てきた答えが、アルバムのアレンジをしてくれた山本健太くんとのダブル鍵盤だったんです。歌詞の力強さを伝えるには、バンドではなく逆に音を削ってピアノだけじゃないのか?って。もともと「ダイナミック琉球」がとても壮大な曲なので、イチかバチかのチャレンジだったんですが、すごくストレートにメッセージが伝わるということが分かったんです」

──確かに、歌詞はこのAcoustic versionが一番耳に入ってくるような気がします。でも、文字通りダイナミックなあの曲をアコースティックでやるなんて、相当なチャレンジじゃないですか?

「もちろんチャレンジですけど、それは10年以上歌い続けてきた私でしかできない「ダイナミック琉球」だと自負しているので、これはすごく聴いてもらいたいです。“ここまで歌い続けてきましたよ!”って」

──特に後半の歌いっぷりと言うか、気合いの入り方は成底さんのこの曲への思い入れがたっぷりと伝わってきます。

「この曲に助けられ続けてきたからこそです。表現者としても大きくチャレンジしたと実感しています。全身全霊の一発勝負で、祈りのような気持ちで歌いました」

──今回、4年ぶりにアルバムという形でまとめましたが、トータル的に新しく見えてきたことはありますか?

「やはり、成底ゆう子にしか歌えない歌があるんだっていうことを感じました。島で生まれ育って、三線に慣れ親しんでいたのに、イタリアまで行って歌を学んで。島ならではの節回しもあれば、声楽的な声を出すこともある。こういうことを出来るのは、私しかいないし、新しい沖縄の音楽を生み出していると思います。“沖縄音楽は三線だけじゃないんだよ”ってことを、しっかりと打ち出していきたいです。“ケルティック島人(シマンチュ)”という新しい世界観を届けていきたいです」

──確かに、ケルティックやクラシックの素養と沖縄の空気感の融合はすごく新鮮ですね。成底さんならではだと思います。

「デビューした頃は、“沖縄っていうことを言われたくないな”って突っ張っていましたし、敢えて三線を避けていた時期もあったんですが、今はとても自然体です。三線を弾くこともあるし、だからと言ってそこに頼ってないですし」

──そのバランス感が成底さんの音楽の強みかもしれないですね。今後の展望はどのように考えられていますか。

「とにかくライヴはもっとやっていきたいです。自分の音楽を伝えるには、やはりライヴだと思いますし、そこで存分に成底ゆう子の音楽に浸って楽しんでもらいたいですね」

(おわり)

取材・文/栗本 斉

RELEASE INFORMATION

成底ゆう子『島心~しまぐくる~』

2024年918日(水)発売
KICX-1185/2,200円(税込)
キングレコード

LIVE INFORMATION

成底ゆう子 LIVE 2024『音(おん)がえし』 supported by 琉球海運

2024年921日(土) 東京 南青山マンダラ
2024年923日(月・祝) 沖縄 那覇文化芸術劇場なはーと 小劇場

成底ゆう子 LIVE 2024『音(おん)がえし』 supported by 琉球海運

成底ゆう子 関連リンク

一覧へ戻る