1986

1986

国生さゆり 「バレンタイン・キッス」

フジテレビ「オールナイトフジ」美少女コンテストで優勝。それを機におニャン子クラブの会員番号8番として活躍。86年に国生さゆりwithおニャン子クラブ「バレンタイン・キッス」でソロデビューした。87年3月におニャン子クラブを卒業。卒業後はドラマやバラエティ番組などを中心に活動。「キスより簡単」で連続ドラマ初主演を果たす。2010年おニャン子クラブ在籍時に不仲説がささやかれていた新田恵利と有楽町のディスコで同じステージに立った。

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相楽ハル子 「ヴァージン・ハート」「踊らせてトゥナイト」

テレビドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」(ビー玉のお京役)で女優デビュー。翌年にスケバン刑事IIの挿入歌「ヴァージン・ハート」で歌手デビューを果たす。以後、「アリエスの乙女たち」や「バカヤロー! 私、怒ってます」など話題作に出演。88年には深夜番組「オールナイトフジ延長戦」の司会に抜擢。これを機にバラエティ番組にも出演するようになる。93年には写真集「MOTHERS」でヌードを披露した。現在、移住先のハワイで旅行のコーディネーター務めている。

島田奈美(島田奈央子) 「ガラスの幻想曲(ファンタジー)」「Free Balloon」

84年に映画『パンツの穴 花柄畑でインプット』で本名の島田奈央子でデビュー。85年にCM出演。86年に島田奈美名義で「ガラスの幻想曲(ファンタジー)」でアイドル歌手デビューした。これまでのシングル、アルバム収録の楽曲提供者は辛島美登里、小坂明子、村下孝蔵、EPO、太田裕美、松本隆、財津和夫、原田真二、黒沢健一など多岐にわたる。現在は音楽ライター、ディスクジョッキーとしても活躍するほか、女性向けにジャズの楽しさを伝える“女子ジャズ”を提唱、「Something Jazzy 〜 女子のための新しいジャズ・ガイド」(駒草出版)、「Something Jazzy 〜 女子JAZZスタイルブック」(中央公論新社)を著している。

城之内早苗 「あじさい橋」

おニャン子クラブの会員番号17番。86年に演歌「あじさい橋」でソロデビューした。同曲はオリコンランキングで1位を獲得。演歌での初登場1位はこの曲が初めて。城之内は幼少の頃より民謡と三味線を習い、演歌志向が強かった。現在も演歌歌手として活動中。プロ野球・読売ジャイアンツで活躍した城之内邦雄は大叔父(祖父の弟)、俳優の地井武男とは親戚。

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杉浦幸 「悲しいな」「4月列車」

85年にテレビドラマ「ヤヌスの鏡」のヒロイン役で芸能界デビュー。翌年「悲しいな」で歌手デビュー。所属事務所のホリプロを退社してからは趣味のパチンコに傾倒。“パチドル”としてCS放送やパチンコ雑誌で活躍。また、プロ雀士としても活動中。

高井麻巳子 「シンデレラたちへの伝言」「メロディ」

おニャン子クラブの会員番号16番。斉藤由貴と交流があり、斉藤の著書『由貴的世界感情旅行』(角川書店)のあとがきに寄稿しているほか、同じく斉藤の著書『私の好きなあの人のコト』(新潮社)には、高井にまつわるエピソードが記されている。87年4月におニャン子クラブを卒業。88年におニャン子の仕掛け人である秋元康と結婚。芸能界を引退した。

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西村知美 「夢色のメッセージ」「わたし・ドリーミング」

86年に映画『ドン松五郎の生活』でデビューし、主題歌「夢色のメッセージ」でアイドル歌手としてもデビューした。同年に3枚目のシングル「わたし・ドリーミング」で第28回日本レコード大賞・新人賞を受賞。その後、「さんまのからくりTV」などバラエティ番組に出演。天然キャラも相まって、幅広い層から人気を集める。97年に元タレントでCHA-CHAのメンバーで、料理人の西尾拓美と結婚。

新田恵利 「冬のオペラグラス」「恋のロープをほどかないで」「不思議な手品のように」「内緒で浪漫映画」

おニャン子クラブの会員番号4番。86年にシングル「冬のオペラグラス」でソロデビュー。オリコン初登場1位、30万枚以上を売り上げた。おニャン子解散後は女優や作家・エッセイストとしての活動も行っている。また、作詞家を目指し芸能界を一時引退したことも。2014年「脳動脈瘤」を患っていることを告白した。おニャン子時代はメンバーのなかでも一二を争うほどの高い人気を誇った。

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ニャンギラス 「私は里歌ちゃん」「自分でゆーのもなんですけれど」

おニャン子クラブ内のユニットとして誕生。メンバーは立見里歌、樹原亜紀、名越美香、白石麻子の4人。メンバーの中で一番音痴の立見里歌をメインヴォーカルにしている。86年4月「私は里歌ちゃん」でデビュー。オリコンランキングで1位を獲得した。2枚目のシングル「自分でゆーのもなんですけれど」もオリコン初登場1位に輝いた。アルバム『最初で最後』はオリコン初登場5位。86年9月、名越の卒業をもってニャンギラスは解散した。

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山瀬まみ 「メロンのためいき」

85年の「第10回ホリプロタレントスカウトキャラバン」に出場し優勝。86年にシングル『メロンのためいき』で歌手デビューした。この曲は作詞・松本隆、作曲・松任谷由実(クレジットは呉田軽穂名義)、編曲・松任谷正隆。山瀬の楽曲には森雪之丞や阿久悠などからの提供作品もある。アイドル歌手としては大成しなかったが、「新婚さんいらっしゃい!」などのバラエティ、「ブロードキャスター」といった情報番組に出演。マルチな活躍をみせる。99年に俳優の中上雅巳と結婚。

渡辺満里奈 「深呼吸して」「ホワイトラビットからのメッセージ」「マリーナの夏」「夏休みだけのサイドシート」

おニャン子クラブの会員番号36番。おニャン子時代は同じ渡辺の渡辺美奈代とともに「W渡辺」と呼ばれ人気を博す。86年10月に「深呼吸して」でソロデビューし、初登場1位を記録した。ちなみに、当時のオリコン初登場1位最年少記録(15歳11ヶ月)。後に、当時モーニング娘。の後藤真希が「愛のバカやろう」(15歳6ヶ月)で1位を獲得するまでこの記録は破られなかった。おニャン子解散後は歌手活動以外に、バラエティ番組などにも数多く出演。2005年、お笑いトリオ・ネプチューンの名倉潤と結婚した。

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渡辺美奈代 「瞳に約束」「雪の帰り道」「TOO ADULT」「PINKのCHAO」「アマリリス」

おニャン子クラブの会員番号29番。86年にシングル「瞳に約束」でソロデビュー。1stシングルから5作連続でオリコンランキング初登場1位を記録。おニャン子解散後は歌手活動のほか、女優業、バラエティ番組でも活躍。「志村けんのだいじょうぶだぁ」などにレギュラー出演していた。2002年におニャン子クラブの再結成記念シングルとしてリリースされた「ショーミキゲン」で初のフロントを務めた。

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