──昨年10月24日(金)に開催された、アーティスト活動10周年を記念した東名阪ツアー『歌十年tour -うたってんねん-』のファイナル公演をもって、“坂口有望”から“サカグチアミ”に改名した理由と経緯から聞かせてください。

「実は2024年の年末くらいに改名を考え始めていたんですけど、ちょうど2025年の1月で私が歌手活動を始めて10年経つということで、今までをすごく振り返るタイミングだったんです。“とてもいい作品をちゃんと残せた”という自負もありつつ、“もっとこの輪を広げたい”と前向きに思って。その起爆剤として、“何か違うエッセンスを自分から発信しないと、ここから他の世界に出れない”って限界を感じていました。それは、ひたすら楽曲制作をしてライブして…というのを10年続けてきた末に思ったことでした。ちょうど日本クラウンさんへのレーベル移籍の話も上がっていたので、“ここからフェーズが変わりますよ”ということを一番わかりやすく意思表明できるのが名前を変えることなのかな?と思って改名を決断しました」

──10年を振り返って感じたことはどんなことだったんですか?

「昔も今も日記感覚で曲を作っていることは変わらないです。でも、当時は年齢が若かったので、どうしてもカッコよく見せたかったのがあって…」

──大阪のライブハウス、三国ヶ丘FUZZのステージに初めて立ったのは中2の冬。13歳でしたから。

「あまりカッコ悪いところとか、人間らしいところを見せたくなかったです。それはもう完全に思春期と被っているので(笑)」

──そうですよね。

「あと、中学生だったので、自分をプロデュースするような考えもなかったです。だから、“坂口有望”という名前を引っ提げて歌っているのに、どこかで道を作ってもらっているような感覚もありました、子供ながらに。それが段々と大人になるにつれて、頭で考えられるようになって。だから、レーベル移籍のタイミングで、“自分からプロジェクトを始める”という経験をしたくて…カタカナになったのは、本名の漢字から、ソロプロジェクトになるというニュアンスも少し入っています」

──オフィシャルのYouTubeではこれまでを振り返って“船に乗せてもらっていた感覚”とおっしゃっていました。作詞作曲、歌を自分でやりながらも船に乗せてもらっている感覚がありましたか?

「そうですね。本当に作詞作曲をして終わりだったんです。そこから、どの曲をリードにして、どう見せるかは全部お任せでした。結果的にそれがよかった部分もありましたし、自分で考えられない年齢だったのでどうしようもない部分もあって。でも、これからは“曲を作って終わり”ではなくて、アレンジをどうするか、どの曲を推していくか…曲の選び方や切り口、見せ方やアートワーク1つとっても自分で考えていきたくて。そこが変わっていく感じです」

──新しいフェーズに向かっては、どんな部分を見せていきたいと考えていますか?

「“より丸裸に自分のカッコ悪いところもぜんぶ見せていこう”という風に変わりました。これまではお客さんが聴いたら、“あ、こんな人なんだ”と思われるのが怖くて、ためらっていた部分もあったのが、今はもう無くなっています。以前はライブでも“カッコよく見せれる”ということが判断基準になっていました。でも、今は自分が感動するかどうかが基準になっています」

──では、移籍第一弾となるEP『名前』をどんな作品にしたかったのでしょうか?

「この10年を振り返りつつ、“私はこれからどういう歌を歌っていきたいんだろう?“というのを考えてみて…やっぱり、自分と似たような人と繋がりたいですし、曲が私と誰かを繋げてくれる媒介にしたくて。それが、私が音楽をやり始めた初期衝動でした。人生にちゃんと寄り添える曲を歌いたい。それが一番やりたいことですし、そこが真骨頂なので、そのテーマのもとに、一旦ラブソングを省いて、自分の人生観とか、自分のことを正直に歌っている曲たちだけで構成したEPになっています」

──新たなスタートとなるEPは4曲中3曲の根底に“生きること”というテーマが流れているように感じました。特に1曲目を飾る「黒蝶」は<あなたがいなくなった世界>のことを歌っていて…。

「私がすごくリスペクトしていた先輩のさユりさんが亡くなって…その訃報を聞いた日に書いた曲です。渋谷を歩いている時にwebニュースで見て、もう足を引きずるように歩いていました。ケラケラと笑っている若者たちとかをすごく煙たく感じながら。そこで、本当に黒い蝶々を見て、“これはもしかしたらあの人かもしれない”と、ふと思って、その気持ちそのままが曲になっています。そんなにとても仲良しな関係でもなかったんですけど」

──さユりさんは、シンガーソングライターで2024年9月に逝去した酸欠少女 さユりさんですか?

「そうです。ちょうど亡くなった年の頭に対バンをしていて。曲も聴いていましたし、密かにすごく憧れていた人だったので、その日は本当にやってられなくて。曲に吐き出すみたいな気持ちで書きました。あまりさユりさんのこととは言っていないですけど、歌詞に<三日月>(「ミカヅキ」という曲がある)と入れています。レクイエムのような1曲です」

──サカグチさんにとって、さユりさんはどんな存在でしたか?

「お会いしたことは2回か3回くらいしかないんですけど、ずっと曲を聴いていたので、勝手に馴染みやすい存在になっていました。だから、本当に衝撃的でしたし、そんな間柄で曲にするのは失礼かも…とも考えました。でも、さユりさんをいつでも思い出せるトリガーになるといいなと思って。私が見た渋谷の黒い蝶々という光景が本当に衝撃的だったからなのか、その映像ごと見せることができているような感触があります」

──サウンド的にはダークなロックナンバーになっていますね。

「サウンド的にもゴリゴリのバンドサウンドでやっていて、振り切った曲なので。だから、EP1曲目に持ってきています」

──アレンジは坂口有望の「セントラル」、「walk」などのプロデュースに加え、ライブのサポートや弾き語りツアーのアレンジも手がけている柿澤秀吉さんです。

「元々私のギターの先生もしていただいていて。この曲はできた時から“いい曲ができたのでアレンジをしていただけないですか?”とお願いしていました。その時は曲の背景を話していなかったんですけど、仲がいい人なので、私が見た景色や裏の意味を汲み取ってくれているのが肌感で分かりました。“本当に同じ景色を見ている”と思いました。しかも、ライブで弾き語りでやっていた時は平面だった蝶々の絵が、バンドアレンジになって、立体的になって羽ばたいた感触があって。秀吉さんじゃないとお任せできないくらい思い入れが強かった曲なので、アレンジしていただけて良かったです」

──この流れのまま曲順通りに聞かせてください。2曲目の「名前」はリード曲になっています。

「一番最後に書いた曲です。新体制を前にして自分がどんなことを思うのか? 改名の裏にどんな決意や葛藤があったのか? それを文章ではなくて、ちゃんと音楽に落とし込んで、それをリード曲にすることが、音楽人としての誠実さにも繋がると思いました。最後に書き下ろして、私の今の心境を丸裸に書いた曲です」

──改名に対する想いはこの曲を聴けばわかる。そういうことですね。

「そうですね。本当にお見せできないぐらい、“こいつ、病んでるな”みたいなぐちゃぐちゃぐちゃなノートから言葉をつまんでいます。歌詞全文を読めば読むほど、ちゃんと味が出ると思っています。でも、自分だけの曲で終わらせたくなかったので、聴いている人にも当てはまるようなことをサビに持ってきています。ネットの記事で、“恋愛の心理学として、自分のことを名前で呼んでくれる人を好きになる”ということが書いてあって…“確かにそうだわ”と思って(笑)」

──あはははは。そうなんですか?

「名前で呼ばれると、“誰でもない自分のことを必要としてくれているんだ、この人は”という気持ちに無意識になると思うんです。そういうところにも繋がればいいと思って、ダブルミーニングになるような曲にしました」

──でも、アーティストとしてリスナーやファンに対する想いでもありますよね?

「聴いている人も日常で置き換えられるようにと思っていますけど、もちろん、それが私としてはメインの気持ちです」

──ちなみに新体制の改名をお客さんの前で発表したライブ当日はどんな雰囲気だったんですか?

「ライブ本編の終わりで、“改名しました”という映像が流れて、なんか悲鳴が上がっていました(笑)。アンコールでこの黒い衣装に着替えて登場して…みんなからのコメントや友達からは“顔つきまで違って見えた”と言われました。1年弱かけて準備したプロジェクトがようやく動き出すところをみんなに見てもらうという気持ちがあったからかもしれないです。何より、“一番私が前向きな気持ちだぞ”というのは強調して伝えたかったんです。だから、お客さんは“おめでとう”、“新たな門出だね”みたいな感じでは受け取ってくれていました。でも、まだサカグチアミの曲は世に出ていないので、“どうなるんだろう?”みたいな…“昔の曲はもうやらないんですか?”というコメントもたくさん届きました。でも、“私から切り取る部分が変わるだけだよ”ということを伝えて。これからのサカグチアミの作品を聴いてもらってどうなるかな?とうのはまだちょっとドキドキです」

──“名前を呼んでくれたらどこにでも行けるし、私はずっと生きていける”という決意表明や覚悟と捉えていいですか?

「もちろんです。2023年に47都道府県ツアー『全国声波-ゼンコクセイハ-』を回ったんですけど、それぞれの地方で、“誰でもないサカグチアミという人の曲が聴きたいんだ”という声さえあれば本当に行けてしまう職業じゃないですか。そこにすごく希望を感じていますし、本当にいい仕事だと思っています。そうやって旅ができるということを改めて感じたこともこの曲には込めています」

──そして、サウンドプロデュースと編曲を奥田民生さんと斎藤有太さんが手掛けています。

47都道府県ツアーは弾き語りライブだったので、“勉強になるから、大先輩の民生さんのDVDを見てごらん”と言われて拝見して。私はバンドメンバーがいないことに心細い気持ちがあったんですけど、民生さんの弾き語りライブの映像を見て、一人の強さを感じました。それからは、自分がライブで弱気になりそうな時があると、「民生さんスイッチ」を入れるようにしています」

──そんなスイッチがあるんですか?

「はい。民生さんになりきって、そういう世界観で歌ってみるモードがあるんです。「名前」を書く時も意識していたので、“アレンジを誰にお願いしたいですか?”と聞かれた時に、“この曲は民生さんになりきって書いたところがあるから、バカなふりして、民生さんにお願いしたいです”と言ったら、快く引き受けてくださいました。その後で、民生さんのところにご挨拶に行って、“民生さんとやりたいと言ってしまって、すみません!”と頭を下げたら、民生さんが“弟子がいないもんでね”と言ってくださいました。“弟子いなくてよかった!”と思いました」

──あはははは。

「演奏も鍵盤以外は全部、民生さんが演奏してくださって。本当に奇跡みたいなことが起きたと思っています」

──民生さんからは曲に関して何か言われましたか?

「“頑張ってくださいね”というコメントをいただきました」

──それだけですか? もう少し欲しいですよね。

「あと、今回、マスタリングもユニコーンのABEDONさんにやっていただいたので、“阿部にやってもらったの?”と聞かれたので、“そうです!”と答えたくらいです(笑)。曲に関しては別に何も言われてないかな…。有太さんには、「名前」というタイトルも含めて、“誰かに名前を呼んでもらった瞬間にその意味がようやく発揮される”というコメントをいただきました。同じ重みで「名前」というワードを捉えてくれていると思いました」

──3曲目の「Life Goes On」はどんなところから生まれた曲でしたか?

2023年が47都道府県ツアーで修行みたいな1年だったんです。大学を卒業して1年目の年というのもあって、自分の時間を音楽に100%費やす経験をしました。弾き語りで回るセトリを考える上でも、“私にはこういう曲が足りていないんだ”とか、逆に“自分の強みはこうだ”とか。その時にも今までの自分の楽曲を振り返って、“もっとこういう曲を書きたい!”というのもあって。ツアーが終わってから、楽曲を書くパワーが湧いてきてたんですけど、書いても書いてもできないスランプ状態に入ってしまって…」

──そのスランプをどう脱したんですか?

「“どこかに遠出しよう”と思い立って。文豪が宿に行って書くスタイルに憧れがあったので(笑)、“よし、八丈島に行ってみよう”と思って、八丈島に一人で行きました。運転も出来きないので、ただ島中をひたすら歩いてたら、<Life Goes On>というフレーズが降ってきました。スランプで“もう曲を書けないかも…”と思っていたのが、その旅でパッと曲が生まれて。曲を書く上で一歩進んだことも、この曲にそのまま希望の歌として反映されています。既にツアーで披露していたので、その時のバンマスのひぐちけいちゃんに“これをパッケージしたいです”という感じでアレンジをお願いして完成した曲です」

──ラララのシンガロングが入っていますね。

「最初に曲を作った時はなかったパートです。ライブでお客さんと一緒にこのパートを歌ってみたら、すごくドラマチックで良かったんです。“音源にも入れた方がいいよね”となって、そういうアレンジにしました。もともとはこの曲をEPの最後にする予定だったので、今の2倍尺くらい歌っていて。でも結局、3曲目になったので割とすんなりフェードアウトで終わらせています。“まだ続きを聴きたい”くらいのところで終わらせているので、ライブがより楽しみになってくれるといいなっていう尺になっています」

──(笑)この曲では<生きる意味が見つかる日は/明日かもしれない>という歌詞があり、その後にできた「名前」では、あなたが名前を呼ぶだけで<ずっと生きていける いける>と歌っています。

「結局、挫折があって光があって曲を書くというか…曲を書くことで自分を癒しているんです。日記感覚で曲を作っているのは、セラピー的な意味合いがあって。自分がスランプだった時に一番かけてほしかったのが“まだ人生は続いていくから”、“まだ未来は明るいから”という言葉でした。私が一番言われたかった言葉がそのまま曲になっています。生きる意味は歌うことというより…」

──最初に言ってた、“曲を媒介にして誰かと繋がること”なんでしょうか?

「そうです。昔から、自分が世の中と切り離されているような感覚が強くて。別にいじめられていたわけではないですけど、その感覚がずっとコンプレックスとして根底にありました。“何とか、どうにかして、そこの架け橋を自分で作らないと…”って。それが曲を書くことでした。“私のような思いをしている人が、ここにもそこにもいるんだ”ということが、生きる希望になっています」

──最後の「歌を歌わなければ」では、サカグチさんが<Lalalalala>と歌っています。

「この曲だけ少し前に作っていた曲です。2021年のコロナ禍の時に書いた曲で、当時、大阪から東京に出てきて、すぐにコロナ禍になってしまって。私が音楽と学業を両立できていたのは、ライブが楽しかったからだったのに、ライブができなくなって、“もう歌っていけないかも…”と思っていました。本当に次、いつライブができるかわからない状態だったので、“もうダメかも”と思っていたんですけど、その時も曲を書くことで自分を癒していました。“自分がもし歌っていなかったら出会えてなかった人たちがたくさんいるし、歌を歌わないとこれから出会えない人がいっぱいいる“というダブルミーニングで「歌を歌わなければ」というタイトルになりました」

──以前、「革命を」という曲もありました(2018年リリース)が、ここでも<革命しか起こせない>というフレーズがありますね。

「あの時の“革命”とは意味が違っていて…この時はコロナが得体の知れないものすぎて、“ライブができるようになるには、どうしたらいいんだろう?”って考えると、強い言葉にすがりたいという気持ちもありました。今、ライブ会場でライブができないけど、地球全体をドームみたいに捉えると、自分の部屋でポツンって歌った曲も誰かに届くかもしれない。そういうわずかな希望から<革命>というワードを選んで書いたと思います」

──最終的には希望なんですよね。<大歓声は鳴り止まない>ですから。

「そうです。私がこの曲を地球のドームではなくて東京ドームで歌っている夢を見たんです。その時の大歓声をそのまま歌詞に入れています。夢から曲を書くことは多いです。映像を言葉にするような作業が好きだから。この曲も夢に助けられてできました」

──東京ドームのステージに立ちたいという気持ちはありますか?

「立ってみたいです! 逆にアリーナはあまり想像つかないのに、ドームで一人で弾き語るのはイメージできます。民生さんの映像を見た時に、一人だけど、そこだけ風が強く吹いているって感じて。きっとどんな規模でも通用すると思いました。民生さんの『ひとり股旅スペシャル』は広島市民球場でした。そういう夢を見せられてからはすごく憧れます」

──いつか弾き語りで東京ドームのステージに立つ日が来るかもしれないですよね。その道のりに向けた第一歩となるEP『名前』が完成して、ご自身にとってはどんな1枚になりましたか?

「“新体制になります”と言って、実際にどういう方向性で行くのかは作品でしか伝えられないと思っています。1枚目はそういう意味で、“これがやりたいんだな”というのを、どんなに深く取られてもいいように…と思って厳選した4曲なので、すごく満足しています。このEPが確かに、私がこれからやりたいことですし、歌っていきたいことです。何よりも嘘がなくて、飾っていない自分が詰まっているEPでもあるので、今までのどの作品よりも一番ドキドキ、バクバクしています。どういうふうに皆さんに届くのかがとても怖いです…でも、すごく楽しみです!」

(おわり)

取材・文/永堀アツオ
写真/野﨑 慧嗣

RELEASE INFORMATION

サカグチアミ『名前』

2026年114日(水)配信
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サカグチアミ『名前』

LIVE INFORMATION

「サカグチアミ」

2026年130日(金) 開場18:15 / 開演19:00
会場:東京 渋谷duo MUSIC EXCHANGE

「サカグチアミ」

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