世界最古の薬局からフレグランスのグローバルブランドへ

オフィチーナ・プロフーモ・ファルマチェウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラは、日本語で言うとサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局のこと。ドミニコ会の修道士たちが1221年にフィレンツェに修道院を建て、「癒し」の教えを実践するために菜園を造ったことが、その歴史の始まりだった。薬草を育て、薬や香油、軟膏などを作り、修道院薬局を設立して病気になった修道士のために生かした。
14世紀前半には難病を患ったフィレンツェの大商人に薬を調剤し、回復させたことでサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局はその名を一気に広めた。14世紀後半に起こったペストの大流行に際しては、バラの花びらを蒸留した「香りの水」を初めて開発。バラの蒸留水は当時、部屋に撒いたり、ワインと一緒に飲むと殺菌や消毒の効用があると信じられ、使われていたことから生産したものだった。改良を重ね、現在は肌に潤いを与えるスキンケア「Acqua di Rose(アクア ディ ローズ)」としてサンタ・マリア・ノヴェッラの定番の一つとなっている。

現在、アイコンプロダクトの一つとなっている「Acqua di Rose(アクア ディ ローズ)」

初めてオーデコロンを作ったのは1533年のこと。ルネサンス期の芸術家たちを支えたパトロンとして知られるメディチ家の令嬢カテリーナ・ディ・メディチがフランスのアンリ2世のもとに嫁いだ年だ。カテリーナは自身が育った地の思い出をフランスに持って行きたいと、フィレンツェらしい優雅さと気品を感じさせる特別な香りの調合をサンタ・マリア・ノヴェッラに依頼した。試行錯誤の末に誕生したのが、薬局名を冠した「Acqua di Santa Maria Novella(アクア ディ サンタ・マリア・ノヴェッラ)」だ。当時のパリでは強めの香水が一般的だった中で、柑橘系のフレッシュで繊細な香りはセンセーションを巻き起こしたという。この香水を求める人も増え、後にドイツのケルンに渡り、「ケルンの水=オーデコロン」と呼ばれるようになったという説もある。以降、サンタ・マリア・ノヴェッラはオーデコロンの開発を軸に、様々なプロダクトを世に送り出していった。その母体となったのが、1612年に香水や製薬の研究室・民営薬局として開設したオフィチーナ・プロフーモ・ファルマチェウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラだった。

フィレンツェにある本店、オフィチーナ・プロフーモ・ファルマチェウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会に隣接する、14世紀に建てられたサン・ニッコロ礼拝堂に開いたこの薬局は今もサンタ・マリア・ノヴェッラの本店として存続し、建築だけでなく重厚な調度品も当時のまま。この世界最古の薬局のエッセンスを取り入れ、ブランドの世界観を発信しているのがサンタ・マリア・ノヴェッラ銀座店だ。
銀座店は銀座6丁目の西五番街通り沿い、昭和モダンなムードを醸し出す千年銀座ビルの1階にひっそりと在る。サンタ・マリア・ノヴェッラは2000年代初頭に現在のギンザ シックスの近くに最初の直営店として銀座店を出店。14年に現在の地に移転リニューアルし、より充実した品揃えで空間表現にもこだわった。木枠とガラスの扉を開けると、奥行きの深い空間の壁面いっぱいに重厚な木製の棚が展開し、店奥にはレジカウンターがどっしりと構える。棚にはパッケージやボトルのデザインも素敵なプロダクトがずらりと並び、ヨーロッパのクラシカルな薬局のイメージだ。「フィレンツェの本店のメインホールにある棚のデザインを日本の職人がディテールまで再現し、創建時のサン・ニッコロ礼拝堂の雰囲気を追求した」という。

クラシカルな調度品は日本の職人が手作りした
サンタ・マリア・ノヴェッラ銀座店
壁面にはフィレンツェ本店から贈られた希少な版画。薬草の絵とともに、その特徴や効用などの解説が記されている
棚には定番から新作までのプロダクトがずらりと並ぶ

歴史を超えてストーリーを紡ぎ続けるコレクション

品揃えはフレグランス、ボディ・スキンケアアイテム、ホームフレグランスに大別され、その中で多様なプロダクトを展開している。アイコニックな香りを楽しめるのは、2021年に800周年を記念して発表した8種類の香りのコレクション「Firenze 1221 Edition(フィレンツェ1221エディション)」。オーデコロンを軸に、ボディ・スキンケアアイテムやホームフレグランス、ディフューザーも揃える。
前述したカテリーナ・ディ・メディチのために作ったアクア ディ サンタ・マリア・ノヴェッラを「Acqua della Regina(アクア デッラ レジーナ)」、すなわち「王妃の水」として新たに提案。他に、ブランドのアンティークレシピの一つである「Pot Pourri (ポプリ)」、1966年の大洪水で被災したフィレンツェの人々と街を救済するために集まった若者たち「泥の天使」に敬意を表して作られた「Angeli di Firenze(エンジェル オブ フローレンス)」、豊かさを象徴するザクロのイメージを表現したほんのり甘くフローラルな「Melograno(ザクロ)」、「神秘」「未知の魅力」の花言葉を持つフリージアから着想したフレッシュでクリーンな「Fresia(フリージア)」、オリエンタルなウッディノートとスモーキーなバニラベースのノートをブレンドした「Tabacco Toscano (トバッコ・トスカーノ)」、サンタ・マリア・ノヴェッラの庭園を訪れる人を迎えるローズなどフローラルな香りが魅惑的な「Rosa Novella(ローザノヴェッラ)」、ローズとクチナシが一体となった幻想的で優美な「Rosa Gardenia(ローザ・ガーデニア)」がある。1221エディションではアイコンプロダクトのアップデートへ向け、ボトルとラベルのデザインを一新し、サイズも通常の100mlに加え、50mlも揃えた。

フィレンツェ1221エディションの「Acqua della Regina(アクア デッラ レジーナ)」
「Firenze 1221 Edition(フィレンツェ1221エディション)」のオーデコロン

今年4月には長い歴史の中で初めてオードパルファムを発表。ブランドと縁の深いメディチ家の歴史と密接に結びついた植物に着目し、4種類の香りからなるコレクション「I Giardini Medicei(ジャルディーニ メディチェイ)~メディチ家の庭園」を作り上げた。
「L'IRIS(アイリス)」は、フィレンツェの丘陵で栽培されたアイリスの花の根茎から6年をかけて抽出した香料をベースにしている。アイリスは「守護」の象徴とされ、ルネサンス期にはフィレンツェの紋章にもなっていた。歴史的にも生産背景もまさにL'IRIS=THE IRIS。繊細さと鮮やかさを併せ持つブーケを特徴とするサンタ・マリア・ノヴェッラならではのオードパルファムだ。「MAGNOLIA(マグノリア)」は、メディチ家のカステッロ邸を100年以上にわたり見守っていた白木蓮「マグノリア・グランディフローラ」をモチーフに、力強い香りの情景を表現した。男性にも人気の香りだという。メディチ家出身の第6代トスカーナ大公コジモ3世が愛した小さなバラのような花を咲かせる「ジャスミンサンバック」をベースにしているのは「GELSOMINO(ジェルソミーノ)」。コジモ3世はこの花を愛するがあまり、領地での栽培を禁止し、信頼できる植物学者だけが秘密の温室だけで栽培することを許可した。そのジャスミンサンバックを使い、瑞々しい香りに仕上げた。「BIZZARRIA(ビッザリア)」は、3種類の果実がなる「奇妙な果実」を意味する植物の名称を付けたフレグランス。メディチ家では1644年に初めてこの植物を栽培し、愛でていたとされる。そのビッザリアを個性の象徴として、様々な香料の調合により多様性を表現した。
それぞれのオードパルファムは書籍型のパッケージに入れて提供する。パッケージは、かつて植物のエキスやエッセンシャルオイルなどの貴重品を運ぶために使っていた箱から着想し、1800年代後半に発行したカタログの装丁のデザインを施した。大切な宝物のように本棚にそっと潜ませてみたくなる一品だ。

書籍型のパッケージ
ジャルディーニ メディチェイの「L'IRIS(アイリス)」

老舗の歴史を体感できるプロダクトもある。「ACETO AROMATICO(アチェト アロマティコ)」は17世紀前半から継続する芳香ビネガー。気分が悪くなったときや眠気を覚ましたいときなどに使用する「気付け薬」で、別名「七人の盗賊」と呼ばれる。誕生のきっかけは1628~31年にフランス・トゥールーズで大流行したペストだった。7人の盗賊は7つの成分からなる酢を配合して気付け薬を作ったが、1人が知ることができるのは1成分だけ。7人が集まらないと完成しないようにすることで、配合成分の秘密を守ったとされる。この秘薬により感染することなく、略奪を続けられたのだとか。手や顔に塗布したり、家内で燃やして使用された。現在も空気清浄剤として使用されている。「SALI DI LAVANDA(サーリ ディ ラヴァンダ)」はラベンダー芳香塩で、刺激剤としての作用で知られている。ツンとする軽い刺激臭がラベンダーの爽やかな香りと調和し、感覚を刺激し空気を清浄する。いずれもサンタ・マリア・ノヴェッラの昔の薬局方に記載されていたもので、数年前にアンティークラインとして復刻した。

「ACETO AROMATICO(アチェト アロマティコ)」(左)と「SALI DI LAVANDA(サーリ ディ ラヴァンダ)」

男性客も女性客も、自分用もギフト用も、香りを軸にファンを広げる

銀座に店舗を構えて20年余りが経つが、男性客が多く、出店した当初は半数以上を占めていた。フィレンツェを旅行してサンタ・マリア・ノヴェッラのフレグランスのファンになった人が多く、おしゃれが好きで香りにも興味を持ったという人、ブランドのことは知らなかったがポプリが好きで来店する人など入り口は様々だ。雑誌やSNSを通じてブランドを知って来店する女性客も増え、最近では男性客を大きく上回る。特に銀座店は路面店で、「落ち着いていて非日常感のある空間でスタッフと会話をしながら商品を選べるため、目掛けて来店するお客様が多い」。ブランドの歴史や一つひとつのプロダクトに通うストーリーへの共感をベースに、気に入った商品の買い替えや、興味の湧いた商品を新たに購入することでファンになっていく。常連の顧客の構成比が高いのも銀座店の特徴だ。

自分用に購入するだけでなく、ギフト需要もとても多いという。結婚や新居、誕生日、送別などの節目や記念日はもとより、ちょっとしたお礼まで用途はいろいろ。石鹸ひとつでもおしゃれなパッケージなので、贈られる側も贈る側も気軽なギフトでありながら高揚感があることはやはり人気の理由だろう。ギフトの大定番といえるのはポプリ。サンタ・マリア・ノヴェッラのプロダクトの中で最もアイコニックで高く評価されている製品の一つだ。トスカーナ地方の丘陵地に自生する葉、根、花、つぼみをミックスし、数世紀にわたり自社工房で作り続けられている。100g入りのポプリバッグから、刺繍を施したシルクサシェやテラコッタの壺に入ったものまであり、選ぶのも楽しい。ハードワックスに草花の香りを閉じ込めたルームフレグランス「Scented Wax Tablets(タボレッタ)」も人気。クローゼットや引出しに忍ばせてワードローブをほのかに香らせる、ドアノブに掛けて室内に優しい香りを漂わせるなど、おしゃれで程よいサイズ感なので使い方を工夫したくなる。フィレンツェ1221エディションのプロダクトでもある。「Carta d'Armenia(アルメニアペーパー)」は、芳香樹脂やオリエンタルスパイスの浸剤を染み込ませた紙のお香。炎を出さずに焚いて室内を香らせたり、そのまま引出しやクローゼットに入れて衣類などをほのかに香らせることもできる。

「Pot Pourri in Small Terracotta Jar(テラコッタポプリポット)」(左)と「Pot Pourri in embroidered green silk sachet(シルクサシェ)」
「Sapone Fior d'Iris(フィオール・ディリス ソープ)」
「Angeli di Firenze Scented Wax Tablets(タボレッタ エンジェル オブ フローレンス)」

また、新作入荷のタイミングや歳時などに合わせて企画している小さなイベントも銀座店の魅力。今年4月には「ジャルディーニ メディチェイ」の発売を記念し、コレクションのカラーを取り入れたブーケを購入客に進呈した。6月には父の日を含む週末に、購入した香水のボトルにイニシャルや記念日などを刻印するイベントを実施。職人が来店して顧客の目の前で刻印し、ギフト用にも特別感があって好評を呼んだ。今後も2~3カ月ごとに体験型のイベントを企画していく。

父の日に合わせてフレグランスボトルへの刻印を行い、好評だった

サンタ・マリア・ノヴェッラは23年8月に日本法人を立ち上げ、新たな挑戦を始めている。初のオードパルファムの発売もその一つだ。本国が長らく手掛けてきた領域で、日本では未展開のプロダクトもあり、今後はラインナップの幅と深みがより充実することが期待される。マーケットとの重要な接点となるのが実店舗だ。「直営店が14店舗ある中で、ブランドのコンセプトをリニューアルする既存店や新規出店する店舗に生かしていく。ブランドの歴史を空間としても表現し、その世界観の体験価値とともにお客様のライフスタイルに寄り添うプロダクトの魅力を伝えていきたい」としている。


写真/野﨑慧嗣、サンタ・マリア・ノヴェッラ・ジャパン提供
取材・文/久保雅裕

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久保雅裕(くぼ まさひろ)encoremodeコントリビューティングエディター。ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。元杉野服飾大学特任教授。東京ファッションデザイナー協議会 代表理事・議長。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。2019年、encoremodeコントリビューティングエディターに就任。

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