小野里寧晃(おのざと・やすあき) バニッシュ・スタンダード代表取締役CEO
1982年、群馬県前橋市生まれ。2004年、大手Web制作会社に入社、EC事業部長として主にアパレル企業などのECサイト制作に従事。11年、株式会社バニッシュ・スタンダードを設立。EC構築から運営の全てを請け負うフルフィルメント事業を提供する中で「店舗を存続するEC」を目指し、16年に店舗スタッフをDX化させる「スタッフテック」サービス「STAFF START(スタッフスタート)」を立ち上げる。著書に『リアル店舗を救うのは誰か 今すぐ「店舗スタッフ」にECを任せよ!』(日経BP)。
店舗スタッフと顧客を共感でマッチング
――店舗スタッフのモチベーションをどう高めていくか。ファッション業界ではとても重要なテーマを、バニッシュ・スタンダードは「スタッフスタート」というサービスを通じて追求してきました。とはいえ、スタッフスタートを立ち上げる直前まで、会社自体が危機に陥っていたそうですね。
大失敗をしたんです。2014~16年の3年間はまさに地獄でした。僕はウェブ制作会社への入社からキャリアをスタートし、11年に独立して前職場の優秀な制作者らと共にEC構築から運営の全てを請け負うフルフィルメント事業でバニッシュ・スタンダードを設立しました。ただ、仕事の依頼はたくさんあったんですけど、社員が望むレベルとは違っていたようです。忙しいだけの状況に不満を募らせた社員はどんどん辞めていき、3年間でゼロになってしまいました。そのタイミングで大口のクリエイティブな仕事を得ることができたんですけど、作る人がいない。外注に依頼したのですが、全く仕事が進みませんでした。納期を延ばしてなお完遂できず、キャンセルされてしまったんですね。この間、売り上げが減る中で社員の給料や外注費を調達するために目一杯まで借り入れをしていました。結果、数億円の負債だけが残った。追い込まれた状況下で、自分は何が駄目だったのかを考えました。いろいろ悪かったことはあるんですけど、一番悪かったのはバニッシュ・スタンダード(Vanish Standard)という社名が表している「常識を革(あらた)める」という約束を、社員に対しても社会に対しても果たせなかったことだと思い至ったんです。
――自らがバニッシュ・スタンダードできなかった。
そうです。どんな状況下でも、社員や社会に夢を与えることは絶対的にやらなければいけない会社だと思っていたのに、できなかった。もう一回挑戦してできなければ、二度と経営者をやってはいけないと思いました。その頃、アパレルのショップスタッフをしていた友達にこう言われたんです――「おまえがやっているECサイトなんて大っ嫌いだ」。ECのせいでお客様は奪われる、売り上げは持って行かれる、スタッフは減らされる、給料は上がらない……。そう言われてショックを受けたのですが、それこそ解決しなければいけない課題であり、バニッシュ・スタンダードになると思ったんですね。
――大失敗の経験からスタッフスタートのサービスを発案したのですか。
企画としては13年の時点であったんですよ。リアル店舗は商品とレジがあって、店舗スタッフがいるのが当たり前だけれど、ECサイトには商品とレジしかない。ならばECサイトに店舗スタッフが立てるようにしよう、という主旨でした。当時の僕はそれがすぐに普通になっていくと思っていたのでそのままにしていたんですけど、友達にアパレル業界の構造や店舗スタッフの日々の頑張りについて話を聞いて、認識が変わりました。ECサイトに店舗スタッフが立つというのは新しい常識になる、そうした世の中を創ることは夢のあることだと確信したんです。もう一つ、絶対に解決しなければならないと思ったのが、店舗スタッフの給与の問題でした。アパレルの店舗スタッフは業務内容が多岐にわたり、感性も専門性も求められるにもかかわらず、薄給とも言える状況が一般的です。それを何十万円でも稼げる、つまり頑張っている人が報われる世の中を創らなければいけないと思ったんですね。これができれば、まさにバニッシュ・スタンダードです。
――店舗スタッフがECでも売れ、実績が所得に反映される仕組みですね。
その仕組みを開発しました。店舗スタッフに自分が提案するコーディネート画像と商品の特徴や着こなしのポイントなどをSNSや自社ECサイトなどに投稿してもらい、それに共感したお客様を自社ECサイトに誘導し、購入していただく。その店舗スタッフの売り上げへの貢献度を僕らが開発した評価システムで可視化してインセンティブなどにつなげ、スタッフのモチベーションを高めていく。このプロセスを経たお客様がスタッフを目当てに実店舗を利用するようになることもあり得ます。そういう流れを作り、文化にしていければ社会が豊かに変わっていくと考えたんです。店舗スタッフを起点としたDX(デジタルトランスフォーメーション)ですね。
――スタッフスタートを立ち上げて6年が経ち、一気にシェアが拡大しました。
半端ないぐらいに利用者が増えています。22年8月末日現在で導入しているブランドは約2100、登録している店舗スタッフは約18万人に上り、スタッフスタート経由の年間流通額は1500億円超になりました。
――地方の店舗スタッフが結構、年間流通額の上位に入っています。
コーディネートを発信することで、実店舗では出会えない場所に暮らす人と共感でマッチングされ、全国にファンができていく。そうした環境を作れたことも、スタッフスタートの功績だと思います。
でも、それは当たり前のことだと僕は思うんですよ。例えば僕ら男性が、カッコ良く服を着こなしている高身長で若い外国人モデルのビジュアルを見て、購買の意思決定ができるか。そうはなりにくいでしょう。僕らには僕らの等身大がいて、僕らよりちょっとおしゃれを頑張っているぐらいの人が着ているほうが共感できる。それを体現できたのがスタッフスタートなんです。
簡単に発信でき、1投稿で平均約16万円の実績
――コロナ下ではライブコマースに取り組む店舗が急増しました。競合が激しくなる中で、なぜスタッフスタートは登録者数、販売実績とも伸ばせているのでしょうか。
スタッフスタートは店舗スタッフ個人が写真を撮って、コメントを付けて投稿するだけ。5分もあれば完結できます。しかも1投稿=1接客で平均約16万円の売り上げを作っているんですね。店頭で100万円を売り上げ予算としている実店舗が一般的な中で、それを30分で達成できる可能性がある。それに対してライブコマースは、スタッフ2~3人が閉店後などの時間を使って、30分、1時間かけて動画を配信します。サービスのロジックは同じですが、大きな差があるんです。画像よりも進化したライブ動画という機能があるから、みなさん、やってはみるんですよ。だけど、ものすごく時間を取られてしまう。また販売職だからといって、しゃべりが得意な人ばかりではありません。そのため、プレスチームがライブコマースを任されるケースも少なからずあります。店舗スタッフが起点ではなくなってしまうんですね。であれば、もっと動画を投稿しやすくしたいと思い、今年7月にスタッフスタートのコーディネート投稿機能をリニューアルしました。画像とテキストだけでは伝わりづらい素材感や具体的な使用方法などを簡単に発信できる動画機能も導入し、画像やテキストの内容と動画を紐付けられるようにしました。コーディネート投稿に加え、店舗スタッフの視点で新たな機能を付加し続けていることも、差別化につながっています。
――20年4月の緊急事態宣言以降、アパレル各社がECを強化しました。コロナ下で実店舗が開けられなかった中で、スタッフスタートが果たした役割は大きかったと思います。
店頭にお客様が来ないだけでなく、商業施設に出店している店舗は館自体も閉まってしまい、スタッフが出勤できない日々も続きましたから。クライアント様によっては、本部がスタッフの自宅に服を送り、投稿ができるようにしていたそうです。そうした時期も含め、コロナ下では投稿すること自体が重要視され、ものすごい勢いで投稿が増えました。「撮り貯め」をしていた人も多かったですね。出勤できるかどうかも分からないので、出勤した日には着替えまくって、コーディネート画像を撮れるだけ撮っておき、後でコメントを付けて毎日のように投稿する。それはデータからも明らかです。コロナ下に入った21年1月は約4万7000投稿で、以降はグンと増えて同年5月には15万投稿へ、さらに22年5月には30万投稿を超える勢いで伸びています。
――コロナ下に入るや急激に投稿が増え、その後の1年間でさらに2倍になった。
ただ、店舗スタッフの方々からは、もっと本質的な意味で反応をいただいています。「お客様に会えなくて、販売員という仕事そのものが無くなるのではないかと不安になったけど、スタッフスタートがあったから販売を続けることができた」という表現をされています。僕が最もバニッシュ・スタンダードしたかったのは中央集権的な企業の仕組みであり、給与も含めて頑張っている人が報われる社会を創ることがテーマです。そもそもコロナ下対策のためにスタッフスタートを作ったわけではないので、販売の仕事を続けることができたという喜びの声をいただけたことは素直に嬉しかったです。
――アパレル以外にも導入企業が広がっています。
スタッフスタートのサービスは店舗スタッフがいる全ての業種に対応できます。2年前から家具や飲食、コスメなど様々な業種との取り組みをスタートさせました。やってみて分かったのは、業種によってお客様が知りたい内容は異なるということです。例えば家電の場合は、アパレルのように、いきなり製品をコーディネートした素敵な部屋の画像を見せても、お客様は買いません。まず必要なのは製品の操作方法と効果です。こういう操作をすると、アンプであればこんな音を楽しめるとか、扇風機だったらこんな風を感じられるとか。お客様が店頭で確認していることをオンラインでも体現するということです。そのために全業種でレビュー機能を導入しました。その商品を使用した店舗スタッフの「経験」を投稿してもらい、その業種だからこその「接客」を届けることにしたんです。ユーザーレビューではないんですね。ユーザーレビューは素直な感想ではあっても、人によって感じ方が異なります。一方、スタッフレビューは、その商品に通じている人の評価なので確度が高い。プロが使用・着用した実感、評価を投稿することで、お客様の信頼感が高まり、納得した上での購入を促します。プロレビューであることがポイントです。
リアリティーを追求する「スタッフ・オブ・ザ・イヤー」
――21年には日本一の販売スタッフを決める「スタッフ・オブ・ザ・イヤー」を開始し、全国の店舗スタッフが目掛けて参加するイベントに成長しています。
スタッフスタートを通じて、実店舗のスタッフがECでも商品提案や接客ができ、実績を作れば評価・報酬を得られるようになりました。次の段階として、さらにモチベーションを高めてEX(従業員体験)の向上を促し、販売職に憧れる人を増やして次代につないでいくため、優れた店舗スタッフを表彰する機会を創出しようと考えたんです。今年は3回目なので仕組みもオペレーションも整っていますが、初開催した21年はちょっとヤバかったですけどね。自分の中に突然、「令和のカリスマ店員を決める」という企画が舞い降りてきたんです。イメージはある、やるしかない、やるぞって独断専行でスタートしました。社員に話したのは開催日の3カ月ほど前。社内的には無茶振りだったんですけど、ファッション業界としてはあるべきイベントだと確信していました。結果としてとても盛り上がって、店舗スタッフにも所属する企業・ブランドにも喜んでいただけた。無茶とも言える判断で多くの人を幸せにすることもあるんです。
――具体的にはどんな審査をしているのですか。
初回はスタッフスタートに登録している約7万人の店舗スタッフを対象に、1次審査ではスタッフスタート経由のECやSNSの売り上げやフォロワー数で上位400人を選出し、2次審査は売り上げやフォロワー数、そして特設サイトでの一般からの応援投票で15人に絞り込み、延長投票で復活した3人を加え、計18人をファイナリストとしました。最終審査の模様はライブ配信し、テレビ電話接客、ライブ接客、そして自己PRを行い、ファッションのスペシャリストである審査員とライブ配信を視聴する人たちによる一般投票で上位5人を選出しました。ちなみに、最終審査の内容は自己PR以外は毎年異なります。2回目は参加者が約8万人へと増え、最終審査当日のライブ視聴者数は約19万人となりました。3回目の今年は約1300ブランド、8万人の中から1次審査を経て484人が2次審査に進み、最終審査進出者15人により9月28日に決戦が行われます。
――ロールプレイングコンテストには「ルミネスト」をはじめ、いくつかあります。スタッフ・オブ・ザ・イヤーは、それらとも違ったアプローチです。
2回目では接客ロールプレイングも取り入れましたが、従来のものよりリアリティーを重視しました。ロールプレイングは型にはまり過ぎているというか、お客様の言動も想定内のものが多いため接客が演技になってしまったり、点数を取れる受け答えになってしまいがちです。そこで、お客様役に女性芸人を抜擢したんですね。芸人さんは人間の心理や社会の出来事などを生の舞台で笑いに変えるため、観察眼や即興的な表現力を培っています。思ってもみなかった発言や反応にもきちんと対応できることが本物の力量だと思い、芸人さんを選びました。
――売り場での人としての臨機応変な対応力を引き出したいと。
店舗スタッフにとって最も重要なのは人間力です。そう思っているので、スタッフ・オブ・ザ・イヤーの最終審査では自己PRの場を設けているんですね。接客スキルやおもてなしはもちろん大切。では、その基盤となっているものは何かというと、人間力なんですよ。自己PRでは、そもそも何で自分は販売員をしているのかを話していただいています。実はこの自己PRが最も感動を呼ぶ場面となっています。普段から店舗スタッフの役に立つことを考え、行動している僕らも改めて学ぶ機会にもなっています。また、上位5人には賞金と副賞だけでなく、特別な「体験」を提供しているのも、スタッフ・オブ・ザ・イヤーの特徴です。初回では東京ガールズコレクションのステージをプロデュースできる権利、2回目では渋谷・センター街の街頭広告の出演権を贈りました。
「人を生かすAI」によるデータ活用
――今後、バニッシュ・スタンダードとしては、どんな事業展開を考えていますか。
スタッフスタートでは、オンライン接客という新しい販売環境を提供してきました。同時に、評価・報酬制度として個人や所属する店舗に還元するという文化を醸成するため、昨年12月に店舗スタッフの価値向上を目指す「スタッフEXプロジェクト」を立ち上げました。前述したように現在は約2100ブランド、約18万人の店舗スタッフが登録しています。それだけの売れる接客や投稿など多様かつ膨大なデータが蓄積されているんですね。このデータを有効活用し、スタッフスタートの機能拡充にも取り組んでいきます。
――店舗スタッフという現場起点のデータや、これからのビジネスに役立つ分析結果を、スタッフスタート導入企業に提供していくと。
はい。AIによる機能拡充には大きく3つの軸があります。1つは、どうやったら売れるようになるか。2つ目は、どうやったらお客様、エンドユーザーが喜んでくれるか。3つ目は、お客様とスタッフのマッチングです。今後はこれら3軸のデータを徹底的に数値化し、AIによる専門的な解析に取り組みます。AIは人がやっていることを便利にする一方、人の仕事を無くしてしまうとも言われますが、僕らがやろうとしているのは「人を生かすAI」です。これを絶対に作り上げ、店舗スタッフを起点とした企業・ブランドの成長に貢献していきたい。
――そのプロセスで、頑張っている人が報われる社会が醸成されていくということですね。
ビジョンはあくまで、世界中の頑張っている人が報われる社会を創ることです。頑張っている人が報われる社会を創り続け、世界に広げていく。世界中の人たちが幸せになる環境を作るために、僕が死んでもこの魂が引き継がれるということが僕の夢です。それが僕の生きた証し、存在意義になると考えています。確かに資金は必要ですが、単に上場して企業規模を拡大して、何がすごいんだと。むしろ貧乏かもしれません。やはり、世の中を豊かにしていくことが本質的に重要なことだと思います。
写真/久保雅裕、バニッシュ・スタンダード提供
取材・文/久保雅裕
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ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任教授。東京ファッションデザイナー協議会 代表理事・議長。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。2019年、encoremodeコントリビューティングエディターに就任。