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「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」by SMART USEN
[section heading="ゲストスピーカー"] [section heading="モデレーター"]
[section heading="音楽一家で育った反抗心から美大へ"]
──音楽に目覚めたきっかけを教えてください
「祖父から続くクラシックの音楽一家に生まれて、物心がつく前からクラシックを耳にしていたし、オペラの物真似をしたりしていました。ピアノを習い始めたら父親に教わることもあったんですが、とても厳しくて。発表会で緊張してしまい、同じ部分をループして曲が終わらなくなったことも。それがトラウマになって、10代になったら反抗期も重なりピアノをやめました。歌うことは好きで続けたかったので、ピアノの代わりに何か楽器が必要だと思っていたら、実家の屋根裏部屋で叔母のアコースティックギターを見つけました。ポロポロと独学で弾き始めて、それから弾き語りをするようになりました」
──音大は目指さなかったのですか?
「反抗してピアノをやめた時点で音大へ行く気はなくて、でもやっぱり何か表現することはしたいと思って美大へ進学しました。けれども専攻した彫刻科は音楽の好きな人ばかりだったし、みんな破天荒で曲者揃い。当時Joy Divisionとかが好きで、仲良くなった友達と"松田性子"というポストパンクバンドを始めました」
──美大に進んだものの、気がつけば音楽に戻っていたのですね
「そうですね。絵は一面しかないけど、彫刻って360度どこから見ても作品じゃないですか。同じように、絵よりも大きく表現できるものってなんだろうと考えた時、"音だ、音って彫刻だ"って閃いた。それで音楽で自己表現していきたいなと思ったんです」
──その後も様々なバンドで経験を積まれていますね
「はい、その後は大学の先輩に声をかけられて、ドゥームサイケデリックというジャンルのバンドにドラマーとして参加したり、知り合いのバンドのベーシストが抜けちゃうからと私に声がかかって、サポートで入ったり。気がついたら準メンバーになっていました。毎回やったことのない楽器を気合いでマスターしましたが、いろんな経験ができたのも恵まれていたからだと思います」
[section heading="無音の中にある魅力を表現したかった"]──キャリア的には10年位ですね。海外でも活動していますが何処へ行きましたか?
「ソロではイギリス、スペイン、オーストラリア、オーストリア、ノルウェーに行きました。ソロ以外で、ベースとボーカルで参加している3人女性バンドの"クーナティック"ではイギリス、スウェーデン、ベルギー ノルウェーなど。特にスウェーデンは多くて、ストックホルムをはじめ12ヶ所のライブハウスへ行きました」
──ソロで聞きやすいジャンルの音楽を選ばなかったのは何故ですか?
「美術館って無音ですよね。作品と一対一になれるし、集中して作品を浴びるような感覚がすごく好きで。無音の中にある魅力を表現したいと思った時、実験音楽って面白いなと、ユーチューブや友達の演奏を聴きまくりました。実験音楽は音と音の間に隙間があって余韻がある。ノイズ・ミュージックも何か鳴っているけどメロディーではないし、空間を味わう環境が好きなんです」
[section heading="服はまわりの空気に流されないために纏うもの"]
──次の質問はファッションについて。音楽同様、ファッションもひとつの表現だと思いますが、こだわりはありますか?
「今の自分に合ったものを考えて選ぶようにしています。衣装は鎧のような存在ですが、フォークな気分の時はステージでも私服を着たり、アグレッシブな気分の時は自分で作った衣装を着たり、空間表現をしたい時は白い衣装を着ました。ファッションは音楽を表現するために必要なものだし、ファッションも音が必要。でもお互い加担しすぎちゃいけないなと思います。まわりの空気に流されないために纏うのかもしれないけど、服に呑まれる時もあるので、それは避けたいと思っています」
──普段の服選びにもこだわりはありますか?
「素材も大切ですが、何より自分が精神的に着ていて気持ちの良いものを選びます。たとえば戦闘モードな赤い服を気分が落ち込んでいる時に着ると、さらに気分が落ちたりする。どんな服を着ようともコンディションが上がらなかったことは自分の責任なので、服には頼りきりたくないです。強気でいたい時、柔らかい気持ちでいたい時、その日の気分に合わせますが、10代や20代前半の頃に比べるとだいぶ落ち着きました。舞台も普段もあまり変わらなくなってきていますね」
──あくまでも自分の精神性がメインで、ファッションはサブということですね。11月発行予定の杉野学園のフリーマガジン『ファッション力』のカバー撮影に臨まれましたが、いかがでしたか?
「海辺での撮影で、私は座ったりポーズをとったりするだけですが、スタイリストやカメラマンの方はずぶ濡れになりながら動きまわっていて大変そうでした。でもみんなでひとつの作品をつくるってすごく楽しい。ロングトレーンの衣装は、着ると自分じゃない生き物になったような気持ちになりました。服は勝手に動くものではないですが、波や風、重さで自分の思うように全然動かなくて、服に自分の身体がコントロールされるような不思議な感覚を初めて味わいました」
──完成が楽しみですね
[section heading="コロナ後、活動拠点をロンドンへ"]──今後はロンドンに拠点を移されるそうですが、その理由は?
「もともとUKミュージックがすごく好きで5、6年前から考えていたんですが、イギリスのワーホリは1年に2回の応募システムでなかなか当たりませんでした。ようやく今年レーベルからのリリースが決まったのに、無意識的に応募していたのが当たってしまってどうしよう、と思っていたらコロナウィルスが世界に広がって。リリースパーティーもできないだろうし、日本にいてどうしようと思っているくらいなら、少しは環境の違いでアグレッシブになれるかなと移住を決めました」
──今後は配信がメインになっていきますか?
「本当は空間や空気が好きなので、やっぱりライブに勝るものはないです。その場で体感できる100%の状況じゃないのにライブ配信したってしょうがないし、ステレオから感じる毛穴が開くような感覚も提供できないなら、無理に動く必要もない。やらないことで自分がストレスになるならやればいいけど、観客のためとか、まわりがやっているから自分もやらなきゃということではないって話を友達としていました」
──オープンエアーな環境でのフェスなどができるようになればいいですね
「そうですね、ベルリンでは美術館の前でノイズのパフォーマンスとかをやっていて、機械音が木々や壁に反響している感じとか、映像で見ていても"あぁその場にいたい!"って思います。日本ももっとそういうフェスティバルが増えたらいいですね」
──今後の目標は?
「父の"音"を超えられる人は居ないと今でも思っています。同じジャンルで父を超えるのは無理だから戦いたくない。私の音が自然に父の耳に入ってくるようになったら、少しは進めたかなと思います」
──ありがとうございました
(おわり)
取材・文/久保雅裕(encoremodeコントリビューティングエディター)
写真/鎌田拳太郎