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「えー、今回は映画『ボヘミアン・ラプソディ』の字幕監修を担当された増田勇一さんをお迎えしております。いやあ、ものすごいことになってますよね」

――ちょっと待ってくださいよ、質問するのはこっちなんですから(笑)。

「たまにはいいじゃないですか、こういうのも(笑)。でも実際、客観的なところでの感想を聞きたいところですけども」

――とても細かいところまで神経の行き届いた、素晴らしい映画だと思います。愛情や敬意もちゃんと感じられるからこそ、「そこはちょっと時系列が違うんだけど?」みたいな部分が多少あっても、物語をわかりやすくするために敢えてそうしているんだと捉えられますし、細かいところに目くじらを立てるのはやめよう、と思えるんです。

「確かにネットとかだとそういう話も目につきますよね。ただ、そこを突っ込みたいけど作品としては良くできてるから肯定的であろう、みたいな意見も多い。クイーンをよく知っている人ほど知識が邪魔をしてしまうから、それをちょっと除けながら観たほうが面白い部分というのもあるのかもしれないですね」

――ええ。しかしまさかこれほどの大ヒットになるとは。LOUDNESSの歴史もいつか映画になる日がやって来るんでしょうか?

「いやいやいや!まあ、それはそれで面白いのかもしれないけども(笑)」

――物語の大半が二井原さんのラブ・アフェアで占められることになったりして。

「ということは、そのままお蔵入りになりますね(笑)。いっしょに全米ツアーをした某バンドがドラッグに溺れてるシーンも必要になってくるだろうし」

――危ないですね(笑)。それはともかく、LOUDNESSにとっての2018年は、12月30日に行なわれた『RISE TO GLORY -8118-』の完全再現ライブで幕を閉じましたが、年間を通じてどのような年だったという感触がありますか?

「まさにそのライブの印象に尽きますね。あの完全再現ライブをやったことで、あれがいかにいいアルバムだったかという手応えを個人的にもすごく感じて。3曲ほど初めてライブでやった曲もあったんですよね。LOUDNESSって意外と地味だと言われる曲のなかにライブですごく化けるものがあったりするんですよ」

――曲自体が地味なわけではなく、新作リリースに伴うツアーの時にたまたまセットリストから外れてしまい、そのままになっていた曲、というか。

「そうそう、要するにそれだけの話なんですけどね。でもやっぱり、お客さんからは“何故あれをやらないの?”と突っ込まれる曲というのがあるわけです。どのバンドにもね。なにしろライブに絶対欠かせない曲というのがあるわけですよ。ディープ・パープルが「スモーク・オン・ザ・ウォーター」や「ハイウェイ・スター」をやらなかったら、絶対に文句が出るじゃないですか。僕らの場合で言えば「Crazy Nights」とか「S.D.I.」、「In The Mirror」あたりは、やっぱり毎回やらないと。なかには初めて観に来たお客さんもいるかもしれないわけで。そういう曲を外せないぶん、なかなか新曲のなかにはライブで日の目を見ないものもある。そういう曲たちのなかにもライブ映えするものというのが実は結構多くて」

――ええ。実際、最新作の全曲が演奏されたことにも意義深さを感じましたが、同時に「滅多にやらない曲ばかりをやるライブ」というのも面白そうだな、と思わされましたよ。

「絶対やったほうがいい。すんごく盛り上がると思う。高崎さんは嫌がるだろうけど(笑)。“この曲、どうやって弾いてたかな?”というのも多々出てくるだろうし。実際、あまりにも長いことやってこなかった曲については、昔の映像を見て確認することなんかもあるみたいなんで」

――この5月には、『HURRICANE EYES』と『JEALOUSY』の発売30周年を記念してのツアーが決まっています。二井原さんは『HURRICANE EYES』について「いちばん好きなアルバムかもしれない」と発言していますが、そう感じる理由はどこにあるんでしょうか?

「なにより楽曲が良くできてるし、ボーカルのプロダクションがすごくいいんです。あのアルバムでのボーカルパートを完成させるうえでは、実はいろんなボーカリストが協力してくれていて。レコーディング当時にL.A.にいた、すごく上手いんだけどたまたまその時にスケジュールが空いてた人たち、というのが。だからバックコーラスもかなり濃厚だし、何もかもが日本のバンドじゃない感じですよね。まあそれは、この作品に限ったことではないけども、特にこれについてはそう思うんですよね」

――プロデューサーに起用されているのはエディ・クレイマー。彼との相性も良かったんでしょうね。

「そうですね。エディの前に関わってくれていたのがマックス・ノーマンで。正直なところ、今にして思えば、マックスはボーカルの可能性を引き出すところまで手が回ってなかった気がするな。『SHADOWS OF WAR』でのボーカルを録り直した時、初めて彼が本気でボーカルと向き合った気がする。エディ・クレイマーのほうが、なんかもっとウタゴコロの追求の仕方が自然だったように思いますね」

――マックスの場合、とにかくLOUDNESSの音を確立させることを第一に考えていたんでしょうね。

「まさに。特にギターの音、ドラムの音について神経質になってましたね。歌については、英語の発音と音程が大丈夫であればとりあえずOK、みたいなところもあった。それに対してエディは“もっと歌え!”という感じだったんですよ。“細かいことは気にするな!”みたいな感じで」

――そうやって、気持ち良く歌わせてくれるわけですね?

「気持ち良く、だけども死ぬほど何回も歌わされた(笑)。もうこれ以上歌いたくないわ、みたいな(笑)。“まだ歌うの?さっきOK出てたやん”、“いや、もっといいのが録れるかもしれないから”みたいなやり取りが多々あって。あと、同じ歌をダブルで重ねることってよくあるじゃないですか。彼の場合はそこにとどまらず、トリプルにしたり4つも5つもテイクを重ねたりするんですよ。そういうのがすごく面白かった」

――ダブルに重ねられた歌声といえば、オジー・オズボーンが代表的ですよね。

「そうそう、あれはモロにそう。エディの場合は最多で5テイク重ねてたかな。しかもそれぞれ微妙に歌い方が違っていたりして。あと、ディレイとかリヴァーヴについても、テープを使ってやってましたね。エフェクターのエコーと違ってテープ・エコーがすごく気持ち良くて、ものすごく歌いやすいんですよ。スムーズというか、機械的な感じがしないから、すごくライブな感じでナチュラルに溶け込めた。そういうボーカル環境を、エディはすごく考えてくれてました。どうやったら僕が歌いやすいか、というのをね。すごく歌う側の立場に立って親身に取り組んでくれてたと思う」

――確か、彼の現場はヴィンテージ機材だらけだったんですよね?

「全部が全部、そうでしたよ。マイクも古いコンデンサー・マイクだったし。で、毎回3人ぐらい現地のボーカリストが来てくれて、あれこれと助言をしてくれて。たとえば“そこのシャウトはカッコいいんだけど、その言葉のままだと聞き取れなくなるから、同じ意味のこの単語に変えてみよう”とかね。マックスの場合は、一度できあがった歌詞を変えるようなことはなかったし、あくまでそれを正確に歌うことを求めてきたけど」

――マックスとエディとでは、そのへんの判断もかなり違っていたんですね。

「マックスはボーカルに対してそうしたアイデアが豊富な人ではなかったのかもしれない。エディは僕やその場にいた他のボーカリストたちに対していつも“他に何かアイデアはある?”と聞いてくる感じだった。そこでいろいろとハーモニーを付けてみたり、細かいところを変えながらボーカル・メロディをより自然なものにしていったり。デモでやっていたことを完璧な形でやることよりも、それに囚われずに結果的にカッコ良くなればいいじゃないか、という感じだった。ただ、そうやって作ったアルバムだから、ライブでコーラスとかを完全に再現するのは難しいんですよね。本当は当時手伝ってくれてた人たち全員をアメリカから呼びたいくらい(笑)。でもね、冗談じゃなく、そろそろそういうのもアリかもしれないな、と思っていて。後ろにバックアップ・ボーカルが何人かいて、お姉ちゃんたちが踊ってる、みたいなのも(笑)」

――モトリー・クルーじゃないんですから(笑)。でも、そういう光景も見てみたい気もします。

「でしょ?お姉ちゃんたちが楽屋にいるだけで気分が盛り上がりますから。そうじゃないと楽屋のなか、おっさんだらけですからね(笑)。おっさんどころか、もう半分お爺ちゃんになりかけてますから(笑)」

――何をおっしゃいますやら。この当時の歌を今の自分として再現すること。それは現在の二井原さんにとってはどうなんですか? かつて、この2枚を作った数年後には喉の不調が深刻化していくことになったわけですが。

「そこについての不安はないですね。幸いなことに、声が出るか出ないかというところでの心配はない。ただ、声ってやっぱり若干変化するものじゃないですか。20代の頃と50代になってからとでは、微妙に声自体の太さも違うし、やっぱり人間だから老化してる部分というのもあるわけで。でも、当時のメロディはそのまま歌えます。キーを下げることもせずに行ける。いつかそれが必要になる日が来るのかもしれないけども」

――頼もしいですね。ところでこのアルバムが発売された1987年当時というのは、アメリカのシーンも変わりつつあった。いわゆるグランジの流れが猛威を振るうようになるのは1991年頃になってからの話ではありますが。

「予兆がすでにありましたよね、シアトルのほうからの新たな波の。考えてみればガンズ・アンド・ローゼズが出てきたあたりからすでに変わりつつあったわけですよ。それまでの僕らは、がっつりステージ衣装を着てたじゃないですか、メイクもして。ところが彼らの登場とともに、ネルシャツに野球帽でステージに立つのがロックスターの主流になったわけで。まるで楽屋での服装でそのまま出ていくみたいにしてね。だからサウンドガーデンとかが出てきた時には“ああ、ついにこういうことになったか”と思った。Tシャツに無精髭。そのTシャツもお洒落感ゼロ、みたいな。実は当時の僕らのツアー・マネージャーが、のちにアリス・イン・チェインズ とかそういったグランジ系のバンドを手掛けるようになって大成功してるんですね。だから実は80年代のうちから彼を通じて、そういったバンドの音は聴かされてたんです。“これ、どう思う?”とね。だけど当時の自分にはピンとこなくて、“アメリカンなロックだね”としか答えようがなかった。ギターソロもなく、シャウトするわけでもなく、むしろ素朴な感じに聴こえた。サウンド・プロダクションがラフだったしね。で、のちにニルヴァーナが出てきて、それまでのヘヴィメタルはとどめを刺されることになったわけだけど、あの時も“あれっ?これはあの時ツアマネが聴かせてくれたようなバンドの極めつけみたいな感じじゃないか!”と思った。ギターに見せ場があって、がっつり歌を聴かせる……そういうスタイルはもう、ちょっと古いものになりつつあったんでしょうね」

――そして、時代がそうした流れに傾きつつあった頃に出たのが『JEALOUSY』だったわけです。

「ええ。だから『HURRICANE EYES』の頃からすでに、アトランティック・レコードの側も流れが変わるのを察知していたのか、社内の様子が大幅に変わってきていて。スタッフもガラッと変わり、アルバム発売の時のプロモーションとかもガタッと減ってましたからね。それまでの2作の時は、2週間ぐらいレコード会社のオフィスに詰めて、各国からのプレスへの対応に追われるような感じだったのに、あのアルバムの時にはそういったことが皆無だった」

――LOUDNESSが契約していたのはアトランティック傘下のアトコ。その会社自体の体制が大きく変わっていたんですよね?

「そうそう。社長も変わったし、それまでの担当者だった人もいなくなってしまって。挨拶もなく、ある日突然ね。自分からすれば“えーっ、せっかくこんなにいいアルバムを作ったのに!”という気持ちだったけど、会社側の人間に言わせれば“それどころじゃないんだ!”という切羽詰まった感じだったみたいで。だから、今でもこの『HURRICANE EYES』には悔しさが残ってるし、もしも3年早く出ていたら、全米アルバムチャートのトップ10に入ってたんじゃないかと思うくらいなんですよ」

――もしくはガンズが登場するのが3年遅ければ事態は違っていたのかも。確かに時代の流れのなかで正当な評価や実績を得られなかった、という部分はあるように思えます。

「ホントにそうですね。作品はまったく悪くないのに」

――そして『JEALOUSY』は、LOUDNESSにとってはめずらしいミニアルバムという作品形態でした。

「うん。しかもセルフプロデュースということで、日本でレコーディングして、自分たちで好きなようにやって。これもまた面白い作品で、ライブ映えするんじゃないかと思える曲ばかり詰まってるんですよね。「JEALOUSY」なんて、ホントにこの作品が出た時のツアーでしか演奏してこなかったんじゃないかな」

――この作品は、あくまで日本のファンに向けて作られたものでもありましたよね?

「そうですね。ただ、当時の日本のシーンも、実は変わりつつあった。今でもよく憶えてるんですけど……まず、このアルバムを作るために日本に戻ってきたわけですよ。で、成田空港に降り立って、移動の車に乗ってラジオをつけてみたら、ドブネズミがどうのこうのという歌が流れてきて。思わず“これ、何なの?”と尋ねた記憶があります。それがブルーハーツだった。彼らがすごい人気で、日本中でバンドブームが起きていて、いわゆるジャパニーズメタルはもう跡形もないような状況にある、と言われて。だから、アメリカだけじゃなく日本でも新しい流れが生まれていて、飾り気のない服装と気持ちをさらけ出した歌詞のバンドがもてはやされるようになっていたわけです。なんかもう、完全に時代から置いてきぼりを喰ったというか、“我々はこれからどうしていったらいいんだ?”という感じでした(笑)。だからある意味、僕はもうバンドを離れるべき時期にあったんだと思うんですよ。実はタッカンや樋口さんも切実な感じだったはずで。将来的なヴィジョンをどう持つべきか、という意味においてね。逆に僕の場合、この作品をもってLOUDNESSという枠から外れたことで、“これからおまえはどんな歌を歌えるんだ?”というチョイスが生まれてきたわけですよ。そして実際さまざまな形態で活動を続けていくなかで、声が出なくなったこともあれば、それを克服するための年月というのもあった。同じようにLOUDNESSにもいろいろなことがあった。その10年間というのが、21世紀のLOUDNESSにとってとても重要な意味のあるものになったと思っていて。お互い、それまでのLOUDNESSにしがみつかずに活動していたわけで。あの時期があったことは良かったと思いますね」

――今、そう思えるというのは素敵なことだと思います。そして、改めて5月のツアーについて。やりたい曲がたくさんあるだけに、これから準備も大変なことになるのかもしれませんね。

「うん。ただ、あまりやってこなかった曲がたくさんあるので、自分たちにとっても新鮮なライブになると思うんですよね、懐かしいばかりじゃなくて。これまでのライブではやったことがないようなセットリストになるはずだし。ある意味、年末にやった最新アルバム完全再現ライブに匹敵するチャレンジということになるかもね。限りなくレアな曲、曲自体はよく知られていてもほとんどライブでやってこなかった曲というのを、たくさん披露することになるはずなんで」

――そして、その先のLOUDNESSはどうなっていくんでしょう?今後は二井原さん不在の時代の作品たちが発売30周年を迎えることになるわけですけど。

「どういうことになるんでしょうね? それは僕にもわからないですよ。今現在は療養中のあんぱん(鈴木政行)と、サポートに起用されている西田竜一と、ドラマーが2人いるわけだし、それならボーカリストが2人いるライブというのもアリかもしれないし(笑)。マイケル・シェンカー・フェストみたいな形でのライブも面白いかも。 LOUDNESSはこうあるべき、というような考えに必要以上に縛られる必要はないし、どんなことをやるにしても僕には何のわだかまりもないしね。もちろん、そればかりを続けていくわけにはいかないだろうけど、そういうことを試してみる価値もあるように思う。あとはとにかく、あんぱんの復帰ですよね。今の彼はフルセットを叩けるようになることを目指しながらリハビリに励んでいるんで。そこは焦らずに、しっかりと回復に勤しんでもらって、バンド自体としても、2019年はさらに精力的な動きを見せていきたいですね。もちろん全世界に目を向けながら」

(おわり)

取材・文/増田勇一





■LIVE INFO
「LOUDNESS JAPAN TOUR 19 HURRICANE EYES+JEALOUSY」(クリエイティブマンプロダクション
5月15日(水) 名古屋DIAMOND HALL
5月17日(金) Zepp Namba OSAKA
5月18日(土) BLUE LIVE HIROSHIMA
5月20日(月) Zepp Fukuoka
5月24日(金) 仙台PIT
5月26日(日) Zepp Sapporo
5月31日(金) Zepp Tokyo

Photo by SHIGEYUKI USHIZAWA



■LIVE INFO
「TUSKA」(フィンランド語/英語版オフィシャルサイト)
6月28日(金)~30日(日) ヘルシンキ(フィンランド)

LINEUP:スレイヤー、アンスラックス、アモルフィス、ザ・ヘラコプターズ、オーペス、ベヒーモス、LOUDNESS 他



■PRESENT INFO
LOUDNESS マフラータオル&キーホルダーをセットで5名にプレゼント!詳しくはこちら(music.usen.com)

ご応募は2019年2月18日から3月3日まで!





▼スマホで聴ける「VINTAGE MUSIC」ウェブエディットはこちら!(encoreオフィシャルYouTube)





LOUDNESS『JEALOUSY 30th ANNIVERSARY LIMITED EDITION』
2018年12月26日(水)発売
完全生産限定盤(2CD+DVD)/WPZL-31558/7,000円(税別)
WARNER MUSIC JAPAN
LOUDNESS『RISE TO GLORY -8118-』
2018年1月26日(金)発売
初回限定盤(CD+DVD)/GQCS-90482~90483/3,500円(税別)
通常盤(CD)/GQCS-90484/2,500円(税別)
ワードレコーズ
LOUDNESS『HURRICANE EYES 30th ANNIVERSARY LIMITED EDITION』
2017年9月20日(水)発売
5CD/WPCL-12770/8,000円(税別)
WARNER MUSIC JAPAN




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