日本が誇る“世界のオザワ”こと、指揮者の小澤征爾氏が2月6日逝去されました。謹んでご冥福をお祈りすると共に、USEN音楽放送では、小澤氏が生前録音してきた歴史的演奏の数々をお届けします。国境や世代を超えて、多くの音楽ファンや音楽を学ぶ人々に愛された巨匠の演奏に耳を傾けてください。
■主な放送内容
「J.S.バッハ:G線上のアリア(管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068から 第2楽章)」
演奏/サイトウ・キネン・オーケストラ
2001年9月13日、長野県松本文化会館でのライヴ録音。米同時多発テロの犠牲者を追悼するために、特別に演奏されました。
「ラヴェル:歌劇『こどもと魔法』」
演奏/S)アナ・クリスティ、Ms)イザベル・レナード、イヴォンヌ・ネフ、マリー・ルノルマン、Bs-Br)ポール・ガイ、Br)エリオット・マドア、他、サイトウ・キネン・オーケストラ、SKF松本合唱団、児童合唱団
2013年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本で行われたオペラ公演のライヴ。こちらが収録されたアルバムは、2016年の第58回グラミー賞において、「ベスト・オペラ・レコーディング」賞を受賞しました。
「チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 Op. 64」
演奏/ボストン交響楽団
1977年2月 、ボストンでの演奏。41歳の小澤征爾が聴かせる熱きチャイコフスキー。第2楽章冒頭のホルン・ソロ(チャールズ・カヴァロフスキー)の美しさも印象的です。
「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 Op. 19」
演奏/p)マルタ・アルゲリッチ&水戸室内管弦楽団
2019年5月に水戸芸術館で行われた水戸室内管弦楽団第103回定期演奏会で実現した、小澤征爾とアルゲリッチの共演ライヴ。幸福感あふれるソロとオケの掛け合いが聴き手を魅了します。
「ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 Op.92」
演奏/サイトウ・キネン・オーケストラ
『サイトウ・キネン・フェスティバル松本』(SKF)が2015年より『セイジ・オザワ 松本フェスティバル』(OMF)となって2年目、通算25回目の開催となった2016年の演奏です。
※この放送はライヴ音源を使用しており、一部に拍手等の客席の音が入っています。
放送期間/2024年2月27日(火)18:00~2024年3月27日(水)24:00
タイムテーブル/毎日0:00〜、3:00〜、6:00〜、9:00〜、12:00〜、15:00〜、18:00〜、21:00〜 3時間番組(リピート放送)
小澤征爾(1935-2024)PROFILE
1935年9月1日、中国のシャンヤン(旧奉天)生まれ。幼いころからピアノを学び、成城学園中学校を経て、桐朋学園で齋藤秀雄に指揮を学んだ。
1959年、ブザンソン指揮者コンクールで第1位を獲得。当時ボストン響の音楽監督であり、このコンクールの審査員であったシャルル・ミュンシュに翌夏タングルウッド音楽祭に招かれた。その後、カラヤン、バーンスタインに師事、ニューヨーク・フィル副指揮者、シカゴ響ラヴィニア・フェスティバル音楽監督、トロント響音楽監督、サンフランシスコ響音楽監督を経て1973年にボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任、アメリカのオーケストラ史上でも異例の29年という長期にわたって務めた。
ボストン交響楽団の音楽監督としてオーケストラの評価を国際的にも高め、1976年のヨーロッパ公演および1978年3月の日本公演で多大な成果を挙げる。1981年3月には、楽団創立100周年を記念して、アメリカ14都市演奏旅行を果たし、同年秋には、日本、フランス、ドイツ、オーストリア、イギリスを回る世界公演を実施。その後も1984年、1988年、1991年にヨーロッパ公演と1986年、1989年、1994年、1999年には日本公演を行った。1978年には、中国政府の公式招待により、中国中央楽団と活動し、翌1979年3月にはアメリカのオーケストラとしては初めてボストン響を率いて再度訪中。音楽、文化交流を図った。以来、中国とは深い関係を築く。また1973年6月にはサンフランシスコ響を率いて、当時のソビエト連邦 モスクワでムスティスラフ・ロストロポーヴィチと共演。
2002年秋には、東洋人初のウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任、2010年春まで務めた。欧米での評価と人気は絶大で、これまでにベルリン・フィル、ウィーン・フィルをはじめとする多くのオーケストラ、ウィーン国立歌劇場、パリ オペラ座、ミラノ スカラ座、フィレンツェ歌劇場、メトロポリタン・オペラなど主要オペラハウスに出演している。
日本においては、恩師 齋藤秀雄を偲び、没後10年にあたる1984年、秋山和慶らと東京、大阪でメモリアルコンサートを開催。サイトウ・キネン・オーケストラへと発展させ、1987年、1989年、1990年にはヨーロッパ公演を、1991年にはヨーロッパ、アメリカ公演を行った。1992年には、オーケストラと共に念願であった国際的音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」を設立、総監督に就任。サイトウ・キネン・オーケストラは1994年、1997年、2001年、2004年、2010年、2011年に海外ツアーをを行い、2015年、サイトウ・キネン・フェスティバル松本は「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」に発展した。
1996年にサイトウ・キネンの室内楽勉強会から始まった「室内楽アカデミー奥志賀」を、2011年、アジア圏の優秀な学生に門戸をひろげる「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」としてNPO法人に。2000年、実践を通して若い音楽家を育成するための「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」を、2009年、「小澤征爾音楽塾オーケストラ・プロジェクト」を、ともに公益財団法人ローム ミュージック ファンデーションの支援を受けて展開。2005年にはヨーロッパにおける音楽学生を対象にした「Seiji Ozawa International Academy Switzerland」をスイスに設立するなど教育活動に力を注いだ。また、1990年の創立時より水戸室内管弦楽団と親密な関係を築き、2013年からは同楽団の総監督を務めると共に水戸芸術館館長も務めている。さらに、新日本フィルハーモニー交響楽団の創立にも携わった。
朝日賞(1985年)、米国ハーバード大学名誉博士号(2000年)、オーストリア勲一等十字勲章(2002年)、毎日芸術賞(2003年)、サントリー音楽賞(2003年)、フランス ソルボンヌ大学名誉博士号(2004年)、ウィーン国立歌劇場名誉会員(2007年)、フランス・レジオン・ドヌール勲章オフィシエ(2008年)、フランス芸術アカデミー外国人会員(2008年)、日本国文化勲章(2008年)、イタリア・プレミオ・ガリレ2000財団 金百合賞(2008年)、2010年、ウィーン・フィルより日本人として初めて名誉団員の称号を送られる。高松宮殿下記念世界文化賞(2011年)、渡邉暁雄音楽基金特別賞(2011年)、ケネディ・センター名誉賞(2015年)などの功績がある。2016年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、東京都名誉都民の称号を贈られる。2022年3月、日本芸術院会員に選出。
※セイジ・オザワ 松本フェスティバル公式HPプロフィールより抜粋
©Shintaro Shiratori