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2020.07.08

ゼロスタートからものづくりの会社の強みを生かす──ジョンブルCEO 塚田裕介氏インタビュー

創業約60年になる「岡山デニム」の老舗、ジョンブルが生き残りをかけ、2019年8月に塚田裕介氏をCEOに迎えた。 しかし、1年も経たないうちに、世界は新型コロナウイルスによる影響で一変。世界の経済状況は悪化しはじめ、日本、東京の経済も様々な規制が解除されたとはいえ、厳しい状態が続き、アパレル産業も例外無く危機に瀕している状況だ。 そんな状況下、日本のものづくりは今後どのようになっていくのだろうか。 今回は3代目社長である塚田裕介氏に、今後考えるジョンブルとしての動きを中心に、どのようなファッション人生を歩んで来たのかなど、彼の人と成りについてインタビューした。

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ゲストスピーカー

塚田裕介(Yusuke Tsukada)
株式会社ジョンブル代表取締役社長CEO。 趣味はVINTAGE WEARとB級グルメと車。

モデレーター

久保雅裕(くぼ まさひろ)
ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任教授。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。2019年、encoremodeコントリビューティングエディターに就任。



目標とは違う部分からはじまったファッション人生

──そもそもファッションに目覚めたのはいつ頃なのでしょうか?

「自分のお小遣いでファッションを買い始めたのは、中学生の時。”リーバイス”の501などを、原宿のVOICEに買いに行ったりしていましたね。 僕は父と母が24歳の時の子どもで、団塊の世代の子どもなんですよ。僕の世代って、父親が”HONDA”の車に乗って、”ソニー”を買って、”ラルフローレン”を着てみたいな家庭でそういう雰囲気があった世代ですよね。小学生くらいの時にナイキとか、プーマとか、マンガだと『キャプテン翼』とか、『キン肉マン』の世代なので、だからファッション自体は元々、小さい頃から嫌いではなく、それが普通という育ち方でした」

──ファッション業界には、どの時点で関わろうと思ったのでしょう。大学卒業時ですか?

「実は、元々やりたい仕事が別にあって、ただその業種に就く為には専門の大学にいかないとダメだったのですが、まんまと受験に落ちまして(笑)。それでまったく関係ない大学に入ったんです。 その時にちょうどバブルが崩壊して、1ドルが85円とかの時代に。当時200円からの85円だったので衝撃的でしたね。”HISで行く3万9800円、ロサンゼルスの旅”なんてのがありましたから」

──大学ではどんな生活を?

「興味のない大学に行ってしまったので、暇だったんですよね。それで、ちょうどナイキの”air max”が流行りはじめまして、それが定価1万5千円。だけど、当時はプレミアがついて2万とか3万とかだったんです。でも、それがアメリカのフットロッカーだと、定価が69ドル。だから、旅行に行くついでに買って帰って個人で販売したら旅費がタダになるというので、大学4年間ずっとそんな事をやっていましたね」

──結構な頻度でアメリカに行かれていたのですか?

「2~3週間に1回くらい。もちろん今はダメですが、当時はまだ法律がなかったので、私物でダッフルバッグに入るくらい持って帰ってきて、フリーマーケット的な所に出したりしていました。そんな大学生ライフでしたね」

──大学卒業後は?

「最初は靴屋さんに就職したのですが、そこはアメリカの物が中心で。ちょうどイギリスの物がやりたいと考えていた時期でもあり、1年ちょっとで退職したんです。 “せっかくなのでやりたい事をやろう”と思い、ベイクルーズに入社しました。最初は、原宿の明治通り沿いにある”エディフィス”に3ケ月くらい。その後、”ジャーナルスタンダード”が出来る事になって、そこのバイヤーをやる事になったんです。それが24歳の時」

──どんな所にバイイングに行かれていたんですか?

「当時、アメリカ物とか、ヨーロッパ物とか、そういうジャンル分けが主流だったのですが、個人的にはそういうジャンル分け自体が苦手だったもので。スーツとか、スポーツとか、アウトドアとか、色々な会社に取引に行ってました。でも、”並んでいる物がうちとはちょっと”みたいな感じで、なかなか仕入れさせてくれない。ある時、当時の社長だった窪田さんに、”全然仕入れらません”と報告したら、”アメリカに行って好きなだけ買ってこい!”と予算をくれたんです。 それでナイキのスニーカーとか、ビンテージものの古着とかを買ってきて売っていたんです」

──どんな国に買い付けに行かれてましたか?

「最初は、アメリカの西海岸。その後は、イギリスとか、パリとか、ヨーロッパを回ってましたね。ポーランドなど東欧にも行きました。大体は車で行くので、自分がどこの国にいるのか分からなかったです(笑)。それが、97~98年の話」

──その後もずっとジャーナルスタンダードに?

「はい。20年間いましたね。バイヤーからはじまって、MD、マネージャー、ディレクターをやったりで、最後はJS.ワークスのCEO。飲食以外はすべてやりました」

──20年の経験は大きいですね。

「物ありきで数字を動かすやり方の経営学もやらせてもらったりして、勉強になりましたよ。ただ、それだけだと伸びている時代はいいけれど、それ以外の時に弱くなってしまうというのは、現状感じている部分です」





新天地では変化の日々

──2019年8月にジョンブルの代表に就任されたわけですが、きっかけを教えてください。

「オファーがあったのですが、その時に”アパレルの世界を変えるのであれば、これが最初で最後じゃないか?”とオーナーに言われて、それだったら一回やってみようかなと。 それに、この会社はどちらかというとものづくりを基盤に持っている。そもそも工場がある会社なので、そこは学習したいし、経験したいと思ったんです」

──もちろん課題があってのオファーだったと思いますが、1年経ってどのように変えていったのでしょうか?

「やはり、何十年もやってきた会社なので、”これじゃないとダメ”みたいな部分があるんですね、色々な部分で。それが時代に乗っていればいいのですが、どちらかと言うとそれって周りが見えなくなってしまう事の方が多くて。それで気づいた時には10年前の事を10年間ずっとやっている状態。もちろん、こだわりはこの会社にとっては良い事だと思うのですが、それが10年前の答えになっている。そこを新しい形にするという感じですね」

──具体的には?

「2つありまして、ひとつは商品開発に時間を掛けるようにしました。”考える、から作る”という、サンプル制作前までにかなり時間を掛けるんですよ。実際に作る時間はそこまで変わらないので。 もうひとつは、販売の時に”どうやって売るの?”という部分です。ただ置くのではなく、どんなストーリーを作るのか。慣れのせいで短くなってしまった部分を、”もう一回時間掛けましょう”という感じです」

──販売戦略で変えた部分はありますか?

「”採算が取れなくてもやる”という部分は止めました。もちろん、可能性があるのであれば、それは分けてやる感じですが。 採算というのは利益ベースの採算もありますし、人間のモチベーションとかテンションがベースの採算もありますよね。”気持ちがついていかないものはやらない”という意味です」

──JS.ワークスでCEOをやっていた時と、現在ではやり方を変えていますか?

「だいぶ変えていますね。JS.ワークスでは自分一人で何でも動かしたりしていましたけれど、いまは自分ひとりでは動かない事もありますし、ここではチームワークで動く感じですね。ただ、いろいろやってもらう代わりに僕も動くという、やっていることは事業部長くらいの事と変わっていないですよ(笑)。そこはだいぶ違いますね」



コロナ禍による既存の概念の崩壊からの立て直し

──企業として、これからどうしていきたいみたいな展望はありますか?

「企業としては、ご存知のとおり、今回のコロナウイルスの影響で色々な事が崩壊したと思っていまして、何も無くなってしまった状態で、まさにゼロスタートだと考えています。これまで僕らが学んできた事で言えば、グローバル社会というのがありますが、いまは全然グローバルではない。結論から言うと、こういう状況になった時は、やはりものづくりが出来る所が勝ちなのかなと。今までの、”中国に生産を振って、数売って、どれだけの利益を出して”というその概念自体が、恐らくもうこの先はないですよね。もちろん、一部の物はあるかもしれませんが。消費者の衣料に対しての考え方も一気に変わってしまった。だから、新しい時代の考え方をキャッチして発信出来るような企業姿勢、それを日本のものづくりを通してやっていきたいと考えています。 それと、たぶんこのまま放っておいたら、日本のものづくり自体も無くなってしまうだろうと危惧しています。特にアパレル。だから、うちの会社が中心となって、どうにかしていきたいですよね。 いま日本の繊維技術は漏れに漏れていて、現状、最後の数ミリ単位の部分だけ生き延びている状態なんですよ。だから、若い世代に向けて、日本のアパレル産業自体に憧れるような形に持っていきたいとも考えています」

──ブランドとしては?

「ブランドに関しては、進化していくものなので、わざと何も設定していません。時代に合わせた進化をしていけばいいかなと考えていますので」

──ものづくりの会社としてのバックボーンがあって、得意な技術があって、そこをどう時代にフィットさせていくか、という部分でしょうか?

「そうです。現状、旗艦店の”Johnbull Private labo表参道”は内装も何もやっていない状態でして、この後8月に改装をやって、9月頭から新しい業態にする方向で動いています。 まだ詳しくは言えませんが、そこでは色々と形になったものを見せられると思いますので、そこは乞うご期待という事で(笑)」



Johnbull Private labo表参道
〒150-0001渋谷区神宮前5-2-14 ゲートスクエア1F
電話番号:TEL. 03-3797-3287





(おわり)

取材・文/カネコヒデシ
写真/遠藤純

カネコヒデシ
メディアディレクター、エディター&ライター、DJ。編集プロダクション「BonVoyage」主宰。WEBマガジン「TYO magazine」編集長&発行人。「Japanese Soul」主宰。音楽イベントの企画、アパレルブランドのコンサルタント&アドバイザー、イベントのオーガナイズ、ラジオ番組制作&司会、選曲、DJなど活動は多岐にわたる。さまざまなメディアを使用した楽しいモノゴトを提案中。バーチャルとリアル、あらゆるメディアを縦横無尽に駆け巡る仕掛人。







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