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2020.04.08

L’ECHOPPE 金子恵治インタビュー──お店を通じて一石を投じたい

2015年のオープン以来、独自の品揃えが話題を呼び、いまや東京を代表するセレクトショップのひとつとして、シーンに一石を投じたL'ECHOPPE(レショップ)。そのバイイングを担当している金子恵治は業界を代表するバイヤーのひとりと言っても過言ではない。彼はいつファッションに目覚め、どのような経緯でレショップの立ち上げに至ったのか。そしてそのバイイングの方法とは?

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ゲストスピーカー

金子恵治(かねこ けいじ)
株式会社ベイクルーズのセレクトショップ、エディフィスでバイヤーを務めた後に独立。いくつかの企業、ショップ、プロジェクトでの活動を経て、2015年、ベイクルーズに復帰。レショップを立ち上げる。

モデレーター

カネコヒデシ
メディアディレクター、エディター&ライター、DJ。編集プロダクション「BonVoyage」主宰。WEBマガジン「TYO magazine」編集長&発行人。「Japanese Soul」主宰。音楽イベントの企画、アパレルブランドのコンサルタント&アドバイザー、イベントのオーガナイズ、ラジオ番組制作&司会、選曲、DJなど活動は多岐にわたる。さまざまなメディアを使用した楽しいモノゴトを提案中。バーチャルとリアル、あらゆるメディアを縦横無尽に駆け巡る仕掛人。



ファッションへの目覚めは大きい服を上手く着ようとした少年時代

──ファッションに興味を持ったきっかけを教えてください。

「きっかけは、高校の時にアメリカのカルチャーが好きだった友人の影響で、吉祥寺のジーンズショップでリーバイスの501を買った事。三鷹出身、三鷹育ちなので吉祥寺が遊び場でした。当時、そこでリーバイスのカタログを手に入れて読んでました。通学時もアメフトTシャツを学ランの中に着て、足元はニューバランス。当時の情報はとにかくすべて雑誌で、ファッション誌はすべて読んでました。ちなみに、小学生の時は体が大きい親戚からのお古が中心だったので、それをうまく着ようと。恐らくそれも僕のファッションの目覚めの一つだったかもしれません(笑)。高校を卒業してから、某量販店に就職したのですが、入った日から父に辞める事を相談すると“4年は続けろ”と。それだけは守ってちょうど4年で辞めました(笑)。でも、それまではただの洋服好きだったのですが、販売とか、その現実というか、知らなかった世界をそこで色々と学べた4年間だったので、大きな経験だったと思います」



2019年より始動したオリジナルレーベル「LE(エルイー)」のシャツ



──その後にベイクルーズへ?

「22歳の時です。求人をしていたエディフィスを受けたのですが、結局定員がいっぱいで、最初はスピック&スパンに。その後24歳の時にエディフィスに異動して、25歳くらいから店付きのバイヤーになり、そこからバイヤーの道へと進んだ感じです。30歳の時にはETS. MATERIAUX(イーティーエス・マテリオ)に、立て直しという感じで異動しました。1年間居たのですが、売れはじめたのと、他からお話もいただいたので、10年間いたベイクルーズを辞めたんです」

──どちらからオファーがあったんですか?

「デザイナーのクリストフ・ルメールが、日本でブランドを作るという事でそちらに。実は、同時進行で丸井とも契約して、現在のサカイのクリエイティブディレクターである源馬大輔さんがディレクターで、僕がバイヤーのMOVERS AND SHAKERS(ムーバーズ・アンド・シェイカーズ)というセレクトショップを立ち上げました。アメリカやヨーロッパで買い付けしたりと意志を持った面白いお店でしたが、残念ながら1年半くらいで終了して、そのままルメールに。そこにトータルで3年くらいいて、その後にBshopをやっているボーイズに企画で入ったのですが、そこには1年半くらい」

──その後、再度ベイクルーズへ?

「いいえ!まだありまして(笑)。ジュングループのマーケティングに入って、エキナカにあるAdam et Rope’ Le Magasin(アダム エ ロペ ル マガザン)の立ち上げを。その時まで雑貨をやった事がなかったので、ハッタリでやってましたけどね(笑)。その後はTHE POOL(ザ・プール)の立ち上げを担当しました。藤原ヒロシさんと、源馬さんと、清永浩文さんのチームに入って、毎週パワーポイントで資料を作って、雑貨のコラボの提案をしたりしてました。とにかくヒロシさんの場合、何でも出来てしまうので別世界。ただヒロシさん自身は何も狙ってなくて、好きを仕事にしているというか、至って普通なんですよね。それに共感する人たちが沢山いるという事だけ。ただし、とても発信力がある。僕はマニアック路線だったので、こだわる理由が何なのか?とか色々と思う事がありましたね。ジュンに3年ほど居て、僕の中ではいちばん良い経験だったかもしれないです。その後ベイクルーズで新しいセレクトショップを立ち上げる話があり、僕の名前が上がってお声掛けいただいたんです」

──人に歴史ありですね(笑)。それがレショップですね?

「和田 健さん(株式会社ベイクルーズ上級取締役 和田 健氏)からお話をいただいたのですが、名前もコンセプトも何も決まってなく。だから毎日、ヒアリングをして、まずはひとつひとつコンセプトとなる言葉を考えたり、物語を作るところから始めました。そこで“ファッショングルマン”という言葉を考えて、そういう人たちが欲しい物を食材に例えると惣菜かなと。だから、ファッションで言う惣菜を集めたお店を考えたんです。コンセプトは、当時ZOZO TOWNの勢いがあって、その真逆をやれば価値があるのかなと。かたや便利だけれど、不便とか。日本に無いもの、他がやっていないものをやろうと。ただ、感度の高い人に向けたお店でしたが、その反面、街の洋品店みたいな感じでいろんな人たちにも響く物を揃えたかった。だから、ほぼ“お店”という意味のレショップという名前にしたんです」

どこに行っても絶対に仕入れができる自信

──立ち上げの2015年は、セレクトショップのカルチャーが廃れ始めてきた時期ですよね。仕入れに関してはどのような方針で?

「セレクトショップという言葉だけが一人歩きしている感じの時代でしたね。だから、“セレクトショップを卒業した人たちに向けて”みたいなキーワードも設けて、そこに立ち返った仕入れをする方針を立てたんです。“足で稼ぐのがバイヤー”というエディフィス時代の先輩からの教えがあって、だから地図があってもわざと知らない道に入って新しいものを探したり。世の中、何が起きているのか分からないけれど、昔ながらのやり方を貫けば、きっと今の時代だと新しい事ができるのかなと。ただ、その時は最初のベイクルーズ時代よりも服屋への熱量が下がっていて、しかも服の事もよく分からないまま服好きに向けてやったり、世の中に無いものと言っても世の中にあるものすら知らない。だからハッタリですよ(笑)」



毎回テーマが変わる特集コーナーでは、さまざまなアイテムやブランドが並ぶ



──人と違う道は、オリジナリティーに繋がると思います。

「本当にそこしかないと思います。あとは、買い付けに対して自分の意志を込める事。最初は海外のショールームやトレードショーなどにも行ってましたが、今はテキサスの田舎町とか、誰も行かないけれど面白そうな町を見つけて行く。元々旅好きですし。でも、どこに行っても絶対仕入れができるという、変な自信があります(笑)」

──次は“ここに行きたい!”という場所はありますか?

「実は、この3月上旬からフランスとイギリスに絞って、13社から14社くらいの老舗ファクトリーを巡るツアーをやって、僕らが物を作るというストーリーを考えたんです。残念ながら、コロナウイルスの影響で行けず。プロジェクト自体は、すでに遠隔で進めているので大丈夫なのですが、本当はその場所に行って現場の話を聞いたり、取材もしてという感じで、買い付けというよりもプロモーションで行く感じだったんです。もはや物を作る事は当たり前で、それを“どう紹介するか?”が次のステップ。僕が海外に行って欲しい物って、昔からあるファクトリーブランド、例えばマッキントッシュだったり、デンツのグローブとか、パンセレラの靴下とかなんですよ。それっていつの時代も欲しいですし、本当にやりたいのはそこかなと。どこの地域というより歴史のある場所、そして物作りの現場に行きたい。それで世界中を巡ってみたいですよね。皆も知っているけど、見た事ないような編集を僕らがやる。そして現地の取材もしてブランドを知ってもらいたいですし、さらに物を通じて服飾の文化を知ってもらえたらいいなと。今はその思いが強いかもしれないです。だから、買い付けというよりもキュレーションに近いかもしれない」

──考えていたツアーの詳細を教えてください。

「まずはスコットランドから南へ。マッキントッシュ、マフラーのBEGG(ベグ)とかのスコットランドの工場を巡って、そこからイギリスに。ラベンハムがある東側のバーミンガム、ノーザンプトンあたり。その辺の7、8軒くらいを網羅して最後に南のデンツの工場まで。そこからガンジーセーターのガンジー島に飛行機で渡って、さらに船で金曜日にフランスのブルターニュに到着して、Le minor(ルミノア)とボーダーのニットを作れるファクトリーのふたつを巡ろうと。そして土日は、車でパリのマーケット巡り。最後はオーチバルがあるリヨンでフィニッシュかなと。線で書いてもいい感じだと思います(笑)。普段はスタイリングのテーマは考えないのですが、今回、裏ではフレンチアイビーというのがあるんですよ。本当はイタリアまで行って、サルトリア(sartoria)でブルックス・ブラザーズっぽいブレザーを作るとか。ナポリのシャツ屋でアメリカンなシャツを作るとか。それくらいやりたいですね」



トルコで買い付けた靴

店舗展開はラーメン屋の暖簾分けスタイル

──6月には宮下公園に2店舗目を出店しますね。

「最初はお店が少しだけで良いかなと考えてましたが、服好きにとってレショップは良い業態だと思うんです。だから、今は100でも200でもお店を作りたいと。やり方としては、ラーメン屋の暖簾分けスタイル。要はお店のコンセプトをひとつひとつ変えても、レショップという軸の範囲内でいろんな個性のお店があれば意味があるのかなと。レショップはまだ5年くらいの歴史ですが、毎回コンセプトを変えるのでアイテムも変わってしまうんです。なかには残したいアイテムもある。だから、宮下公園ではレショップが作ったニューベーシックをアーカイブするレショップ流の定番が置いてあるお店。青山は常に新しいものを提案するお店。そういう区分けで考えてます」

──さらなる店舗展開は考えていますか?

「僕はやる気満々です(笑)。そのためにもスタッフには成長して欲しいですし、むしろ全員バイヤーでいて欲しいくらい。地方にできても、今いるスタッフがそこを仕切って、仕入れもできるようになれば良い。そういう意味での暖簾分けが、いちばんの願望ですね。大きな業態だと、スタッフが何千人いてもバイヤーは2、3人くらい。それって詰まってしまっている状況だと思うんです。新しくお店ができれば、新しいバイヤーができる構想であれば詰まりようがないんですよね。だから、わりと早く経験できる体制を作れれば、大きい企業にとっても育成という意味ですごく大事なのかなと。そういう意味でも、勝手にですが会社のラボだと思っています。うちの成功事例を大きい部署で満たしてもらう。何も事例が無くては出来ませんから。いろんな意味でレショップの存在価値は、何か一石を投じられる点。それが大きな仕組みを変えられるような事に貢献できたらいいですよね」



レショップの初代ショッパーを特注生地で復元した「WACCOWACCO(ワッコワッコ)」。バブアーのオイルドクロスの風合いをノンオイルで出した人気アイテム

色々な経験があるから今がある、出戻りは最高

──最後の質問です。ベイクルーズに9年ぶりに出戻った訳ですが、どういう感じなのでしょう?

「ベイクルーズも成長して体制などもだいぶ変わったので、別の会社に入った気分でしたね。ある意味ゼロからという感じでやり易かったです。9年前はただの洋服好きでしたが、色んな経験をして、関わってきたそれぞれの仕事で、僕が知らなかった分野の色々な学びがあって。だから、進化した自分ではないのですが、そういう部分も会社側に見せたい思いはありましたね。そして、次なるミッションは、洋服マニアに向けてのお店でしたし、それは失敗できませんでした。ただの洋服好きを貫くだけだったら、1年も経たずに終わっていたと思いますね。出戻ったお陰で、ここまでのお店になったという自負もあります。あとは僕のSNSとか、ブログとか、わりと個人=レショップみたいに成長してきた部分もあり、それも9年間で学んだすべての集大成なのかなと考えますね」

──脂が乗った鮭が生まれた川に戻ってきたという感じですかね。

「前を知っているから今の分かる部分がある。今の僕が、それ以上の事が出来ているか分かりませんが、出戻りには良い部分があると思います。だから、出戻り最高ですね(笑)」

(おわり)

取材・文/カネコヒデシ
写真/カネコヒデシ



L’ECHOPPE
東京都港区南青山3丁目17-3 1F
TEL. 03-5413-4714





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