――真田ナオキさんは「encore」初登場なので、ベーシックな質問からお付き合いください。真田さんの歌手デビューは2016年4月に吉 幾三さん作詞・作曲の「れい子」ですが、その前日譚を聞かせてください。

「元々は歌手になるつもりじゃなくて、むしろ芸事の世界に自分が居ることを想像できていなかった。目立つのが苦手で、どっちかというと内気な性格だったので。それが、 2011年の東日本大震災のときに、臼澤みさきさんが、まだデビュー前に歌ってるのTVで拝見して、自分も歌手になりたいと思うようになりまして、それから歌の勉強をはじめたんですけど、当時は“プロとしては無理だね”って言われていて、歌が下手だったら何か特徴を作ろうと声を潰して。それから5年くらい経ってから吉 幾三師匠と知り合うことになって、弟子入りさせていただいた……というのが歌手としてのスタート地点ですね」

――吉さんと出会うまで、そしてデビューするまでの期間のモチベーションは揺るがなかった?

「何度も何度も揺らぎました。こう、デビューがちらついては消えていったこともたくさんあって。それこそ、はじめの頃は根拠のない――デビューできるだろう、デビューするから――みたいな自信があって。それが1年、2年、3年と勉強していくなかで、自分自身も年を重ねますし、いろんな経験もさせてもらって、いろんな人と話をして。 できないんじゃないかなとか、やめようかなって思う時もあったんですけど、それでも踏みとどまったのはすごい単純な理由で、ここでやめたらがんばってきたここまでの数年がもったいない……って、若さですよね(笑)。当時は週に1回、作曲家の宮下健治先生のところに通って歌を習っていたんですが、同じ日に同じ曲を歌っているのに、さっきはだめだったのにもう1回歌ったら急にできるようになったり。積み重ねて、積み重ねて、急に壁が壊れた瞬間、“あ、いまできてた!”みたいな体験があって。掴むときっていうのは、急に来るなっていう感覚ですね。それは今に至るまで変わっていなくて、いままでとれなかったリズムが、急にとれるようになったり……リズムが自分のからだに沁み込む瞬間があるんです。歌い方でも、節回しでも同じなんですけど、繰り返して徐々にできるようになるんじゃなくて、急にできるようになる。こう、ポン!とスイッチが入るんです」

――面白いですね。デビュー直前の、23歳か24歳くらいの真田ナオキくんに、いまの真田さんはどんな声をかけてあげますか?

「デビューしてからのほうがしんどいよ!って(笑)。この世界って、自分の価値観を自分が決めるんじゃなくて、人が決めていくじゃないですか。その中で自分の価値観を見つけ出さなきゃいけなかったりとか、折り合いをつけていかなきゃいけない。自分がぶれちゃうこともあると思うんですよ。それをぶれさせない我の強さだったり、自己中な部分も必要なんです。それは僕を含めてですけど」

――そういう感覚を言語化できる人ってあまりいないような気がします。

「いや、たぶん説明できない人が歌手になるんですよ。みんな天才なんです。理屈抜きにそれを歌にして伝えるセンスがある。僕はセンスがないので(笑)。早い段階でそのことに気付いたんですよ。身近に結構な先生方がいて、“歌の才能がない”って言ってくれたのは大きいかもしれないですね。じゃあ自分で考えよう!とにかく考えて考えて歌おう!って思うようになりました。いまも考え過ぎて歌詞が飛んじゃったり、ステージで次の曲に次に行けなかったりしますけど(笑)」

――レギュラー番組の「真田ナオキのUSEN 渋声横丁」でも1曲について30分たっぷり語っている回がありましたよね?あんなふうに自分の言葉で伝えられるってある種の才能だと思いますが。

「どうなんでしょうね……良し悪しっていうか、ないものねだりなのかもしれませんけど、センスで勝負できている歌手の先輩方に憧れる部分があって。僕の身近にいる先輩方ってとんでもないセンスを持っていて、理解が追い付かないようないろんなことが一曲の中で起こっているので。僕は理詰めで、噛みしめて歌っているので。勝ち負けとは思っていないですし、僕は僕のかたちで歌手像を追い求めています。それこそうちの師匠だったり北島三郎さんもそうですが、デビュー当時からものすごい歌を歌っていますし、もちろんデビューに至るまでの積み重ねも全然違いますけど、だからといって、追い付くことを諦めているわけじゃなくて、これからその差をどれだけ詰めていけるかっていう気持ちはありますね。最近では後輩からも相談されるようになって、どうしたらいいかって考える前に、まずやればいいよって言うんですが、純烈のリーダーもやっぱり同じようなことを言っていて」

――酒井一圭さんですね。

「はい。酒井さんとはよくお話させていただく機会があって。僕、酒井さんの考え方が大好きで。“悩んだら寝ればいい。寝て起きたらやればいい”って酒井さんが言うんです。確かにその通りだなって。この世界、がんばるのはあたりまえで、みんながんばってる。だからやるしかない、がんばりぬくしかないってことだと思うんです。純烈って、演歌歌謡の世界では誰もが知るようなアーティストじゃないですか。でも純烈さんたちって立ち止まらないんです。成功体験をぶち壊しながら突き進んでいる。そういう人たちの隣で歌わせていただくこともありましたし、お話しする機会もたびたびあって、やっぱりこの人たちすごいなって思います」

――真田さんのアーティスト活動自体はすごく充実しているように思いますが、「渋声横丁」も放送開始から3周年を迎えました。3年前といまをくらべて、番組、あるいはリスナーへの向き合いかたは変化しましたか?

「3年前もいまも本質はあんまり変わってないのかもしれないです。かっこつけたりというのが本当に苦手なので(笑)。本当に等身大で話したいことをそのまま、音楽のことも、プライベートのことも、何でも話しています。それを大人の皆さんにうまくやり繰りしていただいている番組です」

――こういう訊きかたをしていいか分からないですけど、番組自体はやっていて楽しいですか?

「楽しいですね!まあ、確かに“え !?マジか……”って思う企画とかもたくさんあるんですけど、やってみると楽しくって」

――リスナーさんからの反応がちゃんと返ってくるじゃないですか。たぶんそれそういうレスポンスがあればこそ楽しめるんじゃないかと。

「そうですね。面白いお便りもたくさんありますし、オブラートに包んでくれているんだろうなっていうコメントとかもあったりして、リスナーさんのやさしさを感じますね(笑)。やっぱりイベントとかライブだと目の前にファンの方々がいて、TVだと反応は見えないけどもっとたくさんの人たちに見ていただいていて。ラジオや有線のよさって、ファンの方々との距離感……遠いようで近いというか、独特の距離感がいいですよね。あとは年齢もちょうどよかったのかなと思っていて。 僕がこういう冠番組を持たせていただいたのは30代になってからなんですよ。「渋声横丁」は30のときでしたっけ?」

――番組で誕生日を3回お祝いしましたから、30の年にスタートしています。

「ですよね。それが歌手デビュー当時の26のころに番組を持たせていただいていたら、もっとかっこつけてやってたと思うんです。なので、歌手としてあまり恵まれない時期を経験してよかったな、無駄じゃなかったなって。じゃなかったらこんなに長続きしてないですし、型にはまった真田ナオキになっていたと思うんですよ。そういうの全部ぶっ壊れてもいいや!そのままでいいじゃん!みたいな風になってから番組を持たせていただいたんで。むしろ番組をやらせていただくなかで、もっと殻を破った感じもありますし、すごく縁を感じていますね」

――確かに番組を聴くと、真田さん自身がすごくリラックスしていて、自然体でリスナーさんと向き合っている雰囲気が伝わってきます。

「僕は、演者になったり、語り部になったり、何かを演じているのは歌っているときだけなんですよ。それ以外はステージの上でしゃべってるときも、番組でしゃべってるときも、インタビューしていただいているいまも、ずっと素でやっていますから」

――やっぱりライブでは、歌ってるときとMCのときでスイッチが切り替わる感じはありますか?

「かっこつけてステージに立つのが苦手で。どうしたらいいんだろう?って思った時期があったんですよ。でも師匠の背中を見て、それでいいんだって気付いたというか……たぶん、業界随一でスイッチの切り替えが上手な人なので(笑)」

――「真田ナオキ 2023LIVE ZOLOME YEAR TOUR 東名神編」の品川クラブeX公演を見ましたが、MCで客席との距離感がぐっと縮まる感じがありました。

「そうですね。ファンの人たちと同じ目線でしゃべってしまう部分があって、隣の家の人みたいな感覚でいるので(笑)。逆に、コロナ禍でファンの人たちのコミュニケーションがとれない時期は、キツかったですね。マジでやめようと思ってましたね。マネージャーやスタッフともそういう話もしましたし、“このままじゃ無理だから助けて欲しい”って相談したり……それで何とかしていただいたから今も歌えているわけですが。自分はそういう状況でもまあ大丈夫なタイプだと思ってたんですけど、こんなに繊細な部分もあったんだなって。人間って難しいですね」

――バンドやグループのアーティストさんと違って、ソロのアーティストさんは――もちろんマネジメントやレーベルの方々のサポートがあるにせよ――ひとりでステージに立つことのしんどさの感じ方が違ったと思うんです。

「コロナ禍になってからしばらくの間はしんどいって言えなかったなかったことがしんどかったですね。ずっと言えなくて。でもありがたいことにお仕事は途絶えなくて、それこそTVの収録だったりとか、「渋声横丁」にも出させていただいたり。ライブをできない時期に、配信イベントだったり、ネットサイン会なんかも早い時期にやらせていただいて、若手なのに手を尽くしていただいているんだなって感じていましたけど、やっぱり気持ちの中では折れそうな時もたくさんあって。そのとき、初めて気付いたことがあって、僕はたぶんエンタテインメントを見る側じゃなくて、見てもらう側なんだなってことなんです。自分を見て楽しんでもらうことが楽しいし、喜びを感じられる。やっぱり歌えないんだったら意味がない。だから歌手をやってるんだなって」

――そういった困難な時期をファンの方々やスタッフの皆さんとともに乗り越えて、開催中のZOLOMEツアーだったり、9月2日には『「真田ナオキのUSEN渋声横丁」presents 真田ナオキ アコースティックライブ』も行われますし、ようやく日常を取り戻した感もありますね。

「そうですね、やっとリハビリが終わった感じです(笑)。昨年の夏から冬ぐらいかけての半年間は、ステージに立っていても、どこに立ってるんだろう?って感覚が毎日続いてて……やっとですね。やっと最近になってちゃんとステージを踏めているなっていう感覚を取り戻しました」

――特にASA-CHANGビッグバンドを従えてのZOLOMEツアーは、やっぱり生バンドっていいよなって思いましたし、真田さんも居心地よさそうに見えましたよ。

「バンド編成ならではと言っていいと思いますが、正直、楽ですね(笑)。やっぱりバンドの力を借りれるので。ふだんは裸のステージにひとりでポツンと立って、照明もあまりこだわらず、カラオケで歌うことが多いんですけど、バンドがいてくれると、サボれるんですよ――っていうとアレですが(笑)――間奏は任せちゃって、歌うことにグッと集中できるんですよ。バンマスのASA-CHANGが歌い手のことを見てくれていて助けてくれますから」

――「渋声横丁」のアコースティックライブはどんな感じになりそうですか?

「歌謡曲ももちろんですけど、僕が好きなバラードだったりを、若手世代のバンドといっしょに歌わせてもらいます。バンドメンバーには、原曲はあんまり聴かないでほしいってお願いしていて。ちょっとしたフレーズだったりとかアレンジも、原曲に引っ張られずに彼らが感じるその曲のイメージで演奏してほしいと伝えました。で、つい先日が初めてのリハーサルだったんですけど、びっくりするようなアレンジで(笑)。20代のバンドメンバーに、増田ユウキさんもキーボードで参加してくれますし、“真田ナオキがこの曲を歌ったらどんなアレンジになるんだろう?”っていう音楽性を感じていただけるライブになると思います。ある意味、未知数っていうかチャレンジでもありますし、バンドメンバーと意見交換しながら作り上げるジャズのようなJ-POP、ジャズのような歌謡曲のライブにしたいですね」

――そして会場はTIAT SKY HALL(ティアットスカイホール)、羽田空港第3旅客ターミナルということで、なかなかレアなロケーションですよね?

「僕、海外に行ったことないので初めての国際線ターミナルです。パスポートも持っていこうかな(笑)。いや、「渋声横丁」のイベントは今回が5回目なんですが、楽しみでしかないですね」

――番組内でもたびたび話題にあがっていた渋声横丁テーマソングもこのイベントで初披露ということですが?

「はい。前回の収録後もそのまま増田ユウキさんといっしょに曲作りしてました。番組中に言っていた内容から大幅に変わりそうだなって感じです。もっとテーマソングっぽくしようということで、僕はギターを弾きながら、ユウキさんはキーボードを弾きながら、“このコードにしようかな”“こっちの進行がいいんじゃない?”ってまとめていって、それに歌詞を付けましたので、楽しみにしていてください」

――そもそもテーマソングを作ろうとなったきっかけは?

「だいぶ以前から番組のディレクターさんとそんな話をしていて、ユウキさんとも“テーマ曲、作りたいね”って話をしたことがあって、ずっとやってみたいなって思っていたんですけど、スタッフさんからあらためて“今回のイベントのタイミングでどうですか?”って言っていただいて。ユウキさんとは音楽性の好みが合うので、制作も楽しいですね。いや、すごいテンポのずれた「恵比寿」の替え歌を番組のジングルで使っていただいてますけど、テーマソングはちゃんと作ってますので(笑)」

――と、いった感じで9月に「渋声横丁」のライブがあり、10月4日にはZOLOMEツアーファイナルの浅草編も控えていますが、真田さんの2023年後半戦の展望は?

「んー……未定です(笑)。でも紅白歌合戦に出たいっていうことは、今年の初めからずっと言っていて。出るぞ!っていう気持ちで日々を過ごしていますし、でもそういう一日一日の日常がいちばん大切なので、あたりまえの日常を力いっぱい生きて、歌って年末を迎えられたら、自ずと結果が付いてくると信じています」

――新曲の「酔えねぇよ!」は、4月のリリースからUSENの演歌/歌謡曲チャートにもずっとランクインしていて好調ですが、ライブを重ねて歌われるほどに手応えを感じたりするものですか?

「どうですかね……あ、でもファンの皆さんもすごい乗ってくれますし、そういった意味では手応えを感じていますね。でもまだ「酔えねぇよ!」が自分の歌になりきっていないという感覚もあって、本当の意味で自分のものなるまでもう少し時間がかかるのかなって思います。歌っていて乗れるときと乗れないときがあるので、まだまだ歌い込みが足りてないなって」

――これはアーティストさんによって、また曲によっても感じ方が違うと思いますが、真田さんはレコーディングで曲が完成するタイプですか?それともライブで歌って完成するタイプですか?

「僕の場合、完成はレコーディングなんです。でもそこからさらに成長なんですね。完成してからまだ上積みがあると思っていて。何ていうか、完成と100点って違うんですよ。完成品として世に出せるボーダーラインがレコーディングなわけで、でもまだその上があって、それを積み上げて100点に近づけられることでヒット曲になっていくんだと思うんです。それこそ「恵比寿」なんかは他の歌手の皆さんも結構歌ってくださいますけど、最近ようやく“やっぱり僕の曲だな”って思えるようになりましたね。いや、他の方に歌っていただけるだけでありがたいことではありますが(笑)」

――真田さんのストイックさというか、歌への向き合い方が伝わってくるエピソードですね。最後に「渋声横丁」の未来予想図と、リスナーさんへのメッセージをお願いします。

「そうですね……この数年間、「渋声横丁」でいろんな出会いがあって、初めての体験をたくさんさせていただいたので、逆にこの先は、もっともっと自分がアーティストとして大きくなって、その企画は真田ナオキじゃないと成り立たない、「渋声横丁」じゃないと聴けないっていう番組が作れたらいいなと思います。いろいろ言いましたけど、番組をやらせていただいてまだ3年ですからね。やりたいこと、やれていないことのほうが多いので、楽しみにしていてください!」

(おわり)

取材・文/高橋 豊(encore)
監修/内山優希(USEN)
写真/平野哲郎

LIVE INFO

■「真田ナオキのUSEN渋声横丁」presents 真田ナオキ アコースティックライブ
2023年9月2日(土)TIAT SKY HALL(昼の部/夜の部)

■真田ナオキ 2023LIVE ZOLOME YEAR TOUR ~浅草編~
2023年10月4日(水)浅草公会堂

テイチク

真田ナオキ「酔えねぇよ!」DISC INFO

2023年4月19日(水)発売
今日酔い盤/TECA-23008/1,400円(税込)
テイチク

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