──初音ミク10周年の2018年11月にリリースしたミニアルバム『メカクシティリロード』を挟み、2013年5月にリリースした2ndアルバム『メカクシレコーズ』から12年ぶりにボーカロイドを使用したアルバムを制作するに至った心境から聞かせてください。

「別にボカロを使うことへの意味性を持ち込んでいたわけではなくて、割と自然な流れでした。それで言えば、今回、収録させていただいてる「ステラ」は、前作『アレゴリーズ』(20222月リリース)よりも前に作った曲だったんですよ。『アレゴリーズ』は自分の活動10周年もあって、自分で歌ってみたんですけど、バイオグラフィー的には『アレゴリーズ』が番外編で、こちらがどっちかというと正史といいますか、本流なのかな?って思っています」

──本流としては通算3枚目のフルアルバムになりますが、どんな作品にしたいと考えていましたか?

「そもそもはアルバムを出そうっていうのを考えていなくて。しばらくの期間は、自分の音楽的な活動の中で、楽曲提供の制作がものすごく重要な意味があると思っていた数年だったんです。そこにしっかりと注力することで、何か見つかるんじゃないか?っていう感覚がありました。楽曲提供はアルバムとは無縁なものなので、とにかく目の前の11曲をどういうものにしてこうか?って考えていました」

──様々な方に楽曲提供することで何か見つかりましたか?

「そうですね。今までは自分が作りたくて、自分の正義のもと、“自分のため”に作るみたいな感覚が強かったんです。でも、人に頼まれることによって、“その人のために”を考えるようになりました。その中で、“自分だったらそうは思わない”という考えにもたくさん触れて。今までは盲目的に自分の考えを優先していたんだと思うんですけど、ある瞬間ぐらいから、“自分”っていうのが割とどうでもよくなってきました。だから、プライドがなくなってきましたね。プライドがどんどんなくなっていく代わりに、曲とか、哲学や思想みたいなものを優先するようになっていって。ある種、徐々に自分を大事にしなくなっていったっていう感じもあるかもしれません」

──それはプラスの意味ですよね?

「個人的には総じてプラスだと思っています。プライドって、いろんな形があると思うんですけど、特に自分の持っていたプライドは、“ただ臆病なだけ”とか、“自分自身への決めつけ”みたいなものだったのかな?と思っています。“僕はこういうことはやらない”とか、“こういうことはあまり自分にふさわしくない”とか。頭の中で、がんじがらめになっていたものがいっぱいあって。そこら辺をある意味、捨てていく作業みたいな感覚でした。その結果、曲がもう一歩前に出るというか…。今までよりも攻め込んでいくような感覚が生まれてきました。保身しなくなったんでしょうね。“馬鹿にされてもいいからやろう”みたいな。伝わらなくてもいいから全力でやろうっていう。それは、僕は、プラスなんだと思っています」

──プライドを捨てるとか、伝わらなくても全力でやるってことも、“青さ”の一つではありますよね。

「そう思います。そういう取り組みになってからの数年を評すると、確かに“青臭さ”というものになると自分でも思いますね」

──去年の10月1日に“夏、終わらせに行きましょう”とSNSに投稿していました。それが本作の始まりだったように感じているんですけど、当時はどんな心境でポストした言葉だったんですか?

「「Summering」を投稿したときなんですけど、「Summering」は、消す夏と書いて“消夏(しょうか)”や夏を避けるという“避暑”という意味合いがあって。だから、あの投稿は、「Summering」という楽曲自体にかかった言葉でもあったんです。僕らの夏の盛りだった頃って、やっぱり自分の青春のイメージがあるので。その想像する青春をちゃんと埋葬しに行くという感覚です。だから、あまり他意はないんですよね」

──その時点では、“青さ”や“夏”をテーマにした本作の構想は決まってましたか?

「あるにはありました。“夏、終わらせに行きましょう”は「Summering」に向けたものですけど、その時には“アルバムを出すぞ”っていう気になってはいたので。“アルバムの中でも、「Summering」は重要で強烈なポジションにいる曲だな“って思いながら出していたので、反応は気になりましたよね、やっぱり」

──リスナーの反応はどうでしたか?

「それぞれが自分の青春だった頃を振り返るようなコメントを残してくれたりしていました。“あ、伝わったな”と思いましたね。“自分たちが愛していたけれど、大人になる中で、子供じみていると思って捨てていったものをもう1回振り返る“っていうテーマの曲だったので…大事だったものを捨てていくことは、ものすごく残酷なことだよなっていう。これは、僕の考えですけど、みんなも一緒に今まで捨ててきたものに対して、もう1回お墓参りに行くみたいな感じの動きがあって良かったと思いました」

──曲の中では<過ぎ去る夏を/失う決心が付いたのです>とさよならしていますが、お墓を掘り返したりはしないんですか?

「そういう資格がないっていうことにも気づいているというか…。捨てたものが拾えないことに気づくっていう曲でもあると思っていて。捨てて初めて気付くってことがあると思うんです。特に最後の方の<全部本物に見えたのです>っていう歌詞が好きで。歌詞を書きながら、この瞬間にホロリと涙が出ました。大人になったら“子供だまし”と思っちゃうかもしれないですけど、その当時は<本物に見えたのです>っていうことを言葉にすることによって、“とてもエモいな“って思いました。バカみたいな言葉で申し訳ないすけど…」

──(笑)ヒーローショーも本気でヒーローだと思って見ていたわけですからね。

「そうですね。でも、大人になった自分がそれを<全部本物に見えたのです>って言葉にするって、ちょっと恥ずかしかったりするじゃないですか…人に聞かれてしまうから、ちょっと恥ずかしくなっちゃうんですけど、それを言うに至ったっていうことは、今回の“青さ”というテーマのアルバムにおいて、すごく重要な意味があると思っています」

じん『BLUE BACK』:初回限定盤
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──その“青さ”をテーマにした理由を改めてお伺いできますか?

「このアルバムの中で作った順でいうと、一番最初に「ステラ」を作ってるときから、自分で作る曲も誰かに楽曲提供させていただく曲も、その人たちのことを考えながらも、自分の血を通わせるっていうことをずっとやってきていました。例えば、“こういう曲がいいな”ってご依頼を受けて、言われた通りの曲を作るんだったら、その人が自分で作った方がいいじゃないですか。そうではなく、僕の血をしっかり通わせた曲で、相手に新たな発見があるものが、音楽としては初歩的なことだと思っていて。そこで、全部の曲に対して、“ずっと混ぜていたものは何だったのか?”を考えたときに、一貫していたのは、いろんな意味での“未熟さ”や“儚さ”であったり、“理解不能な美しさ”や“過去”だったんです。そういうものをイメージするようなカラー感がなにかあるんですよね…今回、“それがテーマだよな”って感じになりました」

──そのイメージするカラー感が“青さ”ってことですよね。

「そうですね。青かった頃。未熟さ。成熟してない青い時代っていう感じです」

──“あの夏”の時期はもう終わったんでしょうか。

「どうなんでしょうね。昔から作ってきたカゲロウプロジェクトは19歳のときに1人で始めて…コツコツやっていたものだったんですけど、たくさんの人に聴いていただいて、すごく大きいプロジェクトになって、自分1人で気軽にポイポイ出せるものではなくなっちゃいました。それは嬉しくもあり、複雑な心境でもありますよ。かつてのようにポイポイと自分1人で出せるものではなくなったときに、“時間をかけて出せるような状況にしていこう“っていうのが、今です。それで言うと、自分の未熟さを描く作品のやり方は続くんだと思うんです。今回のアルバムも11曲の歌詞は物語になっていないんですけど、この曲たちが並ぶことによって、僕の言いたかった、ある種の思想や僕なりの哲学みたいなものが繋がって聴こえてるんじゃないかな?とは思います。具体的にはしてないですけど、どこか一つでも聴く人の思いと重なる部分があったら成功かな?とは思っています」

──その“青さ”をテーマにした上で、数多く提供している楽曲の中から何曲かをセルフカバーしていますが、どんな基準で選んだ曲たちでしたか?

「“青さ”というものに対して、より近しいもの、より通じ合っているものを感覚的に選びました。本当にいろんな音楽の出し方をさせていただいてきたんですけど、全部、音楽なんですよね、結局。思想や哲学という軸で考えれば、全部繋がるものではあると思っていて。それをやりたかったっていうのもあるかもしれません」

──湊あくあさんに提供した「未だ、青い」で描きたかった“青さ”というのは?

「割と透明感のある、憧れの色に近いというか…。未来への道に向かって進み始めるような曲で、単純な美しさです。僕の思う単純な美しさというのは、芸術的な美しさとか、自然的な美しさじゃないんですよ。普通の人が一歩を歩き始めることが一番美しいと思っていて。もっと言葉にし難いものがテーマではあると思うんですけど、言葉で伝えようと思うと、やっぱり“美しい青さ”になるかな。なんでもない人が一歩を歩き出すことが、どんな芸術よりカッコいいし、美しいし、僕はそれが好きっていうテーマでした」

──星街すいせいさんに提供した「Newton」はR&Bバラードになっています。

「原曲とは違うアレンジになっているんですけど、この曲は矛盾ですね。“相反する青さ”。「未だ、青い」が美しさだとしたら、「Newton」は未解明なものです。人間の中にある摩訶不思議な矛盾点をテーマにしようと思って。“大好きだな”って思っていても、“すごく嫌いだな”って思ってしまう…それに似た感情。好意的なのに嫌悪感を持ってしまうとか。抱きしめたいのに殴ってしまうみたいな感じです」

──キュートアグレッションですね。

「そういうものだったり、自分が一番大事なはずなのに、自分のことを“嫌い”って言ってしまうこととか。時折起きる、人間の強烈な矛盾みたいなものですね。それをどっちが正しいとか、悲観的になるんじゃなくて、ただただ“嗚呼、人間って素晴らしい!”って歌い上げたかったんですよ(笑)。あと、星街すいせいさんへのイメージもあって。お名前にもあるように、“星”もテーマの1つにはなっています。「Newton」の次が「ステラ」で、この曲は“無謀な青さ”がテーマ。ある種、星で繋がるような曲順になっています。星の持っている一番強い力って重力だと思ったんです。反発したり引き合ったりする、コントロールできない力。アルバム収録曲の中では心の中心みたいなもので、とてもコアなテーマで、一番ミニマムな曲なんじゃないかな?」

──プロジェクトセカイ関連に書き下ろした曲も聞いていいですか? アルバムのオープニングナンバーでもある「NEO」にはどんな思いを込めましたか?

「この作品の中のランドマークというか…ある種、強い曲だと思っています。と言うのも、音楽をやる人たちの音楽的なものに対しての考えを曲にすることって、今までそんなになかったんです。この曲は、真っ向から音楽をテーマにした音楽なので、その分、純度の高い原液的な歌詞であったり、考えが中心にあります。特にサビですね」

──<限界に気がついたって 足掻いて/バカな君は歌う>っていう。

「ボロボロになっていくような感じとか、下手くそな歌を歌ってしまっているな、みたいなことを続けて…。“音楽は才能だ”と言われることがあって。僕は、小さい頃からそれが苦手だったんです。音楽は、特別な人じゃないとできないものであって欲しくない。それは、僕が一般人だからなんです。学もないし、才能もないんですよ」

──そんなことないと思いますけど…。

「いや、僕は普通なんですよ。僕の曲がいいって思ってくれるってことは、それはきっと、僕が普通だからなんです。「NEO」で言っているのは、“歌が上手いから、音楽が生まれるんじゃなくて、あがいて伝えようとするものを人が音楽って呼ぶという順番なんじゃないか?”ってことです。音楽の才能があるから音楽をやるんじゃなくて、才能がなくても何かを伝えようと思ったことを、人はラブソングで言ったりするんじゃないか?っていう。だから、可能性の曲ですよね。音楽を特別にしないための曲というか…」

──<もう一回〜「初めまして」>からアルバムを始めたのはどうしてですか。“新しい”や“復活”を意味する「NEO」というタイトルもそうですが。

「ようやく<「初めまして」>って言えるくらいに音楽のことを考えたのかな?って思ったからかもしれないです。僕はこの段階が<「初めまして」>なのかなって。それまでやってたことは、もしかしたら挨拶をしていなかったのかもしれません。ボロボロになって、“もう駄目だ、限界だ、やめよう”ってなったときに初めて音楽の一歩目が始まるっていう…」

──最初にお話ししていた “自分のための音楽”から“人のための音楽”とも通じる部分がありますね。他者と関わって生み出された曲でもあるので。


「そうですね。あれはあれで素敵なことですし、貴賎はないんですよ。今が正しいとか、過去が正しいとか、そういうことではきっとなくて。僕のこのときの感覚としては、“いつだって初めましてなんだよな”って感覚でした。最近も曲を作っているんですけど、新しい曲を作るたびに、“音楽ってどうやって作るんだろう?”みたいなところから始まるんです。それくらい、11回で“初めまして”って思いながら、緊張して、怖がって、それでも“やるぞ”っていう覚悟でもってやろうっていう。それを音楽って呼ぶっていうのが、「NEO」のテーマです。大それたなって思うんですけど、僕にとっては、この曲を書けたのは、とても自然なことで。僕が経験したことしか言っていないから、この曲が“いい曲”って誰かに言ってもらえるんだったら、さっき言っていたような、自然な道のりなのかな?と思います。僕がこの歌詞を言って、“確かにな。だって、お前、ボコボコだもんな”って思う人いるんじゃないかな(笑)」

──(笑)もう1曲の「Worlders」ではドレミの音階を高らかに鳴り響かせています。

「「NEO」と共通するところはあると思います。これもある種、音楽的なものです。より普通なもの、すぐそばにあるもの。誰しもの近くに常に当然のようにあって、ある意味では何の価値もない。でも、音や音楽に関しては、それに価値を感じるっていう状態のことを尊ぶべきなんじゃないかな?っていう。だから、「NEO」が音楽を出していくものであったら、「Worlders」は、音楽を感じることについて書きたかったんですよね」

──みんなが無視してる曲=<あれを「ラブソング」と言うんだ>という「NEO」と<Let hear love song>と歌う「Worlders」は対になっていますよね。

「まさにそうです。「NEO」が送り出すものだったら、「Worlders」はそれを感じ取ること。だから、音楽がいい曲であるかどうかっていうのは、いい曲を作った人がすごいんじゃなくて、それを良い曲って感じた人がすごいんだと思っている曲ですね。その感性自体が、僕にとっては、音楽の価値なのかな?っていうふうに感じています。何度も言うように芸術じゃないんですよ。天才的なセンスとか、新しく挑戦的であることとかはどうでもよくて。最終的に、聴く人の中で、それに価値を感じられる思想や哲学、もしかしたらテクスチャー的なものであっても、人の心が過去から未来に移り変わっていく過程の中で、音楽が時に栄養素だったり、常に人に変化をもたらすものであるってことだったら素晴らしいことだと思います。だから、この曲を聴いて、“いいな”と思った人は、もうみんな、“センスがいいよ!“って感じです」

──(笑)そして、最後にタイトル曲「BLUE BACK」が収録されています。

「アルバムは正直、「Worlders」で終わっているんですよね。“音楽”にまつわる自分の中の考えの流れ方は「Worlders」で終わった上で、「BLUE BACK」はエンディングテーマソング的な感じです。総括している感じに聴こえるかもしれないですけど、1曲目から10曲目までの曲が、いろんなテーマの“青さ”や“音楽”を書いたものだとしたら、“今から音楽をやります。聴いてください”って言って、「BLUE BACK」をやる感覚なんですよ。そういう意味では、一番、普通な曲です。10曲目の「Worlders」までを踏まえた上で、僕を音楽をやる人にさせる曲が「BLUE BACK」なのかな?っていう。だから、とっても普通です。何にも考えていません。“僕にとっての1曲はこういうことを言います”っていう。それで、なんか変なアルバムになりましたけど(笑)」

──でも、<みっともなく青い歌/歌ってたいんだぜ>というフレーズには決意のようなものも感じます。

「そうですね。“青さ”というのは、まだまだ書ききれないな…と思うものでもありました。だから、「NEO」で、あがいて、悩んで、下手くそだけど、音楽をやろうっていうような気持ちで作った曲が、まさに“こちらになります”っていう。だから、このアルバムを通して歌っている哲学みたいなものはすごく普通で、僕の中では普通なことしか言ってないんですよ。普通なことばっかり言っていて、普通に曲作りましたっていう、普通のアルバムなんです。大それたことはあまりやっていません。ロマンティストではないと思います。“とってもリアリティのあるアルバムだな”って自分では思うんですけど」

──完成してご自身ではどんな感想を抱きましたか?

「まだあまりよくわかんないんですけど、“聴いてくれる人はいるのかな?”って感じです。もちろん、“聴いてもらえたら嬉しいな”っていう気持ちはあるんですけど、元々あまり音楽に期待していなくて。それでも音楽をやるのは、もちろん期待するところもあるからですけど。でも、魔法ではないっていう、ちょっと冷めた気持ちも常にあります。このアルバム自体が、ものすごい熱い心と、ものすごい冷めた心が両方、かなり本格的に詰まっていて。今も、“届いてほしい”っていう気持ちと、“どうせ誰も聴かないだろうな”っていう気持ちがあるので、このアルバムで言ってることは、本当に自分の考えなんだなって思います(笑)。我ながら、“まっすぐだな”って思いますね」

(おわり)

取材・文/永堀アツオ

RELEASE INFROMATION

じん『BLUE BACK』初回限定盤(2CD)

2025年219日(水)発売
TYCT-69340/14,400円(税込)

初回限定盤(2CD)

じん『BLUE BACK』通常盤

2025年219日(水)発売
TYCT-602443,630円(税込)

通常盤

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