──アルバム『未成線上』(2024年1月リリース)以来、1年9カ月ぶりとなる6th オリジナル・フル・アルバム『私宝主義』が完成しました。
「1年9ヶ月ぶりだったんですね。早い気がします」
──海外公演を含めてライブ活動もずっと行なっているので、もう少しゆっくりしてもいいのに…と思っています。
「あははは。みなさん、そう思ってくれていますよね。大人の事情でそうはいかないんです(笑)。なんだかんだ1年9ヶ月の間、ずっと曲を書いてたなという感じです。自分の曲以外にも提供曲だったり、たくさん書いていたので、ずっと曲を書いていたつもりなんですけど、アルバムができたのは、やっぱりギリギリでした」
──制作前に“次はこういうアルバムにしよう”と考えていましたか?
「いえ、何にも考えていないです。アルバムが完成する度に“…やっとできた。次はもう出せないかもしれない”と言いながら曲は書いていますけど」
──ずっと曲を書き続けてる中で、なんとなく見えてきたイメージはあったのでしょうか?
「なにもなかったです。しかも、ホラー映画の曲からウエディングソングまであるので、アルバムを作るとしたら幅が広すぎてどうしよう?…という感じでした。でも、出来上がる半年前ぐらいかな? 長野の実家を解体する話があったので、実家の解体をテーマに曲が書きたいと思って。それをアルバムにまとめられたらいいかもしれないとは思っていました」
──実家はどうして解体することになったんですか?
「兄も妹も東京に住んでいて、父親も母親も別のところに住んでいるので、そもそも誰も住んでいなかったんです。隣に祖父母の家があって、敷地が同じで。祖母が亡くなったので、もう誰も住んでいないし、誰も長野に帰らないと思う…そんな話になって。“じゃあ、解体して売ってしまおう”という話になったんですけど、それからの進みがとにかく早くて。“夏の終わりには解体するので、それまでに必要な荷物を取りにきてください”って連絡が親から届いて。荷物を取りに行ったときに、ちょっとこれは歌にしておかなきゃいけないことがいっぱい出てきたな…と思いました」
──実家がなくなるというのはどんな感情でしたか?
「ランドセルとか、いろんなものがあったんですけど、“どれもいらないかも“と思いました。いるものを探している時に、別に実家はなくても、人がいるところに、親がいるところがあれば別にいいんだと思っていたんです。ただ、一番はグランドピアノがあって…」
──ライブのMCでも“外に出すには壁を壊さないといけないし、どうしよう?”と話していましたよね。
「そうです。その壁を壊して、グランドピアノを外に出すか出さないかという時に、売るのか売らないのか?ということでもかなり悩みました。親が自分のために買ってくれたグランドピアノだったので。使うか使わないか分からないけど、一旦出して、持っていけるのか?…使わないのにどこかに置いておくのかを悩んでいたんですけど、結局、壁は壊して、グランドピアノは出しました。今、運んでくれた業者さんの倉庫に入っています」
──思い出が詰まった実家がなくなる寂しさとか、帰る場所がなくなって嫌だなっていう感情ではなかったんですね。
「ほとんど帰っていませんでしたし、家に誰かがいるわけじゃないですし。高校3年生の時に、私と妹だけで住んでいた時期があったんです。じいちゃんばあちゃんがご飯を作ってくれたり、じいちゃんばあちゃんの家で一緒に食べたり、そこでダラダラしたりしていて。ばあちゃんが、古いボウルにリンゴを2つ入れて、毎回むいてくれて、手作りの漬物とお茶も出してくれて。“愛ちゃんはいい人いないんか?”みたいな話を聞かれるのが恒例でした。実家がなくなるという寂しさよりは、どちらかというと、“ばあちゃんがもういないんだなという方が寂しかったですね」
──取り壊される実家を見に行ってできた曲というのは?
「2曲目の「花束」です。実家に行って、片付けて、荷物を母親の家に置きに行こうという話になって。妹と2人で車に乗って、母親のところに渡しに行きました。そしたらやっぱり昔話になって、“愛ちゃんはすごくいい子だったから手が掛からなかった”と言われて。私は“いい子だ”と言われ続けて育っているから、いい子であることが自分の価値だったんです。人にとってちゃんとしているということが、自分の生きる意味でした。片づけを手伝ったり、誰よりも早く起きたりでも、そのぶん、自分が好きなものや自分がやりたいことに目を向けない日々が続いて。それを母親に言われたときに思い出しました。その後、帰り道になぜだかわからないけど、妹と喧嘩してしまって。家に帰ってから、久しぶりに“あんなに泣いたな”というくらい泣きました」
──“いい子だから”というのは、呪いの言葉でもありますよね。
「そうかもしれないです。でも、あの頃は、そうであることの方が価値が高かったので。好きなものを好きにやっているのは“ダメな子”で、小学校までは、“いい子”の自分の方が価値が高く生きれていたんです。だけど、中学に入って、担任の先生にタメ口を聞く友達の方が愛されているようなことに気付いて…でも、自分はそういうことはできなくて。もう中学生くらいからずっとこれについては考えていたので、抜けない棘なんだと思います」

──いい子でいた幼い頃の自分に対してどんな歌を書きたかったんですか?
「それが、意外と答えが出なくて…この曲でも出ていないんですけど」
──<正しいことだけを求めて/不幸纏って生きていくの?>と疑問系で問いかけています。
「そうです。どんな自分であったとしても…ここの家族にいて、自分が真ん中っ子になっているってことって、選べないことじゃないですか。そういうことがあったとしても、今が幸せであれば、どうでも良くなるというか。もちろん、そんなことがなければ…私にもし子供ができたとしたら、“いい子だね” を褒め言葉にしないって決めているんですけど。そうやってきてしまったのはしょうがなくて。 “それがあったから、よかった“とは思わないです。”それはなかったほうがいいけど、今が幸せなのであれば、そういうふうに育った事実というのは、ただの事実として、そこにあるだけになるのではないか”というのが、自分なりの今の答えです。“なかったほうがいい“というのって悲しいことですけど、全部をひっくるめて”よかったね“とは言えないですよね」
──次のツアータイトル“ただわたしがしあわせでありますように”にもつながる<いまだになじめないわたしが/ただしあわせになりますように>というフレーズにはどんな想いが込められていますか?
「実は、ツアータイトルの方が先に決まっていました」
──えー! そうなんですか。それをここに入れ込んだんですか?
「入れ込んでいます。というのも、ツアータイトルに対して、“他の人の幸せはどうでもよくて、私が幸せになればいい”という意味合いで捉えた人もいたみたいなんです。そうではなくて、“すべての私が、すべての私として幸せになってほしい”という意味合いなんだということを曲で伝えておきたかったので」
──<わたし>=この曲を聴いている“あなた”ということですよね?
「今が幸せであれば、ただの過ぎ去ってた日常だと思える。過去を重たく感じているすべての人に思って欲しいです」
──曲名はどうして「花束」にしたのでしょうか?
「花束って、ハッピーな時にも贈るけど、さよならの時にも贈るものですし、どちらの意味合いでももらうんだと思って。“お疲れさま”もそうですし、“おめでとう”、“さよなら”、“ありがとう”のような意味合いでも。あの頃のそういう気持ちに花束を贈りたかったので。“頑張ったね”という気持ちもありますし、そういう人生を歩んできて、今も生きているということを祝福していますし。すべての意味合いでの花束です」
──あと、<青い時代は帰らない>というフレーズがありますけど、“独り⾔”三部作の第三弾としてリリースされた「バランス」にも<幼い目のわたし>というフレーズがありますね。
「やっぱり実家を片付けていて、振り返ることが多かったかもしれないです。どちらかというと、子どもの頃のことを思い出すことが多かったです。でも、「バランス」はそれとは関係なく作った気がします。<つまんない人間になっちまったな>というサビのメロディーと歌詞ができていたので」
──時期は前後しつつも、今聴くと、いい子だった幼い頃の自分が出発点になっているように感じます。
「そうですよね。頭から<愛されたいなら愛せよ>って言っていますけど、人間関係でいろんなことを試してきました。こうしたら、こういうふうに返ってくる。ってことは次はこうしてみよう、みたいな。“100:0で与え続けたら、向こうのバランスが崩れるんだな“というのを学習しながら大人になっている気がします。昔はいい子だったから、いい子の自分を変えるにはどういう人間になったらいいんだろう?研究をしていた結果、またバランスをとる人間になっている…みたいな」
──やりたいと思ったことをやってみるとかは?
「やりたいことをやることが下手だったので、そういうことをすると、すごく怒られたりして。怒られ慣れていないので、怒られると怖いじゃないですか。すごく萎縮するので、怒られないように、上手に悪いことができるようになったりして。 “自分が思う”というよりは、“人がこう思っているんじゃないかな?“という要素の方がもしかしたら強いかもしれないです。自分がつまらない人間だと…今のところは思っている日もあるけど…っていう感じくらいなので」
──「バランス」には<生きやすいのに虚しいの>という言葉がありますが、これはどんなところから出てきた言葉なんでしょうか?
「“虚しい”というのが一番悲しい感情かもしれない。イライラしたりとか、怒ったりとか、悲しいとか。何かしらの気持ちに作用して曲になるんですけど、“虚しい”は何も生まないということが分かって。それって、“あの人が言っていることってこうなんだろうな。でも、こっちの意見はこうなんだよな”とか、いろんなことが悪い意味で折り合いがついてしまって…どれも分かってしまうから虚しいんだな、って。全部が相殺されてゼロになるような気持ちを感じ始めたのが33歳ぐらいからです」
──“虚しい”という感情に気づいた時にどう思いましたか?
「これに自分が支配されてしまうような人生にならないといいなって思ったくらい、かなりゾッとしました。何にもない、凪であることは生きやすいですけど、虚しいんだなって。ゼロの状態です。何か波を立てていかなきゃいけないと思うけど、それも疲れる…そんな感じです」
──その凪の湖面に映ってる幼い日の愛ちゃんはどんな顔をしているんですか?
「“いいの、それで? 大丈夫?”って感じです。“いい子”って言われていた時、私は100%うれしい気持ちでいい子をやっていたので。その時に不満はなかったんですけど、中学くらいから、“大丈夫なの? これでよかったの?”という不安…いぶかしげな方の私ですね」
──MVではその子に<まだいたんだね 間に合うなら ちょっとだけ待ってて>と歌った後に現在のヒグチアイさんが満面の笑顔を見せていますね。
「はい。<つまらない人間になっちまったな>っていうのを暗く歌う私はもういないという感じかもしれないです。それもまたバランスなんですけど、人に歌を聞いてもらえるバランスを考えるようにはなっていると思います」
──そのバランスを考えすぎると、また“いい子”になっちゃいますね。
「考えていない曲もたくさん入っているので、なんとも言えないですけど、そういうのも試してみてる最中かもしれないです。「花束」や「わたしの代わり」もそうですけど、ちゃんと音楽として聴きやすいものを作っていますね」
──“独り⾔”三部作の第二弾「わたしの代わり」では<わたしわたしわたし>と“私”を連呼しています。「バランス」の話と繋がるかもしれませんが、お金の心配もせずに音楽ができるようになった今、何の不安もなさそうなのに、どうしてこんなに劣等感や葛藤を感じているのでしょうか?
「そうですよね。でも、やっぱり“虚しい”に気づいてからだと思います。どれだけ自分の人生に満足しているか?というのを、いろんな人に聞いてみたいんです。例えば米津(玄師)さんに聞いてみたとしても、満足していないって言うんじゃないかなって思います。だから、自分自身の測り方で、幸せじゃないというか、足りないってずっと思い続けているんですよね。でも、これもまたさっきも言ったバランスのような話で、<でも負けない 見失わないわたし わたし>というところが1番のサビから入ってきます。今まで1番の歌詞に、こういう前向きな言葉を入れてこなかったんです。暗い歌詞だけど最後の最後でちょっとだけ光が差す、みたいな歌詞ばかり書いてきたので、一番にこのフレーズを入れているのは大人になったと思いますね」
──“幸せ”についても聞いていいですか。“私の幸せ”ってどんなものなんですか?
「ずっと昔から“幸せ”について曲を書いている気がします。私、22か23歳の時に新宿の駅前でアンケートを受けたんです。少し怪しいアンケートだったと思うんですけど、そのときは少し気分がよかったので、話を聞いたんです。そこで、“あなたは幸せですか?”と聞かれて、“幸せです”と答えたら、“珍しいですね”って言われて。“幸せじゃないという人が大半で、幸せって言う人は珍しいんです”と言われた時から、自分の中で“幸せって何なんだろう?”と思っているんですけど」
──22歳の時には幸せと答えているんですね。
「はい。私は今も幸せなんです。どんな時でも幸せではあるんです。幸せな中に、“もう少しこういうことをやりたいな”とか、“こういう人間だったら良かったな”とか思っているだけで。ずっと、いろんな人に恵まれていますし、いろんな人が支えてくれている上に自分がちょこんと乗っている感覚なので。ずっと。…だから、人が支えてくれることかな? 人が周りにいることが幸せなのかもしれないです。友達はあまり多くないですけど、いろんな人が自分を求めてくれている、期待してくれているっていうことが幸せなことなのかもしれないです」
──これだけ<わたし>を歌っても、幸せの形は1人の満足感ではなく、他者との関わりの中にあるものなんですね。
「そうですね。周りに人がいるから自分のことを見れているので。いい子で育った人って、絶対そうだと思うんですけど、自分を誰かが見てくれているという信頼感がないと他の人を見れないんです。“この人は自分のことを見てくれているんだろうか?”という不安の中にいると、自分のことは後回しで、他の人の目線しか気にしなくなるので。だから、<わたし>って言えてることは、私を見てくれている人がいて、支えてくれている人がいるからなんです。だから、私は自分のことを見てられています。それがなくなったら、こんな曲を書けなくなるかもしれないです。みんなに対しての曲しか書けなくなるかもしれない…」
──逆説的ではありますね。
「そうですよね…あまのじゃくっぽいというか。そうじゃないのに自分の世界を持ってやり続けてる人もいて。誰かが支える、支えないとかに関係なく、1人でやり続けている人を見ると憧れてしまいます。そうなれないから…」
──先ほどおっしゃってたバランスを考えなかった曲というのは?
「やっぱりタイアップの曲たちは一つのアルバムに並べるのは難しかったです。どの曲も“いい曲だなぁ”って感じはしましたけど」
──ドラマ『地獄の果てまで連れていく』主題歌「雨が満ちれば」や映画『あのコはだぁれ?』の主題歌「誰」はサスペンスやホラーに振り切っていますね。
「だから、その2曲と「恋に恋せよ」や「もしももう一度恋をするのなら」というラブソングに少しでも近づけるような曲たちを書かねば、というのは考えたかもしれないです」
──アルバムでは、ピアノと歌のみで弾き語りの「静かになるまで」がツナギの役目を担っているのでしょうか?
「はい。近い人の話というか…現実を差し込むようなイメージです」
──この曲は人間が抱える矛盾や両面性というものを歌っていますね。
「昔からずっとA面、B面は歌っていて…人には両面あるという。それが、悪いところ、いいところじゃなくてもあるはずなので、その両方をちゃんと見ていきたいと思うんです。人から悪いって言われているところにもいいところを探したいと思っています」
──そこがまたバランス感覚というか、よくも悪くもですよね。どちらも見れてしまうというのは。
「よく言えば“優しい”ですし、悪くいえば“気遣い過ぎ”みたいな感じですよね。だから、いろんな人の悩みもよく聞くんです。私に言うと否定しないからと思って相談してくれることもあると思いますし。それが自分の曲の役割なのかなとも思っています。だけど、一番やりたいことは、自分の尺度でものを測っていきたいってことです。人に何かを言われたり、人が離れそうだからとかではなくて、自分がやりたいから、これをやりたい、自分が思うから、この人のことが嫌いっていうものの測り方をしたいけど、今は外の声のヴォリュームが大きすぎて。“今考えてるからちょっと黙って”っていう曲です」
──全11曲が揃って、アルバムのタイトル『私宝主義』はどんな意味でつけましたか?
「レコーディングが終わる前にはもうタイトルを決めなきゃいけなかったんです。歌詞も全部できていない状態だったんですけど、今回のアルバムは現実的な曲がすごく多いと思って。 “現実は厳しい、だけどそのままでいいんだよ”と歌っていたとしても、“いいよ”にいくまでは聞けなくて、その前の方の話だけを聞いて、傷ついてしまう人も多いじゃないですか。だから、タイトルは希望がある方がいいと思って。“ただわたしがしあわせでありますように”も一緒ですし。誰しも、私という人間、すべての人が大切にされるべきで、自分で自分を大切にするべきだし、“私が宝であるということを自分で決める、誰が何と言おうと“というタイトルです。いいものでも、悪いものでも”宝である“ということは事実です。そういうタイトルです」
──それは聴き手に向けたメッセージでしょうか?
「メッセージです。みんなにそう思ってほしいです。もしも取って代わるような仕事をしている人がいたとしても、絶対に唯一無二のあなたが輝く場所があるからもっと探して、そこを頼りに生きて欲しいと思っています。職場でも家族の中でも、趣味のコミュニティでも対人間じゃなくてもなんでも。全ての人にそう思っていてほしいです」
──これからというのはどう考えていますか? インディーズデビュー10周年を経ての6枚目のオリジナル・フル・アルバムになりますけど。
「2026年がメジャーデビュー10周年なので、今回は内側の話をしていましたけど、もう一回、外側に向けられる曲たちを書きたいと思っています。私はデビューも遅かったですし。自分では着々とやっていたつもりなんですけど、下積みと言われる期間も長くて。それでもいいというか、どこにチャンスがあるのかって、本当にわからないですから。とりあえず、どこでもいいから”始めてみる“とか、”やってみる“ということを伝えられたらいいのかな?と思っています」
──ずっと曲を作り続けていますけど、音楽以外で何かやりたいことはないんですか?
「長い休みがほしいです! 今年はミュージカル曲を書いたり、楽曲提供をしたりも多かったんです。だから、一回、長く休んで、“何にもしない”ということをやってみたいです。その時は家にいないで、どこかに行って…というのをしたいです。このアルバムのツアーが終わったら、暇な時間が欲しいです。周りのミュージシャンが活動休止や、解散になる話を聞いて、あんまり大きな声で言えないですけど少しうらやましい気持ちもあって。 “そこからなんでもできるんだな“というのが少しうらやましくて。だから、何でもできる時間が欲しいかもしれないです。でも、それも”音楽を続けるために“ですけどね」
(おわり)
取材・文/永堀アツオ
live photo/Kei Fujiwara
RELEASE INFORMATION
LIVE INFORMATION

HIGUCHIAI solo/band tour 2025-2026 “ただわたしがしあわせでありますように”
-solo-
2025年11月23日(日) 東京 日本橋三井ホール
2025年11月24日(月・祝) 宮城 エル・パーク仙台 スタジオホール
2025年11月29日(土) 神戸 KOBE QUILT
2026年1月10日(土) 広島 CLUB QUATTRO
2026年1月11日(日) 高松 オリーブホール
2026年1月17日(土) 福岡 RESOLA HALL
2026年1月24日(土) 札幌 モエレ沼公園 ガラスのピラミッド
2026年1月31日(土) 長野 千石劇場
-band-
2026年2月13日(金) 東京 Zepp DiverCity(TOKYO)
2026年2月22日(日) 大阪 GORILLA HALL OSAKA
2026年2月23日(月・祝) 名古屋 NAGOYA ReNY limited
2025年3月15日(日) 韓国 Shinhan Card SOL Pay Square





