――2年半ぶりの新曲「hibi」が配信リリースされてますが、2年半というのは短くないインターバルですよね。3枚目のアルバム『flower(s)』からの2年半は西さんにとってどんな時間でしたか。
「正直、何も書けなくなってしまったんです。リスナーの方に何を望まれているのか、皆さんに何を届けたらいいのか……いろいろ考えすぎて、本当に書けない、苦しい二年半でした」
――どうして書けなくなったんでしょうか。
「それまでは割と切ない失恋ソングも書いてきていて――もちろん、友達の恋愛話を聞いて書いた曲もあったんですけど――実体験に基づいているものが多かったので、結婚して、妊娠、出産があって、割とハッピーな人生になってしまって……なってしまってっておかしいですよね(笑)」
――あははははは!
「まあ、人並みに幸せを得たんですけど、そういう人から出る歌はどうしても幸せなものになってしまう。考えすぎかもしれないんですけど、そんな歌を聴きたい人いるかな?と思ってしまって、書けなかったんですね。あと、アルバムのリード曲「美しい時間」を出したことも大きくて」
――90’s R&Bっぽいテイストのメロウな歌ものバラードになってました。
「すごく好きな曲だし、いいものが作れたと思っていて。コロナ禍が明けて、ライブが再開するタイミングでもあったので、お客さんに会える瞬間とか、歌を直接届けられる時間がすごく尊いものだったんだなっていうことを実感して作った曲だったんですね。「美しい時間」を歌って、ちょっと完結してしまったというか……伝えちゃったなっていうタイミングで結婚もあったので」
――もともとは「私は絶対歌い続ける」っていう宣言から始まった西さんの音楽活動でしたが、伝え切った、やり切ったという達成感があった?
「今もそれは変わらないです。ただ、ずっと走ってきた中でコロナ禍にぶつかって、1回、活動が止まったんですよね。あの、全部仕事がキャンセルになった感覚は今でもすごく覚えてて。そこで1回止まらざるを得なくなって、それでもやっぱり作品は出していきたいし、人生のライフステージに沿った歌を唄っていきたい気持ちもあって、3rdアルバム『flower(s)』が出せた。でも、いざリリースして、その次っていうと、やっぱり何を歌っていったらいいかがわからなくて。歌い続けたいけど、この先、大きいライブハウスでたくさんのお客さんの前――例えば武道館みたいな場所――に立ちたいかっていうと、そうじゃないかもしれない。もちろん、大きいステージを目指してやってはきたんですけど、年齢を重ねて、だんだん客観的に自分のことも見えるようになって。YONA YONA WEEKENDERSのサポートで良い景色を見せていただいているし、ラジオのDJやナレーション、MCとか違う仕事もやらせてもらってるうちに、歌っていくことだけが全てじゃない、シンガーの西恵利香としてが全てじゃないくてもいいのかなっていう気持ちにはなってきているというか……」
――声の仕事の幅は広がってますよね。結婚や妊娠、出産はどんな影響がありましたか。
「結婚はそんなに自分自身が変わったとは思わないんですけど、失恋をすることがなくなったり、悲しい思いをしたときに1人で抱えることがなくなったので、それを書いてきた分、書けなくなっちゃうっていうのには繋がってて。そこから、妊娠、出産だったので」
――全く歌えない時期を過ごしたわけですよね。
「マジで大変でした(笑)。本当にお腹に力が入らなくて。妊娠して産休を取りますっていう発表をしたライブもあったんですけど、そこに持ってくまでに、どんどんお腹も大きくなるし、どこに力を入れたらいいかも分からなくなし、まず、息がこれまでのようには吸えなくなって。ボイトレの先生にサポートしてもらいながら、なんとかライブはやったんですけど、結構、大変でしたね。だから、産休もとらせてもらったんですけど、どうしてもYONAYONAのフジロックのステージに復帰を合わせたかったので、2ヵ月半で戻ってきて。体は回復しきってなかったし、全身が痛い状態でフジロックの山道を登ってたんですけど、YONA YONAに連れて行ってもらったステージはすごく感動的で。行ってよかったんですけど、やっぱり体で歌ってるんだなっていうことを実感しましたね」
――シンガー=西恵利香として復帰したいという気持ちはありました?
「もちろんです。何を書いていいかわからない状態だったくせに、正直にいうと、2ヵ月半の産休を取ることすら怖くて。今年でソロになって10周年なんですけど、本当に1回も休んでないんですね。時代的に、たとえ熱があろうが、どうであろうが、ステージには立ってた世代なので(笑)。休むということが怖くて、やっぱり止まると、アーティストは他にもたくさんいるし、いい曲も毎日、いっぱい出てきてるから、すぐに忘れられてしまうし、“懐かしいね、あの人”で終わっちゃうんじゃないかっていう不安があって。だから、2ヵ月休むことすらも怖かったんですけど、休まないとさすがに前には出られなかったので。だから、YONA YONAのフジロックに合わせて復帰するっていうことだけを決めて、逆算して産休をとったので、割とギリギリまではやらせてもらってました」
――何も書けないという悩みはどう乗り越えて行ったんですか。
「産休前からデモはいっぱい溜めてる状態だったんですよ。でも、全部の曲にメロと歌詞をつけてみても、なんかしっくりこない。今まで歌ってきたことを同じように歌うのは、やっぱり人生のライフステージが変わって、ちょっと違う気がして。出産後に、出産前にあったデモをどうにかしようってなったときに、一番書けると思ったのが、この「hibi」だったんですね。出産後に、もう1回聴いてみたら、意外と悪くないなという考えになったんですよね」
――何があったんでしょう?
「何かもっと別のことを歌わなきゃいけないかって、たぶん考えすぎてたんですよね。結婚して、妊娠して、出産しても、意外に自分は変わらなかった。歌も芸能もやっていきたいっていう中で、もっと聖母のようになるとか、母親っぽくなるのかなと思っていたんですけど、私の場合はそうでもなかったんです。そこで、“あ、考えすぎだったんじゃないか?別に今まで通り、失恋の曲を歌おうが、ちょっと切ない曲を歌おうが、いいんじゃないか?”って思えて」
――子供がいる親でも、期待していた人に裏切られて悲しくなったり、大切な人と別れたりはしますからね。
「そうそう!別に変わらないじゃん私って思えたのが抜けたきっかけでしたね。本当に、もっと人格が変わって、“子供命!しばらく仕事なんかできない!! ずっと一緒にいたい!”っていう思考になるかと思ってたけど、そうでもなかった。もちろん、そういう気持ちもあるんですけど、なんか拍子抜けしたんですよね。産んでみて、もちろん自分の命以上に大事な存在がそばにいるけど、仕事をすることで、逆にしゃんとできるというか、西恵利香になれる瞬間も大切だってことに気づいて。ってことは、西恵利香のままでいいじゃんってやっと思えて。ちょっとだけ手を加えて出したのが今回の「hibi」。<これから何しよう?>っていう歌い出しは、子供を産む前からずっとデモで入れてた歌詞で。産んだ後も<これから何しよう?>って言える瞬間がすごく大事だなって思えたりもしたので、そのままにしました」
――このままでいいじゃんにたどり着くまで2年半かかったことですよね。
「長かった(笑)。YONA YONAでたくさんステージに出させてもらってるし、他の仕事もやらせてもらってたので、活動的にはそんなに止まってるようには見えてなかったかもしれないんですけど、制作的には、いったいいつ出せるんだっていう状況に陥ってて。レーベルや作家さん達には申し訳なかったんですけど、「hibi」が出せたことで、もっと書けるんじゃんって思えたのも大きい収穫になっていて。今、考えれば、気持ちが抜けるまでには必要な期間だったなって思いますね。ただ、それにしては長すぎたけど(笑)」
――必要な時間だったんですよ(笑)。数多くあるデモの中から、どうして「hibi」がしっくりきたんですかね。
「リリースした時期が春を抜けたぐらいの気候のいい季節で。娘を連れてお散歩に出たときに、この曲がいいなって感じたんですよね。赤ちゃんの時代は外に出せないじゃないですか。5月生まれだったので、夏を越えて、秋冬に外に出せるようになって、初めての春だった。いい季節が来たときに、温かい風の心地よさがこの曲に合う気がすると思って。より日常を歌える曲かなと思って、これにしました」
――作曲と編曲は男女デュオのSchuwa Schuwa(シュワシュワ)が手掛けてます。
「元々すごく近しいところにいたユニットなので存在は知ってて。柔らかい曲にちょっとエッジが効いたサウンドがあったりするのが好きだったので、お声がけしました」
――これまでよりもポップになったイメージがありました。
「そうですね。元々J-POPを聴いて育ったから、ポップスをやりたいモードに帰ってきて。昔はもっとサブスクのプレイリストに寄せた曲も書いてたんです。ただ、「美しい時間」をやったことで、私こっちがやりたいっていう気持ちになって、今回もポップスっぽさを求めた感じですね。私、Every Little Thingが大好きなんですよ。ELTを聴いて育ったので、「美しい時間」に出会ったときに、私はこっちがいいなと思って。あのプレイリストに入るために頑張ろうっていうのを1回捨てて、ちゃんと4分ある曲をやりたいっていうモードになってる。でも、次作はもしかしたらまたクラブライクな2ステップをやるかもしれないし、ラップをやるかもしれないし、ちょっとわかんないんですけど(笑)」
――この曲もサウンド的には洋楽的なエレクトロポップに聴こえるんですよ。でも、後半の転調の仕方に平成のJ-POPみを感じて。
「好きなんですよ。転調で気分が上がる世代なので(笑)。あの頃と今っぽさと温かさを混ぜて作ったのが今回の「hibi」ですね」
――歌詞は、先ほどお話にでも出てきた<これから何しよう?>というワードがたくさん出てきます。
「<これから何しよう?>っていうのは、出産前は当たり前にできてたことなんですけど、子供がいると、食べたいのも温かいうちに食べられないし、行きたいお店にもベビーカーで入れなかったりする。意外と贅沢なセリフだったんだなと思いつつ、子供がいても、子供と「これからどこ行こうか?何しよっか?」って言い合えていて。行動は変われど、セリフは変わらないし、聴いてくれてる人も、<これから何しよう?>ってラフに思いながら生きていってほしいなと思ってて。ちょっと大げさかもしれないですけど、皆さん力を入れて生きてるから、新生活が始まる春先にど出した曲でもあったので、もっと気軽に、力抜いて呼吸してもいいんじゃないかなって思って書いてますね」
――タイトルは「hibi」ですけど……
「そう!歌詞には一切入れなかったんです。でも、これが今の私の日常で、毎日だからっていう気持ちで、「日々」というタイトルにして。漢字にするとちょっと硬かったのでローマ字にはしたんですけど、こういう日常を私は過ごしてます、きっとみんなも一緒だよねっていう気持ちで書きました」
――先ほど、日常を歌える曲を選んだと言っていましたが、日常を歌っていくということですか。
「そうですね。私は、10年前から音楽が好きって気持ちは変わってなくて。やりたい曲調やサウンドは変われど音楽やこの仕事を続けていきたいという思いは全く変わってない。それに、ZEPPや武道館、ホールでライブをやってるアーティストは遠いかもしれないけど、私は本当にその辺を歩いてるし、すっぴんでラジオに出ちゃったりするし、普通に過ごしてるので、遠い存在に思って欲しくないんですね。本当にそこにいる、みんなと同じ日常にいる存在とし、歌っていけたらっていうことを伝えていきたいなって思ってますね」
――レコーディングはどうでしたか?
「出産後にボイトレをたくさん重ねて、レコーディングにもボイトレの先生入ってもらって。体はだいぶ回復はしているんですけど、やっぱりすごく心強い味方なので、ボイトレの先生に一緒に入ってもらつつ、初めて座って歌いました。今まではずっと立ってレコーディングしてたんですけど、座った方が力抜いて歌えることに気づいて。いろんなアーティストさんのインタビューとか読むと、意外と座ってレコーディングしてる方が多いんですよね。私としては、“座って歌ってみたいです”って言える精神状態になったというか。今までは、やりたいことはたくさんあるけど、それを主張していいのかが分からなかった。例えば、バンドメンバーに、このアレンジでやって欲しいって言っていいのかな?とか。自分のプロジェクトだから言わないといけないんですけど、それもできなかったんですよね。そういうことが言えるようになったのも大きかったな。その辺は出産して変わったことかもしれない。気にしすぎたらしょうがないなっていう気持ちにはなってますね」
――強ばった肩の力がスッと抜けるような優しい歌声になってますね。
「割と柔らかくは歌えたかなと思います。あと、周りから“Schuwa Schuwaとの相性がいいんじゃないか”っていう声もたくさんいただくので、いいタッグだったかなとは思うし、Schuwa Schuwaのボーカルの(紺世)晃子ちゃんにコーラスを重ねてもらって。いつもなら全部自分でヘトヘトになるまで何本もコーラスを重ねるんですけど、今回は晃子ちゃんに入れてもらったところも多いので、それも含めて柔らかさが出た作品かなと思いますね」
――そして、今年の9月でソロ活動を始めてから10年が経ちます。
「10年じゃん!って気づいたのが、今年に入って、結構経ってからだったので、今、バタバタ動いてます(笑)。今年の冬頃にちょっとでかいことをやれたらいいなと思ってて。でも、区切りとはせず、“10年だ!お祭りだね”ぐらいの楽しい気持ちでやれたら、今までの10年も報われるといういう気はしてます」
――どんな10年でしたか。
「20代から30代にかけての10年なので、とてつもなく人生が変わった10年でしたね。今はグループ時代も含めての人生かなって思えるようにはなってきました。当時はいろんなことがあって、大変だった時もあったけど、それ含めてなかなかいい人生かなって思えてます、そう思えるようになったのもこの2年半という期間があったからだなと思いますね」
――これから先の10年はどう考えてますか。「hibi」では自分次第で<何にでもなれる>と歌ってます。
「そうですね。何にでもなれると思ってます。それこそ、この4月から久々にレギュラーラジオをやらせてもらっていて。自分で、もう35だからって言う癖を最近やめようと思ってて。ラジオ業界でいったら35のDJなんてひよっこで、ベテランさんはたくさん上にいらっしゃる。そういう環境もあるし、これから母親になる友達とかもいるし、いくつになっても新しいことはできる気がしていて。年齢に関係なく、自分で制限をかけずに、いろんなことにちょっとずつチャレンジしていきたい。私は、飽き性なので、何かを極めることができないので(笑)、ちょっとずつかもしれないですけど、いろんなことをやっていきたい。やったことないことに尻込みせず、マイナスなことも言わずにやっていけたらなっていう自分への励ましの曲でもあるので、その気持ちを忘れずにいたいなと思います」
――もう次の楽曲制作は始まってますか。
「始まってるんですけど、またどうしよう!ってなってます(笑)。デモもいっぱいあって、やりたい曲もたくさんあるし、作品として出すことはもう決まってて。ただ、ラジオもMCもナレーションも全部やりたいので、ちょっとキャパオーバーにならないようにっていうのは思いつつ、あとはもう書くだけですね(笑)。頑張ります!」
(おわり)
取材・文/永堀アツオ
写真/平野哲郎
メイク・ヘアメイク/Make Aya Iwasawa、Kan Fisil(アシスタント)