──Digital Single「何者」が9月10日にリリースされましたが、前段として現体制になって以降のHakubiについてお伺いしたいと思います。今年5月にリリースしたEP『27』はHakubiにとってどういう作品になったと思われますか?
片桐「私が出したかった内面的な部分が改めて出せたEPだと思っています、すごく気に入っている作品になりました。今までもその部分を出してきたつもりではあったんですけど、EPやアルバムにはあまりコンセプトはなかったんです。どうしても配信でリリースしていた楽曲を合わせていったりもしていたので。そういった意味で言うと、最終的には、"27歳"の一年が詰まった新体制の初EPになって気に入っています」
──同時にサウンドの構築という意味でも突き詰められたように思いますが、いかがでしょうか?
ヤスカワアル「まだリリースしてから少ししか日が経っていないので客観視できない感じはあるんですけど、メンバーの脱退もあって心機一転という気持ちもありました。“やりたいことを形にして行く”という作業はやっているようでこれまでやってなかったことではあって、それをちゃんと形にして作品としてリリースできたことはよかったです」
──特に「2025」とかは音像的にヤスカワさんの志向が出てるのでは?
ヤスカワ「確かに。でも全体的に曲に寄り添うことを第一にやったっていうのはすごく記憶しています。昔だったらめちゃくちゃなスケールで音が外れても弾いていたりもしていて、そういうところは“大人になった“と思いますね。でも確かに好きなもの、身にあるものを自分の形で変換して曲にしようというテーマもあったので、そこを汲み取ってもらえたのなら、”やりがいあったな“と思います」

──リスナーの年齢層も広がりそうな感じがしました。
片桐「年上の音楽好きな人にも、“よかった”って言ってくれることが多くてよかったです。と言うのも、影響を受けてきたものからエッセンスをもらってきたことが、伝わるところには伝わっていたんだと感じて。この前、自分たちのイベントの時にThe Novembersの小林(祐介)さんが言ってくれてたんですけど、The NovembersがART-SCHOOLに憧れて…とか、繋がって繋がってどんどん音楽の輪が広がっていく。そういう輪の中に自分たちもちゃんといられるんだっていう気持ちができたEPだった気もします」
──“27歳”という意識の中にずっとあった歳を越えてみてどうですか?
片桐「うーん…なんですかね? ここからがもう1回始まりのような感じがあります。ここまで走ってきて見えたものがすごくたくさんあって。初期衝動から始まってメジャーデビューしていろいろな挑戦をしてみたりして、EP『27』で今までの振り返りのようなものができて、それをリリースしたことによって、確かに“平熱さ”とかもすごくいいというか…。今、日本で音楽を聴く人が聴きたい音楽として求められてるものって、バンド音楽じゃなくてちょっと平坦だったりキャッチーで何回も同じことを繰り返すことだったり、そういうのだったりするんですけど、Hakubiで同じことをするのではなくて、もっと自分らしさを出さなきゃいけないと思いましたし、私でしか書けないものをちゃんと書かなきゃいけないっていう…それを信じてみんなは聴いてくれてるんだということはわかったので。その確認と“じゃあ、これからどうしていこうか?”みたいなのが切り替わるタイミングというか…27だったからこそ1回死んでもう1回(笑)。そんな気持ちにもなれたと思います」
──ヤスカワさんは片桐さんの状況は身近で感じていましたか?
ヤスカワ「ぼんやりと“こういうことやりたい”とか、“こういうところでやって行きたい”とかは一緒で、それが見えているからこそ一緒に活動できていますし。でも20歳くらいの女の子って不安定な人も多いじゃないですか?…男も不安定な人はいると思うんですけど。そういうところで8年くらい一緒にやっていると、どうしても強くもなるし弱くもなっているかもしれないですけど…っていうところで、変化はあるけど何がどう変わったよね、みたいなのはなくて。近い距離にいるからこそ髪型変わって気づかないみたいな(笑)」
片桐「(笑)。気づいてよ」
ヤスカワ「自然に変わっていってるから。“今、俺達は自然体だな”みたいな」
──今の体制になってヤスカワさんのパーソナリティがもっと出てくるような気がしています。
ヤスカワ「でも今回は何も僕は言っていないです。“こんな曲がほしい”とも言ってません。昔は少しオーダーした部分もあったりしたんですけど、今回は全部お任せしていました」
片桐「でも、セレクトはしてたよね?」
ヤスカワ「デモが多かったのはすごく変わったところです。それは変化じゃないですか? 昔は“もう曲、作れない”みたいな…そんな状態が長かった気がしますし、レコーディングの前日に曲を作るようなこともあったので」
──どうしてそんなに曲ができるようになったんですか?
片桐「DTMをやっていて、“私、ドラムが好きだな”ってなったんです(笑)。ドラムで“これやりたい”ってなったらどんどん曲が作れるようになって。実際、自分のやりたいドラムと元メンバーのマツイくんがやりたいドラムが乖離していったのも脱退理由の一つだったりもするんですけど、自分のイメージを弾き語りだけじゃなく作ることができたので、制作方法が少し変わったのがいい刺激にもあって、作り方のボキャブラリーっていうか…作り方が増えたことがよかったと思います」
──すごく腑に落ちました。それが全体像に繋がっている気がします。
──では「何者」のお話を。そもそもは去年9月に台湾で開催された『JAM JAM ASIA Fest.』への出演がきっかけで、片桐さんのおじいさんのルーツを思い出すきっかけになったということなんですけど、時系列を追ってこの曲が生まれた経緯を教えてもらっていいですか?
片桐「去年初めて海外公演をやって、それが2人とも初めての海外だったんです。フェスだったんですけどすごくたくさんの人が待っていてくれて、皆さんあったかくて、しかも歌ってくれてる人もいたりして、“こんなに台湾で待っていてくれてる人いたんだ”って、すごく温かい気持ちになりました。ライブ前後数日しか台湾にはいなかったんですけど、街の人たちの温かさとか、待っていてくれている人の顔だったりがすごくよくて、台湾のこと大好きになって。そんなときに、そういえば実家が“台湾さ”って呼ばれていたことを思い出して…」
──“台湾さ”?
片桐「童歌「あんたがたどこさ」の<熊本さ、熊本どこさ>ってある、あれです。で、おじいちゃんとひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんの家族が20〜30年くらい日本から台湾に移り住んでいたっていうことを思い出して。それで“これはなにかの縁かな?“と思って、台湾に一人で行ってみたいと思ったんです。おじいちゃんはもう亡くなってしまったので、親戚のおばちゃんとかに連絡しておじいちゃんが住んでいた場所や通っていた学校を訊いて、今年の4月にライブ終わりに台湾に飛んで(笑)。嘉義市の資料館のスタッフの人が学校に電話かけてくれて、”今から日本人が行くから“みたいな(笑)。それで96年前の古い名簿を調べてくれて、うちのおじいちゃんの名前を見つけて、”わあ!やった!“って、みんな写真撮って(笑)、そういうのが温かくてすごく嬉しかったです。「何者」のジャケット写真は、嘉義の広い空が見える稲がたくさん育っている田んぼです。友達のカメラマンとバイクで走り抜けて夕日が落ちるのをずっと見てたりして…そんないい時間を過ごしていたその場所で、気づいたことや考えたことを書きました」
──どんなことを感じたんですか?
片桐「居心地がなんだかよかったんです。それは『27』に収録している「2025」でも同じことを思っていたりもしたんですけど、ちょっと離れると自分のことも俯瞰して見えるというか…逃げ場所になるみたいな。戻ってきたら向き合わなきゃいけないものはあるけれど、一瞬の逃げ場みたいなのになってくれた感じがして、それが心地よくて、それが台湾であることも縁だと思いました」

──タイトルが「何者」ということも関連していると思うんですが、片桐さんは自分がどこから来て…みたいなことを意識する方ですか?
片桐「すごく意識するかもしれないです。このファミリーのルーツ…みたいな。NHKの番組『ファミリーヒストリー』がかなり好きです」
──自分の頭で考えているように思うけど、そもそも自分はいろんなものの影響なんじゃないか?っていうことから曲が始まりますね。
片桐「この曲を作ってから思うのは、“旅の過程を順番的にも書いているな”って。逃げ込んだ先と言うか…すごく思いつめていたところから旅に出て、どんどん気づいていく過程を書いているって後から思いました。この旅の途中に思いついたキーワードをメモに書き残していたりしたんですけど、ネガティブな言葉はなくて。今まではネガティブなものが原動力になっていたんですけど、すごくポジティブなことが多くて、言葉にすると安っぽいというかよく聞く言葉なんですけど、“本当にこの空の下でみんなつながっている“って思ったんです。広い空の下で横になって夕日を見ていた時に。私はここに今ひとりぼっちでいるけど、でも私は一人ぼっちじゃないなって(笑)。それは心でつながっている人もいるだろうし、血としてつながっている人もいるし、もし空がつながっていなくて、もしこの空が見えない場所にいってしまっている人がいたとしても、つながっているんだろうな…みたいな」
──なるほど。
片桐「すごく大きい話だとは思うんですけど、それを感じられたことがすごく自分にとって大きかったです。“今、気づけてよかったな“って気持ちになったんです。それが”人をもっともっと大切にしよう“とか、そういう気持ちにもつながりましたし、その時は台湾にいたので自分と違う人種や違う場所にいる人でも”それって同じだよね“って思って。そんな温かい気持であり、気づきであり、そういう心情を書きたいと最初に思っていました」
──その想いが最後の三行の歌詞<優しい歌が響きますように、空を飛び海を越え、世界中の愛しい人の元へ>にまでつながっていくんだと思いました。以前だとここまでなかなか書かなかったんじゃないかな?と思いました。
片桐「はい。言葉だけ見ると当たり前のことを書いているというか…今までだったらもっと細かい部分を書いていたんですけど、ドンって構えてもいいメロディとそれくらいの気持ちがあったので、これ以上ない言葉、これでしかなかった言葉、伝わらない言葉であり、メロディもハマって、構成的にも最高の位置に持ってこれました。一番最後にこのパートをつけたんですけど、それは正解だったとは思います」

──ヤスカワさんはデモを聴いたとき、どう思われましたか?
ヤスカワ「最後のパートは“この曲で行こう”っていうのが決まってから作ってもらったんですけど、この最後のパートが超好きで、“もうこれが全て”みたいな。この曲はここまでくるために1サビ2サビがあると思っていたくらい好きだったので、正直このラスサビが付け加えられる前の気持ちはもう忘れちゃいました。それくらいこの最後のパートが個人的に印象深かったというか景色が見えたんです。それですぐオクターブで歌を鳴らしてオーディエンスを圧倒させようみたいなアレンジも浮かびました」
──サウンドメイクとかアレンジに関しては『27』から地続きなんですか?
片桐「サウンドメイクに関しては『27』の「2025」と「しあわせ」という曲でも一緒に編曲をやってもらった久米(雄介)さんにお願いしていたんですけど、特に「2025」に少し近いイメージがあって。くるりとかスーパーカーといったところをリファレンスにしながら台湾の空気を出したかったんです。ちょっと湿気があってちょっと生温かくてちょっと懐かしい風景であり、旅の道を追って進んでいって最後に見つかるものみたいな、ロードムービー的な楽曲だったので、そういうニュアンスも出したくて台湾やタイのバンドからもインスピレーションをもらったりしました。南国というか…ちょっと湿気のある亜熱帯な感じの空気を出そうとやっていました」
──では最後に今後の予定を聞かせてください。
片桐「クアトロツアー『Hakubi live tour “2017-2025 NOISE FROM HERE”』が控えています。このツアーでは結成してからの8年間の曲をそれぞれの場所でやろうと考えていて。あと。この1年を2人で走ってきて見えたところで言うと、“もっとバンドをやれたらいいな”というふうに思っていたので、来年に向けての準備を進めていきたいですね」
──“バンドをやる”というのは?
片桐「ライブをもっとやりたいっていうのと、“バンドってやっぱりストーリーだな“というふうに思っているので、もっと仲間を見つけて次の街へみたいな(笑)。ライブハウスで育ってきたバンドとして、”もう一度、Hakubiというバンドの形を見直したい”って、この1年を走って思いました」
(おわり)
取材・文/石角友香
RELEASE INFORMATION
LIVE INFORMATION

Hakubi live tour “2017-2025 NOISE FROM HERE”
2025年11月19日(水) 大阪 UMEDA CLUB QUATTRO
2025年11月21日(金) 愛知 NAGOYA CLUB QUATTRO
2025年12月4日(木) 東京 SHIBUYA CLUB QUATTRO